第16話 マツリ・マイラス

 女は名をマツリ・マイラスと名乗った。

 多分偽名だ。

 

「あなたの父親に当たる、エウェーレルの女王はわたくしにこう告げました。『オリヴィアにしたことは親としてとても赦されることではない。到底受け入れてはくれないだろうが、謝罪させて欲しい。そしてオリヴィアが望む全てを叶えたい』と」


 混乱するかも知れないが、女性同士から子が産まれるのはこの世界では当たり前のこと。エウェーレル王家であろうと、一般家庭であろうと変わらない。

 

「本人がいないのに、謝罪させて欲しいとか、いくら王様でも都合良すぎると思うんですけど」


 自室ではいつふたりが帰ってくるか分からず、かといって食堂では人目が多すぎる。なのでオリヴィアはマイラスを寮の談話室に案内した。

 寮への寝泊まりや入室は基本的に部外者禁止。なので遠方から入殿した者が、実家から出てきた親類縁者と話をするにはこういう部屋が必要になるのだ。

 ドアには談話室と書かれているが、家族一緒に寝泊まり出来るようにベッドやトイレや炊事場も設置されていて、ふたりは少し手狭ではあるがリビングに当たる場所で小ぶりなテーブルを挟んで座っている。


「そういう気丈なところは、お母様に似ていらっしゃいます」

「知らないひとに似てるって言われても嬉しくないです」


 ひどいことを言っている自覚はある。でも、言わずにはいられない。憮然とした態度も崩すことができない。

 それでもマイラスは態度を変えず、ゆっくりとサングラスを外した。

 

「なんでいまさら外すんです?」


 淡い桃色の瞳に、強くウェーブのかかった焦げ茶色のショートカット。

 見たことがあるような無いような。

 瞳の色も髪もコンタクトやウィッグでどうとでもなる上、ライカほどではないが他人に興味を持とうとしないオリヴィアにはその答えは見つかりそうに無い。


「こういった話をするのにサングラスは不要ですから」

「……そうですか」


 釈然としないが、サングラスが気になっていたのは事実だ。

 これもマイラスなりの礼儀なのだと思うとして、オリヴィアは疑問を口にした。


「なんで追われてたんです? あなたエウェーレルのえらい人なんですよね?」


 マツリは、ええと、と一拍置いて。


「恥ずかしながら、エウェーレルはごく最近まで内乱がありました。鎮圧はしましたが、まだ燻っている火種がこのような事態を招いたのです」


 想定の範囲内の答えではあった。


「あたしがエウェーレルに戻ったら困る連中がいるってことですね」

「はい。王家に子はあなたしかおらず、王妃も先日他界しました。彼ら、と言っても残党ぐらいですが、いまこそが王家打倒の好機とみているようです」


 ふぅん、と頷いて少し考える。

 マイラスの話に矛盾も淀みもない。今回の話を聞かされてから、ある程度エウェーレルの現状について調べたが、それらとも符合する。 

 あらかじめ考えていた言い訳とも違うように感じる。

 

「信じます。で、あたしはお城に戻らないですけどそっちはどうするつもりなんです?」

「王に新しく妃を迎える考えはありません。が、王家維持のために子だけは作るでしょう」


 あっさりと言われ、オリヴィアは少し驚いた。

 オリヴィアが驚いたことに、マイラスは大人として返す。


「驚くことでは無いでしょう。あなただって十八になれば絶対に遺伝子を提供しなければいけないのですから」


 オリヴィアたちの先祖がこの星に来るまで、彼らは星の海を旅してきた。

 その中で最も懸念されたことが、血が絶えること。

 星への植民という大目的を果たせずに船を棺桶としてしまうこと。

 それを防ぐために同性同士で子を産む技術や、成人年齢になった際に自分の遺伝子を自治体に提供する義務。複婚の自由化。そしてライカのような両性具有が第三の性として認知されるほど多数、生まれた。

 一度生まれてしまった技術や風習を、星に降りた程度で捨てられるはずがなく、もしそうならば電気技術だってとっくに捨てているのだし、入植から百年以上経過したいまでも続いている。

 

「いえ、そう、ですし、それはもう済ませたんですけど、そっちじゃなくて」

 

 オリヴィアが納得したことにマイラスも頷き、話題を戻した。


「王は、あなたが戻らないことは覚悟なさっています。謝罪を受け入れてもらえないことも含めて。ですが、これから先必要ならば全力であなたを援助すると言いつかっております」


 ここまでの対話で、少なくともこのマイラスという女性は信じてもいいとオリヴィアは思っている。それでもまだ、エウェーレル王家に対しては信用できない。

 いや、信用というには少し違う。

 たぶん、これは。


「……だったら、まずは試させてください」


 初対面の大人にこうまでさせておいて、自分はなんて卑怯なやつなんだ。

 マイラスに対するもやもやと憤怒は、半分ほど消え去っていた。


      *        *        *


「これで、信じてもらえましたか?」


 ライカとユカリの試合を見届けたあと、マイラスは不安げに問いかけた。


「あなたがエウェーレルのえらい人だっていうのは分かりました。でも、やっぱりまだ謝罪をしてもらう気にはなりません」

「じゃあ、どうしたら」

「そんなこと! あたしにわかるわけ、ないじゃないですか!」


 オリヴィアの怒声が薄暗い通路に響き渡る。

 反射的にマイラスの肩がびくん、と震える。


「あなたたちはずっと捨てた子供のことを気にしてたのかも知れないですけど、あたしはそっちの事情なんてニュースぐらいでしか知らないんですよ?! そんなラジオの向こう側の国のえらいひとが急に来て、「お前は王女だ」とか「謝らせて欲しい」とか言われて、素直にはいそうですか、って受け入れられるほど、あたし大人じゃないです!」


 衆目を集めようがこの際構わなかった。

 だからもう一切合切吐き出すことにした。


「孤児院で特に非道いメにあったとかはないですし、もし親がいたらとかの妄想なんて一度もしてないですけど、それでもやっと神殿に入って自分の将来へどうにか向かって必死で歩いて行こうって時にそんなこと話さないでください!」


 大きく長く深く息を吐き出して、マイラスの様子を見る。

 最初はただ丸くしていた淡い桃色の瞳が、だんだんと潤み、やがて大粒の涙をぼろぼろと零し始めた。

 さすがに言い過ぎたかと持っていると、


「良かった……、良かった……」

「え?」

「とても、不安だったんです。あなたがいじめられていないか、とか枕を濡らしていないかとか、希望を失っていないか、とか。とても」


 これまでのやりとりから、マイラスの正体にうっすら勘づいている。

 オリヴィアの予想通りだとしたら、この涙はあまりにも。

 せっかく信用できそうなひとだと思っていたのに。 


「それを、あなたが、言っていいと」


「ええ。分かっています。あなたをそんな環境に追いやってしまったのは、すべてこちらの責任だと。でも、当時の混迷した状況ではああするしかあなたの命を守ることが出来なかったのです。それだけは、どうか分かってください」


 深く深く頭を下げられ、オリヴィアは反論しようとしていた言葉を失ってしまった。大人のずるさに内心歯噛みしつつも息を整え、


「どちらにしても、いまは謝罪をしてもらえるような気持ちにはなれません」

「はい」

「ですけど、あたしのためになんでもやってくれるって言うなら、もうひとつだけお願いがあります」


 手で涙を拭って、マイラスは決然とオリヴィアと視線を合わせる。

 先ほど感じた大人のずるさは微塵もない。

 瞳に宿る光に、オリヴィアはなぜかイルミナのそれがよぎった。

 騒乱で殺伐とした日々を送っていたはずなのに、苦労の度合いで言えばイルミナの比ではないだろうに、こんな目をされて、オリヴィアはもう一度だけ信じてみようと、最初に言おうとしていたのとは逆の提案をした。


「もしこれから先、あたしが自分で子供を産んで、その子が本気でエウェーレル王家として生きたいと言ったなら」


 仮定ばかりだが、突発的な提案なので許してほしい。


「何も言わずに、受け入れてやってください」


 マイラスが快諾したのは言うまでも無かった。

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