第3話 ディルマュラ・エイヌ・リュクス・アリュハ・サキア
「はい、それじゃあ、今日からあんたたちの面倒を見ます、クレア・ルオラです。よろしくお願いします」
そう言ってぺこりと頭を下げた栗色の髪の女は、自信たっぷりに胸を反らしてこう続ける。反動でその豊かな双丘がふるりと揺れる。
「えー、あたしの肩書きは
ライカたち新入生はいま、風の神殿の一階中央にある修練場にいる。
ほどよい固さで土が敷き詰められ、そこにいわゆる体育座りの姿勢で合計二十一人がクレアの話を聞いている。
「で、あんたたちにはこれから班ごとに分かれて修練を受けてもらいます。学舎院とか故郷とかで精霊との接し方を知ってるひとも多いでしょうけど、そういうのは考慮しません。全員が初心者として教えていきます」
で、とひと呼吸置いて、
「個別の自己紹介とかはここではやらないから、やりたければ自分たちでやること」
え、と一部の修練生が驚く。
クレアはそちらへ視線をやり、
「だってそうでしょ。ここは仲良しこよしでうきうきランランな学舎院じゃない。あんたたちだってオトモダチが欲しくてここへ来たわけじゃないでしょ?」
釈然としない者もいたが、視線で疑問をねじ伏せ、クレアは続ける。
「で、班分けは寮の部屋割りと同じね。成績は個別のと班別それぞれに付けるから、気に入らない相手でもちゃんと連携すること。いいわね」
はい、と全員が返事をする中、ライカだけは渋面を浮かべていた。あのふたりと修練まで一緒かよ、と。
そんなライカへちらりと視線を送りつつ、クレアは自分に向けられる熱い視線に気付き、少し強い口調で言う。
「じゃあさっそく、と言いたいけど、ディルマュラ・エイヌ・リュクス・アリュハ・サキア。何か言いたそうね」
す、と立ち上がったのは鮮やかな銀髪の少女。
髪はベリーショート。目鼻立ちもすっきりとして、姿だけを見れば少年にも見える。
「クレア・ルオラ。きみをぼくのお嫁さんにしたい!」
快活な、よく通る声でディルマュラは言い放ち、修練場全体を静まりかえらせた。
さすがのクレアも面食らった様子でしばし言葉を探し、探るようにこう返した。
「あー、えーっと。あたしの遺伝子が欲しいってこと? だったら申請書類書いて役所に、出産育児課に提出して。あんたはまだ十六だから、あたしは母体になれない。だから体外受精になると思……」
丁寧に説明するクレアを遮ってディルマュラは叫ぶ。
「違う! きみを、ぼくの后にしたいと言っているんだ!」
后。
風の神殿の背後に広がるファルス山脈。そこを超えた平原にある大国エイヌ。
彼女、ディルマュラはエイヌの王女だ。
新入生の中にも、彼女の素性に気付いた者たちが「あーあの」とか「噂通りね」などとざわついている。
さすがのクレアも困り果てたようにディルマュラから視線を外し、ふと目に留まったディルマュラの隣で座る黒髪の少女へ声をかける。
「ねえちょっとシーナ・ラパーニャ。あんたこの子のメイドでしょ? なんとか言ってよ」
シーナと呼ばれた、すらりと長い手足の少女は座ったまま、若干の面倒くささも含めて淡々と返した。
「神殿は人の世界の階級は無関係と聞いています。ならばいまのわたしとマュラはただの知人。王族として求婚するマュラをいさめる理由はなにひとつ有りません」
ぐ、と呻くクレア。
当のディルマュラはなぜか満足そうな表情を浮かべている。
神殿は王族であろうと貧民街の生まれであろうと、少なくとも建前の上ではただひとりの人間として扱うという大原則がある。
救援を断られ、クレアは額に人差し指を当てて、深くため息を吐く。
「あー。えーと、本気の本気のプロポーズなのね?」
「無論だよ。我がエイヌ王家の求婚は生涯にいちど。ぼくはきみにひと目惚れした。これ以上の理由は必要無いさ」
ああもう、観念したようにディルマュラを見やる。最初は興味が無さそうに、だが次第に値踏みするようにな色に変わり、最後にいたずらっぽく微笑んで言った。
「じゃあ条件を付けるわ」
「なんだい?」
「いまから二年後。卒業試練が終わるまでの間に、あたしに決闘を挑んで半歩でも動かすこと。それができたなのらあなたのお嫁さんになってあげる」
この発言の真意に気づけた者はライカとミューナだけ。
他の者たちはディルマュラと同様に、そんなことでいいのか、とざわついている。
「本当かい?! たった半歩だよ?!」
驚きと喜びの混じった問いかけに、クレアは余裕たっぷりに微笑む。
「そう。たった半歩。でもそれが出来なかったらあたしのことは諦めて、別の誰かをお嫁さんにしなさい。あ、ミューナはダメよ。先約があるから」
「分かった!」
「あと、あたしたちをちゃんと目上の相手として扱うこと」
いちど言葉を切って新入生たちをぐるりと視線を配って、
「さっきシーナが言ったように、神殿では人の世界の身分は関係ない場所よ。でも、神殿の中での上下関係はある。だから礼儀はわきまえないとあっという間に干されるから、覚悟しておくように。いいわね」
はい、と全員が返事をしつつも、表情は様々だった。
「じゃあ全員立って。適当な広さに広がってストレッチ。やり方が分からなかったら、あたしがやるとおりにからだを動かして。それが終わったらここの外周を十周。できるだけ全力で走ること。いいわね」
はい、と全員が答えて立ち上がる。
ここの外周を十周、とクレアは軽く言うが、実際には直径約五〇〇メートルとかなり広い。運動嫌いな者なら聞くだけで萎えるだろうが、ここに居る者たちはそれぐらいは覚悟の上なので、嫌な表情を浮かべている者はいない。
各々がストレッチをする中、クレアが思い出したように言う。
「色々あって修練内容の説明してないけど、取りあえず今日から一ヶ月は基礎体力作りに専念してもらうからね」
え、と一部の修練生が疑問符を浮かべる。
「あたしたちは精霊術を使ってあんたたちから見たらすごい現象引き起こすけど、それをやるには扱えるだけの基礎体力が不可欠なの。今日の走り方見てメニュー決めるから、出来るだけ全力で走るように。いいわね」
疑問符を浮かべていた者たちはまだ戸惑いを見せながら、それ以外の者たちはすんなりと返事をする。
「じゃあ立って。適当に距離取って広がって。まずは準備運動。やり方わからないひとはあたしの動きのマネすればいいから」
はい、と返事をして各々で準備運動に入る。
あるものは不器用に、あるものは熟れた挙動で。
だが表情だけはこれから始まる修練へ向けての期待で満ちていた。
それはライカとて同じことだ。
──やっとだな。
やっと修練が始まる。
どんなことをやるのだろう、という期待も高揚感も、いまさら基礎か、という落胆もライカには無い。そんなものはこの十二年でイルミナから徹底的に仕込まれている。
でもいまは素人同然の連中と同じことをしなければ、自分はあの人の傍へ行けないのだと、完全に割り切っている。
そんなことを考えている間に「これぐらいでいいわよ」と準備運動を終えたクレアが片手を上げて視線を集める。
「はい、じゃあスタート」
ぱん、と手を叩いて合図とし、一同は一斉に走り出す。
「だりゃああああっ!」
なのに、ライカのからだは勝手に先頭に躍り出ていた。
みっともなく見えてもいい。
やらなくちゃ、いけないことなのだから。
あのひとのそばへ、行くために。
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