第5話 精霊術

「はい、じゃあ今日から精霊術も教えていきます」


 一日の休日を挟んで、クレアはライカたち二十一人を前に宣言した。

 これから細かい説明をしようと息を吸い込んだタイミングを狙ってディルマュラが手を挙げる。


「それは構わないのですが、愛しのクレア先生」

「あたしはあんたを教え子以上の感情を持っていないけど、なにかしらマュラ」


 このディルマユラとクレアのやりとりもこの一ヶ月間、ほぼ毎日繰り返されてきた。

 ライカも一度はうんざりしたが、いまではこれが無いと修練が始まる気がしなくなっているほどだ。


「きょうはずいぶん疲れているように見えますが、体調は大丈夫でしょうか」

「問題無いわ。一昨日の夜から今日の準備と、あんたたちのこれからの修練のメニュー考えてたら朝になってただけだし、今日は説明と自主練だけで済ますつもりだから」

「そうですか。あまりご無理をなさらぬよう、お願いします」

「ありがと」

「お互い万全の状態でなければ決闘は無効、と言われるかも知れませんから」


 ディルマュラ本人は至ってまじめに言い放ち、それが分かるからこそクレアも真摯に答える。


「そうね。期待してるわ。未来の旦那さま」


 初めての回答に、他の修練生たちがざわつく。


「そ、それは半ばわたしの求婚を受けてくれたとみてよろしいですか!?」


 勢いよく立ち上がって問い詰める。すぐ隣のシーナが面倒くさそうに睨むがディルマュラの視界には入っていない。

 一方クレアは薄く笑いながら、しかし声音は真剣に答えた。


「決闘受けた時点であたしはそのつもりよ。だからあと半分はあんたの力でもぎ取りなさい。いいわね」


 力強い笑みで挑発して興奮するディルマュラを座らせ、脇に置いてある包みの口を開ける。

 取り出したのは木製の、指三本分ほどの幅のある腕輪。


「この中にあるのは修練生用の、でもちゃんと精霊と契約した本物の腕輪。出せる出力に制限は掛けてあるけど、いまのあんたたちにはこれで十分のはずよ」


 包みの中から適当にひとつ取りだしてライカに視線を送る。


「じゃあライカ。こっち来てなにか術使ってみて」

「は?」

「なんでもいいわ。好きなやつぶっぱなしていいから」

「は、はぁ」


 釈然としないままライカはクレアの隣に立ち、慣れた仕草で左手首に腕輪を嵌める。軽く腕を回しながら、


「歌ったほうが?」

「もちろん。あんたがいま出せる一番の最大出力でやってちょうだい」

「……はい」


 やはり釈然としないまま、ライカはすぅ、と息を吸い込む。


 軽やかに、高らかに。


 ライカが紡いだ曲は、行進曲マルセと呼ばれるメロディ。

 そのメロディに導かれるようにライカの、腕輪を中心に淡い光の粒が集まっていく。

 淡い光はメロディの高まりとシンクロするように輝きを増し、さらに曲を盛り上げる。

 曲が最高潮に達した所で、ライカは力強く叫ぶ。


「──ライ!」


 瞬間、ライカの大音声をかき消すほどの轟音と閃光が修練場を埋め尽くす。

 空気中の静電気を集めて固めて束にして放出する術、『雷』だ。

 ライカたちはいま修練場の西側の隅に固まっている。その前方、修練場のほぼ中央の誰も居ない地点にライカの放った術は炸裂した。

 咄嗟に耳を塞いだ者、音に驚いてただ身を竦ませた者、初めて見る精霊術に目を輝かせる者など、それぞれの反応をクレアはしっかり覚えておきつつ、ライカに視線を戻す。

 

「ん、お疲れ。じゃあミューナ、立って」

「は、はい」

「次は、組み手ね。ライカ、ミューナとやってちょうだい」

「は?!」

「あんたとミューナ、なんかギクシャクしてるからさ、一回殴り合えば落ち着くかなって思って」

「よ、余計なお世話だ、です」

「あーら。これから班別の組み手もあるのに、意思疎通もろくにしてないのに、良い成績残せると思ってるの? あたしそんなに甘くないけど?」


 ぐ、とライカは呻く。

 ちらりと見たミューナは、いつも通りに火が付きそうな勢いで睨んでくる。


「分かったよ、そんなにあたしがキライならぶん殴って来いよ」


 ライカ自身、いい加減どうにかしたかったのだ。

 これでどっちが強いかはっきりさせれば、少なくとも睨んで来ることは無いだろうと思ってクレアの提案を受けることにした。

 しかし。


「や、やだ」

「あ?」

「ライカとケンカなんか、したくない」

「あぁ?」


 今度はライカが睨む番だ。


「お前な、普段あれだけ睨んできておいて、いざ組み手だってなったら逃げる気かよ」

「だって、できない、んだもん」

「ざけんな!」


 ほとんどの修練生にはライカの姿がかき消えたように見えただろう。

 そして次の瞬間、ふたりは修練場のほぼ中央に対峙していた。

 足元の土が焦げ、空気もまだ焦げ臭いがライカはミューナの胸ぐらを掴んで言う。


「あたしは生まれは卑しいし、嫌われることだって慣れてるけどな、何も感じてないわけじゃねえぞ」

「……」

「黙ってねぇでなにか言えよ!」

「……きらい、なんかじゃ、ない」

「じゃあなんで」


 ライカの疑問には答えず、ミューナはクレアを見つめる。


「あ、ああ、はいはい。始め!」


 右手を高く挙げ、勢いよく振り下ろすクレア。

 瞬間、ミューナはバックジャンプで間合いを取り、精霊を踊らせる。

 軽やかに、高らかに。行進曲のステップで。

 そしてすぐさま術を放つ。


「──ゴウ!」


 巻き起こった突風に両手を交差しつつライカは舌打ちする。


「んだよ、やりたくないんじゃ無かったのかよ!」


 苛立ちつつ右に移動しつつライカも行進曲のステップを踏む。


「──ジン!」

「──刃!」


 突風が巻き上げた砂埃を突き破るように、双方からひとの身長ほどもある巨大な風の刃が放出され、打ち消しあう。

 その間にもふたりは円を描くように移動を続け、間合いを探る。

 やがて修練生たちの目には全く唐突に、ふたりは同時に飛び出し、描いていた円のほぼ中央でぶつかり合う。

 たったそれだけなのに、突風が吹き荒れ、砂埃が舞う。

 ライカの右肘とミューナの右拳。一瞬の鍔迫り合いの後、ライカは左アッパー、ミューナは右のハイキックを放つ。互いに命中。ダメージはライカの方が深い。それでもライカは拳を振り抜き、間合いを切る。

 しかしミューナはそれを許さない。

 

「ふっ!」

「くっ!」


 放たれた右フックは精確にライカの左脇腹を狙う。間合いを切るために一瞬、足以外の箇所から力を抜いたせいで防御は間に合わない。

 だから。


「──轟!」


 咄嗟の術は細かく狙いを定めている余裕は無く、前面にだけ向けて放出された突風はミューナの拳を一瞬遅らせ、ライカの修練服を浅く切った。

 拳圧で切ったんじゃない。


「すげぇな、細かいジンを拳に纏わせてるのか」

「っ!」


 ミューナの拳は躱したが、それでもまだライカの不利は変わっていない。なのにミューナは間合いを切ってしまう。


「? まあいいや、今度はこっちの番だ!」


 拳を振るい、蹴りを打つ。

 精霊と踊り、時に歌いながら術を放つ。

 単純に、たったそれだけのことが楽しい。

 初めて自分と同レベルの相手と拳を合わせていることが、ライカを乱暴な笑みに誘う。

 確かにこれは組み手なんかじゃない。

 ただのケンカだ。  


「だるあああああああああああっ!」

「はああっ!」


 だからもう、どうにでもなれ、だ。

拳を振るい、蹴りを打つ。

 それだけの存在であればいい。


「あーあ。もうすっかり二人の世界ね」


 ふたりがお互いしか見えなくなった頃、クレアは苦笑しながら呟いた。


「愛しのクレア先生。あのふたり互角のようですが、決着は付くのでしょうか?」

「大丈夫よ。いまハッパかけるから」


 すぅ、と息を吸い込んで精霊も踊らせて、クレアは良く通る声で言う。


「ふたりともー、今日の授業はもういいから夕ご飯までには決着付けなさい。いいわね」

「おう!」

「はい!」


 さて、と満足げに頷いて振り返って。


「えーと、あんたたちにはあと三ヶ月、遅くても秋分のお祭りまでにはサマになる組み手ができるようになってもらいます」


 え、と一同がざわつく。


「たった、たった三ヶ月であそこまで、ですか?」

 

 誰かが発した、怯えさえ混じった疑問にクレアはまさか、と苦笑する。


「あそこまでは求めないわ。あのふたりは五歳ぐらいにはもうあたしやイルミナから精霊との接し方を習ってたから、あんたたちとは下地が違うもの」

「じゃあ」

「基礎体力はもう付けた。精霊との踊り方も見せた。あとは、知り合いをぶん殴るクソ度胸だけよ」


 簡単に言うが、いまも轟音叫声鳴り響かせるふたりを目の前にしては誰もが自信を失ってしまう。


「大丈夫よ。だからそんな不満そうな顔しないの。オリヴィア」


 急に名前を呼ばれ、驚きつつオリヴィアはクレアを睨む。


「そうそう、その目よ」


 茶化されてオリヴィアは悔しそうに視線を逸らす。

 悪くなりかけた空気を、ディルマュラが手を挙げて壊す。


「先ほど知り合いを殴るクソ度胸だけだから、と仰いましたが、だから最初に自己紹介をやらなかったのですか? 愛しのクレア先生」

「まさか。最初に言った通りよ。仲良くなりたいなら個別でやりなさい、ってだけ」

 

 本当にそれだけだろうか、とディルマュラは思う。


「でも仲良くなった相手でも、組み手になれば遠慮無く殴ってもらうから。……やめるなら、いまのうちだからね」

 

 そう言われて素直に申し出る者など、ここにはひとりも居なかった。


「じゃあ、やるからね。まずは腕輪を配るわ。そっちの端から一人ずつ来て」


 はい、と一同は返事をし、順番に腕輪が与えられる。

 中にはクレアの言葉に怯えを持っている者も居たが、クレアは何も言わずに腕輪を渡していった。

 大半の修練生たちはこれからの自分たちのことで精一杯で、クレアの瞳に宿る光に悲哀を感じ取れたのはたった一人だけだった。


 やがて全員に腕輪を配り終えて、クレアはゆっくりと話し始める。脇ではライカたちがまだ組み手をやっていて、時折落雷や暴風の音に一同は身をすくめたりしているが、不思議と声がかき消されることはなかった。

 いちど視線をふたりへやり、


「あ、ふたりとも聞こえる範囲でいいから聞いてなさいね」


「おう」、「はい」と答えただけでライカたちはこちらに視線を向けることもしないがクレアは頷いて修練生たちに向き直る。


「これで、あなたたちは命ふたつ。その命ふたつであなたたちは人々の愛と安寧を守るの。あなたたちはひとりじゃない。同じ班の子たちと、腕輪の精霊が一緒にいる。それを、決して忘れないで」


 いつも以上に真剣な声音に、オリヴィアでさえ表情を引き締めた。


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