第6話 逃亡者のティータイム
ユアルの断続的な声が、道なき草原に響いていた。
「お、おお、おお、おお……!」
「振り落とされるなよ」
「……はい、楽しいです!」
マフの背中に乗りつつ、俺たちは南を目指していた。
南には魔物たちがはびこる国境のない空白地帯があり、そこを超えればレギン王国がある。
あそこであれば帝国の息もかかっていないし、交易も盛んなので旅人も受け入れてくれるはずだ。
俺はたまにマフのひげを引っ張って進行方向を調整しながら、後ろのユアルへと話しかけた。
「乗り心地はどうだ?」
「すっごいふかふかで……馬車よりもずっといいです!」
「そうか、そいつは良かった」
マフの背中に乗るときは、マフも乗り手のことを若干気遣いながら走ってくれる。
とはいえべつに騎乗用の訓練をしているわけでもないので、上下にもガクガク動いて暴れ馬よりも乗りにくい。
ただし馬に比べて毛皮が厚く柔らかい為、振り落とされさえしなければそれなりに乗り心地は良いと言えるかもしれない。
俺は舌を噛まないように注意しつつ、後ろに座るユアルに向かって話しかける。
「こいつは随分昔に旅一座から買い上げたソードタイガーでな。もちろん俺じゃなくて、あのわがまま姫が買ったんだが。当時は手のひらに乗るぐらいに小さくて可愛かったんだ。いや今も可愛いが」
そのうち大きくなることはわかっていたので、周りは必死に反対した。
だがあのわがまま姫が他人の言うことなど聞くわけもなく。
「結局そのうちマフの面倒を見切れなくなって、俺にお鉢が回ってきたわけだ。……処分してこいってな」
「……それでエディンさんが隠れて育てることに?」
「まあそんなとこだ。目立たないように、こっそり森の中でな」
とは言っても、マフは大きくなってからは自分で獲物を狩るようになったし、人間に寄りつくこともしないし、俺が面倒を見てた――とまで言うと言い過ぎかもしれない。
こいつは森の中で勝手に育っただけだった。
だがユアンは穏やかな笑みを浮かべ、クスリと笑う。
「エディンさん、優しいんですね」
「よせよせ。そんなんじゃない。……処分する意気地がなかっただけさ」
俺はそう言いながら、マフの頭を撫でる。
マフは疲れた素振りも見せず走りながら、「ゴーニャァ」と虎だか猫だかわからんような声をあげた。
しばらく走った後、街道のすぐそばの木陰で一旦休憩する。
ソードタイガーは馬と違って山道や獣道もなんのそのだが、逆に整備された平らな道だからといって長く走り続けられるわけでもない。
長距離の移動には、しばしば休憩が必要だった。
「あ、あの……こんなにゆっくりしてて大丈夫なんでしょうか」
ユアルが不安そうに俺が淹れたお茶をすすっていた。
「ああ、大丈夫大丈夫。気にしなくていい」
俺はなんでもないようにそう返しつつ、自分の分のお茶をすする。
野営の準備など雑用騎士にとっては基本の仕事だ。
もちろんトラップだとか本格的なキャンプとなれば、その道のプロに任せた方がいいのだが。
俺は騎士団の備品が入った麻袋から、携帯食料を二人分取り出し、一つをユアルに渡した。
「騎士団御用達の携帯食だ。こいつは最近改良されて味が良くなってな。前はとても食えたもんじゃなかったが、今ではまあ食えるもんになってる」
俺はそう言いながら、携帯食をかじってみせる。
乾燥させた芋や果物を砕き固めたそれは、ほのかな甘みと酸味があった。
美味い……というほどではないが、水分と一緒にとればちょっとした駄菓子程度の味わいにはなる。
ちなみに飲み物なしだと、拷問に近い食い心地になるので注意が必要だ。
ユアルはそれをかじると少し眉をひそめつつも、もぐもぐと口を動かした。
「……個性的な味です」
「マズいならマズいって言っていいんだぞ」
「い、いえ……噛めば噛むほど甘みが出て……美味しい、です……」
ユアンはそう言いながら、流し込むようにお茶をがぶがぶと飲んだ。
嘘のへたな子だなぁ。
俺は苦笑しつつ、さきほどユアルにした返答に補足して答える。
「俺らがここでいくら油売ってても、追っ手はすぐにはやってこないさ」
俺は乾燥茶葉の香りを楽しみつつ、座って街道沿いに流れる川を眺める。
まるで追われているとは思えないほどののんびりとした景色だ。
「バレないように街道からは外れてここまで来たしな。マフさまさまだよ」
当のマフは、草むらの上に座りながらあくびをしている。
馬ではなくマフに乗って整備されていない道を通ってこれたので誰にも目撃されていないはずだ。
マフを疲れさせて怪我でもしてはいけないし、休憩は必要なことだった。
休めるときに休んでおくのは、騎士の鉄則だ。
まあ俺はもう騎士ではないんだけど。
「……それに今頃、まだ追っ手は城を出発すらしてないと思うよ」
俺の言葉に、ユアルは不思議そうな顔をして首を傾げる。
――おそらくまだ街の中の探索すらロクにできていないことだろう。
俺は自分でも驚くほどにゆったりした気持ちで、午後の優雅なひとときを楽しむのだった。
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