1/2惑星カルテット ~乙女は精霊たちと舞闘する~

月川 ふ黒ウ

第1話 春、入殿式

 もし神様を見つけたなら、あたしは躊躇なくぶん殴る。


 でも、いまから組み手をやる、神様みたいにきれいなやつをどうすればいいのか、あたしはずっと迷っている。


『さあ、皆様お待たせしました! 今年の立秋祭のメインイベント! 修練生による個別組み手トーナメント決勝戦です!』


 耳慣れた、師匠であり上司のクレアによる実況に、ライカは思索をやめて目を開く。と同時に千人ほどの観客が一斉に歓声をあげる。

 ここは神殿の外れにある草原に造られた八角形のリング。

 大人の肩ほどの高さに軽い球技なら余裕をもってできる床面。加えてロープの張られていない石造りのリングからは東西それぞれに一段低い花道が設置され、その終着点には小屋がある。

 ライカはその小屋の前で、とてもいまから闘うとは思えない、実に煮え切らない表情で佇んでいる。


『まず東の花道に佇むは、烈火色の髪が今日もまぶしい! ライカ・アムトロン!』


 小屋の前に立つライカはおざなりに手を上げ、観客からの歓声に応える。


『そして西の花道には、立てば芍薬座れば牡丹、振るう拳はフォルスの怒り、今日も可愛いぞ我が娘! ミューナ・ロックミスト!!』  


 ライカの視線の先、同じく花道の終点にある小屋の前できりりと立つのは、クレアの紹介がまるで誇張ではなく、むしろ言葉足らずなほどの美貌をもつミューナ。

 なんなんだよあの紹介、と深くため息を吐くライカとは逆に、ミューナは恥ずかしそうに手を上げて歓声に応えている。

 そのミューナにライカは出会ってからこの半年間、修練の組み手ではいちども勝利したことが無い。

 相性だよ、とライカは言うが、実際のところ本人にもなぜなのかは分かっていない。いや、薄々は気付いているが、頑なに押し込めている。

 きょうここに至ってもそうだ。

 こういう場所であいつと闘う、ということは、組み合わせが発表されたときから予想はしていたのに、覚悟の一切が決まらずにいる。


『そして審判と実況はわたくし、クレア・ルオラ、解説はイルミナ・フォーゼンレイムが務めますので皆様、よろしくお願いします!』


 歓声がさらに高まったのを受けてクレアはマイクを握り直して言う。


『それではふたりとも、リング中央へ!』


 言われて動き出したのはミューナだけ。

 客席がざわつき始める直後、クレアはおどけたように言う。


『ほらライカ、歩く!』


 名を呼ばれ、弾かれるように一歩踏み出したはいいが、その次が出ない。

 助けを求めるように視線を右に。立錐の余地もなく埋め尽くされた観客席と、自分たちが立つリングの間にある実況席へ。

 折りたたみの長机に白いシーツを被せただけの簡素で即席な実況席に並んで座る大人ふたりは首を振ったり仕草で中央へ行くよう促すばかりでまるで取り合ってくれない。

 特にイルミナなどはその松葉色の瞳に怒りさえも滲ませて睨んでくる。

 あの目は苦手だ。幼い頃からあの目で睨まれると、首根っこをつまみ上げられた猫の心境になる。 

 ああもう、と覚悟を決めて歩き出す。

 ミューナはもう八角形リングの中央まで来ている。

 真冬の桶水のような冷たい視線。透き通る肌は雪のよう。腰まで流れる金髪は、分厚い雪雲を裂いて落ちる陽光。

 きれいだ。

 神様みたいに。

 あんなきれいなやつを、自分なんかが触っていいはずがない。


──んだよ、神様ならぶん殴るんじゃなかったのかよ


 開幕前の気合いもどこへやら。

 藁にも縋る思いでもう一度イルミナを見る。

 

 しっかりしなさい。


 そう、言ってくれた気がした。


「うっし、しょうがねえな!」


 やっとやる気が出てきた。

 ぱしん、と両手で自分の頬を叩き、ミューナを見やる。いや、見ようとした。変わらずそこにいるミューナの美しさに目とやる気を潰されないよう、視線を外した。

 外した視線の隅で、ミューナの頬が少しむくれたような気がする。

 無茶言うな。

 ライカの嘆息を待っていたかのように、クレアはマイクを握り直して揚々と言う。


『はい、じゃあもういいわね? 始め!』


 こうなれば、あとはやるだけだ。

 世の中が理不尽だってのは、自分の両親、いや人と呼ぶことも憚られる連中から、もうイヤって言うほど文字通り身に染みて味わっているから。

 その理不尽な毎日から掬いだしてくれたイルミナのためにも、彼女に恥をかかさないように、いまだけはちゃんと闘おう。

 あの人から受けた恩とぬくもりを、ほんの少しでも返すために神殿に入ったのだから。

 闘う理由が、やっと見つかった。   

 だから。

 しっかりと目を見開いてミューナを見る。いまなら、見れる!


「せええっ!」


 寸前まで迫っていたミューナの右拳を、自身の右拳で打ち付ける。

 神殿に入ってからの半年あまり、数え切れないほど殴ってきたが、こんなに堅く重いものを殴ったのは初めてだ。

 互いの拳に踊らせた精霊たちがさらに派手に踊り、輝く。


「くううっ!」

「ぬがあああっ!」


 視界の隅にあるミューナの顔が歪む。

 きっと自分はもっと酷く歪んでいるだろうけど構わない。

 踏ん張る後ろ足にさらに力を込め、押し返す。


「だああああああっ!」


 たたらを踏みながらミューナが後ずさりし、ライカは拳を振り抜いた勢いを使ってジャンプ。回転を加えながらミューナの肩口へ浴びせ蹴りを放つ。

 ギリギリで体勢を立て直したミューナのからだがぬるりと左側にズレる。拳が来る、と予測はしたがいま蹴りを中断すればそれ以上の隙を晒すことになる。相打ちで構わない。


「らあああっ!」

「ふっ!」


 ライカの右スネがミューナの左肩に、ミューナの右拳がライカの左頬にめり込む。

 しばしの間互いの意地と精霊たちの乱舞がぶつかり合い、石造りのリングに無数の亀裂が入る。


「ぬああああああああっ!」

「わああああああああっ!」


 自分の咆哮と精霊たちの歌声の向こうに、ミューナの乱暴な笑顔が垣間見えた。

 なんだ、こんな顔するやつだったんだ。

 神殿に入ってからの、寮で相部屋になってからの約半年間、修練でも普段でもこんな表情を見たことなんて一度もない。泣かれたことは一度あった。迷惑かけたこともあった。

 うん。そういうこともあったから、こいつには苦手意識が付きまとっていた。

 出会った最初の日からして、それは始まっていた。

 

   *     *     *


「……なあ、本当に大丈夫なのか?」

 時間は半年ほど前までさかのぼる。ミューナと知り合うほんの少し前だ。

 きょうはライカたちの風の神殿への入殿式当日。

 穏やかな春の日差しが街中に降り注ぐ、柔らかな風の吹く日だった。


「だ、大丈夫ですよ。それに今日はライカのハレの日なんですから、お祝いの気持ちでいっぱいです、よ?」

「かんざし、歪んでる」

「え、あ、やだもう。教えてくれてありがとう」

「ほんとさ、しっかりしてくれよ? あんた仮にも神殿長なんだから、そういうところ見せると……」

「分かってます。大体、ライカが私の心配なんて十年早いんです」


 爽やかな朝日に包まれる部屋の片隅で、小さな丸椅子に器用にあぐらをかいたライカが屈託無い表情で話しているのは、ライカの保護者であり、風の神殿長であるイルミナ。

 イルミナは先ほどから三面鏡の前で身支度にいそしんでいるが、細かなミスを繰り返していて一向に進んでいない。

 ライカは、と言えば準備は完了している。

 ベレー帽に胸までのショートコート、コートの下には手の平サイズのボタンを四つ付けた制服。下がロングパンツなのは男女共通のデザイン。くるぶしまでのショートブーツは脱いで丸椅子のそばに置いてある。

 薄緑色を基調とした配色は風の神殿のシンボルカラーに由来するこの制服を、ライカは実に気に入っていて、入殿の手続き後に配付された制服を帰るや否や着て街中を歩き回っていた。

 やがて、シワになるから、とイルミナに剥がされるまで着続け、その後もハンガーにかかった制服を眺めてはだらしなく笑っていた。


「そうかも知れないけどさ、いまのあんた見てたら野良猫だって心配すると思うぞ」

「そ、そこまで言わなくてもいいじゃないですか!」


 化粧台の鏡越しに言われてライカは肩をすくめる。


「じゃああたしは先に行くよ」

「あ、ちょっと待ちなさい」

「んだよもう」


 手にしていた化粧筆を置いてイルミナは立ち上がり、するりとライカの前に立つ。

 彼女の衣服もライカと同じ組み合わせだが、細かい箇所で違う。襟が長かったり、マントが付いていたり、コートの下がゆったりとしたローブだったり、色が濃緑色だったり。

 けれどライカからすればイルミナと同じ制服を着られることがなによりも嬉しい。

 ふたりはしばらく見つめ合ったあと、イルミナがこほん、と小さく咳払いをして。


「入殿、おめでとう」

「あ、ありがとう」


 本当はお互いにもっとたくさんのことを言いたかったのに、結局口を突いて出たのは一番単純な言葉だった。

 でもそれでいいと思う。

どれだけ言葉を尽くしても、いまふたりの心にある想いは語り尽くせないのだから。


「じゃあ行ってくる。あんたも遅れるなよ」

「わかっています。それと、寮の子に合ったら驚くと思いますが、ちゃんと挨拶するのですよ」

「わかってるよ。……驚く?」

「ええ。わたしからのサプライズです」


 いらねぇよ、そんなの。と返しつつも自分に再会して驚くような相手なんていないはず、と、この時は思っていた。

 そしてイルミナの予想外の驚きをもってライカは相部屋となるふたりと出会う。 

 

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