第7話 ミルクを無償提供してみた

 しばらくすると、少年は恥ずかしさを隠すようにテクテクを押しのけ立ち上がる。そして気が付いた。呼吸が楽になっていること、そして体も軽くなり、お腹も満たされていた。先程まであった飢えもない。


「ねーちゃん、一体俺に何を飲ませたんだよ?」


 前回とは違い、少年は純粋な疑問をテクテクに投げかけた。口の中に残っているそれは、今まで味わったことのないクリーミーな甘みを残していた。


「ふっふっふ、それはね……この、ミノちゃん印の搾りたてミルクよ‼」


 テクテクは背中に背負っているそれを取り出し、誇らしげに掲げた。この時を待っていたと言わんばかりの誇らしげな顔だ。


「え、ミルクってあのミルク!? でも、だって聞いていた味や匂いと全然違うし、そもそもミルクなんかで病気が治るわけ――」

「だから言ったでしょ? 特製ミルクだって。他のミルクがどんなものか知らないけど、ミノちゃんのミルクはどんな怪我や病も吹飛ばす最高のミルクなのよ! それにしても病気ってどういうこと?」


 森で過ごしていたテクテクは、時々誰もが知っている常識や知識を持っていないことも多い。ある程度は本で読んだりして補えていたが、健康であるがゆえに病気の類に関してはまだちゃんと読んだことは無かった。


「そ、そうだ。この際そのミルクがどんなものであるのかどうでもいい。本当に病が治せるなら俺はどうなっても良いから。その飲み物でわさわさ病を、かーちゃんを、皆を救ってくれ!」


 わさわさ病。それは罹患するが最後、菌がわさわさと一気に広がり肺全体が炎症、そして菌は気管も傷つけ血を吐いたり、気道浮腫を引き起こし呼吸困難、そして死を招く恐ろしい伝染病である。ある程度の抵抗力があれば罹患することもなかったが、食事もまともに取れず栄養状態が低下した状態では防ぎようが無かった。それに加え、飢餓により衛生面に割く労力もなく、それがわさわさ病の流行に拍車をかけていた。


 少年は藁にも縋る思いでテクテクを自分の家まで案内しようと手を引く。しかし、テクテクはそこから動こうとしなかった。


「まって、無理だわ」

「無理って! だって俺はこうして……」


 騒ぎ出した少年の口に人差し指を添えて、テクテクは片目を閉じた。


「落ち着いて、全員救うのでしょ? それじゃあ今持ってきているミルクだけだは足りないわ。ミノちゃんを連れてこないと、ね?」


 その頼もしい笑顔は、太陽のように眩しい。それは、いたいけな少年の理想の女性像が確立した瞬間でもあった。


「ありがとう、それと、この前はごめんなさい」

「え?」

「ほ、ほら、早くそのミノちゃんとやらを連れてくるんだろ? 俺も何でもするから急がないと」


 少年は誤魔化す様にまくし立て、テクテクを急かした。そんな少年の態度にテクテクは微笑を浮かべた。


 彼なら、彼だったら――。


「分かったわ。取り合えず、これを渡すから君は先に家族を助けてあげて」


 テクテクから3本のミルクを手渡された少年は力強く頷くと、自宅へ向かって駆けて行った。テクテクはそのしっかりした足取りを確認し、丘へ向かって踵を返した。


 彼なら――初めてのになれるかもしれない。



 

 丘まで急いで戻ると、何か感じ取っていたのか空の瓶を荷車に積んだミノちゃんが既に準備万端で待ち構えていた。そして、テクテクに背に乗る様に促す。


「流石ミノちゃん、仕事が早い!」

「モ~!」


 振り落とされるなよ? と、言わんばかりにひと鳴きしたミノちゃんは、競走馬も顔真っ青な速度で丘を駆けて下って行った。

 程なくして町の役場までたどり着いたテクテクは遠慮もせずズカズカ中へ入り込んだ。

 そして、たどり着いた先には町長が布団の上で横たわっていた。


「誰かと思えばよそ者の小娘か……いや、ごほっ、よそ者とかそんな言い方は駄目だったな。それで、確か、そうだ、テクテクと言ったな」


 町長はテクテクの姿を視界に収めると、自虐のように話し始めた。


「ごほっ、見た所お前は元気そうだな。散々な仕打ちをしてきた俺たちのことを嘲笑いにでもきたのか? それも仕方のないことだろう。どんな罵詈雑言でも受け止める。謝ってすむことではないし、ごほっ、お前も気が済まんだろう。なに、ただの自己満足にすぎないが、それでもどうせ最後だ。言わせてくれ、申し訳な――んっく」

「最後じゃないですし、謝罪とかどうでもいいので早く元気になってください!」


 テクテクは会話の途中であるにも関わらず、容赦なく口にミルクを瓶ごと突っ込んだ。


「ぷはっ、な、何をして……って体が軽い? それに息苦しさもない」


 町長は瞬時に回復した体に驚きを隠せなかった。そして、その効果を発揮する物に一つ思い当たっていた。一部の大金持ちや貴族のみが王都で購入できるポーションという代物、それがこのように瞬時に体力等を回復させることが可能であると、中には病気をも瞬時に回復できるものもあると聞いたことがあった。

 しかし、それとは異なるものであることを直ぐに思い知らされた。口に突っ込まれていた瓶を手に取る。それには見覚えがあった。目の前の少女が広場で販売していたあのミルクだ。


「このミルクは……」

「はい、ミノちゃんの特製ミルクです。これを飲めば病気や怪我を治すことが出来ます。なにより、美味しいです」

「………………はぁ、何はともあれ、俺はやり直すチャンスを与えてもらえたということか」


 町長は、自身の理解が及ばない内容を長い沈黙の間に咀嚼し、丸呑みした。今はこのミルクさえあれば町民を救えるかもしれない、その事実さえ理解できれば十分であった。


「テクテク、さん、貴方が俺たちを助けてくれるというのか? いくら払えば、いくら払えば助けてくれるんだ?」

 

 普通であれば、こんな効能の薬1本あれば王都で家1軒買ってもおつりがくるだろう。しかし、そんなものが大量にあるわけない。瓶は同じでも、きっと中身は特別な調合を施したミルクに違いないと町長は考えていた。

 普通に考えてそんなものを無償で、しかも散々冷たく当たってきた人間に渡すわけがない。せめて小さい子供たちの分だけでも交渉で入手出来れば……、そんな意味を込めた問いかけあった。

 

「いくら? いいえ、1本たりとも売るつもりはありません」


 町長の希望を打ち砕く、まさに天国から地獄への宣言であった。


「ははは、そうだよな、そんな高価なものを俺たちに売るわけ……でもならなんで俺を……」

「え? こんな状況でお金をとるわけないじゃないですか! ほら、動けるようになったのでしたら手伝ってください! 私一人では手が足りないんですから。あ、もし味が気に入ったら2本目からは100Gで購入して下さいね? 心配しなくてもお腹を壊すこともありませんし、それに――」


 テクテクが役場の外へ向かいつつミルクの素晴らしさを伝えようと口早に語る。そんな声を聴きつつ、町長は片手で目を覆い、天を仰いだ。


(ああ、そうか。これが、この人こそが理想の人間の姿か……)


 そして、新たな決意を胸に、町長はテクテクの後に続いた。


 

 まさかと、町長は最初は驚いた。本当に目の前でテクテクがミルクを絞り始めたからだ。しかし、匂いの見た目も確かに先程のミルクと同様であり、効能も相違なかった。


 普通のミルクはそんな効能などあるはずはない。町長は昔、自身でミルクを絞った経験もあるためそれは当然の考えであった。違いがあるとなれば、あの牛か、それともテクテク本人か。

 そうして、様子を改めて伺うと、一瞬搾っているテクテクの手が一際明るくなっていることに気が付いた。

 試しに、町長はテクテクにお願いして1度だけ絞らせてもらった。その結果、味は変わりなかった。つまり、あの牛も普通の牛とは違うということが分かった。しかし、病気が治るなんていうことは一向に無かった。その意味が表すことは……。


 それからは家族をつれた少年も加わり、怒涛の時間が過ぎた。テクテクがミルクを搾り、それを体力の回復した者たちが床に臥せている者たちへ飲ませいく。そしてテクテクの下へ戻り新たなミルクを手に持ち、別の家へ。

 この頃になると、ミルクに対する嫌悪感は既にみられなくなっていた。


 いつの間にか、曇り空から太陽が顔をのぞかせ、町全体に燦々と陽光が降り注いでいた。


 そうして誰一人欠けることなく、住民は救われた。

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