第7話 畑仕事も

 本格的な修練が始まった。

 肉体的なトレーニングはもちろん継続。だがこれまでのように丸一日を使ってのものではなく、毎日一時間ずつ。内容は濃くなっているので以前よりきつく感じる者も少なく無い。

 増えた授業内容は大きく分けて三つに分類される。

 ひとつは精霊との接し方について。

 実際、ライカたちほどではないが、修練生の中にも肉親などから手ほどきを受けている者も多い。だがそれらは基礎的な、簡単な挨拶程度でしかなかったと思い知らされる。

 

「そのあふれ出しそうな感覚を怖がっちゃだめよ。精霊たちは恐いことがきらいだから、恐怖心がつよく出ると精霊たちが近づいてくれなくなるからね」


 いまライカたちは修練場で精霊たちと踊る修練を行っている。

 端からは等間隔に立ち並び、目を閉じてゆったりと呼吸しているだけのようにしか見えないが、よく目をこらせば修練生それぞれの周囲には光の粒たちが集まろうとしたり離れたりしている。

 その中で数名、ライカたち三人以外にも周囲に安定して精霊たちを踊らせている者も散見でき、クレアは内心ほくそ笑んでいた。


「まずは自分が敵意を持ってないことをゆっくりと伝えるの」


 幼い頃から精霊たちと踊ってきたライカたちも、他の修練生たちとの力量の差を埋めるためいちどきに踊れる精霊の量を、修練生用の腕輪を填めることで制限されているため、改めて精霊と踊ることの基礎を学んでいる。


「そうよ。精霊たちは楽しいことが大好き。楽しく踊ることで精霊たちに力を貸してもらうの」


 いまさら基礎の基礎なんかを、とライカは思わない。

 五才のときにイルミナから教わったのは、当然挨拶ていどのもの。そこから段階的に教わってきたことをもう一度頭の中で復唱しつつ、クレアからの教えと照らし合わせる。

 細かな違いこそあるものの、大筋は同じ。それと同時に、あのひとは五才の子供になんてことを教えていたんだ、と空恐ろしくもなる。


「……あ、ねだったんだっけか。あたしが」

「こらライカ、集中切らさない」

「っす」


 雑な謝意に嘆息しつつ、言葉遣いを改めさせようとはしない。いまは修練の時間だ。やろうと思えばライカがどこに出しても恥ずかしくない振る舞いをすることをクレアは知っているからだ。


「みんなも、ちゃんと集中するのよ」

「はい」


 大半の修練生は精霊術の修練は納得して、あるいは嬉々として修練に励んでいるのだが、問題はそれ以外のふたつ。

 

 ひとつは衛星軌道上に浮かぶ、かつて祖先がこの星カイセスに渡ってきた移民船のメンテナンスや宇宙塵などの衝突によってできた外装の修復など。

 これは代々の修練生が行う伝統行事のようなものではあるが、事前の募集要項には一切記されていないのでクレアから「明日宇宙に出るから」と説明されて面喰らう者も多かった。

 初日はまず精霊たちのいない空間を体験するだけ。

 この世界に生を受けた者は少なからず精霊たちの恩恵や加護を受けて生きてきた。

 そして修練で精霊たちと踊ることまで覚えたうえで、重力や空気だけでなく精霊たちからも途絶された世界に放り出されて、軽いパニックを起こす者や感涙する者など反応は様々だった。

 初日はそれで終了となり、次週からは船内作業に入る。

 どこかふわふわした感覚のまま地上に戻れば、「明日は野良作業だから」とクレアから予告され、ライカでさえ困惑の声を上げた。

 

 修練内容の落差に困惑しつつも、はじめての宇宙に大半の修練生はやはりひどい疲労を抱えていて、大半の修練生が風呂も夕食もそこそこに就寝。夢も見ることもなく朝を迎えた。


「……もう朝か」


 ベッドで上体を起こして、ライカはぼんやりとあくびをする。


「ほらはやく食べて着替えて」


 リビングから顔を覗かせながらオリヴィアが急かす。


「ああ、悪い」


 言いながら、もたもたとベッドから降り、リビングへ。きょうの食事当番はミューナなのでトーストだけ。まだ湯気の残るトーストを乗せた皿の横には見慣れない衣服が丁寧に畳まれた状態で置かれている。


「ああ、野良仕事だったな」

「そ。土付いたまま洗濯すると洗濯機壊れるから、作業着はあとで回収するって」


 ん、と生返事をしながら少し焦げたトーストをかじる。うまい。


「ちょっと、食べながら着替えないでよ」

「急かしたのはそっちだろうが」

 

 そうだけど、とへの字口のオリヴィアの視線を受け流しながら手早く食事と着替えをすすめる。


「こんなもんか」


 用意されていたのはチェック柄のポロシャツにオーバーオール。そしてライカの燃えるような赤髪と相まって、ひと目見たオリヴィアは大声で笑い出した。


「お、おさげとそばかす、付けたいっ」

「なんだそりゃ」


 ひぃひぃと息苦しそうに笑うオリヴィア。

 怒るでもなく呆れるライカを、熱心に見つめる視線がひとつ。

 ミューナだ。

 視線を感じながらもライカは、また睨んでるな、ぐらいにしか思わなかった。


     *     *     *


 さて農作業だ。

 昨日は大気の外から見つめた大地に、きょうは泥にまみれながら行う農作業は、自分たちが星の一部なのだとやはり痛感させられる。


「あー、やっぱり腰にくるな」

「ぼやいてないで手を動かして」

「分かってるよ」


 使い込まれた鍬を片手に、ライカは自分の腰をとんとんと叩く。ついでに大きく伸びをして深呼吸。土のにおいがきもちいい。

 いまは田植えの前に土を解して混ぜる作業、代掻きの最中だ。これをやっておかないと稲の根付きが悪かったり、うまく成長しなかったりする重要な作業だ。

 ライカたちの担当は水田。面積は縦横十メートルの一アール。

 実際見てみると狭く感じるが、これでも三人で世話をするのはかなりの重労働だ。

 なぜ神殿に農作地があるのかと問われれば、神殿がその関係者の口を、ほぼ自給自足で賄っているからだ。

 そのためには膨大な面積の田畑と牧場が必要となり、当然そこではトラクターなどの農業機械も使用されている。

 にも関わらず、クレアは原始的な手作業での野良仕事をさせている。

 その理由を問う者もいたが、クレアは当然のように、


『見て分からないなら訊いても分からないわ』


 にっこり笑顔で返してあとは、修練生たちを農場へ放り出したのだ。


「でもあの答えは無いよな」


 黒の長靴にオーバーオールに肘までまくったチェック柄のポロシャツ。軍手に麦わら帽姿で鍬を振るいながらライカはきひひ、と笑う。


「じゃああんたは分かるの? 手作業の意味」


 返すのは同じ姿のオリヴィア。


「んにゃ。機械化しすぎると星を壊す、とかいざって時のために手作業の手順覚えとけ、とかだろうけど、あたしはそこまで頭良くないから、なんで手作業なのかとか考えたことも無いからな」

「なにそれ。思考停止とかあんたらしくない」

「らしくない、ってなんだよ。なんでも突っかかって文句言ってれば状況が改善するってものでも無いだろ」

「そうだけどさ、あんた昔……」


 昔? と問いかけたライカの背中に、ミューナが話しかける。


「水牛、借りてきた」


 すっかり土に汚れた手綱を手にミューナは、立派な角を持ち、使い込まれた牛用の鋤を装備した水牛を引き連れている。駆け寄ったライカが頭を撫でてやると、嬉しそうに目を細め、頬ずりしてきた。人懐っこいヤツで助かった。

 ミューナもふたりと同じ格好だが、素材が美人すぎるからか、どうにも似合っていない。

 ああいう格好って多少は田舎くささがないと似合わないわね、とはオリヴィアの談。そのオリヴィアは、牧童と言うよりは親戚の農家に遊びに来た都会娘と言った風体で、どちらかと言えば似合っていない。

 が、それを口にすればどうなるかの予想はこの短い付き合いでも予想できているのでふたりは黙っていた。 


「お、助かる。ありがとな、ミューナ」


 どうせすぐ睨むんだろうな、とライカは視線を外して水牛を撫でる。

 ぶもー、と目を細める水牛にライカも微笑む。


「え、動物はいいの?」

「機械使わなきゃいいんだよ」


 だってそんなこと誰も、と見回せば水牛や馬に鍬を引かせている班もちらほら見られる。

 釈然としないオリヴィアだったが、楽が出来るならいいか、と割り切ることにした。

ぶもー、とミューナが連れている水牛が気持ちよさそうに啼く。

 それにつられて他の水牛たちも啼く。

 歩きながらぼろもする。

 しょうがねぇな、と笑ってライカは手綱を受け取り、田んぼへ入っていく。湿った地面がにちゃりと音を立て、歩きにくくなるほど沈む。

 それでもえっちら足を上げて進む。ミューナは馬鋤を押さえるために後ろへ回る。履歴書には元王女とあったが、どこでこんなスムーズな動きを覚えたのだろうと内心勘ぐるオリヴィアの耳に、ゆったりとしたメロディが届く。

 田んぼに水牛を進ませるうち、自然とライカの口からメロディが溢れていた。


 神殿で習う五つの精霊歌のどれとも違う、水牛の歩くリズムに合わせた、ゆったりとしながらも力強さの感じるメロディを。

 遙か遙か過去。

 遠き遠き母星で先祖たちがそうしてきたように、ライカもまた田畑で歌う。

 地球と呼ばれたその星から先祖たちが旅立つ頃にはもう、精霊たちの姿はどこにも見られなくなっていたけれど、それでも人々は田畑で街で一人きりの部屋で歌うことをやめなかった。

 ライカは思う。

 先祖たちは歌うことで姿が見えなくなってしまった精霊たちと、どうにかして対話しようとしていたのではないかと。

 すっかり星の姿を変えてしまって逃げ出すことしか生き残る道を無くしてしまった自分たちだけれど、それでも、と。

 都合のいい妄想だと分かっていても、そう思ってしまう。


「お、来てくれるのか」


 歌いながら耕すライカの周囲に、光の粒にしか見えない精霊たちが集まってくる。

 自然と破顔し、歌声は一段階大きくなる。

 それがさらに呼び水となって精霊たちはどんどん集まってくる。


「なんだよもう、こっちが恥ずかしいじゃねぇか」


 気がつけばライカの周囲だけでなく、田んぼ全体に精霊たちは集まり、踊るように飛ぶ個体もちらほら見える。


「……なんで、ライカばっかり」


 誰かのつぶやきも、吹き抜ける風に巻かれて消えていった。

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