第35話 騎士団長の憂鬱
元帝国騎士であるエディンが黒髪の少女を連れ出してから、十日以上が経過した。
その日、デオルキス帝国の姫キャリーナの声が謁見の間に響き渡っていた。
「エディンの行方はまだなの!?」
「はい……もうしばしお待ちを」
「本当にこの国の騎士団は無能ね!」
平伏する騎士団長に対して、姫は高圧的にそう言った。
毎日の日課のように繰り返されるやりとりに、この時間臣下は謁見の間へと誰も近付こうとしなくなってきている。
今日もまた同じような姫の怒声が謁見の間へと響き渡る。
――そんなとき。
「――姫様!」
一人の青年騎士が扉を開け、駆け寄ってきた。
騎士団長がそれを見咎める。
「おい、姫の御前だぞ」
「で、ですが! エディンの行方がわかったのです!」
騎士の言葉に姫が片眉を吊り上げた。
「行方が? あいつはどこにいったの?」
「はい! 北のレギン王国です! 旅の者がリューセンの街で、エディンらしき男と黒髪の少女を見たとのことで……」
「リューセンに……? 本当に信用できるの、その情報」
訝しげに聞く姫に、騎士団長が口を挟む。
「旅人の足の速さを考えますと、数日前にヤツはリューセンに居たと考えられます。おそらくアルノス渓谷を突っ切ったのでしょう」
騎士団長の言葉に姫は忌々しげに舌打ちした。
「そんなルートを……。エディンのくせにこしゃくね」
姫は吐き捨てるようにそう言って、騎士へと命令を下す。
「居場所がわかったなら、とっとと捕まえに行きなさい! あなたたちは足の動きまで指示してもらわなきゃ動けないの!?」
「で、ですが姫……! 兵を向けたとなれば、王国も黙っていません!」
青年騎士の反論に、姫は親指の爪を噛んだ。
「なら……なら親書を持たせるから、使者を送りなさい! いいわね!」
「は、はい……」
青年騎士はそう言われると、すごすごと部屋を出て行く。
騎士団長はそれを見送ってから、姫へ向かって尋ねた。
「――姫、親書にはなんと書くのですか?」
騎士団長の質問に、姫は笑う。
「そうね……。レギンの王へ命令するのよ。こちらの国の大罪人が逃げ込んだので、引き渡しなさいと。わたしの命令だもの、きっと言う事を聞くでしょう」
「そ、そうでしょうか……」
「何? 文句あるの?」
「いえ、そういうわけでは……」
たじろぐ騎士団長を姫は睨み付ける。
「言う事を聞かないなら、聞かせるまでよ。レギンみたいな小国、一捻りでぶっ潰してやるわ」
彼女はそう言ってほくそ笑む。
「絶対にエディンをわたしの足元に跪かせてやるんだから……。そうそう、エディンが連れて行ったあの女は、むごたらしく辱めてから民衆にでも下賜してあげようかしら。そうなったときのエディンの顔が見物ね」
謁見の間に、彼女の笑い声が響く。
騎士団長はそれを聞いて、顔をしかめるのだった。
* * *
「……団長、姫はなんと?」
「レギンに圧力をかけるそうだ」
廊下を歩いている騎士団長のもとに、さきほど部屋に来た青年騎士が駆け寄ってそう質問した。
騎士団長の答えに、青年騎士は驚きの表情を浮かべる。
「こんなときにですか? 国の南も東も騒がしくなってきたっていうのに」
「……あまり大きな声で言うな。姫の耳に入ったらまた怒鳴られるぞ」
騎士団長の言葉に、青年騎士は声をひそめる。
「南では民衆が不満を募らせていて頻繁に直訴状が来てますし、東の領主たちの動きも不穏です。もともと反感があったのに、エディンの件が噂で広まって火に油だ」
「……エディンは直接関係ないかもしれないが、何かとヤツは不満の受け皿になっていてくれたからな。街の奴らもエディンを出せエディンを出せと……まったく、あいつは何てことをしてくれたんだか」
二人がそう言って廊下を歩いていると、二十代ほどの整った顔立ちをした長髪の騎士と遭遇した。
彼は出会い頭、ふいに騎士団長を睨んだかと思うと口を開く。
「――貴殿らの今言ったことと、最後にエディンが行った行動。果たして騎士として正しき姿はどちらかな」
「……何を言う、ヴァンルーク」
騎士団長の言葉に、ヴァンルークと呼ばれた男はため息をつく。
「俺は弱い者は嫌いだ。だからエディンも好かない。媚びへつらい、プライドの欠片もないあの男など騎士団に必要ないと今でも思っている」
吐き捨てるように彼は言う。
「――だが、最後の行動は騎士としては正しいものだった。少なくとも姫の横暴に怯える今のお前たちよりは、より強き者だったろう」
そう言って彼は二十も年上であろう騎士団長を睨み付ける。
「この騎士団に、俺の求める騎士道はない。俺は今日でここを抜けさせてもらう」
そう言って彼は踵を返す。
騎士団長は引き留めるようにその肩を掴んだ。
「待て! ヴァンルーク! 騎士団最強と名高いお前が抜けたら――」
「くどい」
彼はそう言ってかけられた手を振り払うと、振り返ることもなく歩いていく。
二人のやりとりを見ていた青年騎士は、気遣うように騎士団長へと声をかけた。
「団長、その……」
「……もういい。お前がヴァンルークの後を引き継げ」
「……ええ!? 小隊長をですか!?」
「そうだ。姫がもうじき親書を書き上げるから、お前が使者となってレギンへと持っていけ」
「は、はい……了解しました」
青年騎士はそう言って足早に駆けていく。
その背中を見ながら、騎士団長はため息をついた。
――姫が失礼な親書を書いて、使者ごと斬られなきゃいいが。
そう考えながらも言葉にはしない。
騎士団長の脳裏には、乗組員が我先にと飛び降りる沈みかけの船の光景が浮かんでいた。
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