第9話 舞踏の世界へ

 風の神殿から遠く遠く離れた国、ジェミニライト。

 ミューナはそこの王女として生まれた。

 国内情勢の不安定化に伴い、風の神殿へ亡命してきたのは十年前。

 手引きしていたのはクレア。彼女は当時、中央神殿の命によりジェミニライトの内情を探っていた。

 そういう縁でミューナはクレアの養子となり、神殿で暮らすようになった。

 ライカに出会ったのはそれから程なくして。


「ふぅん。その子がライカ? 聞いてた通り、やんちゃそうね」

「ミューナ、ライカをよろしく願いします」


 これも何かの縁だから、と同じくイルミナに拾われたばかりのライカをふたりの保護者は面会させ、あわよくば友人になればと思っていた。

 しかし、


「んだよ。あたしのめつきがわるいのはうまれつきだよ」


 ライカに睨み付けられ、ミューナはクレアの足の後ろに隠れてしまったため、この計画は泡と消えた。

 だがこのミューナの反応。

 分かりやすく言えば、

 一目惚れだった。


「だってかっこいいから」


 その夜様子のおかしいミューナにクレアが問いかけると、熱っぽくこう答えていた。

 なのに、ミューナはライカとコンタクトを取ることをせず、ただひたすら修練に明け暮れていた。

 ライカが学舎院に行くと聞けば自分も通いたいと言い出して主席をとり続け、ライカが卒業後は神殿に入ると聞けば一も二も無く願書を提出して。

 理由はただひとつ。

 ライカの隣に立てる強さが欲しかったから。

 でも、どれだけ頑張ってもライカは自分を見ようとしない。

 それどころか自分以外の誰かと楽しそうに修練をしている。

自分とはたった一度拳を合わせただけで、あとは誘ってもくれない。

 自分が不甲斐ないからなのか、自分なんかそもそも眼中に無いのか。

 問い質したいけど、自分はまだライカの傍に立てるだけの強さが無い。

だってライカはもっとずっと強いのに、使える術に制限をかけられているから、本当は自分よりも、たぶん神殿の誰よりも一番強いのに、自分は全然追い付けない。

 でも。

 でも。

 わたしは、ライカが好き。

それだけは、誰にも負けない。


 ずっとずっと、十年間溜め込んできた想いがいま、精霊たちと共に修練場へ噴出された。




「なにやったのよライカ!」


 修練場は暴風が吹き荒れていた。

 正確にはミューナが腕輪に溜め込んだ精霊たちが溢れ、もっと正確に言えば腕輪の中で彼女の強い情念を浴び続けた精霊たちが、我を忘れて暴れ回っている状態だ。

 荒れ狂う風と精霊たちに無数の細かい傷を付けられながらも、ライカはやはりあぐらをかいたまま、静かにミューナを見つめている。


 ──参ったな。


 泣かれるとは思わなかった。 

 内心困り果てていたが、いつまでもそうしているわけにもいかない。

 ひとまず精霊を落ち着かせようと歌声を上げた瞬間、顔面に拳を喰らった。精霊の乗っていない拳では、大した痛みは無い。


「なんで! わたしと!」


 はー、とため息をついて。


「オリヴィア、こっち来て踊ってくれ。あたしはミューナの相手をするからよ」

「は?! なんであたしが!」

「お前の神楽なら、ミューナもミューナが集めた精霊たちも落ち着くと思ったんけどな」

「……ったくもう! 恥ずかしいこと言うな!!」


 ずんずんと暴風をかき分けながらオリヴィアがやってくる。頬がうっすら染まっているような、いないような。

 そのオリヴィアをミューナは厳しく睨むが、


「十六にもなってなにワガママ言ってんのよ。みっともない」


 荒い鼻息ひとつで返し、一度大きくため息を吐く。


「オリヴィア、には、関係無い!」

「大ありよ。ここにいる全員に迷惑かけてさ、あたしの成績落ちたらどうしてくれるのよ」

「そんなこと、しらない!」


 あーもう、と苦笑してオリヴィアは一歩下がる。

視線を右下にやれば、依然としてあぐらをかき続けるライカがいる。


「こんなやつのどこに惚れたのよ、まったくさ」


この暴風のなかでも聞こえるように、すこし精霊たちを踊らせながら言った。


「なにか言ったか?」


なのにとぼけるものだから、オリヴィアも追求はしなかった。


「べっつに~」


 言いながらオリヴィアはクレアを見る。

 まだ余裕たっぷりの顔。


  ──このぐらい自分たちでどうにかしろってことか。


 腹立つ。

 それどころかうっすらと術を展開して他の修練生に害が及ばないようにしている。

 余計腹立つ。

 でも神楽に負の感情は足かせにしかならない。

 視線をミューナに向け、一度深呼吸して集中。やがてオリヴィアはしゃなりと足を運ぶ。

 ここまで混乱した精霊に派手な曲は逆効果。神楽専用の歌もオリヴィアは習得しているが、いまここで歌うといろいろ面倒なことになるのでいまは別の曲で、子守歌ニンナンナの柔らかな旋律でオリヴィアは舞う。

 一歩。

 一振り。

 神楽鈴が欲しいが、取りに行っている時間とこのまま舞う時間を頭の中で比較し、大差無かったのでこのままでいいやと続行した。

 なにより、この痴話げんかを間近で見ない理由が見当たらない。

 いささか邪ではあるが、オリヴィアのうきうきした感情を乗せた神楽は、荒れ狂う精霊たちを徐々に落ち着かせていく。

暴風がそよ風ほどになってから、オリヴィアはライカにハッパをかける。


「ほらなにやってるのよ。オヒメサマがお待ちかねよ」

「うるせぇな、いまやるよ」


 そう返しつつも、ライカになにか考えがあるはずもなく。

 いや、そうか。

 ミューナは元王女だ。

 立ち上がって、悠然とした足取りでミューナの前へ。

 そしてミューナの前で片膝を付いて右手をそっと差し出す。


「ミューナ姫、わたくしと一曲踊ってくださいませんか?」


 ライカがそう告げた瞬間、見学している修練生たちから黄色い歓声が上がったのは言うまでも無く。

 しかしライカはそんな声などまるで気に留めず、ミューナを真摯に見つめる。

 拗ねたように怒ったようにライカを睨んでいた琥珀色の瞳に、マッチほどの喜びの色が灯る。


「よ、よ、ろこんで」


 消え入りそうな声にライカは乱暴に笑い、優しくミューナの手を取り、その甲へ口を寄せる。またも黄色い歓声が上がるが、実際には口は付けていない。そこまでする度胸はライカに無い。

 後ろから見ていたオリヴィアの、意気地なし、と込められた視線が背中に痛い。

 

「では、わたくしと共に舞踏の世界へ!」


    *     *     *


「はー……」

 

 なんであんなことしたんだ。

確かに、イルミナは幼いライカを引き連れて、最低でも月に一回は観劇に出向いていた。

 それも、バレエやオペラ、歌舞伎に能、ミュージカルから現代劇、アニメを含めた映画など、芝居と名の付くあらゆるものを、だ。

 幼い頃は長時間じっと座っていることが辛かったが、シーンごとにくるくる変わるイルミナの表情を見ているとそれも和らぎ、いつしか自分からも観劇を楽しむようになっていた。

 それはいい。

 こんな自分にあんな素晴らしい世界があることを教えてくれたイルミナには感謝しかない。

 けれど、なんで自分があんな真似をしたのかがさっぱり分からない。


「いい加減それ、鬱陶しいからやめてくれない?」


 ライカが自己嫌悪に陥っているのは、寮のリビング。ライカは円形のテーブルにぐりぐりと額を擦り付けながら、もう三時間近くぐずぐず呻き、オリヴィアは部屋に備え付けのPCデスクに座って諸々の事務作業をしながらそれを聞き続けている。内申書に加点があるから、とクレア組の級長のようなことも彼女はやっているのだ。


「んなこと言われてもよぉ……」

「あら。かっこよかったわよ。お姫さまを救出に来た騎士さまみたいで」


 オリヴィアからすれば素直な感想を口にしただけで、侮蔑する意図はなかった。

 しかし、普段の言動が原因なのか、ライカはじろりとにらみ返す。


「うるせぇ」

「でもあんた、あれだけ派手に組み手出来るのにダンスは下手なのね」


 そう。あそこまで格好良く誘ったライカだが、肝心のダンスそのものはお世辞にも上手いとは言えず、始まってすぐにミューナがそれとなくリードしていた。

 そのことに気付いたのは数名だが、ふたりが生みだしていた空間の素晴らしさに比べたら些細なこととすぐに忘れた。

 オリヴィアを除いて。

 きっとこいつは終生今日のことを忘れないだろう。そして酒の席などで決まって話すに違いないとライカは強く思った。


「あの人も呆れてたんだからしょうがないだろ」

「まあいいけどさ。あたしはあんたの弱み握れたからそれで」


 ぐ、と呻くライカ。

 ふふん、と流し目を送るオリヴィア。

 なにか言い返してやろうと口を開いたのと、PCがメールの着信を告げるのは同時だった。


「あ、メール来たよ。ミューナが目を覚ましたってさ」


 やっと上げた顔は、わずかにほころんでいた。


「そっか。よかった」


 上体を起こして胸をなで下ろしただけで動こうとしないライカに、底意地の悪い笑みを浮かべながら挑発的に言う。


「お見舞いに行かないの? 騎士さま」

「うるせぇ。ケガも無いんだし、すぐに戻ってくるか食堂行くかするだろ」


 ミューナはライカとひとしきり踊ったあと、気絶するように眠った。それはもう、幸せそうな寝顔で。

 即座に医務室に運ばれ、過労と診断された彼女はそのまま医務室のベッドに寝かされ、ライカたちは部屋に戻った。

 修練はミューナが倒れた時点で中断。続きは明日行われることになった。


「あいつが目覚ましたならいいや、食堂行ってくる」

「ん。あたしもミューナ帰ってきたら行くから」


 ああ、と軽く返事をしてライカは立ち上がってリビングの出口へ。

 がちゃりと開けたドアのすぐ向こうに、ミューナが立っていた。

 驚いたが、すぐに表情をほころばせて言う。


「お、おう。もう動けるのか。よかったな」

「どこ行くの」

「しょ、食堂にな」

「……そう」


 ミューナの様子がふだんと違うのは、ライカでさえ気付いた。

 怒っているような、もっと別のなにかを我慢しているような。

 その原因が自分だと断定し、ライカは言う。


「あー、その、悪かったな。変なことして」


 そう言われたきり、ミューナはそこを動こうとしない。

 重くなってくる空気に耐えられず、ライカは一刻も早くここから逃げ出したい気持ちでいっぱいになる。もはや空腹感などどうでもよくなっている。

 しかし、ふたりを隔てるドアは案外狭く、すれ違うには両方が両端にそれぞれ背中を合わせなければいけないほど。

 なのにミューナはじっとライカを見つめたまま、動こうとしない。

 逆にライカは、あんなことをした恥ずかしさからドギマギして、一度もミューナと視線を合わせようとしない。

 やがて意を決したようにミューナが口を開く。


「なんで」


 ミューナはいつも口数が少ない。それはもう慣れたが、こんなにも重苦しい声音ははじめてだ。


「い、いやだから、あたしが変なことしたからお前は寝込んだんだし、あたしは腹減ったし。だから、通してくれると、嬉しい」

「……もういい」

 

 ふい、と視線を外してそのまま自分のベッドへ、猫のように滑り込んでしまう。


「……んだよ。また怒ってんのかよ」


 残されたライカは怒りとも悲しみとも付かない視線でドア超しにミューナのベッドを見つめ、一度、声をかけようと手を伸ばして。

 けれどすぐに止めて。

 オリヴィアを振り返ることもミューナの寝姿を見ることもせずに、ライカは足早に部屋を出て行った。


「重症ね、これは」


 一部始終を見ていたオリヴィアは、どこか嬉しそうに呟いて、ミューナがお腹を空かせて起きてくるまで待つことにした。

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