第11話 縁
今度はライカが逃げ回る番になった。
あの日逃げてしまったことへの後ろめたさからミューナを直視しようとすらせず、修練が終われば真っ先に寮ではなくイルミナがいる自宅へ帰り、修練の時でさえできる限り距離を取るようになってしまった。
「あんたの莫迦のせいであたしやミューナの成績落ちたらどうしてくれるのよ」
オリヴィアが修練開始前のストレッチ中に文句を言えば、
「んなこと、言われてもよ……」
煮え切らないライカに苛立ちつつもせめて、とオリヴィアは要望を言う。
「だったらせめて修練ぐらいちゃんとやって。援護する身にもなって」
「わ、わかった」
怯えたように言うライカに、オリヴィアの眉が危険な角度に跳ね上がる。
「わかってない」
「しつこいぞ。あたしに、」
乾いた音が響く。
それまで、半ば慣れでストレッチを行っていた修練生たちの視線が一気にふたりへ集まる。
「ってぇな」
「あたしに、人を殴らせないで」
「おまえが、」
反論しようとしたライカを視線で黙らせ、念を押す。
「今度殴らせたら、本気でぶん殴るからね」
当然その日の修練は、さんざんな結果に終わったし、ライカが帰ってくることはなかった。
ちなみに、ではあるが、ライカたちが寝泊まりしている寮に門限や外出制限などはない。
あくまで班の連携を高めるためのもので、学生寮というよりは社員寮に近い。
「……なんで」
ミューナはひどく落ち込んでいた。
自分がわがままを言ったせいでライカが逃げてしまったのだと。
そのせいで約束を果たしてくれることは無くなったのだと。
見かねて寮で就寝前、ベッドに腰掛けたまま、サイドチェストの灯りを消す前に謝罪した。
「……ライカ追い詰めて、ごめん」
「オリヴィアはわるくない。わたしが、ライカを怒らせてるだけ」
責めてくれたほうが楽だった。
そんなことをミューナがするはずがないことぐらい、わかりきっていたのに。
責められることで罪の意識から逃げようとしていた。
そうか。
──あれだけ強いあいつが逃げまわってる、ってことよね
ならせめて、橋渡しぐらいはやっておかなければ示しがつかない。
口調をできるだけ明るくしてオリヴィアは言う。
「あのね、ライカは怒ってない。寮に帰ってこないのはたぶん、大勢のまえでお芝居の真似事したことが恥ずかしくなって、そういうことをミューナにさせて恥をかかせたって思ってるから」
オリヴィアは読書家だ。活字中毒と言ってもいいほどに。
だから、ライカの行動理由もある程度の類推はつく。
「……そうなの?」
沈んでいたミューナの瞳に、わずかな活力が灯る。
「あたしの予想だけどね。でも、ほんとうに嫌ってたら、あんなにわがまま言ってたミューナを踊りに誘ったりしないでしょ?」
「……そうかな。あやしてくれただけ、かも」
「あやすにしたって嫌ってたらやらない。少なくてもあたしはそう」
「……うん。オリヴィアの言うこと、信じてみる」
ありがと、と微笑んで、
「修練にはちゃんと出てるんだし、そのうち立秋祭でやる組み手トーナメントの予選も修練でやるはずだから、そのときに直接伝えればいいんじゃない?」
「そっか。オリヴィアすごい。そんなこと全然思いつかなかった」
子供のように目を輝かせるものだから、オリヴィアは面喰らうやら心臓が高鳴るやら。
「あのねミューナ。そういう無防備な顔、ライカ以外にしちゃだめよ」
「? オリヴィアにはしたよ?」
「あたしにはこれっきり。あんた少しは自分が絶世の美人だって自覚、持ちなさい」
「わたしよりライカのほうが綺麗でかっこいいもん」
両手で握り拳をつくって鼻息荒く熱弁を振るうミューナに、もういいわ、と呆れつつサイドチェストの灯りを消す。
おやすみ、と言い合って横になって、オリヴィアは真っ暗な天井を見つめる。
──これでどうにか進めばいいけど
あとはライカ次第だ。
そんなやりとりがあってから数日が過ぎたある修練の日、それは訪れた。
「はい、じゃあ今日からは個人戦よ」
クレアの言葉に一番安堵したのはライカだ。
それを見逃さず内心でため息をついてクレアは続ける。
「みんなも知ってる通り、毎年秋分の日には神殿が主催する盛大なお祭りが行われるわ。当然屋台や舞台や神楽とか披露するんだけど、あんたたち個人のトーナメント戦もそのひとつ。ベスト十六の試合から本番のお祭りでやるから、親御さんとかに良いところ見せたいひとはがんばるように」
はい、と一同が返事をして、ディルマュラが手を挙げる。
「愛しのクレア先生、少し質問があります」
「なにかしら、あたしのかわいいマュラ」
一同の前でクレアがこう呼ぶのは今日が初めてだ。
きゃあ、と一部から黄色い声が上がる。
ふたりの関係には裏で色々と捗らせている者もいて、その噂は本人達にも伝わっていた。
出自が王族であるディルマュラはスキャンダルに慣れているし、教官生活の長いクレアも自分がそういう対象になることはもう慣れきっているので特にお咎めなどは無い。したところで隠れてやる者はやるし、過度に制限すれば、芽生えようとしていた文才が枯れてしまうことだってある。
全員が全員正式に腕輪を授かり、神殿で働けるわけではないのだから。
こほん、と小さく咳払いをして黄色い歓声を鎮めてディルマュラは神妙に言う。
「今年の大会も、修練生が使える術には制限を付けるのでしょうか」
「もちろんよ」
「では、ぼくとライカが試合をする時は、その制限を外してください」
へえぇ、と獲物を見つけた猫のように口角を上げて、クレアはこう返す。
「理由は?」
「私的なものです」
真剣に即答するディルマュラだが、クレアは猫の表情を止めようとしない。
「ふぅん。でもあんたの制限を外すなら当然ライカのも外すし、そうなった時の実力差、いまここではっきり言おうか?」
いいえ、と首を振ってディルマュラは言う。
「制限がある、いまのぼくの強さを十として、外した場合は高く見積もっても十二。けれど外したライカは一〇〇を軽く超えるでしょう」
「そこまで判っているならいいわ。ライカ」
名を呼ばれ、何故か慌てたように返事をするライカ。
「聞いてた?」
「え、あ、はい。あたしがディルマュラと試合をするって」
寝起きのように返すライカに軽くため息をついて、
「半分正解。秋分のお祭りの大会であんたとあたしのかわいいマュラが精霊たちの制限なしで試合するの」
「は、はあ。……え? あたしが? あたしの制限も外すん、ですか?」
「そ。制限なしのライカなんかこてんぱんにしてやるってさ」
立ち上がり、指を突きつけたのはディルマュラ。
「そうさ。キミがなんと言おうともキミはぼくのライバルだ。だから、全力で闘いたい。いいだろう?」
いつもの芝居がかった口調ではなく、真剣みの増した宣言にもライカは鬱陶しそうに手を振って返す。
「好きにしろ。制限が外れるなら、時間かからなくて清々する」
全く相手にされていないこと程度なら、ディルマュラには織り込み済み。だがこの態度は我慢できない。
「ああ。何があったか知らないし訊かないけれど、腑抜けたいまのキミなら、ぼくでも勝てるからね」
あ? とゆったりと、しかしあからさまな怒気を孕ませてライカが立ち上がる。
「あたしのことに、他人が口出しするな」
「キミはぼくのライバルだ。言葉も交わした。同じ釜のご飯も食べた。だから縁がある。本気で口出し、いや、拳を交わすぐらいの権利はあると思う」
「じゃあ、いますぐここで決着、」
ごんっ、と鈍い音がふたつ。ほぼ同時に鳴り響く。
「はいそこまで」
ぷるぷると両手を振ってクレアがふたりを座らせる。
そして一度、ぱん、と手を叩いて。
「予選は来週から、全修練生ごちゃまぜでやるわ。組み合わせとか細かいルールとかは明日にでも発表するから。ま、同じ班の子同士を初戦で闘わせるような意地悪はしないから安心して。じゃ、今日はランニングからね。外周二十周。はい始め」
ぱん、ともう一度手を叩くと修練生たちは立ち上がって各々ストレッチを始め、準備ができた者からそれぞれ走り出した。
始業からいままでの間ずっとミューナはライカを見つめていた。が、ライカから彼女へ視線をやることは、ついに一度も無かった。
そんなミューナの思いを汲んで、なのか、単純に自分の力量を測りたいだけなのか、ディルマュラだけでなく自分もライカと当たるときは制限を外して欲しい、とこの修練の後、直訴する修練生が多数生まれたが、クレアはやんわりと拒絶し、実現したのはディルマュラだけだった。
ランニングが終わり、息を整えている修練生たちへ向けて、唐突にクレアは声音に色気を含ませていう。
「あ、マュラ。今日の夜……そうね、八時ぐらいになったらあたしの部屋に来て」
きゃああ、と黄色い声が上がる。
が、それらは無視してディルマュラは静かに頷いた。
よし、とクレアは頷いて声音を戻し、
「じゃ、今日から一週間は個人戦にむけての修練。それから先は予選に入るから。各自、励むように。いいわね!」
はい! とライカを除く全員が応え、クレアはライカをにこやかに睨み付けた。
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