第25話 岩場の渓谷

「うーむ、それらしい場所は全然見当たらないな」


 しばらく歩いてみるも、冷蘭草のありそうな日陰一つ見付けられなかった。

 ところどころ草は生えているものの、どれも緑色の草花ばかりが並んでいる。


「よし、マフ出番だ。これと同じ草を探せ」


 試しにミュルニアに冷蘭草を借りてマフに嗅がせてみるも、マフは顔をしかめるように口を大きく開いた。

 そしてくしゃみをして、何事もなかったように首を傾げる。


 ……まあ無理だよな。犬じゃあるまいし。


 俺は冷蘭草をミュルニアに返して、辺りを見回してみる。


「やはり多少無理してでも、下に降りてみるしかないか」


 これまで探索してみたのは崖上の、見通しがいい平らなエリアだった。

 崖下を覗き込んでみれば、はるか下に川が流れている。

 間違って足でも滑らせれば一巻の終わりだろう。


 崖の岩肌にはあちこちに影となっている部分がある。

 遠目ではよくわからないが、来るときに野営地とした横穴のようなものかもしれない。


 崖下を眺める俺に、ミュルニアが声をかけた。


「うーん、ここからじゃわかんないね」


 ここからではそれが光の加減によってできたちょっとした影なのか、本当に日陰となっている横穴なのかはわからない。

 ミュルニアの言葉に頷くと、俺は荷物袋を取り出した。


「……少し降りてみるか」


 俺はそう言うと、街中でマフを繋ぐのに使っていたロープを取り出す。

 降りられそうな場所に見当をつけて、ロープを垂らして長さを測る。

 ……このロープでも問題ない高さだな。


 念のため、ロープをしっかり自分の腹へ巻いていく。

 中腹の足場までなら落ちても死にはしない高さだが、もし放り出されて崖下まで落ちようものなら死ぬのは免れないだろう。


 ロープの片側の先端を巻き込むようにして腹の前でしっかりと結び、余った分を腹に巻いたロープの内側に織り込んでいく。

 こうしておくと解けにくいし、自重で骨折することもないはずだ。


 これは大工の親方と屋根の修理をしたときに教わった結び方だ。

 そのときは「騎士がやる仕事じゃないよなぁ」と思っていたが、まさか雑用以外で役に立つ日が来るとは。


 ロープのもう片方の先端を岩の出っ張りにくくりながら、その先をロロに渡した。


「ロロ、一応握っておいてくれ」


「任せて。一つ目巨人サイクロプスでも釣ってこない限り、手を離さないから」


 彼女は俺を釣り餌にたとえた冗談を言いながら、ロープの先を握った。

 基本的に岩の出っ張りが支えるはずだが、くくった岩が崩れたりしないとも限らない。

 なので彼女に支えてもらって二重の保険にする。


 俺はロープを引っ張って強度を確認しつつ、崖際に足をかけた。

 それを見たユアルが不安そうに声をかける。


「無理しないでくださいね……」


「大丈夫、こういうのは慣れてるんだ」


 俺は慎重に崖を蹴り、手元に巻いたロープを少しずつ伸ばしながら崖下へと下っていく。

 一回に進む距離は拳四つ分ぐらいずつ。

 じっくり時間をかけて、目的の足場へと到着した。


「……よし、こっちは大丈夫だ! ……ちょっと周りを探索してこようと思うー!」


 上にいる三人に声をかけ、ロープを外す。

 するとロープが引き上げられた。

 上からロロが顔を出す。


「さっき言った通り、単独行動はだめ! ちょっと待ってて!」


 言われた通りしばらく待っていると、上から騒がしく彼女らの声が聞こえた。

 何かを相談しているらしい。

 そのあと、崖の上から姿を見せたのはミュルニアだった。

 どうやら彼女が俺に同行することになったようだ。


 彼女はロープを伝ってするすると降りてくる。

 ……まあ手を滑らせても俺がいるし大丈夫だろう。

 降りながら、彼女は俺に声をかけてくる。


「上、見上げないでね! スカートだし」


「……冒険者は男や女を気にしちゃいけないんじゃなかったのか。目を離してたら危ないだろ」


「……スカートの下、履いてないんだけどそれでもいいならー!」


「よくない!」


 俺は慌てて視線を横に向ける。


「やーい、うっそ~!」


 彼女の笑い声が聞こえてくる。

 ……ミュルニアという女性がわからない。


 俺は手持ち無沙汰に周囲へと目を向けた。

 すると正面の少し離れたところにある絶壁の中腹に、より闇が濃くなっている場所を見付ける。

 他よりも影が濃い。もしかすると、洞窟でもあるのかもしれない。

 少し遠くはあるがどうやらここから地続きになっているようだし、あそこに行ってみるか――。


「――あやぁっ!?」


 頭上から声。

 俺が瞬時に顔を上げると、今まさに落下しようとするミュルニアの姿が見えた。

 とっさに手を前に伸ばし、腰を深く落として跳ねる。

 

「――ぐおっ!?」


 キャッチ。

 俺の腕の中に収まるような位置に、ちょうどミュルニアの体が落ちてきた。


 腕と腰にかかる衝撃。

 なんとかお姫様抱っこのような体勢で踏ん張って耐えるも、殺しきれなかった勢いにバランスを崩す。


「……おーい、大丈夫ー!?」


 崖上からロロが声をかけてくる。

 ミュルニアの下敷きになって倒れた俺は、なんとかそれに片手を上げて応えた。


「……なんとかー……」


 力無く手を振ると、ロロが「気を付けなさいよー」と叫ぶ。

 当のミュルニアは俺の上でしばし呆然とフリーズした後、目を潤ませた。


「――ありがとおぉぉ! 死ぬかと思った!!」


 彼女は涙目になり、俺にしがみつく。

 そんなに高い位置から落ちたわけではないので、死にはしないと思うぞ。


「……いいからはやくどいてくれ」


 俺に言われて、「ご、ごめんごめん!」とミュルニアが手を解き、立ち上がる。

 俺も同じく立ち上がって、体に異常はないか確認した。


「……俺が言うのもなんだが、油断しないようにな」


 どうやら二人とも怪我はないらしい。

 俺の言葉に、ミュルニアは恥じるようにうつむいた。


「ごめんね、先輩なのに」


「……頼りにしてるぞ、先輩」


 俺の言葉に彼女ははにかむ。


「うん! 任せて後輩くん! こっちも頼りにしてる!」


 調子よくそう言ったミュルニアに、俺は苦笑する。

 なんにせよ、怪我がなくてよかった。


 そうして俺たちは渓谷の中腹の探索を開始するのだった。





 ……ちなみにこれは余談ではあるが――意外にも、白色だった。

 見えたのはとっさの事故だ。

 俺は、悪くない……。

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