第24話 誘拐されてみた

 一方そのころ、もう一体の悪魔は小高い丘を登っていき、着実にテクテクの元へと近づいて行った。


「ふむ、ここまで進んでも誰も来ませんか。少し拍子抜けですね」


 てっきり、先ほどのティアラのように他の村人たちの妨害ががると悪魔はふんでいたが、周囲に人が潜んでいる気配は無かった。自己の探知を欺ける人間なんている筈もないという自信があるため、警戒する必要もない。


 そうして、本当に何かに妨害されることもなく容易にテクテクの家へとたどり着いた。そうして、意外にも律儀な悪魔は玄関から中に入ろうとドアノブに手を触れる。

 

 その瞬間、背後から今まで感じたこともない殺気が向けられた。


「ドアを開けたら、流石にテクテクに気づかれるのでやめていただけませんか?」

「!?」


 まさに青天の霹靂。1日で2度も自身の警戒網をかいくぐる者がいるとはと、悪魔は驚愕した。

背後を振り返ると、そこにはローブで全身を覆った人間が立っていた。フードの隙間からはピンク色の髪が見え隠れしている。その佇まいからは、先ほどの殺気を放った人物だとは悪魔には到底思えなかった。


「貴方はこの村の住民ですかね?」


 悪魔は警戒を怠らずにその人物へ問いかける。


「あら、失礼いたしました。申し遅れました、私はシャルルと申します」


 そんな悪魔に対して、シャルルは特に気負った様子もなく、軽やかに挨拶を交わす。


「それにしても――ふむふむ、なるほど、そういうことですか」


 シャルルは一通り悪魔を観察した後、何か会得のいった顔で頷いていた。その様子は悪魔の存在など気にも留めている様子がない。力を隠している状態であっても、人間如きに舐められるのは悪魔にとっては我慢のならないことだろう。案の定、悪魔はシャルルに向かって殺意を迸らせた。


「いやはや、私を前にしてこうも余裕な態度でいられるとは。先ほどの娘といい、なかなか愉快な町ですねぇ。それで、何をやめて欲しいと?」


 そう言いながら、悪魔は意趣返しといわんばかりに、ドアを開けようとした。しかし、どれだけ力を込めてもドアノブを捻ることが出来ない。ドアには確かに手を触れているし、シャルルが何かした様子も見受けられない。不思議に思った悪魔は、横目でチラリと自身の手へ視線を移す。

 

「な……なな……」


 確かに、悪魔の手はドアノブを握っていた。そかし、その先にある腕はだらりとぶら下がっている。

 

「ああ、失礼。貴方はお願いしても聞いてくれそうにないので、強制的にお願いすることにしました」


 悪魔の右肩、そこから先が物理的にお別れしていた。しかし、不思議なことに痛みは感じるものの、血は一滴たりとも出ていなかった。少なくとも、悪魔にはそんな芸当は出来ない。それが、また彼の恐怖を引き立てていた。


「ふふ、ふはははは。私が人間如きに恐怖をさせられるとは。これはもう許しがたいですね。穏便に済ませようかと思いましたが気が変わりました。テクテクという少女さえ無事なら問題はありません。それ以外にはこの世から消えてもらうことにしましょう」


 悪魔とは、恐怖の象徴である。その恐怖の象徴である自分が人間に畏怖することはあってはならない。そうして、彼は力のすべてを解放した。


「ふふふ、さあ、恐怖しなさい。私は彼のように力を100%解放するのにゲートを必要としない本当の大悪魔です。この姿を拝めることに感謝して、死んでいきなさい」


 悪魔大尉。それがこの悪魔の正体である。悪魔軍曹とは比べ物にならない実力者であり、その力は優に20倍は超える。能力を解放した悪魔大尉の体躯は5メートルを超え、頭の左右から突き出る角はからは『琥珀葬砲』の倍はあるエネルギーが迸っている。その鋼鉄よりも固い身体は、何も通さず全てのものを粉砕するであろう。そして、失われたはずの腕もいつの間にか元通りだ。


「人間如き、攻撃するまでもないですね。闇に溺れてそのまま死になさい」


 悪魔大尉の身体から夜よりも暗い暗黒の闇が周囲に広がっていく。それは一瞬にしてこの丘一帯を覆いつくした。その間、シャルルが動いた様子もない。


「どうやら、先ほどの攻撃は何かの奥の手を使ったか、まぐれだったようですね。私のオーラに充てられて一歩も動けていないようですし。はてさて、その恐怖で歪んだ顔を見て、先ほどの屈辱を晴らすとしましょうか」


 そう言って、悪魔大尉はシャルルの顔を覗き見る。そこには当然、絶望渦巻く表情があると思っていた。しかし、そこにあったのはまるで感情のないロボットのような表情だ。否、道の傍らに落ちているごみを見るような、地面を歩いている小さなアリを見ているような。そんな、全く関心のない表情をしていた。


「ひっ……」


 思わず悪魔大尉は悲鳴を上げた。そして、気が付いた。周囲は確かに闇で満ちていた。しかし、その闇の濃さは自身のそれではない。それよりもさらに深淵を覗くような暗黒で満ちていた。それは果たして誰から放出されたものなのか。

 それに思い至るよりも前に、悪魔大尉は意識を手放した。




「ハッ……」


 悪魔大尉が目を覚ますと、周囲は夜へと戻っていた。立ち上がり状況を観察する。体のどこかに傷を負っている様子はないし、体調に変りもない。そして、周囲を観察するとシャルルが気を失ったように倒れていた。


「なんだ、結局私のオーラに耐えられず気を失いましたか。それにしても、私はなんで気を失っていたのでしょうか」


 しかし、不思議とそんな些細なことは悪魔大尉は気にならなかった。そして、無性に目の前のシャルルを連れて行かなければならないという思いに動かされていた。その思考の中には、当初の予定であったテクテクを連れていくという思考は既に除外されていた。


 そうして、気を失っているシャルルを悪魔大尉は肩に担いでその場を離れようとした。すると、今度は人の気配を察知し、そちらへ顔を向けた。


「ん~、な~に?」


 いつの間に玄関が開いていたのだろうか。そこには、パジャマ姿でドアから顔を覗かせるテクテクの姿があった。どうやら、外の物音によって起こされたようだ。中途半端な時間に起こされたせいで、眠たい目を擦りながら、外の状況を確認する。そして、悪魔大尉の肩に担がれているシャルルを見て、裸足で外へ飛び出した。


「あく……ま? まって、シャルルお姉ちゃんをどうする気?」

「おや、私たちのことを知っていましたか。残念ながら手遅れです。この人間を返してほしければ、後ほど招待状を送りますので私どもの屋敷へと足を運んでください」


 そう言うや否や、この場に留まる必要はもうないと悪魔大尉は颯爽と飛び立っていった。

今更何をしようとしたところでテクテクにはどうすることも出来なかった。ただ茫然と、遠ざかっていくシャルルを見ることしかできないテクテクは、自身の無力さに打ちのめされて膝から崩れ落ちた。



 丘から離れた悪魔大尉は、気が付かない間にかいていた汗を腕で拭う。今更ながら、先ほど直ぐに飛び立っていなければ自分はこの世から消滅していたのではないかと、そんな何の根拠もないことを思っていた。

 悪魔大尉は改めてシャルルを抱えなおす。完全に体は脱力しており、未だにシャルルが起きる様子はない。


 しかし、悪魔大尉は気が付いていなかった。シャルルが微笑を浮かべていたことに。


 

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