第18話 独唱行進曲

『それではこれから三十分ほどの休憩に入ります。お手洗いは多めに用意してありますからご安心ください』


 そんなクレアのアナウンスを聞きながらシーナは花道を歩き、控え室へ続く薄暗い通路へ入る。


「よい試合だった。お疲れ様」


 通路に入ったとたん、死角から声をかけられ、シーナはひどく驚いた。その相手がディルマュラであることも含めて。


「どうしたんですかディル。わたしに労いなんて」

「友人を労うのに理由が必要なのかい?」

「え、友人だったんですか? ……あ、その、わたしは主従以上の関係ではないと思っていましたから」


 思わず口をついて出た言葉に慌てて注釈を入れたが、自分がそう思っていたことにシーナはほんの少し、悔しさに似た感情を覚えた。

 当のディルマュラはそんなシーナの思いを受けとったのか、さわやかな笑顔で返した。


「そうだよ。ぼくはいままで一度もきみを従者だと思ったことはない。きみが傍にいて頭を叩いて修正してくれるからぼくはこうしてここに立って、愛しのクレア先生に求婚できた。感謝しかない」


 そういうことですか、とつぶやいて腕組みをして。


「やっぱり怖くなったんですね。制限なしのライカと闘うことが」

「う。そ、そうだよ。まさか殺されたりはしないだろうけど、腕の二、三本は覚悟しないといけないからね」


 ふふ、と笑って、


「ライカは強くてヘタレですが、制限を外してあからさまに格下になる相手に手加減をしないほど愚かではないです」

「そ、そうだろうか」

「ええ。ですが、覚悟だけは必要です」

「それは、できているつもりなんだ」


 わずかに声が震えている。ふだんの修練でライカと拳を合わせるときはこんなことはないのに、とシーナは内心苦笑する。


「本当に?」

「ああ」

「さっきからずっと鼻がひくついてます。ディルがわかりやすい嘘を言うときはいつもそうです」


 むぅ、と鼻を押さえ、こほん、と咳払いして。


「話せてよかった。やはりきみは最高の友人だ」


 鼻をひくつかせることなく真顔で言われ、シーナは呆気にとられてしまう。


「……莫迦言ってないでさっさと行ってください。わたし疲れてるんです」

「ああ。呼び止めて悪かった。ゆっくりと休んでくれ」


 はいはい、と手を振ってシーナはゆっくりと去っていった。


「ありがとう。シーナ」


 つぶやいてディルマュラはリングを見やる。

 自分で言い出したことだ。

 いまのライカを超えられなければ、少なくとも渡り合えるだけの実力がなければ、自分がクレアを娶ることなんてとても無理な話だ。

 だからやるんだ。

 すべてを賭けて。


    *     *     *


 控え室、とは言っても掘っ立て小屋と大差ない、味気ないテーブルと丸椅子だけの簡素な造り。修練生は全員神殿の寮で暮らしているので着替えも寮で済ませてくる者も多数いる。ここの主な役割は、試合前に集中力を高めるため、あるいはストレッチでもやって体調を整えるためなどだ。


「ライカ、少しいいですか?」


 試合開始までとくにやることも無かったので、控え室でストレッチをしていたライカに、ドアから顔を覗かせながらイルミナが声をかけた。


「いいけど、そっちはいいのかよ」

「いまの私はライカの保護者です。面会は許可されていますから、大丈夫です」


 むふん、と鼻を鳴らして力説する姿がかわいい。


「それより、ディルマュラとの試合のこと、聞きましたよ」


 せっかく来てくれたのに説教かよ、と渋面を隠そうともせず、ライカは憮然と返事をする。


「わかってるよ。あっちにも見せ場を作れ、とか全力を出すなとかそういうことだろ」

「それもありますけど、油断だけは絶対にしないでください」

「しねぇよ。ディルは強い。制限なしなら十回に一回は負けるぐらいにはな」

「それが分かっているのなら、良いのですが」


 イルミナの言いように、ライカは僅かな憤りを混ぜて返す。


「……なんだよ。引っかかる言い方だな」

「制限が無いということは、ディルマュラにも歌える条件が揃っているということです。そして、初めて実戦で精霊と歌った時、最悪の場合どうなるか、ライカにも覚えはあるでしょう?」


 言われて思い出す。

 学舎院に入る前日、しばらくやれないですから、とイルミナの申し出で行った組み手。その言葉が寂しくて悲しくて、ライカは自分との組み手を忘れないでほしい一心からがむしゃらに精霊を踊らせ、見よう見まねで歌った。歌ってしまった。

 結果、いままで扱ったことのない数の精霊たちの制御に失敗し、それでもなんとか自分で収めようとしたが失敗し、代わって場を収めようとしたイルミナをも傷つけてしまった。ミューナが暴れたときの対処がすぐに出来たのはこのときの記憶があったからだ。

 さすが神殿長、と言うべきか、場はすぐに収めたが、かすり傷程度でも傷つけてしまったことにライカはショックを受け、人目も憚らず大泣きしてしまった。

 そんな自分をイルミナは優しく抱きしめ、しかしちゃんと叱ってくれたことは、いまでもたまに夢に見る。


「……でもディルマュラは十分に修練も積んでる。ガキだったあたしとは違うだろ」


 顔を赤らめながら、ライカは否定する。


「確かにそうですが、リング近くの精霊たちは熱気にあてられてかなり興奮し、周囲の精霊たちも呼び込んで密度も上昇しています。あの聡明なミューナでさえ、いちどは暴走しています。それだけは覚えていてください」


 そこまで言われて、無碍にできるほどライカは愚鈍ではない。


「……ん。わかった。覚えとくよ」


     *     *     * 


『それでは二回戦第一試合を始めます! 両者入場!』


 ライカはゆっくりと。ディルマュラは駆け足でリング中央に進む。

 その間に、とクレアはマイクを握り直して観客へ向けて言う。


『えー、ここで観客の皆様にこの試合における特別ルールを発表します』


 観客たちが期待に満ちたざわめきを起こす。


『この試合、ディルマュラからの申し出により、使用できる精霊の上限を解除しています。お気づきの方や、ご存じの方もいらっしゃるでしょうが、ライカは当神殿の長、イルミナの養女として幼い頃から精霊たちと触れ合い、現在は独唱行進曲ソリス・マルセウスを行使できるほど』


 観客たちが大きくざわめく。今度は驚きの色が強い。

 観客たちの中には種々の理由でその道を諦めた神殿関係者も多い。修練生であるライカが精霊たちと歌を、それも難易度の高い行進曲を歌えることがどれだけ常識から外れたことであるかを知っているのだ。


『対するディルマュラは数々の名風師かざしを輩出してきたエイヌの王女ではありますが、ライカとの能力差は歴然。精霊たちと歌うこともままなりません』


 観客たちのざわめきに混乱の色が強く出る。


『それでも、とディルマュラは申し出ました。なぜならば、彼女はわたくしクレアへ求婚をしたからです』


 ざわめきに喜色が混じる。

 ディルマュラはなぜか自慢げに胸を反らす。

 王家のスキャンダル、ではあるがこの場での発表はエイヌ王家の了承も得ている。この試合は他の神殿や枝部にも生中継されている。今頃エイヌ王室には問い合わせの電話やマスコミなどが殺到しているだろうが構わず続ける。


『わたくしは仮にも治安維持を司る維穏院の長。それが神殿に入りたての、毛も生えてないような、おしりに卵の殻がついているようなひよっこのプロポーズを受けたとあっては神殿の名折れ。そのためわたくしは条件を出しました。

 卒業試練でわたくしを一歩動かすこと。

 彼女は寝食を惜しんで修練に励みました。

 今日の試合は、これまでの成果を披露する場でもあるのです!』


 歓声が沸き立つ。

 

『さあ、事前説明はこのくらいにして、試合を始めます! 両者構えて!』


 す、とディルマュラは腰を落とし、

 ライカは右手を胸に添えて高らかに歌声をあげる。

 見る間にライカの周囲に光の粒、精霊たちが集まり、踊り、輝きを増していく。


「──ジン独唱行進曲ソリス・マルセウス


 押し殺したような低音の後、ライカを包んでいた光がはじけ、静寂が訪れる。

 観客たちも、ライカの様相の変わりように息を呑んだ。

 光が弾けたあとに残ったのは、純然たる闇だった。


「いくぞ」


 クレアでさえ、戦慄した。

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