第49話 渓谷の野営、再び
「よし、この位置なら傾斜の影になって南側からは見えないはずだ。火の取り扱いには気を付けろ。煙があがれば気付かれるぞ」
俺の言葉に従って、冒険者たちは荷物を置く。
目の前には大きく口を開けるように広がる渓谷の谷間。
アルノス渓谷の北、崖上から岩場を見通せる位置。
そこで三百人を超えた冒険者たちが、野営をしていた。
ユアルやミュルニアの協力もあって、何とか冒険者部隊の準備はスムーズに整った。
その甲斐あってか、帝国からの宣戦布告が届くのとほぼ同時に街から出発することができた。
そうして俺たちは今、ここに立っている。
「隊長!」
後ろから声をかけられ、その声に俺はため息をつく。
「”隊長”はやめてくれ、ユアル」
「えへへ」
俺の言葉に彼女ははにかんで笑う。
隊長と呼ばれると、自分が背負っている責任が重くのしかかるような気がした。
「何か問題はないか?」
「はい。食料の備蓄も十分ですし、今の所怪我人や体調不良を訴える者もいません。ただ……」
彼女は言いかけて、空を見上げた。
「ミュルニアさんの話では、雨雲の様子がおかしいとのことです。もしかしたら天気が崩れるかも」
「……わかった。気に留めておこう」
ミュルニアは分析に長けた魔術師だ。
彼女が言うことなら信頼できる。
「
「定時連絡では異常なしとのことです」
帝国軍が来た場合にいち早く戦闘準備へと移行する為、スカウトたちを先行させている。
俺はユアルの言葉に頷いた。
「わかった。工作部隊の進捗は?」
「八割終了です。魔導方面で遅れがあるみたいで」
俺が指揮するのは街の冒険者たちをほぼ全員動員した遊撃部隊だ。
その数は非戦闘員を数に入れても五百に満たない。
一方で相手の軍は、予想では五千から多くて八千。
最低でも十倍以上の計算になる。
当然、まともにやりあったらあっと言う間に押しつぶされることだろう。
だから俺たちがやるのは、戦いではない。
――ただの嫌がらせだ。
「正面から戦ったら被害が大きすぎる。終わった者たちも、可能な限りギリギリまで罠は増やすよう頼んでおいてくれ」
トラップ。
それが事前に準備できるこちらの強みだった。
罠と地の利を生かした身軽なゲリラ攻撃で、帝国軍の足止めをする。
理想は二日だ。それだけ足止めできれば、街に結界が発動する。
そうすることで籠城戦が展開でき、勝率は大きく上がる。
逆に言えば、それまでに俺たちが全滅してしまえばアウト。
街にいる二千ほどの王国軍では、五千以上の帝国軍の猛攻は結界無しでは耐えきれないだろう。
だから俺たちで止めなくてはいけない。
そうしなければ、街は戦火に包まれる。
ギルドの人たちも、街の住人たちも、見ず知らずの俺とユアルを街に受け入れてくれた人たちが死んでしまう。
俺が心の中でそう考えていると、ユアルが笑みを浮かべた。
「――大丈夫です。エディンさん。きっと上手くいきます」
「……だといいんだが」
彼女の言葉に俺は目を細める。
俺の様子から心中を察したのか、ユアルが胸を張る。
「わたしに任せてください。さっきミュルニアさんに、氷の魔術も教えてもらったんですよ! きっと敵なんてババーっとやっつけちゃいます!」
いったいこれまで何度魔法を暴発させたのかと問いたくなるが、彼女は自信満々にそう言った。
……その明るさがありがたい。
きっとユアルだって不安だろうに、彼女の気丈さはいつも俺の背中を後押ししてくれた。
「……ああ、そうだな。だけど相手は人間だ。無理はするな」
「はい」
ユアルは真剣な面持ちで頷く。
……冒険者隊の一番の懸念はそこだった。
冒険者はたしかに依頼さえあれば人間を相手にすることもあるだろう。
しかし基本的には魔物を相手にして、人に刃を向けるような仕事は少ない。
人間相手の訓練も積んでいる騎士とは、そこが違った。
それでも、ロロのようにそこらの騎士なんて軽々凌駕するほどの腕を持った冒険者も少なくない。
戦力にはムラがあるが、強い者はどこまでも強い。
それは冒険者特有の強みだった。
「……俺は信じるよ、みんなを」
そう言って冒険者たちの面々を見渡す。
どれも知った顔だ。
それはこの一ヶ月ほどの間で知り合った、この街の新たな仲間たちだ。
俺の言葉にユアルは頷く。
「……わたしは補佐官として、一人一人に話を聞いて回ってるからわかります。みんなもエディンさんのことを信じてますよ」
その言葉に俺は頷く。
誰一人として無駄死にさせまい――。
そんなことを考えていると、後ろから声がかけられた。
「エディン!」
ロロだ。
彼女は足早に俺のもとへとやってくる。
「来たみたい」
思っていたよりも早いが、何かを聞くまでもない。
俺は一つ頷いてから、声を上げた。
「――各員、戦闘の準備を! 慌てるな! まだ時間はある!」
仲間たちの応じる声が響き、野営の準備を止めて荷物をまとめ始める。
そうして俺たちの戦いは、夕暮れと共にゆっくりと始まった。
* * *
「エディン、報告が予想の数と違う」
冒険者たちを配置に付かせる俺に、スカウトから得た情報をロロが話す。
「敵の数が予想よりだいぶ少ない。見立てが間違ってたのかも……」
「どれぐらいだ?」
「正確にはわからないけど、約千五百から二千。想定の半分以下みたい」
「二千……?」
俺は考える。
いくら帝国が各地に軍を派遣していて中央が手薄になっているとはいえ、それでも五千ぐらいは兵に余裕はあるはずだ。
それに二千では、いくら小国とはいえ王国を相手にするには少なすぎる兵数である。
ならこちらに少数の軍を向かわせる意味はなんだ?
陽動? 囮?
……いや、それにしては数が多いか。
まるで半数近くの部隊をこちらに向かわせたような――。
「戦力を分散するなんて、普通はありえないけど……」
ロロがそう口にする。
彼女の言う通り、戦力の分散は基本愚策だ。
「相手はたしかに普通じゃないが……」
姫が直接指揮を執っていたなら、たしかに素人考えであり得るかもしれない。
だが実際に指示を出すのは騎士団長のはずだ。
たとえおかしな指示を出されたとしても、一応形になるようにはするはず……。
考える俺の横で、ユアルが口を挟む。
「な、何か理由があったりするんでしょうか? 軍隊を用意できなかったとか……」
常備軍の数から言って、人数は用意できるだろう。
だとすれば、集まらないのは……。
そこまで考えて思い当たる。
「……そうか。全員分の食料を集めるのが間に合わなかったんだ」
「全員分?」
聞き返すロロに、俺は頷く。
「そうだ。帝国は貴族や商人の利権確保の為に法が整備されているし、その国土も広大だ。だから何かと物資を確保するのが難しい」
有事の際でも利益を優先する体質が先行していて、商人も足元を見てすぐに取引には応じない。
さらに各地から輸送する時間も膨大になる。
その辺の事情は、俺が騎士として雑用をやっていたときに嫌というほど思い知らされた。
「だからこちらの道を通って行軍期間を短くし、食料を節約しようとする。……そう思って俺たちは待ち伏せしているんだが」
敵は部隊を分けてきた。
食料が間に合った分は普通の進軍ルートで。
間に合わなかった分は、遅れてこちらの危険なショートカットを使って。
「おそらく本隊は食料が間に合った分だけの兵数で、東の安全な迂回ルートを通って王国に向かっている。今渓谷の道を通っているのは、間に合わなかった分の兵なんだ。それぞれが別ルートで王国に向かい、街の前で隊を合流させる」
そんな事情があるなら、軍を二つに分けて動かしている可能性もありえなくはない。
その場合考えられる、最悪の事態は――。
「――まずいな」
「どうしました?」
俺の言葉に、すぐ後ろを歩くユアルが尋ねた。
俺は足早に歩きつつ、彼女に答える。
「奴らを足止めすると、俺たちが挟み撃ちにされる可能性が出て来たぞ……」
背筋に嫌な汗が流れ、俺はその不快さに奥歯を噛みしめた。
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