第11.5話 呼び出されて・・・

 ひどく緊張している。

 恋こそ数多してきたディルマュラだが、一線を越えたことは実はいちどもない。

 そう、いちども、だ。

 だから、夜に誘われたこともなく、きょうの修練もまるで集中できずにいた。


 なにをするために、こんな時間に呼びつけたのか。

 まさか、婚約しない、と言い捨てるためだろうか。

 まさか、婚前交渉のためだろうか。

 まさか、未熟なくせにライカに勝負を挑んだ自分を処罰するためだろうか。 


 ぐるぐる回る思考の渦の中心にいるのはクレア。


 ひと目惚れだった。

 あれだけ恋を重ねたのに、彼女を見た途端、心のすべてを奪われてしまった。

 この恋が叶わないのなら、自分はどうすればいいのか、自分はどうなればいいのかわからないほどに。


「あら、王女殿下。どうなさったんですか、こんな時間に職員寮なんて」


 ぐるぐる回る思考に心を奪われながらも、からだは時間に正確にクレアの待つ職員寮へ向かい、ほのかに照明の灯された安っぽい、一見裏口のようにも見えるガラス戸の出入り口まで来ていた。

 そこへ通りがかった、名も知らぬ女性職員に声をかけられ、ディルマュラは跳び上がるほどに驚いた。


「もう、どうしたんです? そんな子猫みたいに驚いて」


 女性職員はふくよかな体型。年齢はクレアたちよりも少し上。見覚えもなかったから事務職員だろうと判断し、ちらりと見えた腕輪もそれを証明していた。

 神殿に属する者が付ける腕輪は、精霊たちとの対話ツールとしてだけではなく、色や形に違いを持たせて階級章のような役割もある。


「い、いえ。考え事を、していたので」


 へえぇ、と意味深に微笑まれ、 


「クレアちゃんならさっきお部屋に入ってくところ見ましたよ」


 心臓が口から飛び出るかと思った。


「そ、そそそ、そう、ですか。ありがとう、ございますっ!」


 うわずり、裏返っているのは自分でも分かっている。

 つまり。

 やはり。

 そういうつもりで呼んだのだろうか。


「うふふ。それではごきげんよう、王女殿下」


 ぽん、と背中を押され、たたらを踏みながら寮の中へ。

 あとで聞いたのだが、この背を押した女性。現在職員寮の寮母にして先々代の神殿長、ファリス・アルマデーラそのひとであった。


     *     *     *


「ディルマュラ、お呼びにより参上しました」

 

 維穏院は治安維持を司る。

 実質的な戦闘能力で言えば神殿長と同格かそれ以上を求められる役職でありながら、支給される部屋は一般職員と同じ構造だ。

 ひとり身が家買っても持て余すだけよ、と職員として神殿に勤めるようになってからずっと言い続けてクレアは職員寮から出て行こうとしない。

 幼いミューナを預かっていたときも含めて、だ。


「はい、あいてるから入って」


 棒状のノブに手を伸ばすだけでも心臓が破裂しそうだった。


「し、失礼、します」

「んー。なに、緊張してんの?」


 入ってすぐにベッドに腰掛けて、クレアはくすくすと上品に微笑んでいた。

 部屋の造りは修練生寮とほぼ同じ。違いはベッドの数ぐらいだ。

 なのに、使用者によってここまで雰囲気が変わるものかと思う。

 部屋干しされた洗濯物と、脱ぎ散らかされた下着や衣服。大雑把な性格だとは感じていたしそこも魅力ではあるが、立場ある人なんだからもう少し、とも思う。


「ごめんね。修練用の資料とか作ってると部屋の掃除まで手が回らなくって」

「あまり、根を詰めないようにしてください」

「ありがと。でも、とくに今年はみんな優秀だから助かってる。だからよけいにいっぱい教えたくなるの」


 リップサービスだとしても嬉しい言葉をもらって、ディルマュラは頬を染める。


「で、どうしよっか。あんたが期待してること、してあげよっか」


 言いながら、ぐいっと勢いよく上着を脱いでTシャツとショーツ姿に。


「そ、そんなこと! まだやるわけには!」


 自分が愛する者のあられもない姿に、目をそらしたほうがいいのかちゃんと見たほうがいいかわからず、結局天井に視線を向けて否定した。


「あらそう? せっかくのチャンスなのに」


 視界の隅で、クレアが立ち上がって部屋の片隅にあるクローゼットへ向かうのが見えた。


「え?」

「なに驚いてるのよ。平服じゃ動きづらいでしょ」

「え、着替え、ですか?」

「そう。あんたもそんな格好じゃケガするわよ」


 そんな格好、と言われて思い返せば、黒のTシャツに同じく黒のチノパンというラフな格好。

 

「ほら、あたしの貸してあげるから着替えて」

 

 間近で聞こえた声にひかれるように視線を戻せば、普段の修練で見る、ゆったりとしたローブではなく、すっきりとした袂と腰回りの修練服。

 ぽす、と手渡されたのは同じ色合いの修練服だった。


「え、あ、あの」

「そんなにサイズ差ないはずだけど、キツかったら直すから言って」


 あれよあれよと事が進んでいるが、どうやら自分が期待したような事は起こらないらしい。

 ほんの、ほんのちょっぴりだけ、残念だった。


     *     *     *


「でもちょっと安心したわ」


 星空の元、入念にストレッチをしながらクレアは軽く言う。

 ここは職員寮からも神殿からも離れた空き地。空き地ではあるが雄大なファルス山脈までなんの人工物もなく見渡せる広大な草原。足首ていどの高さの草は花の時期は終えていまは悠々とその葉を根を伸ばしている。

 修練生たちからはいわゆる「校舎裏」として知られているここは、おおっぴらにできない間柄の逢い引き場所や非公式な決闘などに使われる場所として有名だ。

 同じくストレッチしながら、ディルマュラは不思議そうに返す。


「なにがですか?」

「あんたがあたしにそういう感情もちゃんと持ってくれてたってことに、よ」

「だ、だだだって、あんな風に、言われたら……っ」

「ごめんごめん。みんな見てたからサービスしないとって思ってね。知ってる? あたしとあんたでそういう妄想したりしてる子、けっこういるのよ」

「……まあ、そういうことには慣れてます、から」


 大衆というものは、おしなべてゴシップやスキャンダルを好む傾向にある。

 エイヌに限らずこの世界の政治を司る六王家は、よほど度が過ぎない限り、国民からのアイドル扱いなどを容認している。

 なので王家を扱った娯楽作品はプロアマ問わずひとつのジャンルとして確立していて、ディルマュラを題材とした作品も多く存在する。

 

「あたしもすっかり慣れちゃったな。ま、ちゃんとケガなく修練やってくれれば、それでいいんだけど、さ!」


 さいごに自身の頬を勢いよく叩いてクレアは大きく息を吐く。


「じゃ、やるわよ。あんたが十であたしが十五。ちゃんと動かないと腕の二、三本覚悟してもらうから」

「な、なにを」

「あたしもちゃんとからだ動かすの久々だから、最初はぎこちなく感じるだろうけど、すぐ慣れるから安心して」

「せ、せんせい?」

「ほら、いくわよ!」


 わずかな草葉の揺れを残してクレアの姿がかき消える。

 咄嗟に腕に精霊を踊らせつつ交差してガード態勢に入ったのは正解だった。

 腕の交点、そしてその奥にある肺を貫くような右拳が命中。


「かはっ!」


 痛みより混乱が強い。


「お、さすがに対応したわ、ね!」


 くの字に後ずさるディルマュラの、まだ交差している腕へ、今度はかかとで蹴りつける。堪えきれず吹き飛ぶ。そのまま追うクレア。どうにか踏ん張って腕に踊らせていた精霊たちを拳に集め、


「遅い遅い!」


 鼻先が触れ合いそうな距離にあったクレアの顔を、それだけの隙はたっぷりあったのに、ディルマュラは殴ることができなかった。


「なにやってんの、よ!」


 頭突きを鼻先にぶち当て、ディルマュラに鼻血を咲かせる。


「な、なんで、こんな」

「ほらほら、反撃してみなさいよ!」


 ぼたぼたと流れる鼻血で呼吸がままならないことも相まっていまだ混乱するディルマュラをあざ笑うように、クレアは攻撃を続ける。


「いつものお遊びみたいな修練だと思った? わざわざ呼び出したのに、そんなことするはずないでしょ!」

「あれが、お遊び?」

「一年目のヒヨッコ以前のあんたたちにやらせてあげられることなんて、お遊戯もいいとこなの。ミューナとライカが初日にどんなことやったか、そんであんたはそのライカにケンカを売ったの、もう、忘れた、の!」


 渾身の連撃にディルマュラは吹き飛ぶ。草原を何度もバウンドし、無防備に転がり、草葉で細かい火傷や擦り傷をいくつも作りながら滑っていく。


「ほら、立ちなさいよ」


 冷淡に。

 夏だというのに背筋が凍った。


「……じゃあこうしましょう。あたしは壁向こうのスパイ。神殿に潜り込んで機密盗んだり、有能な人材を壁向こうに送ってます。はい、どうする?」

「そんな、わかりきった嘘に」

「あり得ない話じゃないでしょ? ゆっくり時間かけて敵国に馴染んで、でも情報はしっかり送って、あわよくば無血開城させる、なんて考えてるかもよ?」


 あまりにもすらすらと語るクレアに、冗談や虚言ではないのかもしれない、とほんの、ほんの一瞬だけ思ってしまった。

 そして恥じた。


「嘘です! ぼくをやる気にさせようって、そういう類いの嘘です!」

「嘘じゃないって。じゃなきゃ大事な教え子をこんな風にぶん殴ったりしないって。だからほら、さっきの質問、答えなさいよ」


 嘘に決まっている。

 でも、質問には答えなければいけない。

 じぶんは、あの人の教え子なのだから。

 すっと立ち上がり、「リョウ」で鼻血を止め、「ジョウ」で顔や衣服に付いた血を払う。


「可能な限り、説得を試みた後、それでも止まらないのなら、力尽くで止めます。ぼくが止めます。どういう素性であっても、ぼくが愛するのはいまのクレア先生なのですから」


 ふふん、と口角を上げて、


「ま、ぎりぎり赤点回避ってところね。わかってるならちゃんと、やりなさい!」


 楽な姿勢から一瞬腰を落として加速。一瞬で詰めた間合いは、するりと抱き留められてしまった。


「え、ちょ、なに?!」


 振りかぶろうとしていた拳は左手に。後ろ腰には右手が添えられていた。

 ふたりの身長差はディルマュラが頭半分ほど小さい。にも関わらずいまクレアはディルマュラを大きく感じている。


「ですから、説得を」

「ば、ば、ばか!」

「クレア先生も、結構かわいいところあるんですね」


 振りほどこうと思えば容易にできる。それほどにクレアを抱き留める力は弱い。にも拘わらず、だ。

 

「ではこれで説得は終わり、でいいですか?」

「い、いい、いいから、離して!」


 はい、とにこやかに手を離し、半歩ほど下がる。


「……、ばか」

「やはりあなたにひと目惚れしたことに間違いはなかったと確信しました」

「ばか! なんでそんなに余裕たっぷりなの!」

「愛するひとを前に、見苦しい姿はさらせませんから」


 言って浮かべた笑顔のなんと爽やかなことか。

 これ以上はいくら星空の元でも表情を読まれてしまう。そう察してクレアはそっぽ向いて叫ぶ。

 

「も、もういい、から。きょうは、ここで終わりだから! 明日また同じ時間に来なさい! 解散!」

「はい。クレア先生も夜道お気を付けて」

「ん! はやく行って!」


 はい、としずやかに宵闇に消えた。

 残ったクレアはへたり込み、長く深いため息をついた。


「はー、……っ」


 甘く見ていた。

 相手は百戦錬磨。

 年の差なんて簡単にひっくり返されてしまった。


「明日よ明日。明日はちゃんと本業でわからせてやるんだから!」


 クレア・ルオラ三十六歳。

 星空に強く硬く誓うのであった。

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