第2話 あるいは最悪の出会い
風の神殿に限らず、
本殿と同じく石造りの、日差しがたっぷり入る設計はしかし、夏場はカーテンや冷房が必須になってしまったと設計者は苦笑していた。
講堂の中央には新入生百名余りがパイプ椅子に、後方には新入生の保護者や関係者が。その周囲を手の空いてる神殿関係者が同じくパイプ椅子に座って粛々と式は進んでいた。
『続きまして、新入生代表による挨拶です。ミューナ・ロックミスト、前へ』
はい、と透き通る声が講堂に響き渡る。
すらりと立ち上がった彼女に、否が応でも視線が集まる。
しかしミューナはそんな視線やざわめきなど意に介さないような足取りで壇上に上がり、静かに話し始めた。
『今日、この穏やかなハレの日にわたくしたち新入生百二名の入殿式にお集まり頂き、まことにありがとうございます』
岩清水のような涼やかな声音だった。
全員がその美貌に見惚れ、美声に心奪われる中、ライカだけは退屈そうに大あくびをしていた。
式典が、特に大人たちにとって重要なことは分かるけど、自分ははやく修練をやりたい。修練をやって一刻も早く一人前になってあの人のために働くのだ。
そのために、そのためだけに自分は生きているのだから。
* * *
「オリヴィアよ。よろしく」
式典は滞りなく終わり、ライカたち新入生はそのまま寮へと向かった。
オリヴィアと名乗ったアッシュグレイの髪の女は、それだけ言うとずんずん進み、寝室の三つ並ぶベッドの一番右に自分のボストンバッグを投げ置いた。
「あたし、ここ使うから」
そう言うなり制服一式を全部脱ぎ、Tシャツとショーツ姿になる。
着ていた制服は壁のハンガーにいつの間にかかかっていて、ライカは舌を巻いた。
「あたしはライカ。ライカ・アムトロンだ。よろしくな」
「知ってる」
「お、おう?」
「食事の時間まで寝るから起こさないで」
人間第一印象が肝心。
だがここまで来るといっそ清々しい。
マイペースなやつ。ライカはオリヴィアをそう認識した。
寝付きがいいのか、オリヴィアはもう寝息を立てているので、自分も着替えようと一歩踏み出す。
「あ、あの」
「うわぁっ!」
いきなり背後からかけられた声に、ライカは自分でも驚くほど驚いた。
「み、ミューナ・ロックミストです。よろしく、おねがいします」
後ろには、入殿式で挨拶をしていた金髪の美少女、ミューナがおずおずと佇んでいた。式場ではあんなに凜々しくしていたのに、いまは捨て猫のように眉を寄せている。
「あ、ああ。あたしは、」
「ライカ。知ってる、から」
それだけ言って彼女も寝室に駆け込み、一番左のベッドに飛び込み、掛け布団を被って潜り込んだ。
着替えた方がいいぞ、と声をかけるべきか迷ったが、結局やめた。
「んだよ、もう……」
頭をかきつつライカも荷物を真ん中のベッドに置き、腰を下ろす。
学舎院時代の頃の記憶を漁っても、オリヴィアとミューナという名に覚えはない。なのにふたりとも自分を知っているという。神殿長が保護者だから、自分が有名人だという自覚は多少はあったが、ここまで突き放されるとさすがに少し傷つく。
取りあえずベレー帽とコートを脱いで壁にかけられたハンガーにかける。
ふと目に留まった壁掛け時計を見れば、食事まではまだ一時間はある。
ゆるゆると部屋着に着替えつつ、もう一度ベッドに腰掛ける。
ぎし、と鳴った音にふたりが目を覚まさないか、少し緊張する。
どうやら起き上がってくる様子が無いので安堵しつつ、ベッドを撫でる。
まっさら、とは言えないが丁寧に洗濯がしてあるシーツに、年季の入ったベッド。
よく眠れそうだ。
「あたしも寝るか」
そう呟いて横になった瞬間、オリヴィアと目が合った。
驚くのも束の間、ひどい低音でオリヴィアは口を開く。
「ご飯の時間になったら起こしてって言ったよね」
「お、お、おう」
「だったらなんで寝るの」
「わ、悪い」
「頼んだからね」
そう言ってオリヴィアはまたまぶたを閉じた。
寝息が聞こえるまで十も数える必要が無かった。
「まだ一時間はあるか」
仕方なく起き上がると壁掛け時計を見つつそうつぶやき、ベッドから降りる。
ベッドに座っているとまた眠ってしまいそうだったので、一度寝室を出て奥にあるリビングへ。
部屋の造りは、入り口のすぐ左手に寝室へのドアが。入り口の正面の通路の奥にはリビング。その奥にはキッチンなどがある。
リビングには四、五人が座れそうなテーブルと堅そうな背もたれ付きの椅子。テレビは無いがラジオと、人数分のタブレットはあった。
空調は無いけどこれは精霊術でどうにかしろと言うことなのだろう。
それらを眺めつつキッチンへ。
冷蔵庫は空。
コンロは電気式。ポットも電子レンジもオーブンもあるから、腹が減ったら適当に作って食べればいい。
風呂場もある。でも狭い。足は伸ばせそうに無いから神殿の大浴場に通うことになるだろう。
トイレはひとつ。朝ケンカにならないよう注意しないと。
一通り見て回ってもう一度リビングへ。
音を立てないように椅子を引いてゆっくりと座る。
「あー、お湯湧かしておけば良かったな」
そうすれば今頃お茶ぐらい飲めたのに。
茶葉はあの人から餞別にもらってある。
市場にも滅多に出ない希少品だから、相部屋の子たちと一緒に飲みなさい、とも言っていたからまた今度でいいか、と思い直し、がまんすることに。
「なんだこれ」
ふと見たテーブルの上にはクリアファイルが三つ。
そのうちのひとつを手に取って中身を取り出せば、自分とオリヴィアとミューナの履歴書が出てきた。
本人がいないのに目を通すのはどうかと思うが、まあいずれ読まれるものだし、そこまで深いプライベートなことも書いてないだろうから、と読むことに。
ざっと目を通して意外だったのが、ふたりとも自分の通っていた神殿付属の学校、学舎院に通っていたこと。
オリヴィアはともかく、ミューナほどの美人なら自分の耳にも名前ぐらい入ってきていたはずなのに、その覚えが一切ない。
もっとも、そんな噂話をする相手なんか通っていた十年間でひとりも作らなかったのだけれど。
「ともだち、か……」
自分は、自分を拾ってくれたあのひとの助けになりたくてなろうとして、ここまで来た。
だから最初は学舎院に行くことも拒んでいた。
だってあそこは、あの人の傍は、生まれて初めて得られた安住の地だから。
けれどイルミナは七歳の自分にこう言った。
『学舎院の寮は、遠方から通う子たちへの設備です。だから授業が終われば帰ってきて、それからお手伝いをしてくれれば大丈夫です』
どれだけ優しく言われても、ライカは首を横にふるばかり。
『わたしの教え方だけでは偏ってしまいます。それに同世代の子たちの知り合いも居たほうがいいです』
『いやだ。かたよってていい。ともだちなんかいらない。がくしゃいんなんかにいきたくない』
そう言ってイルミナの袖口を摘まんで離さないライカに、今度は少し強く言う。
『……それではダメです。ライカ。たしかにあなたは私と出会うまでとてもとても孤独でした。
それは私も同じです。
私の実家は、エウェーレルの豪商です。しかし両親は仕事で家を空ける事が多く、食事も家族の団らんすらわたしは経験していません。
こういう言い方をするとライカは怒るでしょうが、家はめちゃくちゃ広くて、でも私はずっと孤独でした。
それに反抗したくて、家庭教師からは逃げ続けていたら親からは役立たずと見なされて神殿へ入れられてしまいました。ならもういい、と実家から一番遠い風の神殿を選んだのは、私の意志です。
まあ、お陰でライカに会えたのですから、あのときの私には、意味があったのだと伝えたいです』
最後は少しおどけて言うと、ライカは少し顔を上げて困ったように返す。
『なんだよそれ、そんなの、初めて聞いた』
『ふふ。私も誰かに言うのは初めてです』
『……』
すぅ、とひと息置いて、今度は子守歌を歌うようにイルミナは言う。
『ライカと出会ってから、仕事に疲れて家に帰って、そのときに暖かく出迎えてくれる誰かがいる。それだけで私は明日もがんばろう、と思えるようになったんです。
ライカ。あなたはまだ七歳です。そんなあなたが私のお手伝いだけで日々を過ごすのは、あまりに勿体なく思います。
お願いです。学舎院へ行って、世界の広さを感じて下さい。
ムリにともだちを作れ、とは言いません。
私もクレアぐらいしかともだちはいませんから』
そっとライカの手を握って、ゆっくりと目を合わせて。
『ですけど、私以外の大勢の他者から学ぶことは本当に有意義なことなんです』
それでも、ライカは弱々しく首を振る。
『……やだ。……かぁ、あんたと、あんたの手伝いがしたい。……お願い、です。捨てないで、ください』
やっと、やっとイルミナはライカがなにを恐れているのかを理解した。
そしてこんなにも辛い言葉を言わせてしまった自分を猛烈に恥じた。
繋いでいた手を解き、やさしくライカを抱きしめる。
『ごめんなさい。ほんとうにごめんなさい。辛いことを思い出させてしまいました』
抱きしめられたまま、ふるふると首を振るライカ。
『私は、ライカに遠くへ行って欲しくて学舎院へ行けと言ったのではありません。それだけは、解ってください』
抱擁を緩め、もう一度目を合わせて、心を込めてイルミナは言った。
その松葉色の瞳に宿る真意を感じ取ったライカは、弱々しく返す。
『……ほんとに、捨てない?』
だからイルミナは力強い微笑みでライカを包む。
『もちろんよ。ライカみたいな素敵でかわいい子、誰が捨てるもんですか』
ぐす、と鼻をすすってライカも笑う。
『……分かった。そんなに泣くなら、行ってやるよ』
『あら。ライカだって泣いてるじゃないの』
『う、うるせぇっ!』
そんな、他者が見たら他愛もないやりとりの末にライカは学舎院に通うようになった。その後はイルミナの思惑からは大きく外れ、友人どころか知人さえほぼいない学生生活を送ることになった。
「……あーくそ。思い出しちまったよ」
あのやりとりを思い出す度に恥ずかしくて胸が張り裂けそうになる。
まあいいや、と時計を見れば、もう夕食の、
「起こせって言ったわよね」
リビングの入り口に、仁王立ちしているオリヴィアの姿があった。
「んだよ。起きられるんじゃねぇか」
「初対面の相手を信じられるほどあたし、お人好しじゃないの」
意味がわからない。
苛立ちも露わににらみ返しながら反論する。
「だったらあたしも寝かせてくれればいいじゃねえか」
「誰か来た時に全員寝てました、じゃどうなるかぐらい考えれば解るでしょ」
これ以上話していても言いくるめられるだけだ、と判断してライカは素直に頭を下げる。
「悪かった。今度から気をつける」
「そうやって簡単に頭下げるのね」
呟いて踵を返し、オリヴィアは寝室を抜け、部屋を出て行った。
その後ろを、こちらを見ようともせずにミューナが付いていく。
「ったく。なんなんだよ、もう」
こいつらと二年、相部屋か。
長く感じるけれど、どんなやつが一緒でも構わない。
あたしの足を引っ張らないなら。
あたしは一秒でも早く、あの人の傍に行かなければいけないのだから。
そうしなければ、あの人から受けた恩をどう返せばいいのか分からないから。
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