第50話 アルノス渓谷の戦い

「ほら何をしている、愚図が! さっさと進め! 我々の部隊の行動が帝国の命運を分けるのだぞ!」


 渓谷の険しい道に、帝国騎士ムッソフの声が響いた。

 それに部下たちはため息をつく。


「成金貴族が張り切ってら」


「なんでムッソフなんかが……」


 彼らは口々に不満を漏らす。


 ムッソフは、父親が爵位を金で買った家に生まれた三男坊だ。

 三男坊なので家督も継げず、騎士団に入った。

 だが二代目貴族というにわか貴族の為、周りの貴族からはみくびられている。


「……ふふふ。あの憎たらしいエディンを討伐する機会が得られるなんてな」


 ムッソフは笑う。

 彼は平民の出である騎士を嫌っていたが、その中でも特にエディンを目の敵にしていた。

 父親が騎士だったということで、コネで騎士になったに違いないと侮蔑の目で見ている。


「騎士としてのプライドも持たぬ平民の犬め……。前から目障りだったのだ」


 彼は吐き捨てるようにエディンへの想いを漏らす。

 王侯貴族に仕える騎士の立場であるくせに、いつも平民のことを考えているエディンが憎らしかった。


「ふふ。しかし運が向いてきたな。補給が主任務の部隊を任せられたとはいえ、武器商人から預かった兵器もある。……いち早くこの渓谷を抜け、本隊到着前に先に武勲を立ててしまえばいい」


 彼はそう言って、ほくそ笑んだ。


 本来、余程の活躍でもしない限りは補給部隊が評価されることは少ない。

 直接戦闘する機会が少ないからだ。


 だがそれもあって今回のいくさではこの部隊を率いようとしたがる者はいなかったようで、ムッソフが抜擢された。

 それは今まで大した功績を手にしたことがないムッソフにとって好都合だった。


「……ムッソフ隊長!」


「おお、なんだ?」


 隊長と呼ばれたことに機嫌を良くして、彼は振り向く。

 そこには細長い隊列の先頭の小隊にいた兵士の姿があった。


「それが……道を岩が塞いでいまして」


「……なんだと? 通れる道があったのではなかったのか?」


「は、はい。この道を通る商人の噂では、荷車一つぐらいなら通れる細い道があったとのことなのですが、どうやら落石のようで……」


「……他の道を探している時間はない。岩をどかせ」


「了解です」


 ムッソフは部下に命じたあと、親指の爪を噛んだ。


「……時間がないというのに!」


 本隊がレギン王国のリューセンの街に着くのはあと三日ほど時間が必要だ。

 渓谷の道はあと二日かからないほどで超えられるはず……ならば一日ほどの猶予がある。


 ――本隊が来るまでに戦果を上げれば、貴族たちもわたしを無視できなくなるはずだ。


 レギンの王国軍に先に襲われたとか適当な理由を付けて戦いに入ってしまえば、こっちのものだ。

 だというのに、こんなところで足止めを食うわけには……!


 そうしてムッソフが苛立ちを募らせる中。

 突如、轟音が静寂を打ち破った。


「――なんだ!?」


 ドーンという、まるで地震でも起きたかのような振動と轟音。

 そんな音が遠くから響き、ムッソフは辺りを見渡す。

 周囲の兵士たちにも動揺が広がっていった。


「お、落ち着っ……落ち着け! お前ら! 何があった!」


 ムッソフは叫ぶが、兵士たちの騒がしさは抑えきれない。

 しばらくすると、ようやく一人の兵士が前方からやってきて状況が報告された。


「ら、落石です! 岩が落ちてきました!」


「なんだと!? 状況は!?」


「それが、前方の岩をどかしていた部隊二百人ほどが分断されて……。何人かは落石にも巻き込まれました……!」


「ぐぬぬ……! 険しい道とは聞いていたが、これほどとは……!」


 ムッソフは前方の景色を見つめる。

 渓谷は曲がりくねった道となっており、そこからでは何も見えなかった。


「くそ……。とりあえず、落ちてきた岩をどかすように命じろ! 合流に遅れたとあっては、一生の恥だぞ!」


「は、はい……! 生き埋めになったものはどうしましょう……!」


「捨てておけ! 軍を間に合わせる方が先だ! そんなこともわからんのか愚図が!」


 ムッソフに命じられ、兵士は列の前方へと走っていく。

 残されたムッソフは、空を見上げた。


「おのれ……! まだだ……まだ間に合うはずだ……!」


 日も傾きかけた空は曇り、彼の苛立ちをますます加速させていった。



 * * *



「エディンさん、敵先頭部隊の分断に成功しました!」


「よし、工作隊にはよくやったと伝えてくれ。分断された方の部隊は様子を見る。もし脱出の動きがあれば知らせるように指示を」


 ユアルの報告に俺はそう答える。

 いくら敵兵とはいえ、無駄に命まで奪いたくはない。

 戦いが終わるまで孤立させ続けられるならそれでいいだろう。


「ミュルニア、遊撃隊を配置につかせてくれ。陽動射撃で相手の隊列を乱す」


「りょーかーい」


 ミュルニアは間延びした声でそう答えると、崖上に待機させている狙撃部隊の位置に向かって駆けていった。


 まだ敵軍にはこちらの動きが知られていない。

 ならそれを次の手にも生かし、奇襲をかける。


 ミュルニアを見送ると、ユアルが口を開いた。


「エディンさん、やりましたね! やっぱり一流です!」


「まだ最初の策がハマっただけだ。喜ぶには早い」


 俺はため息をつきつつ、頭をかいた。


「相手の隊は予想していたより少ないが、かといって足止めだけをしてもいられない。もし帝国軍の本隊が街道のルートを通っていたら、まずいことになる」


 帝国軍が二つに分かれて、同時に王国に向かっている場合の想定だ。


「その場合、三日ほどこっちを足止めしてからさあ戻るぞーと帰ってみたら、街に着いてた帝国の本隊と鉢合わせして両方から挟み撃ちにされかねない」


 もしそうなれば囲まれて全滅だ。

 俺は頭の中に描いていた勝利条件を書き換える。


「……ユアル、後で全員に伝えてくれ。作戦方針を事前に用意していたプランCに変更」


「りょ、了解です! プランCに変更!」


 ユアルは聞き間違いのないよう、俺の言葉を復唱する。


 戦いの前、アネスに言われて八種の戦闘方針パターンを考えさせられていた。

 相手が強すぎて逃げる場合や、全滅しかけた場合など、その想定は多岐に渡る。


 今回の事態を正確に予想していたわけではないが、行動指針としてはそのときに考えていたプランCが一番合っているだろう。


「プランC――足止めではなく、戦いによる勝利を目指す」


 こちらの数はせいぜい三百。一方の相手は二千。

 正面からであれば、戦いにもならないレベルの絶望的な戦力差だ。

 ――だが、やるしかない。


「この人数差で敵軍を全滅させるようなことはできない。だから相手を混乱させて、逃走してもらう。それには――」


 俺は空を見上げる。


「――手段は選んでいられないか」


 その曇り空は、まるで俺の心を映す鏡のようにどんよりと暗かった。

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