第4話 立ち直ってみた

 雨足は一向に弱まることなく、容赦なく降り注ぎ川の水位を上昇させていた。

氾濫の危険性もあるが、テクテクは広場からまだ動ける精神状態ではなかった。

 幸いにも、この土砂降りの雨のおかげで周囲に人影はない。ミノちゃんはテクテクの腰を尻尾で抱きかかえ、自身の背に乗せる。


「ありがとう……」


 なんとかお礼を言うも、やはりその声に元気はない。ミノちゃんはやれやれと、そのまま荷車を引いて自宅へと引き換えした。



「ただいま……」


 玄関先でそっと背中から降ろされたテクテクは、なんとか自身の足で歩いて自宅の中へと入っていった。

 ミノちゃんはそのまま荷車を倉庫の前まで移動させ、積荷を倉庫内へ片付けた。それから、テクテクの後を追い、そっと自宅内へ足へ踏み入れる。案の定、テクテクは椅子に座ったまま俯いていた。濡れたままでだ。

 本日何度目かの溜息を吐いたミノちゃんは、テクテクの頭へふわっと1枚のタオルを被せた。


「ミノちゃん……」


 ミノちゃんを見るテクテクの目は、いつもの爛々としたコバルトブルーではなく、濁りの混じった危うい色をしていた。ミノちゃんは手のかかるご主人様だと、被せたタオルを力いっぱいゴシゴシと動かした。


「や、ちょっ、ミノちゃん、ミノちゃん痛いって! まって、本当に痛い‼ 痛い痛い痛い‼」


 あまりの痛さに思わず素に戻るテクテク。ミノちゃんはそれに構わず、次は鼻から熱風を吹き出した。


「あぁ、次は熱い、熱いよミノちゃん! まって! 落ち着いてミノちゃん!」


 ミノちゃんはどんな言葉も右から左へと受け流し、テクテクの身体全体にそのまま熱風を浴びせ続けた。


「うぅ、待ってって何回も言ったのに……酷いよミノちゃん……」


 そうして5分後、先ほどまでずぶ濡れだったテクテクの体はすっかり乾き、テクテク自身も軽口を交わせるほどまで回復していた。恨めしそうにミノちゃんを見るその目はいつもの輝きを取り返しつつあった。


「モ~」

「あいたっ」


 ここまでやればそろそろ大丈夫だろうと、最後に落ち込むな、元気を出せという気持ちを込めて、ミノちゃんは尻尾でデコピンならぬデコペンをお見舞いした。


「はぁ、ごめんね。そうだよね、頑張ってくれたミノちゃんがそんななのに私がウジウジウジウジ悩むなんて……。本当は私がミノちゃんを支えてあげないといけないのにね。んー、私らしくない‼ はい、落ち込むのは終わり‼ 取り合えず今日は寝て明日からまた考えよう‼ ……ありがとう、ミノちゃん」


 テクテクは赤くなったおでこをさすりつつ、いつの間にか優しく頭を撫でてくれているミノちゃんに向かって、作り物ではない笑顔を浮かべた。


 相変わらず、容赦のない雨が家の壁を叩きつける。大量に在庫を抱えたミルクの処理方法の目途も全く立っていない。なにより、生活するための路銀もなければ、食料も殆ど底をついている。

 しかし、ミノちゃんに不安は全くなかった。何故なら、自分の主人は神々に愛されているのだから……。



 人も動物も寝静まった深夜、とある倉庫で内緒話が繰り広げられていた。


「ねえねえ、なんか良い匂いしない?」

「本当だ! この匂いは、ミルクだー‼」

「最近ミルクなんて見かけることなかったのにね」

「これは、仲間たちも呼んでこないと。久々にミルク祭りだ‼」

「まっつり! まっつり!」


 次第にその声の数は増えていった。


「ねー、やばくない?」

「やばいねやばいね!」

「どうしよう、全部飲んじゃった」

「久々すぎて、皆飲み貯めしちゃったね」

「んー、流石に全部なくなったらニンゲン困るよね?」

「もしかしたらもうミルク作ってくれないかもしれない」

「それは困る!」

「困る困る!」

「どうする?」

「どうしよう」

「そうだ! こんなのはどう?」

「なるほど!」

「それならいいよね」

「お返しお返し!」


 夜が明ける前、騒いでいた者たちが倉庫から出ていく。最初はコソコソ話していたが、最後の方では大きな声でどんちゃん騒ぎになっていた。もっとも、どれだけ大きな声を出しても、誰にもその声を聴かれることは無かっただろう。




「んー、良く寝た! よし、今日もがんばるぞ‼」


 昨日と違い、テクテクの顔は晴れていた。元々負けず嫌いの性格だ。昨日まではひどく落ち込んでいたが、今では意地でも町の人たちにミルクを飲ませてやると意気込んでいた。


「方法は追々考えるとして、目下の問題は、あの大量のミルクをどうするかよね。流石に私一人で全部飲むのは無理――いや、1日50杯なら頑張ればいけるかな?」


 無謀なことを考えつつ、未だに止まない雨の中、テクテクはミルクの状態を見るために倉庫へとやってきた。


「モ~」

「あ、ミノちゃんもおはよう!」


 テクテクは振り返り、笑顔で挨拶を交わす。相変わらず濡れることの知らないミノちゃんが、大きなあくびをしながらテクテクの下へとのんびりやってきた。


「でね? 私としては肉体労働している人に『今日も暑いですね~、あ、喉乾きません? これどうぞっ』ってこっそりミルクを渡すって方法が良いと思うのよ。喉が渇いているから思わず飲んじゃうはず。そうしてその人はこう言うわ『な、なんて旨い飲み物だ。これは一体……』」

「NO~」

「え? あ、でね? そうしたら私はこう言うの『ふふ、それは私のミノちゃんが作ったミルクですよ』って」


 テクテクの考えに対して、それは無いと鳴き声で抗議したが、ミノちゃんの声は軽くスルーされていた。


「どう? ねえ、これ良いと思わない? ねーミノちゃん聞いてる? ねーってばー!」

「モッ……」

「え? どうしたの? 倉庫の中に何か……」


 ミノちゃんの方を向きながら倉庫を開けていたため、テクテクは直ぐには気が付かなかった。普段は絶対しない顔をミノちゃんがしており、思わずその視線の先へ目を向ける。そうして目に飛び込んできた光景を見て、テクテクもミノちゃんと同じく目が点になった。


 ミノちゃんが確かに倉庫の棚へとしまっていた瓶は、倉庫の隅に積み上げられていた。しかし、どんな片づけ方をしていたのかを知らないテクテクは、それだけならば別段驚きはしない。

 問題は地面に転がる空の瓶、しかも無造作に置かれているわけでは無かった。


『ミルクアリガトウ! マタヨロシク!!』


 そんなカタコトの文字が瓶で表されていた。


 それだけではない、その文字の近くに積み上げられていた金貨と銀貨、その額10万Gにも昇る。それに加えて、もともとミルクを保管していた棚には、小麦や白米、野菜等の食物がこれでもかと詰め込まれていた。


「え? ミノちゃんどういうこと?」

「モ~?」


 2人して摩訶不思議な現象に首をかしげる。しばらく二人で首をかしげていたが、雨足がさらに酷くなったため、急いで倉庫を片付けて自宅へと戻った。

 

 雨はまだまだ上がらない。


 テクテクとミノちゃんは、あの謎の現象は何だったのかと自宅へ籠って話し合っていた。テクテクは、話に夢中で食事の時間を忘れていたため、何時ものように空腹が刻一刻と迫ろうとしていた。

 

 その頃、町の大人たちも役場へ集って話し合っていた。この町にも今までにない未曽有の危機が迫ろうとしていた。






 

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