第3話 ミルクを絞ってみた
太陽が水平線から顔を出し、暗闇の世界が仄かに明るくなる。そんな時間から一人の少女がせっせと木を削っていた。
「瓶が完成していたことに満足して、すっかり蓋のことを忘れてたー」
少女は泣きながらも木を円錐台に削り丁寧にヤスリがけをしていく。とても細かい作業になるため、ミノちゃんは入眠中だ。
「でも、早く皆に飲ませてあげたいし頑張らないと‼」
そうして少女は飲み食いも忘れて、再び太陽が水平線から消えるまで永遠と作業を続けた。
「ふぅ、これでお~わりっと! ふぅ、疲れた~」
テクテクは完成した瓶の蓋を倉庫へ仕舞い、そのまま平原で大の字で寝転がった。何処からともなく飛んできたてんとう虫が、可愛らしいお鼻にちょこんと止まるが、振り払う気力もない。
「ちょっと、てんとう虫さん鼻の上でもぞもぞしないで~、こそばゆいって~ってわぷっ」
いつの間にか近づいてきていたミノちゃんが、ふさふさの尻尾でテクテクの顔を振り払う。てんとう虫は、この場所はヤベェとテクテクの鼻から離れ、そのまま遠くへ飛んで行った。
「ばいばい、てんとう虫さん。次は私が元気な時に遊びに来てね」
「モ~」
「ありがとうミノちゃん。もう一歩も歩けないよ~」
地面にへたり込んでいるテクテクを、ミノちゃんが自慢の尻尾で手を引いて起き上がらせた。しかし、テクテクは立ち上がったはいいが、足はプルプルと震えてまるで生まれたての小鹿のようだ。
「モ~」
ミノちゃんは溜息を吐き、手から尻尾を離してテクテクの腰に巻き付ける。
「わ、きゃっ。自分で歩くから大丈夫だって!ちゃんとベッドで寝る、ベッドで寝るから」
テクテクが色々叫んでいるが、前科がある。ミノちゃんは無視して持ち上げ、そのまま家の中へ直行した。
「ちょっとミノちゃーん」
テクテクのなんとも情けない声が、満天の星空に暫く響いていた。
「よ~し、頑張るぞ!」
翌朝、しっかりと朝食をとったテクテクはやる気に燃えていた。
「それではミノちゃん、宜しくお願いします」
「モ~」
テクテクとミノちゃんは瓶と蓋が保管されている倉庫の前へやってきていた。テクテクは瓶と蓋を倉庫から取り出し、ミノちゃんの横へ並べる。そうして、準備が終わるとしゃがみ込んだ。
「今日も美味しいミルクお願いします!」
「モ~」
テクテクは左手に瓶を持ち、右手でミノちゃんの乳房を手に取った。そうして右手を動かし優しく乳房を包み込む。そうして片手で乳房を搾り、ミルクを瓶へと注いでいった。この時、テクテクの右手が白い光で包まれていたのだが、そのことに本人は気がついていなかった。
「今日も良い感じに出てるよミノちゃん」
瓶にミルクを注いでは蓋をして箱へ入れる。そしてまた、瓶を手に持ち同じ行為を繰り返す。その間、ミノちゃんは動くことなくテクテクに乳を委ねていた。
それから数時間後、作成した瓶全てがミノちゃんのミルクで満たされた。
「ミノちゃんありがとう、お疲れ様!」
「モモ~」
テクテクは立ち上がり、額の汗をタオルで拭いつつ、ミノちゃんの頭を優しく撫でる。ミノちゃんはテクテクもお疲れ様と言わんばかりに、尻尾でエメラルドの髪をポフポフと撫で返した。
「まだ昼前だからちょうど良いいかな?」
時刻は太陽が真上に至る前、テクテクは荷車に搾りたてのミルクを積んで、丘を下ることにした。
町の中央広場では、買い物帰りや丁度昼食を食べに定食屋へ行く人など、様々な人で溢れていた。テクテクは広場にたどり着くと、お手製ののぼりを掲げて声を張り上げた。
「皆さ~ん、お昼に一杯、美味しい美味しいミルクは如何ですか? ミルク1本100G、搾りたてのミルク1本100Gです。是非如何ですか~?」
「モ~」
町の人たちは大きな声にいったい何事かと振り返るが、売り物がミルク、そして売っているのが件のよそ者であると認識すると、興味を失いまるで誰もいないかのように素通りした。
「この子から搾ったミルクですよ!鮮度抜群、美味しさも保証します!如何ですか~」
まだ、素通りするだけならいい方だろう、なんせ無害なのだから。しかし、中にはひそひそと陰口をたたく人たちも沢山いた。
「まぁ、あの子ったらミルクなんてものを売っているわよ」
「100G支払ってお腹を壊すとかなんの罰ゲームなのかしらね?」
「まぁ、例えミルクでなかったとしても、よそ者のあの子から誰も買おうとはしないけどね」
主婦勢に至ってはもはや陰口でもなんでもない。あえてテクテクに聞こえるように大声で話していた。
「初回サービス、1本50Gでならどうですか?きっと1回飲んでみたら美味しさ分かりますから。いや、え~い、今日だけ、お試しに1杯だけ無料でお飲みください! それで美味しければ是非購入してみてください!」
「モモモ~!」
諦めずに声を張り上げるも、誰一人として見向きもしなかった。そうして声を出し続けること2時間、ついには昼どきを過ぎて、中央広場の人はまばらになっていた。
そんな時、一人の少年がテクテクの前で立ち止まった。
「ねーちゃん、何売ってるの?」
「あ、こんにちは。これはね、この子から今朝搾ったばかりのミルクなの。美味しいから是非1本飲んでみない?」
そういってテクテクは少年に1本の瓶を手渡した。少年はキョトンとした表情でそれを受け取った後、とびっきりの笑顔を浮かべた。
とびっきりの笑顔のまま、その瓶を力いっぱい地面に叩きつけた。
「えっ……」
「ぷっ、ねーちゃん、俺が言っているのは、なんでよそ者のねーちゃんがミルクなんて腹壊しの飲み物を俺たちに売り付けようとしてるの?ってこと。だれも売ってるものなんて聞いてないよ」
「腹壊し……?」
「そんなのも知らなかったの? これだからよそ者は、かーちゃん達が言ってることがよくわかったよ。っと、雨が降ってきた。それじゃあね、お馬鹿なねーちゃん」
テクテクは森で生活していたため、そして自身や祖父が飲んでいても身体に全く異変が無かったため知らなかった。世間では雑菌の入りやすいミルクはお腹を壊す飲み物としてしか認識されいないことを。そのため、牛自体が肉用でしか育てられていなかった。ミルクを飲む人間なんか既に存在していないのだ。
先ほどまで快晴だった空が、いつの間にか灰色の雲で覆われ、ポツポツと地面に染みを広げる。そして1分もたたないうちにそれは染みから水溜りへと変化し、低い場所へ流れていった。
地面に広がっていた白い液体も一緒に流されていった。
「はは、雨が降ってきちゃった。こんな中じゃもう売れないね。あーあ、結局売れ残っちゃった。商売って大変なんだね。一口飲んでくれば美味しさ分かるはずなんだけどな……。瓶の破片も誰かが怪我したら危ないから片付けないと……っ」
濡れた前髪で目元が隠され表情は見えない。テクテクの声だけは普段通りと変わりのない明るい声だった。しかし、ミノちゃんは分かっていた。
何故か濡れていないふさふさの尻尾をテクテクの目元へと持っていく。
「ミノちゃん……?」
「モ~」
困惑したテクテクはミノちゃん方に顔を向けたが、ミノはテクテクと逆の方に顔を向け、尻尾だけはテクテクの目元から離さなかった。
「はは、もうミノちゃんったら……本当にだいじょ――っ」
一度決壊したら止まらなかった。テクテクはその尻尾を両手で持ち、目元を押さえつける。
「……ねぇ、本当に……ねぇ、一杯出してくれたのに、無駄にしちゃって……本当にごめんねぇミノちゃん……うっ…くっ……えっく……」
ミノちゃんは何も鳴かず、テクテクが手を放すまでその時までじっと待った。
ミノちゃんは空を見上げる、雲はさらに分厚くなり、しばらく雨はやみそうになかった。
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