プロローグ

どうして男と女は一緒に生きているんだろう

 どうして男と女は一緒に生きているんだろう。

 ただ子孫を残していくためだろうか。


 電車の座席でうとうととスマホをいじりながら、稲田真介はふとそんなことを思った。


 とある主婦が夫の悪口をせっせとSNSにコメントしている。一方で、どこぞの男性芸能人は妻に飽きて若い女と不倫し、スキャンダルとなっている。


 SNSやネットニュースの記事では、そんな男女のいさかいの話がたくさん流れてくる。大学生である稲田は、それらを日々見せられながら育った世代だ。


 結婚生活は大変だとか伴侶も年老いるだとか、そんなこと最初から分かりきっているんだから、嫌なら結婚なんかしなければいい、そんな風に思っていた。


 愚痴やガス抜きが必要な行為であるというのはもちろん理解している。

 ただ彼には、パートナーと共に生きるということがあまり幸せそうに見えないのだ。


 それにしても、自宅の最寄り駅まであと一駅だというのに猛烈に眠い。頭がぼーっとする。どうやら体調が悪くなってきたようだ。


 稲田は必死に眠気と戦っていた。


 そんな中、斜め前方に立っている女性客が突然声を上げた。


「やめて!」


 周りの乗客が一斉に彼女を見る。


「痴漢です! この人痴漢です!」


 稲田も叫んでいる女性にちらりと目をやった。

 彼女は背が低めだが、外見は稲田と同年代のように見えた。茶髪のショートヘアーにキャップ、マウンテンパーカー、ショートパンツにタイツ、大きいリュックサック。


 犯人と思われる男性は髪の薄い中年で、彼女や周りの乗客を睨め回している。


 稲田は彼女を手助けしてやりたいと思った。助け合うことができないのなら、男と女が一緒にいても意味がないような気がしたのだ。


 しかし、突然眩暈のような感覚を覚え、目を閉じた。頭がくらくらする。頑張れば立ち上がって声をかけることもできるかもしれないが、すぐに諦めてしまった。


 朦朧とする意識の中で、負け犬の遠吠えのような言葉が浮かぶ。



 電車で触るなんてセコいマネしやがって。そんなに触りたいならそういう店に行けよ……。

 なんかいざこざばっかりだな。トラブルしか生まれないなら、電車も全部男女で分ければいいじゃん、トイレみたいにさ……。

 そうだ、電車だけじゃなくて住む場所も完全に分けてしまえばいい。お互い関わらなくていい。そうしたら男女のマウント合戦もなくなるぜ? そう、全部全部……。



 そんなことを思っていたが、とうとう眩暈と睡魔に負けて眠りに落ちた。まどろみの中で、女性客の声が徐々に遠ざかっていくのを感じた。




 目が覚めたとき、電車は最寄駅である都内のとある駅で停車していた。

 ドアが開きっぱなしになっている。どうやら快速電車の待ち合わせをしているようだ。


 先ほどの女性客と犯人はいなくなっていた。先に降りて駅の事務所にでも行ったのだろう。他の乗客の姿もまばらだ。


 先ほどの眩暈や眠気は嘘のように綺麗さっぱりなくなっていた。

 少し眠っただけでこんなに体調が良くなるものなのかと不思議に思ったが、気にせず家に帰ることにした。


 もう三月下旬だが、夜はまだ冷え込む。

 電車から降りると寒風が細身の体を震わせた。


 ホームから下り、改札を抜け、駅前の駐輪場で自転車に乗る。それから、家に帰る前にスーパーに寄る。これがいつもの帰り道。


 そう、いつも通りなはずだ。

 しかし、稲田は先ほどから何かに違和感を覚えていた。だがその正体が分からない。いつもと同じ光景なのに、何かが違う。まるで間違い探しのように。


 車道を自転車で走りながら、歩道を歩いているサラリーマンを横目に見てみる。でも特におかしいところはない。


 結局違和感の正体は分からないまま、スーパーに辿り着いた。

 おそらく気のせいだったのだろう。もうそのことについては忘れることにした。


 稲田はカートに買い物カゴを載せ、入り口に入った。

 店内をぐるりと一周しながら、値引きシールの貼られた刺身や総菜などを買い物カゴへ入れていく。その間、息子を連れたお父さんや、杖をついたお爺さんとすれ違ったりもした。


 必要なものが一通り揃い、レジへ向かったところで、稲田は目を見開いた。


 スーパーの店内だというのに、彼の目の前には男しかいなかった。夜なのでレジは二台しか使われていないが、店員も並んでいる客も全員男だ。いつもいるおばちゃん店員も、主婦の買い物客も、女は誰一人としていない。


 奇跡だ、こんなこともあるんだなと、稲田は思った。

 スマホを取り出し、なるべく人の顔が写らないようにその光景を写真に収めた。これをSNSに投稿すればウケるかもしれない、そんなことを考えながらほくそ笑んだ。


 意気揚々と帰宅し、買った総菜を冷蔵庫に仕舞うと、さっそくSNSを開いた。

 さっきの写真を投稿する前に、他の投稿をチェック……しようとしたところで、異変に気が付いた。


 フォロー数もフォロワー数も約半分に減っている。それぞれ百人はいたのに、今では五十人程度しかいない。

 稲田は焦り、何かが起きていると考えた。


 それから、彼らの投稿をしばらく眺めていると、更におかしいことに気が付いた。


 稲田のSNSに表示されているのは男のアカウントだけになっていた。男の投稿だけが画面を埋め尽くしていた。


 頭を抱えたが、原因らしきものにすぐ思い当たった。



 わかった、アカウントの乗っ取りだな。まったく、手の込んだイタズラを……。



 原因は分かったが、対処法が分からない。消えた約五十人の女性たちを再度フォローしなければならないのか。


 気が遠くなってしまい、一旦SNSを閉じた。男だらけのスーパーの写真を投稿することなど、とうに忘れてしまっていた。


 何気なくテレビをつけ、チャンネルをポチポチと変えていく。ニュース、スポーツ、ドラマ、バラエティー……。


 しかし、ここでまたもや異変が起こった。稲田の頬に冷や汗が垂れる。今度こそ異常事態であると確信した。



 男しかいねぇ……!



 SNSのみならず、テレビ番組からも女性という概念が消えていた。映るのは様々な年代の男だけだ。


 稲田は先ほどのスーパーでの出来事を思い出した。あれももしかして何か関係があるのだろうか、と。



 いや、それだけじゃない……。



 稲田はスーパーに着く前の帰り道でも街中の光景に違和感を覚えていたが、ようやくその正体を理解することができた。


 街中に女がいなかったのだ。駅の構内にも。見かけたのは帰宅途中のサラリーマンをはじめとする男だけだった。



 いつからだ、いつからこうなってる? 最後に女を見たのはいつだ?



 必死に記憶の糸を辿った。

 そして、思い出した。


 最後に見た女は、電車で痴漢にあった女の子だ。

 あの騒動の最中に稲田は眠ってしまい、目覚めたら周りから女という存在が忽然と消えてしまっていた。


 SNSだけでなくスマホの電話帳も見てみたが、女の連絡先は消えていた。


 呆然としていると、テレビ番組が天気予報に切り替わった。キャスターはもちろん男だ。

 虚ろな目で見ていると、その目がまたしても見開かれることになった。


 表示されている日本地図は、愛知県・岐阜県・石川県より東側だけだった。週間予報の表でも東日本の天気しか伝えられなかった。この番組では、いつも全国の天気予報を伝えていたというのに。



 いつもと違う……女が消えたことと何か関係しているのか……?



 そこでふと思いついた。「女」という言葉をネットで検索してみることを。


 女……女……と、検索結果を見てみる。「女」に関するページがずらりと表示されているが、単純に言葉の意味を説明したものが多い。適当にスクロールしてみると、その中に一つ気になるページがあった。



 男女の居住区域――。

 これ、もしかしてさっきの……。



 稲田はおそるおそるそのページをクリックした。



【男女居住区域侵入罪】


 男女居住区域侵入罪は、男性が女性居住区域に侵入した場合、または女性が男性居住区域に侵入した場合に成立する。(一部例外を除く)


・男性居住区域


 北海道、青森県、岩手県、宮城県、秋田県、山形県、福島県、茨城県、栃木県、群馬県、埼玉県、千葉県、東京都、神奈川県、新潟県、富山県、石川県、山梨県、長野県、岐阜県、静岡県、愛知県。


・女性居住区域


 福井県、三重県、滋賀県、京都府、大阪府、兵庫県、奈良県、和歌山県、鳥取県、島根県、岡山県、広島県、山口県、徳島県、香川県、愛媛県、高知県、福岡県、佐賀県、長崎県、熊本県、大分県、宮崎県、鹿児島県、沖縄県。


・法定刑


 無期懲役に処せられる。

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