第6話 ミルクを飲ませてみた

 あれから更に2週間、未だに空は晴れず、町民の顔色も優れない。既に町の食糧は底をつき、周囲にあった僅かな木の実なども既にない。しかし、彼らの不幸はこれだけに止まらなかった。


「ごほっ、ごほっ、もう動く気力もない……ここまでか」

「町長……こふっ」

「お前も無理をするな、といっても……ごほっ、無理しなかったからといってどうすることも出来ないがな」

「ははは、今まで我々がしてきたツケがこうして回ってくるとは思いませんでしたね」

「ごほっ、仕方がないさ。もし、チャンスがあるならば、次は――ごほごほっ……」

「ちょ、町長」

「すまん、最後に皆に言って回ってくれ、最後までお前たちと生きてこれてよかったと……こんな俺についてきてくれてありがとうとな」


 子供や高齢者等から床に伏し、既に動けるものは若者の一部のみだ。最終手段として、他の町に移住するという方法もあったが、全員がこの町から出ることを拒んでいた。

 既に各々覚悟は済ませてある。最後までこの町で全員で、それが共通の望みだ。

 

 ただ、もしも次があるのならば……。




 その頃、テクテクはミルクを準備し10本だけ準備して久々に町を降りようとしていた。

 町の外れであるため町民の声が聞こえるわえもなく、彼女は今の惨状にまだ気がついていなかった。ただ、時折見える外出している米粒みたいな人々の数が少ないことだけが気になっていた。


「もしかしたら、結構深刻なことになっているのかも。また行って怒られるかもしれないけど……でも、私が怒られるだけなら被害を被るのは私だけだし、別にいいよね?」


 誰に語るでもなく、自問自答を行う。


「それに、もしかしたら食料とか不足していて、今ならミルクも受け入れてくれるかもしれない。うん、モノは試しだ! ダメだったらその時また考えよう‼」


 別にテクテクは聖人でも何でもない。もちろんそこには人間らしい打算もある。町の皆にされた行為は勿論嫌だったし、悲しい思いも沢山した。それでも、人を憎むことだけはしなかった。


「今日はお試しとして数本だけだから私だけでも持てるわ。ミノちゃんはお留守番しておいて!」

「モ~」


 今日こそ飲んでくれるといいな、それがきっかけで少しでも仲良くなれるといいな。そう思いながらテクテクは丘を下って行った。


「あれ? なんだか何時もより静かじゃない……? それになんだか変な匂いが……」


 町へ近づくにつれ、テクテクは異変に気が付いた。あれだけ活気のあった町からは、人々の声が一切しない。それに、ツンとした酸っぱい匂いがテクテクの鼻を通り抜けた。

 何となく嫌な感じを覚えたテクテクは、自然と早足に、そして駆け足で進んでいく。その時、不意に横の草むらからガサっとした音が聞こえた。


「誰っ?」


 音の方に目を向けると、そこには一人の少年がいた。その指には1匹のてんとう虫が捕まっていた。

 少年はテクテクの声にびくっとし、その動きを止める。そして、両手で大切そうにそのてんとう虫を包み込んだ。


「こ、この虫は俺が捕まえたんだぞ! か、かーちゃんに少しでも何か食べさせてあげるんだ! お前なんかにはやらないぞ‼」


 その生意気なしゃべり方、つり目でボサボサした茶色い頭。あの日、テクテクの売っていたミルク瓶を叩き割った少年だった。

 そんな少年に対して、テクテクは悲しみ、怒りがわいた。きつく当たられたことにではない。ここまでひっ迫した状況であることに気が付かず、のうのうと暮らしていた自分に対してだ。

 少年は、あの時とは違い風貌ががらりと変わっていた。くぼんだ眼球、血の気の失せた顔色、そして、呼吸も何処か不規則だ。


「かーちゃん、今行くから――ごはっごほっぼぇっ」


 突如、少年の口の中から血を吐いた。真っ赤な鮮血が地面を染め、そのまま少年は倒れ込んだ。

 少年の指からてんとう虫が零れ落ち、遥か彼方へ飛んでいく。そして、少年の命も、この世から零れ落ち――。


「死なせない‼」


 テクテクは背負っていたミルクを1瓶取り出した。少年を抱き起し、その口へミルクを流し込む。しかし、意識もないため口から零れ落ちてしまう。それに対し、テクテクは何のためらいもなく自身の口にミルクを含み、そのまま少年の口の中へ流し込んだ。


 テクテクと町民の間で、もう一つだけミルクに対する認識が違っていた。テクテクのミルクは、傷を、そして病を癒す。テクテクにとっては日常的な飲み物であり、当たり前すぎてすっかり忘れていたその効能。


 少年の喉がこくりとなり、ミルクが体の中に注がれる。先程まで不規則で弱弱しかった呼吸は次第に落ち着き安定した。それに伴い、少年に流し込まれるミルクの量も徐々に増え、次第に少年は意識を取り戻した。


「んっ……ん~!?」

「ぷはぁ、気が付いた? もう大丈夫?」


 少年は目の前にある可愛らしい整った顔、そして、ミルクで濡れた瑞々しい唇へと視線が徐々に移り、先ほどまで苦しいけど軟らかかった感触を思い出す。そして、脳が状況を理解した瞬間、湯沸かし器のように一瞬で顔が沸騰した。


「お、おま、おまおまおまおま……」


 もはや声にならない声が少年の口から漏れた。それに構わず、テクテクは少年の顔を、その瞳を、呼吸状態を、そして脈拍を確認する。そして、完全に少年が死の淵から戻ってこれたことを確認すると、安堵の息を吐き少年に抱き着いた。


「よかった……本当に良かった。死ななくて本当に良かった!」


 まだそう遠くない、祖父の死。受け入れることは出来たが、納得はしていない。もしかしたら、もう少し早く見つけていたら1日、2日と少しでも生きられたかもしれない。そんな思いが無いといえば嘘であった。

 今回、少年を救うことが出来たことで、テクテクは祖父の死を本当の意味で乗り越えることが出来たかもしれない。

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