第8話 ケンカ
さりとて。
農作業や船外活動だけをやっているだけが修練生の日常ではない。
「はあああっ!」
「だあああっ!」
修練場の中央ではライカと黒髪の少女が拳を合わせている。
少女の名はユカリ。ライカたちとは別の組で修練を重ねている。
ユカリが放つ右拳をライカは左手の甲で捌く。そのまま右肘をユカリの頬へ打つ。窮屈な姿勢から打った肘だが威力も狙いも十分。しかし、
「──
ライカの背中にぶつけられた空気の塊がそれを強引に中断させ、ライカの体勢が大きく崩れる。
「ふっ!」
ユカリはそれを見逃さずにライカの左手を掴み、遠くへ投げ飛ばす。
「くそおっ! またかよ!」
拳術と精霊術の修練こそが本分であり、今日は班別の組み手を行っている。
当初はライカとミューナとの実力差に不満も出たが、クレアは全員の腕輪に制限をかけ、同じ術しか使えなくしてある。
「それでも、あのふたりは組み手に関しては一日の長があると思うのですが」
審判を務めるクレアの隣に立つディルマュラが、返答は求めずに言うと、クレアは視線を試合に向けたまま意地悪く返す。
「なぁに? あんたはライカにライバル宣言したんでしょ?」
「それは、そうですけど」
「じゃあがんばりなさい」
ぽん、と背中を押されて二、三歩前に出てしまうディルマュラ。
驚いたようにクレアを振り返れば、いつもの挑発的な笑顔、ではなく。
「待ってるからね、あたしのかわいいマュラ」
え、と聞き返そうと思った時にはもう教師の表情に戻っていて。
「じゃ、あたしは先生に戻るから」
クレアの様子はつぶさに観察しているディルマュラが、初めて見るあの表情。
きっと自分以外の誰も見たことが無いあの表情。
心の奥底から、ふつふつとやる気が漲ってきた。
がんばろう。
ライバル宣言した自分を、彼女に失望させないためにも。
* * *
「そこまで! ユカリ班の勝利!」
今回の班別組み手のルールは負け残り。
トータルで五勝した班から抜けて新しい修練メニューに取りかかる。
最後まで残っていた班にはそれなりの罰があるので皆一様にプレッシャーがかかっている。
そして、あっさりと勝ち抜けすると思われていたライカたちだが、現実は違った。
「んだよ! あたしこいつら倒しただろうが!」
クレアが下した判定に噛みつくのはライカ。
無理も無い。これで十三連敗。いずれも相手を圧倒しているのにもかかわらず、だ。
「今日の修練は班の連携を見るものだ、って最初に言ったでしょ? それが答えよ」
クレアの言う通り、いままでの十三戦は全てライカひとりの活躍で相手を叩きのめしている。
決して、ミューナとオリヴィアとケンカをしているのではなく、単純にライカひとりで事足りる相手だからだ。
術や扱える精霊を同等に縛ってもなお、ライカの戦闘力は他を圧倒している。
「だけど!」
「異論は認めないわ。最後、ディルマュラ班」
「は、はい」
ディルマュラが緊張しているのは、むしろクレアに対してだ。
対するライカは拳を打ち鳴らして乱暴に笑う。
「やっとまともなヤツが出てきたか」
「これ以上愛しのクレア先生を困らせるなら、ぼくは容赦しない」
「ならやって見せろ!」
結果から言えば、ディルマュラたちの方が優勢だった。
ライカはあれだけ言われたにも関わらず単身で三人を相手にしようと飛び出し、それに相対したのはディルマュラでもシーナでも無いもう一人、ユーコだった。
焦げ茶の髪は鼻まで伸び、頬はそばかすだらけ。さらに後ろ髪をおさげにした、地味を絵に描いた少女にライカは翻弄されている。援護に入ったミューナはシーナに、オリヴィアはディルマュラにより動きを封じられ、ライカは孤立無援となった。
「上等!」
「まだ、わたしに勝てると思ってるの?」
「当ったり前だ!」
「そういう自信、ちょっと羨ましい。でも」
ライカの放った右のハイキックをユーコは、自身の鼻先を掠めさせるギリギリの挙動で回避。ライカの右足が顔を通り過ぎるのと同時に絡め取って足首を極め、回転を加えながら地面へ、顔面から叩き付ける。
「がっ!」
「そういう自信って、相手を下に見てなきゃ言えないと思う」
ユーコは極めたままの足首をさらに捻り、迎撃に来たライカの左足も掴んで脇に抱え、そのままライカの背中へ腰を下ろす。
いわゆるボストンクラブの体勢に入ったユーコは、そのままギリギリとライカの足をねじり上げ、背骨を胸部を圧迫していく。
「っ!」
「ったくあの莫迦」
互いの相手に苦戦しながらも、ミューナもオリヴィアもライカの危機に反応する。
「ライカは搦め手に弱い、と視たぼくの判断は間違っていなかったようだね」
「ああいう言い方したら、誰でもあんたがあの莫迦とやるって思うわよ」
「ふふ。確かにライカは強い。でもそれは個のチカラ。ああやって完全に封じてしまえば勝てるさ」
は、とオリヴィアは一笑に付す。
「あの程度で封じたとか、あんたあの莫迦舐めてるでしょ」
「? だって現にいま」
「ま、見てなさいよ! ──
巻き起こった突風にディルマュラは吹き飛び、オリヴィアは腕組みしてライカに吼える。
「ほら、さっさとなんとかしなさいよ!」
「う、る、せぇっ!」
顔面を修練場の土に埋もれさせながらもライカは吼え返す。
「うにゃああああっ!」
顔を鼻を押さえ付けられているので妙な声音になったが、ライカは吼える。
しかし、歌うことも封じられたライカには状況を打開するだけの精霊は集まらない。
「ライカ!」
シーナの猛攻の隙間をどうにか縫って、ミューナがライカへ轟を放つ。
「助かる!」
どうにか動かせる右手を、向かってくる突風へ強引に向け、
「こっちだ!」
呼び声の直後、ミューナの放った突風がライカの右手に吸い込まれていく。
轟が完全に消滅したあと、ライカの右手は精霊たちの輝きに包まれる。
「おし、これで!」
気がつけばライカの左手も精霊の輝きに溢れている。
「うぬあああああああっ! ──轟!
ライカの左右の手それぞれから放たれた突風は、ユーコの体ごとふたりを浮かせる。
「そんな?!」
「ふひひ、さっさと、どけえええっ!」
ユーコの体重が軽かったことも幸いしてふたりは派手に転がり、そのショックでユーコはライカの足から手を離してしまった。
「よっしゃ!」
ネコのようにその場から抜け出し、距離を取ってから前屈運動をして背中と足を解す。
「いてて、あーくそ、よくもやってくれたな?」
指の関節をぼきぼき鳴らしながら、笑顔でユーコを睨む。
「あ、あなただって散々やってきた、じゃないっ」
「ああそうだよ。これは修練だしあたしはこういうことを仕事にするんだからな」
「だったらそういうのやめて。こ、怖いから!」
はは、と笑い飛ばし、すぐに何かに気付いてライカは謝罪する。
「あ、悪い。お前を笑ったんじゃねぇ。ちょっと昔を思い出しただけだよ」
育ての母イルミナから修練や読み書きや所作を教えてもらっている時、自分はよくいまのユーコの顔のような気持ちでいた。
そんなイルミナといまの自分が重なって感じられて、ライカは少し嬉しくなった。
大きく息を吸って、吐いて。
クレアを見れば相変わらず厳しい目つきで修練場全体を見据え、ライカひとりにだけ視線をやるようなことはしない。
クレアは公平だ。
恐ろしいほどに。
だからあの人が不合格だと言うのならば、それは正しい判断なのだろう。
いままではたまたま、自分に有利な修練ばかりが続いて、それで良い評価を貰っていただけに過ぎないのだと、いまのいまになってやっと理解できた。
もう一度、深呼吸。
「おし、いくぞ」
穏やかな、晴れ晴れとした宣言にユーコは一度体を震わせ、そして静かに構えた。
「はい」
ユーコもまた、穏やかな闘志を全身から発していた。
おう、とライカは応え、
激痛。
それでも頭突きを押し込む。命中。拘束が緩む。するりと抜き出して左半身に一瞬、全身の力を溜め、左肩でタックル。
吹っ飛ぶユーコ。二度、三度バウンドして四肢を踏ん張ってブレーキ。その間にもライカは間合いを詰め、起き上がろうとするユーコの背中へ、
「──轟!」
突風を浴びせ、地面に押しつける。
低く呻きながらユーコも精霊を集め、踊らせる。
危機を察知してバックステップで間合いを切るライカの背後に、ミューナが立つ。
「なんでライカばっかり!」
そう叫んでライカの無防備な背中に、袈裟斬りのような鋭い蹴りを放つ。
完全に虚を突かれたライカは地面にうつ伏せに叩き付けられ、大きくバウンドする。
虚を突かれたのはクレアを含めた全員も同じ。
ほぼ全員が呆気にとられ、場は静寂に包まれる。
「ミュー……ナ?」
痛みよりも驚きが勝ったライカは、上げた顔についた土を払うこともせずにミューナに視線を向ける。
しっかりと地面に根付いた両脚。適度な太さの太もも。ほっそりとした腰。強く堅く握られた拳。やはりほどよい大きさの胸。意外とがっしりとした肩。
そして、
久しぶりに感じる、烈火が如く燃える双眸。
「なんで! なんで!」
ちらりと見えたミューナの腕輪に宿る精霊に、膨大な量の精霊たちが集まって炎のように輝き、揺らめいている。
あんな現象、クレアでも初めて見る。
ライカは、ゆっくりと起き上がってどかりとあぐらで座り、ゆっくりと顔やからだに付いた土を払って。
「なんだよ。またあたしとケンカしたいのか?」
怒りの色は乗せるつもりは無かったのに、発した声音はずいぶんと固いものだった。
まあいいか、と訂正もせずにライカはミューナの返事を待つ。
「……、うん」
はー、と息を吐いてライカはミューナを見る。
迷子がいた。
自分と同い年の、すごくすごく美人の迷子が。
思い出す。
拾われてすぐ、学舎院に行くか行かないかで心が揺れていたとき。一度だけ、仕事で帰りが遅くなったイルミナにひどく当たり散らしたことを。
「悪いけど、今日の修練が終わってからでもいいか? その方が全力出せるだろ」
「……………………、うん」
「ん。じゃあその腕輪の精霊たちも落ち着かせてくれると嬉しい。あたしの精霊が怖がってるんだ」
「わか、った」
「ん。ありがとう」
にっ、と力強く微笑むと弾かれたように視線を外し、ミューナはそっと右手で自分の腕輪を触れる。
瞬間。
精霊が溢れ出した。
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