第8話 夕刻の襲撃者たち

「さあて、この辺までくればひとまず安心だろう」


 太陽が沈みかけた夕方。

 俺とユアルは渓谷のくぼみの洞窟に寝床を作ることにしていた。

 洞窟は奥まで広がっているわけではないが、ちょっとした狩猟小屋ぐらいの広さはある。

 ここならマフも入れるし、雨風もしのげるだろう。


「もう一日も進めば、レギン王国の領地に入る。レギンなら帝国もおいそれと手を出せないはずだ」


 レギン王国と帝国の間には五十年前の魔物大戦の際に生じた、国家間で不干渉の空白地帯がある。

 つまりは「魔物モンスターがいっぱい住んでるから手を出せない場所」というだけなのだが、それがあるおかげで両国は国境線を接することもない。

 交易するにも護衛が必要な状態なので、両国の間での国交は少なかった。

 それにレギン王国は領土拡張政策を行っている帝国を警戒している為、帝国に敵対する者が逃げ込んだところで積極的に引き渡したりすることもないはずだ。


「今日はここで一泊して、明るくなったら出発だ。あいにくとふかふかのベッドはないが、変わりにマフを使うといい」


「グル……ニャゴォ」


 マフが尻尾を振る。

 ユアルは既にマフには慣れた様子で、まるで大きなクッションにもたれかかるようにマフへとくっついた。


「ふかふか……もふー」


 ユアルが心地よさそうに身を預けると、マフもまた子猫に対する母猫のように優しく身を寄せた。。

 マフもメスのソードタイガーなので、女の子同士仲良くしてくれているのかもしれない。


「ここは人の領域に近いとはいえ、一応魔物の領域だからな。俺が火の番をするが、もし何かあったときはすぐに――」


 そう言いかけて、俺は洞窟の入り口に目を向ける。

 気配――などというものは達人にしかわからないので、凡人の俺にはわからない。

 だが物音を拾うぐらいは俺にもできる。


 ――追っ手か? いやまさか、いくらなんでも早すぎる。

 俺は立ち上がる。


「誰だ」


 相手は明確にこちらを認識している。

 ならば下手に隠れるより、こちらから威嚇してやった方がいいだろう。

 俺の声に応えるようにして、そいつらは姿を現した。


「ぐ……ぎ……にんげん……」


 そんなつたない言葉を話しながら、それは姿を現す。

 子供のような小さな体躯に、緑の肌。

 歪な姿をした、亜人種の魔物。


「……ゴブリンか」


 俺がつぶやくと同時に、洞窟の入り口に二体のゴブリンが姿を現す。

 手にはお手製の粗末な棍棒が握られており、どうやら戦意があるようだった。


 ゴブリンといえば、低級冒険者にとってもなじみ深い魔物だろう。

 繁殖力が強く、動物型の魔物と比べると知能は高め。

 それが理由で、昔にあった人と魔物の大戦においては尖兵を務めることが多かったと聞く。

 その為、魔王が討たれ魔物との戦争が終わった今でも、人間たちの居住地に近い場所に生息していることが多い――。


 そんな知識を思い出しつつ、俺はゴブリンに対峙する。


「まあ普通の人間なら驚異かもしれないが、さすがにゴブリン二匹ぐらいなら俺一人でも――」


 そう言いながら腰の剣を抜こうとして、ふと気付く。


 ――剣、無い。


 ……しまったぁぁぁあ!!!

 そうだ! 剣! 返したんだったぁああ!!


 城の中庭で姫に剣を突き返したことを思い返し、俺はその場でフリーズする。

 なんてこった! カッコつけて剣返すんじゃなかった!!

 「じゃ、俺これでやめるんで。退職金あとで受け取りにきますね」とか言ってサクッと辞表出しとくんだった!!!!


 突如固まった俺を見て、ゴブリンたちが顔を見合わせる。

 ゴブリンの表情はわからないが、まるで「こいつ何してんだ?」とでも言われているかのような空気だった。


 ど、どうする!

 素手で戦えるか!?

 無理ではないかもしれないが……何か平和的にお帰り願う方法でもないだろうか……。


 俺がいくつかの方法を考えていると、俺の前に出る影があった。


「――グオォォォオオッ!」


 マフが吠える。

 熊ほどもあるその巨体で、ゴブリン相手に威嚇をした。


 威嚇をされたゴブリンは、「ひぎゃっ!」と声をあげて二匹してお互いの体にしがみつく。

 おお、怖がってる怖がってる。


 俺はそれに便乗して、右腕をあげて見せる。

 ゴブリンたちが右腕に注目したのを見て、指を鳴らして見せる。


「――小火花リトル・スパーク


 俺の頭上にバチバチと火花が走った。

 それを見てゴブリンたちは「ひゃあ!」と悲鳴をあげる。


 ……ちなみにこの呪文、種火を作る呪文であって殺傷力はほぼない。

 野営のときなど火打ち石いらずなので便利だ。

 俺の使えるいくつかの初級呪文の中の一つである。


「……くくく。俺は大魔法使いだ。この俺の使い魔に食い殺されるのと、魔法で焼き殺されるの……どちらで死にたいか、選ばせてやってもいいぞ?」


「ひい……!」


 ゴブリンたちは恐怖に震えながら、お互いに身を寄せ合っていた。

 ……ここまで脅せば大丈夫だろう。

 これなら問題なく追い払えそうだ。


 そんなことを思っていると、後ろからユアルが声をあげた。


「あ、あの! 待ってください!」


 ユアルが俺の腕を掴んで、止めに入る。


「あの子たち、戦う気は最初からなかったような……!」


 俺はユアルの言葉に、首を傾げる。


「……キミ、あいつらが何考えてるのかわかるのかい?」


「あ、はい、雰囲気というか……表情というか……見てるとなんとなく、わかりません?」


「雰囲気、ねぇ」


 ゴブリンの表情がわかるなんて、珍しいやつもいるもんだ。

 俺は彼女の言葉に従って、もう一度ゴブリンを詳しく観察してみることにした。

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