第15話 黒スーツの女

 エウェーレル。

 風の神殿から遠く遠く離れたこの国は、十五年ほど昔にお家騒動があった。

 人類史に於いてみればどこにでもある権力闘争なので詳細は省くが、王家存亡の危機にまで追いやられた王妃は、生まれたばかりの王女を遠く離れた風の神殿内の孤児院に身分は明かさないまま預け、国に戻り、なにより国民のために人心を尽くし、つい一ヶ月ほど前に他界した。

 王妃を喪うという非情な現実にくじけることなく国王は、その手腕と神殿との共同作業により騒動もどうにか沈静化させ、いまは十五年に渡るお家騒動による国内の混乱を静めるために王家と政府が一丸となって奔走している。


 そしてここに、孤児院出身の修練生がいる。

 オリヴィアだ。

 

「あたしに客ですか?」


 それはライカがミューナから逃げ回っていた頃。

 エウェーレルの情報は、毎夜の楽しみのラジオからのニュースで知ってはいたが、ただの情報として処理されていた頃。

 神殿の事務員からの通達で向かった場所で彼女を待っていたのは、エウェーレルの高官を名乗る男だった。

 黒いスーツにサングラス姿のその男は、後日会ってもらいたい女性がいるとだけ伝え、サングラスを一度も外すことなくそのまま去っていった。


「話ならあんたがしなさいよ」


 自分とはまったく縁がないエウェーレルからの慇懃無礼な使者。しかも後日また別の相手と会わなければいけない、という不合理な状況に、オリヴィアの心はささくれだっていた。


「こっちは立秋祭で忙しいってのに」


 その約束の日が報されたのは、男が来てから一週間後。もういっそこのまま流れてくれればいいのに、とすら思い始めていた頃だった。


「……で、あたしに何の用です」

 

 指定された喫茶店でオリヴィアは憮然と言った。

 そもそも今日は、週に一度の安息日。

 普段なら朝から本屋を巡って目に付く本を片っ端から買い漁って、ラジオを聞きながらのんびり読書して過ごしていたのに。

 それでなくてもこの一週間、来ない連絡を待ち続けて苛立っていたのに、いざ連絡が来たと思えば、大事な大事な安息日に会いたいと言い出す始末。

 これで怒るなと言うほうが無理だろう。

 しかも全く縁の無いエウェーレルの大人に、だ。

 ならばすっぽかせば良かったのだろうが、その場合クレアたちがなんと言って来るかの想像もついたので仕方なく出向いたのだ。

 店に入ってすぐ、ウェイトレスに待ち合わせだと告げてその場でアイスコーヒーを、会計が別になるように頼み、オリヴィアはテーブル席の対面に座る相手の返事を待った。

 ついでに相手の容姿も観察する。

 広い肩幅にがっしりとした肉付き。一瞬男かと思ったが、声や胸のふくらみで違うと判る。衣装は高官を名乗ったあの男と同じ黒のスーツに濃いめのサングラス。修練生ごときに素顔を見せるつもりはないのね、とオリヴィアはさらに訝しんだ。


「……我がエウェーレル王家の王女が、十五年前に孤児として風の神殿所属の孤児院に預けられたことを、ご存知でしょうか」

「初耳ですど、それとあたしのどんな関係が、」

「その王女が、あなたなのです」

「……は?」

「あなたの本当の名は、オリヴィア・ユカ・エウェーレル。エウェーレル王家第九代当主、アリューシャ・ヒナ・エウェーレルの嫡子なのです」


 なにをいっているんだこのおとなは。


「……えーと?」


 だから間抜けな返事しか出来なかった。


「ですから、あなたの出自が」

「そんなこと、どうでもいい」

「は」

「なによそれ」

「ええと、ですね」

「十五年も放っておいて、いまさらなによ」


 大きな声では無かったが、びく、とそのがっしりとした肉体が震えた。


「仮に、あたしが王女さまだったからなに? お城に入っておしとやかに篭の鳥をやれっていうの? 冗談じゃないわ!」

「いえ、決してそのようなことは」

「だったら放っておいて! あたしは神楽宮に行くって決めてるの! ひとの人生に割り込んで横から邪魔なんかしないで!」


 怒鳴りつけ、まだ熱の残るコーヒーを一気に飲み干して乱暴に立ち上がり、テーブルに置かれた自分の伝票をひったくるように取って一直線にレジへ。そしておつりはいらないです、と言い捨てて駆け出していった。


「待って!」


 黒いスーツの女も立ち上がり、オリヴィアのあとを追った。


     *        *        *


「待って! 話を聞いて!」


 しつこい。

 鬱陶しい。

 修練生が街中で術の使用が禁じられていることがこんなにも煩わしいと感じたことは無かった。

 この鬱陶しさを解消するにはもう一度、表面上だけでも冷静になって、ゆっくりと話しておかないと。

 あの女があの様子ではきっと聞く耳も持っていないだろうけど。

 ライカならぶん殴って終わりにするのだろうけど、と内心薄く笑いながら。

 オリヴィアが立ち止まったのは、神殿の正門へ続く表参道。

 立秋祭が近いためにそこかしこで屋台の組み立てと、それに伴う声や音で騒々しいが、いっそこのぐらいの音の中の方が話しやすい。

 適当な、屋台の組み立ての邪魔にならなそうな細い路地に入って、すぐの壁に背中を預けて黒スーツの女を待つ。


「見つけたぞ! こっちだ!」


 と、場の雰囲気にそぐわない不穏な怒声が響き渡る。

 またぞろコソ泥でも出たのかと首を伸ばして声のした方向を見やれば、その中心に居たのはあの黒スーツの女だった。


「なにあれ。あの人エウェーレルのえらい人じゃないの?」


 途端に先ほどの話がうさんくさく思えてくる。そういう詐欺が流行っているとは聞かないが、自分が被害者第一号なのかも知れない。

 そんなことを考えながら眺めていると、黒スーツの女に同じく黒スーツにサングラスの屈強な男たちが取り囲み、嫌がる女の腕を、


「待ちなさい!」


 気がつけば飛び出していた。

 男達だけでなく、屋台の設営を行っていた者たちの視線も一斉に集めるが、オリヴィアは気にせず大通りを大股に歩いて行く。

 そして男達と約五歩分の間合いの地点で足を止め、左腕の腕輪を掲げながら言う。


「あたしは風の神殿の修練生です。そちらにどんな理由があるかは聞きませんが、精霊神フォルスの御名の元、立秋祭を控えたこの場での乱暴狼藉は見過ごせません」


 我ながら芝居がかっているとは思うが、降り注がれる視線の恥ずかしさから逃れるためにはこうするしか思いつかなかった。からかってごめんライカ。

 内心で謝罪しつつオリヴィアは男達を観察する。

 いずれ劣らぬ屈強な集団だが、たぶんあいつらは精霊術は使えない。こちらの腕輪の精霊が少し嫌がってるので多分銃を持っている。こんな群衆の中で発砲するとは思えないが、やるなら早めに終わらせないと危険だ。

 こちらが小娘とは言え、修練生を名乗った相手を無視することは出来なかったのか、一人が前に出て、ドスのきいた声で返す。


「いくら修練生であっても、これは我が国の問題。放っておいて頂きたい」

「だとしても、女性への狼藉があったことは事実です。こう言う状況では修練生でも術や実力の行使は認められています。それでも構わないと仰るなら、存分にお相手いたします」


 す、と静かに腰を落とし、精霊を踊らせる。穏やかな秋の陽光の中でもはっきりと見える光の粒がオリヴィアの周囲に集まり、漂う。

 それだけで見物客たちは歓声を上げる。

 それが呼び水となって見物人がさらに押し寄せてくる。

 あっという間に賭けの対象となって興行師がオッズ表を自分のタブレットから中空モニターへと表示し、賭け金を集めようと大声を張り上げる。その隙を縫うように黒スーツの女が男衆の輪から、すぽん、と助け出されて離れた場所に置かれた丸椅子にちょこんと座らされ、「景品」と書かれた札を首から下げられる。かわいい。 

 そうこうしている間にじゃんじゃん金が集まる。オッズはオリヴィア勝利が八、不成立が二で誰も男衆に賭けない。そこへひとりの猛者が男衆へ賭け、どよめきが走る。

 うるさい。

 こういうときばかり手際と連帯感がいい。

 これだから大人はきらいだ。


「さあ、どうしますか」


 ずい、と迫られて、男は苦虫を噛み潰したような顔で呻き、後ろの男衆に言う。


「人目に付きすぎた。退くぞ」

 

 黒づくめの男衆は一様に頷き、その屈強な体躯からは想像も付かないほど速やかに場からいなくなった。

 それを受けて見物人たちも配当金を受け取ったり、オリヴィアや黒スーツの女に口々謝罪をしながら元の場所へ戻っていった。

 最後まで残ったのは興行師の男。よくよく見れば、オリヴィアが常連となっている電子本屋の店長だった。


「いやぁすまないね姐さん。こんな札までぶら下げちまって。もうじきお祭りがあるからみんなテンション上がっててさ。本当に申し訳無い」


 ばっ、と頭を下げる店長に女は恐縮するばかり。


「い、いえ。助けて頂いたのは事実ですし、その、わたくしも楽しかったですから」


 わたくし、と言った。

 確かにずっと気になっていた。

 政府高官とは少し違う上品さをこの女はもっていた。

 自分の知っている相手でこういう雰囲気を持っているのは、と考えて真っ先に思い浮かんだのはディルマュラだった。言動から忘れがちだが、彼女はエイヌの王女だ。

 なんで、と思うが精霊たちも同意する。

 ならこの女は。


「あの。神殿でなら、話を聞きますけど」


 元々そのつもりだったのだ。

 胸の内にあるこのもやもやを、どうにかして晴らしたかった。

 その一心でオリヴィアは女を神殿に誘った。

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