第23話 覚醒してみた

 男は人生で初めて恐怖した。先ほどまで殆ど死にかけていたはずのティアラ。そこから、今まで感じたことのない強烈なプレッシャーが発せられた。


「テクテクで遊ぶ……? そんなこと許せるはずないでしょ! 貴方なんかが関わっていい存在じゃないのよ!!!」


 その瞳には先ほどまでとは違い、黒い炎が灯されており、再びティアラの腕が動き出した。本来であれば、まだ万全な状態でない今の間に男はとどめを刺すべきであったが、そのティアラの瞳に見つめられた瞬間、心が恐怖し、数秒間ではあるがその体の動きを完全に止めた。


 その数秒があれば、今のティアラには十分であった。


「装着『闇王の手袋スコターディバシレウス・ケイリス』」


 ティアラがぼそりと呟くと、その両手に宝石の埋め込まれた黒い革のグローブが着用されていた。


「血をありったけ捧げるから私に力をよこして!」


 そう言うや否や、ティアラのまき散らした血液がその手袋の紅玉色の宝石に吸い込まれていった。

そして、次の瞬間、男の尻尾がねじ切られた。


「ぎゃぁぁぁぁ」


 先ほどとは違い、男は本気の絶叫を挙げた。本来であれば、どれだけ体が傷ついたとしても本当の意味で男を傷つけることは出来ない。しかし、今のティアラの攻撃は、ただの物理攻撃であるにもかかわらず、その男の魂に痛みを刻み付けた。


「なぜだぁ! 俺の防御力を上回る攻撃だけならまだわかる。しかし、この痛みは何だ!? ただの物理攻撃でこの俺が痛みを受けるはずもない!!」


「あら、そんなの簡単じゃない。貴方はさっき何を踏みつにしていたと思っているの?」


 男が恐る恐る足元を見ると、そこには破壊された試験管が転がっていた。そして、本来ならあるはずの中身は消失していた。


「私一人の力だけだったら、貴方に抵抗することも出来なかったわ。でもね、貴方が踏みつけたそれはテクテクの魔力がこもったポーションなのよ。それと私の血が混じったことで、このグローブにテクテクの魔力も吸収されたのよ」


 ティアラの手袋に吸収されている液体を見てみると、赤黒い血液だけでなく、所々に桃色に輝く液体が混ざっていた。そう、テクテクの魔力から出来ている治療回復ポーションだ。


「たかだかテクテクという娘の魔力が籠ったからといって何だっていうんだ!!」


 男はさっきのは何かの間違いだと、奇跡的な偶然だと思い、再度ティアラへ向かって攻撃を繰り出す。


「デーモン・ブロウクロウ!!」


 男が腕を振り下げると、ティアラへ向かって鋭利な風の爪が音速で飛来した。しかし、その風の爪はティアラへ到達することはなく、ティアラの眼前で真下へと落下した。


闇重力スコターディエルクシ


 ティアラが男と同じタイミングで腕を振り下ろすと、手袋にはめられている瑠璃紺色の宝石が煌めき、ティアラの目の前に重力のカーテンが展開された。それは、あまりの重力に地面でさえも徐々に陥没している。

 そして、敵の攻撃が届かないうちに、ティアラは腹部を貫いていた尻尾を抜き出し、後ろへ放り投げた。尻尾を抜いた瞬間、腹部の巨大な風穴が露になり、再び大量の血液が地面に飛び散る。心臓を含む臓器がいくつか潰れており、誰がどう見ても助かるような傷ではない。しかし、ティアラは倒れることもなく冷静に呪文を唱える。


聖治癒パナキア・セラピア


 すると、次は手袋に埋め込まれている翡翠色の宝石が輝くと同時に、腹部全体が優しく翡翠色の魔力で包まれ、一瞬でうら若き乙女の柔肌を取り戻した。

 本来であれば、多種多様な効力のある手袋ではあるが、ただ魔力を通すだけではここまでの力は発揮されていない。しかし、ティアラの大量の血液に加え、テクテクの僅かながらではあるが魔力が加わったことで、本来の10倍以上の性能を発揮していた。

 さすがのティアラも、以前使用していた時よりもはるかに高い効能に驚愕していたが、テクテクと自分の魔力が混じり合ったら奇跡も起こるのも当然だと考えた。そして、自分の身体にテクテクの魔力が混じり合っていると改めて認識したことで、乙女とは思えない何とも言い難い下品な表情をしていた。

 しかし、そんな奇跡も長くは続かない。段々と自分の中にいるテクテクの魔力が消費されて搾りかすしか残っていないことに気が付いた。


 男は自身の攻撃が通らず、あまつさえ、目の前で信じられない回復力を見せつけられ流石に奇跡でも偶然の出来事でもないと認識し、ティアラを矮小な人間ではなく明確な自分を殺しうる存在と確定し、先ほどまでの激昂とは裏腹に冷静にティアラの方を伺っていた。


 先程までの激昂した状態であれば、テクテクの魔力がなくても有利に立てていたであろうが、ティアラの運の悪さは相変わらずであった。そして、更に状況は悪い方向へ向かっていく。


 物静かになった男は、目を閉じポツリと呟いた。


地獄の門ヘル・ゲート開門‼」


 すると、男の背後から骸骨の鎖でつながれた巨大な門がせり上がってきた。その扉からは、琥珀色の熱が溢れ出ていた。そして、完全に地表に姿を現した5メートルを超えるその門の鎖が徐々に解かれていき、ついにはその門の口が開かれた。


「誇れ、人間よ。この俺に……悪魔軍曹のこの俺に本気を出させたんだ。褒美に一気に終わらせてやろう」


 男――もとい悪魔軍曹に門から這い出る琥珀色の地獄の業火が纏わりつき、その魔力の質量は先ほどとは比べ物にならなかった。


 そして、悪魔軍曹が拳を引き絞り、ティアラのいる方向へ向かって琥珀色の炎の玉を打ち出した。


 ティアラは先程と同じように重力のカーテンを展開したが、嫌な予感がして瞬時に横へ跳躍した。すると、炎の玉は重力のカーテンに触れるとわずかに軌道を下げただけで勢い止まらず、背後の木々をまとめて炭化した。もしも、とっさに避けていなければ、ティアラも同じように人間炭と化していただろう。


「ふん、どうやらさっきよりも防御力が劣っているな。先ほどまでのは本当にそのテクテクという少女の魔力とやらが影響していたようだな」


 案の定、ティアラの力が弱まっていることに悪魔が気が付き、そこからはティアラの防戦一方だった。

 

 悪魔軍曹の背後に先ほどよりも一回り小さな炎が8つ浮かび上がり、それぞれが意志を持ったかのようにティアラへ向かって飛来する。

 ティアラはそのすべてを服の端や髪の毛に触れさせながらギリギリのところで回避する。一瞬でも動きに迷いが生じればあの世行きだ。


 続いて、悪魔軍曹は地面を激しくたたきつけた。すると、ティアラへ向かって地割れが広がり、その隙間から琥珀色の炎が噴き出していく。

 ティアラはそれに対して同じように地面を全力で殴りつけ、地面を膨隆させることで地割れの威力を軽減させ、その間に全力で後方へ退避する。


「ほう、この俺の本気の攻撃をこうも躱わすとは。ただの人間にしては本当に惜しいな」


 間一髪のところで悪魔軍曹の攻撃を回避し続けるティアラであったが、既に限界は迎えつつあった。革手袋の瑠璃色の宝石が煌めいており、思考力と動体視力が強化がされていることで何とか戦えているが、疲労は蓄積されるばかり。それに加えて、大量に血を失ったせいか、立っているのもやっとの状態だ。


「どうやら、失った血液は取り戻せないらしいな。そろそろもう限界だろ? どうだ? お前のその頑張りに免じて、今なら俺の部下にしてやってもいい。そうしたらこれまでの無礼は許してやろう」

「へ~、それは気前のいいことで。でも残念ね。テクテクを脅かすような存在に私が首を垂れることなんてありえないわ。さっさと地獄へお戻りなさい!」

「くっくっく、そうか。それは残念だ。それならば、俺のこの一撃で全てを終わらしてやろう」


 悪魔軍曹は左程残念そうでもなく、笑みを浮かべてティアラを見た。


「ならば後悔して死ね! 琥珀葬砲アンバー・フューネラルキャノン


 悪魔軍曹が両腕を水平にかざすと、それを砲身として巨大な火炎砲が発射された。その大きさは直径5メートルもあり、その速度は音速を超えている。ティアラにはもはや避ける体力もなく、地面をえぐりながら進むそれに抗う術はない――ただ一つを除いて。


「そうね、貴方の言う通りもう限界よ。だから、最後の力を振り絞るわ」


 ティアラがそう言うと、革手袋の真ん中に位置する巨大な黒曜石の宝石がペンタブラック色に様変わりする。


 それはすべての光を吸収する。


魔皇帝の復讐ディアヴォロスアフトクラトラス・エクズィキスィ


「なっ!」


 悪魔軍曹は何度目かわからない驚愕な声を上げた。そして、それが最後の驚愕となった。


 琥珀葬砲アンバー・フューネラルキャノンがティアラの黒曜石に吸い込まれるような軌道を描き、それはティアラの手掌に激闘した。しかし、ティアラの手は焼かれるどころか、その攻撃は球体状に圧縮され、琥珀色であったそれは埋め込まれている宝石と同じような黒曜石色に染まっていた。


「そんな、馬鹿な! その色は!? まさかそんな――」


 悪魔軍曹の言葉はそれ以上は続かなかった。ティアラの手掌から自身の攻撃の数倍の速さで飛来した拳大のそれが悪魔軍曹に触れると同時に、音もなく悪魔軍曹を飲み込み、その存在を精神ごとこの世から消滅させた。


「私の攻撃が効かなくても、あなた自身の攻撃には耐えられなかったようね」


 その場は既に静寂に包まれていた。


「それにしても……」


 ティアラは勝利の余韻に浸ることもなく、自身の格好を見下ろす。それはかろうじて繋がった布で覆われているだけであり、もはや衣服と呼べるか怪しかった。


「折角テクテクから貰ったお気に入りの服だったのに~!!」


 悪魔の存在や、悪魔を倒したことよりも、テクテクからのプレゼントの方がよっぽど大事なティアラであった。


「それよりも、シャル姉に本当にどうしてもというとき以外に使ってはいけないという技使っちゃったなぁ。後で怒られるかもなぁ。後何回残っていたっけ?」


 最後に使った大技、それは大変強力な技であるが最後までティアラが使わなかったことには理由があった。そんな強力な技が何の代償もなく使える筈もない。

 しかし、ティアラは全く後悔はしていなかった。それが、たとえ命に関わるようなものだったとしても……。


 

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