第4話 ともだちのつくりかた

 一ヶ月が過ぎた。


「はい、じゃあ今日はここまで。いつも言ってるけど、食べられないと思ってもちゃんとご飯食べてお風呂に浸かって汗流してしっかり睡眠を取ること。いいわね。じゃあ解散。お疲れ様」


 クレアの言葉を受けて、ライカたち二十一人はフラフラな足取りで修練場をあとにする。

 初日の宣言通り、この一ヶ月間行ってきた修練と言えば、ただひたすらに肉体をいじめ抜くものばかり。

 当初は余裕のあったライカだが、この一週間のメニューには参っている。

 いや、内容だけならここまで付いて来られた者ならば問題なくこなせるのだがライカたちを苦しめている点がふたつある。

 減圧に重力増大。


「あー、さすがに死ぬかと思ったな……」


 きょうから負荷かけていくからね、とクレアが淡々と宣言したのが十日前。

 最初は数パーセント程度、ほんの気のせいにしか感じなかった負荷が、ついにきょう気圧は二割減、重力に至っては五割増しにしてきた。

 よく耐えられたものだと思う。

 おかげで入殿前よりも腕も足も筋肉でふたまわりほど太くなった。 


「ふふ、さすがのきみも、堪えたようだね」


 そう話しかけてきたのは、ディルマュラ。彼女もすっかり筋肉質になっていて、顔合わせのときの面影はすっかり失せてしまった。

 

「えっと、なんだ、あの、ディルなんとか」

「ディルマュラ・エイヌ・リュクス・アリュハ・サキア。ディルでいいよ」

「ああ、悪い。つーかお前顔真っ青だぞ。はやく戻してこい」


 すい、とライカが指さした方向では、修練で耐えきれなかった者たちが胃の中身をぶちまけていた。そこには清掃用の水場があり、いまではトイレまで保たない者たちの避難所になっている。そういうこともあってか、ただの水場以上に広く、排水口も大きい。


「だ、だいじょうぶさ。ここで戻したら、っぷ、きみ、に」

「ああもう、変な意地張ってないでほら。ユーコも戻してますから」

「だいじょうぶだよ。もう、呑み込んだから」

「知りませんからね」


 割って入ったのは、ディルマュラの侍女だというシーナ。ひと月前のすらりとした背格好にもしっかり筋肉が付き、やはり面影はない。


「おまえは、平気そうだな」

「ええ。ライカと同じようにずっと鍛えてますか、ら」


 さいご詰まったのはなにかを呑み込んだから。直後、眉根が険しく寄せられたのは言うまでも無い。


「無理するなよ、お互いにな」

「気遣いありがとう。ほらディル、行きますよ」

「だ、だいじょうぶだと、言って、ひ、引っ張らないでくれたまえぇっ」


 はいはい、と流しながらシーナはディルマュラを引きずって修練場を去って行った。そのあとをショートカットの、少女と見紛う小柄な乙女が「待ってくださぁい」と慌てて駆け寄っていく。

 きっと同じ班の、たしかユーコとか呼ばれていた者だろう。

 あそこは仲がいいんだな、とうっすら思い、次の瞬間には忘れた。


「まあいいや、風呂にするか」


 この一ヶ月で環境の変わった者は多いだろうが、自分は肉体以外まるで変わっていない。

 依然としてミューナとオリヴィアの二人とはまともに会話もしていないことも変わっていない。

 会話をしなければ親密になることも難しいのでライカはいつも独りで風呂や食事を採っている。

 たまに食堂や共同浴場で仲良さそうにしている別班の連中を見かけると、ほんのちょっぴり羨ましくも思うが、それはそれだ。

 学舎院に通っていた十年間だって友人はなんかひとりも作らなかったのだから、いまさらなんだと言うのだ。

 独りで行動することはさておいて。

 いまは体作りの修練だからいいが、班別の組み手が行われるようになった時が一番怖い。単純な勝敗だけで成績を付けられることはないだろうが、いくらライカでも意志疎通ができない相手と連携を取れる自信はない。

 だが、自分たちと同じように普段から班で行動しない連中も居る。単純に仲が悪いのか、修練では協力するつもりなのかは判別できないが、ライカが感じるのは、学舎院に通っていたころは、とかく女子という存在は常に群れてかしましく騒いでいた印象しかない。いやきっとライカの知らないところにはああいう物静かな者たちも居たのだろうと思うことにした。

 

「ま、どっちでもいいか」


 他人に構っているヒマがあったら少しでも明日の修練の為に休息を、と思った瞬間、どどどどどっ、と轟音を立てながら何かが修練場に突入してきた。


「ごめん! 今日で一ヶ月経ってたの忘れてた! 明日休みにするから、明後日からちゃんと精霊術も教えるから! オリヴィア! 人使っていいから、ここに居ない別の組の子たちにも伝えておいて! あたしも教えて回るから! 取りあえずお風呂場行ってくるから! じゃあ!」


 早口でそう言い放ち、また轟音と共に去って行った。


「なんなんだよ、一体……」


 まだ残っていた、修練場の片隅で戻したり介抱していた者たちは、どうにか耳の端に引っかかったクレアの言葉を反芻し、ゆっくりと咀嚼してようやく得心していた。

 現にライカもいまやっと何を言われたのかを理解していた。


 ──嵐みたいなひとだな。


 なのに、指導する時はあくまで淡々と、感情を殺しているかのように行っている。

 だが一転、座学の授業で教鞭を振るうときなどは、雑談なども交えてわかりやすく教えている。

 そのギャップ、彼女自身の美貌や立ち振る舞いも相まって修練生からの人気は高い。

 ちなみに、育ての親であるイルミナとの縁でライカも幼い頃からクレアとの交流はあったものの、ふたりが仕事をしている脇でライカは本を読んだりしていただけなので、修練生になってからの方が会話をしているぐらいだ。


「けっこう、抜けてるところあるんだよな」


 幼い頃のクレアのイメージとのズレに、ときに驚きをもって受け入れている。


「まあいいか、帰ろう」


 長々と考えてしまったが、修練を終えた疲れはまだたっぷり残っている。とりあえず風呂にするか、と決めた直後、


「どこいくの」


 ライカの正面にいつの間にかアッシュグレイの髪が揺れていた。

 少し視線を下げる。

 オリヴィアだ。


「風呂だよ」

「さっきの、聞いたでしょ」


 なんでこいつはいつもこういう口調なのだろう。


「お、おう?」

「じゃあ手伝って」

「あ?」

「明後日からの修練内容の変更伝えろってあの人言ってたでしょ。誰使ってもいいって」

「だからって、あたしかよ」


 こいつは自分を嫌っていたのではなかったのか、と疑念が過る。

 それを感じ取ったのか、オリヴィアは視線を外し、小さく、


「……いい機会だから」


 そういう理由なら、とライカは別の名を出す。


「じゃあミューナも」

「あの子はいいわ。あんたがいると動かなくなるから」


 それはこの一ヶ月の修練の間にも感じていた。

 持久走をやっていても、筋トレをやっていても、自分がミューナに近付くと氷のように固まるか、脱兎の如く逃げ出すか、火の付く勢いで睨まれるのだ。

 意味が分からない。


「……なあ、あたし、ミューナになにかやらかしたか?」

「さあね。本人に聞いたら?」

「聞こうとしてもあいつ、あたしが近寄るとすごい勢いで逃げ出すからよ……」

「がんばることね。それより、あたしの方が先よ。手伝って」

「分かったよ。どうせ風呂も混んでるだろうしな」

「あ、ありがと」

「なんだよその顔。あたしだってそういうことぐらいするよ」

「……まあ、そう、よね」


 くるりと振り返り、歩き出すオリヴィアに一抹の不安を感じ、思わず呼び止める。


「お、おい、まさかしらみつぶしにやるつもりか?」


 顔だけ振り返って軽く睨み付けながらオリヴィアは言う。


「まさか。寮の部屋回ってメモ書き残しておけばいいだけのことよ」

「あ、それもそうか。頭いいな」

「ばか。ちょっと考えれば分かることでしょ」


 嘆息混じりに返し、オリヴィアは出口へと歩き出す。

 ライカも何も言わずに後を追う。

 ふと振り返った修練場の片隅にミューナの姿があった。見えなかっただけでまだ居たのか、と自分の視野の狭さに呆れる。

 おおい、と声をかけようと手を挙げた瞬間、脱兎の如く逃げ出してしまった。

 速力上昇の精霊術まで使って。

 そこまでするかよ、と呆れと少々の怒りを感じつつ荒く息を吐く。


「んだよ、ったく」

「また逃げられたの?」

「まぁな」

「ま、がんばることね」


 振り返らずに言うオリヴィアの表情は当然ライカからは見えず、ただ声音だけは笑っているように感じた。


「そうするよ」


 親友にならなくてもいい。

 ただ一緒に拳を振るえるだけの距離であればいいのだから。


    *       *       *


「ここで、最後っと」


 クレアからの言付けを書いた紙をドアポストからはみ出るように挟んで、ライカは大きく伸びをした。

 伝達と言う名のメモ紙配りは三十分と掛からずに終わった。

 

「じゃあな」

「どこ行くのよ」

「風呂だよ。いい加減汗流したいんだよ」

「じゃああたしも行く」


 ライカが怪訝な顔をしたのは言うまでも無い。

 

「……へんなものでも食ったのか」

「違うわよ。莫迦ね」 


 そんなやりとりの後、ふたりは風呂場に来た。

 常に百人以上が働く神殿では入浴施設や就寝施設も充実している。

 特に風呂は神殿の西にそびえるファルス山脈から水を引き、二十四時間営業のため、どんな時間に来ても誰かしらは利用している。

 修練が終わり、六交代制のうちひとつが終わったいまは修練生と職員で混み合うのが通例だ。


「まだ結構混んでるな」

「そりゃそうでしょ。シフト切り替わったばかりなんだし」


 ライカの予想とは反して利用者はまだ多く、軽いため息と共に脱衣場へ入ったふたりは修練服を脱ぎ始めた。

 化粧も落とさずに、と思うかも知れないが、ふたりとも化粧はしていない。

 規則で禁止されているから、などの理由ではなく、どのみちすぐ汗まみれになるのだから、という現実的なもの。なので修練生の大半は口紅も付けていない。

 あたしはこっちが楽でいいけどな、とはライカの弁だが、オリヴィアは口紅ぐらい塗りたいと思うこともある。

 ともかくふたりとも修練服を脱ぎ、ロッカーに入れ、カギを足首に付ける。

 ふとオリヴィアがライカの裸体に目をやり、視線を上から下へ。整った、中性的な顔立ち、ほどよいサイズの胸。田の字ができている腹。その下で止まってきっかりひと呼吸、タオルで隠そうともしないそこを見つめる。


「……なんだよ」

「べつに。生えてるって聞いてたけど、普通サイズなんだなって」

「ほ、ほかのヤツの見たことあるのかよ」

「ここに来る前に、何度かはね」

 

 ふふん、とライカに流し目を送りつつ浴場へ向かうオリヴィアが妙に大人っぽく見えて。

 ライカの顔が急速に赤く染まっていく。

 確かオリヴィアの生まれは。


「な、なに言ってんだ、よ……」

「ばか。子供の頃の話よ。あたし、知り合いだけは多いから」


 くすくす笑いながら振り返るものだから、ライカはすっかり拍子抜けしてしまう。


「ほらはやく。風邪ひいちゃうでしょ」


 子供っぽい笑顔で手を差し出すオリヴィアに、負けた、と思うと同時に、こんなやつだったんだ、と思い直す。

 あの人が、ひとりぐらいなら友達を作ったほういいですよ、と言っていた意味が、ほんの少しだけ分かった気がした。

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