パクリ=テンプレともいう(笑)
私も、すごーくこのパクリに敏感になってて、ちょっとでも似ている作品を見つけ落ち込んでたんです。書き終わってからですが。
自分のオリジナリティの底が見えたような気がして。
でも、とある公募で大賞とった作品が、昔刊行された小説の題名から内容も似た設定だったんですよ。
それに気づいて、あっ、もう編集さんも許容範囲なのかと(笑)それか、知らないのかなーと。
もう、オリジナリティ気にしないようにしました(笑)
作者からの返信
なるほど、そうなのですね。
私も書き終えてから気づくということが度々ありまして。不思議なことに描いてる最中って全く気づかないんです。
知らない編集さんもいらっしゃるかもしれませんし、もしかすると仰るように知ってて大丈夫と見なしているのかもしれませんね。
ありがとうございます❗️
ちょっと色々と検討してみます。
僕はもう振り切ってオリジナリティってのは外部に決めてもらうもんだと思っています。以前、自作のエッセイでも書いたのですが、僕は自分で考えだしたものってないと思うんですよ。極論ですが日本語を使う限り1億人の日本人の言葉の使い方と闘わないといけないですし、人類で考えると1,000億人以上の人類の想像力とかぶらない考えを”発明”する必要がある。
そういう意味で、そこに「自分らしさ」を主張するのは無理があると思うんです。確率的にも誰かと同じ考えや表現になる可能性の方が高い。
だからこそ、僕の文章にはオリジナリティなんてないんですよ。僕の文章はすべて他人の言葉です。それは、他人の意見を意図的に引用した、という意味ではなく、無意識のうちに出てきた誰かの言葉の組み合わせなんです。僕が自分で作った造語以外はすでにあるものですから。
その意味で僕はすべてを外部にゆだねています。文章を読んで「僕らしい」と思って頂けるのであれば、それはその人にとっての「僕のオリジナリティ」だし、それは誇っていいものだと思っています。
言い換えれば、他人が「パクリだ」と思うことと、その作品が本当にパクリであるかどうかは独立だと思います。パクリかどうかは作者の主観だと思います。悪意を持っていたならパクリ、それ以外はパクリじゃない。誰が何を言おうとパクリかどうかは自分で決められるはず。
そして、同時にその作品にオリジナリティを感じるかどうかは作者から離れて、読者の主観だと思っています。
幸か不幸か人間の知識には限界がありますし、人間には差異がありますから。かなり似ている旋律でも話の流れでも、「誰が書いたか」「いつ知ったか」によってそこにオリジナリティを受け取り手が(勝手に)感じてしまう。
そんなものじゃないかなぁ、と思っています。
作品を良くするための分析や戦略は大事だと思いますが、オリジナルとは何かって考えると、誰も考えたことないような発明をするか、自分で言葉を作るしかないってなりそうな気がしています笑
作者からの返信
なるほど、自分で自身のオリジナリティについて考えるのはそもそも不毛な話なのかもしれませんね。
私は正直それを外部にゆだねる勇気がなかったというか、自分のこだわりに固執していたというか。
パクリでないはずなのに、それを指摘された時のことを考えて公開する勇気が持てなかったんです。創作者として必要なのは自身がパクリをしていないと知っていること。大事なのは毅然とした姿勢、作品を誇る姿勢であるのかなと。
そしてその心の壁を突破できなかった以上、それは世に出られる作品ではなかったということなのかもしれません。
展開が似ているとか非常に気になっちゃうんですよね。でも、オリジナリティを感じていた部分でさえどこかの誰かの言葉であるのかなと。
個人的にパクリでないと主張できない自信のなさもどうにかしたいんですよね。大丈夫と思いつつ不安になる。このままでは後悔すると思ったので公開を取りやめたのですが。
とにかく自信があるのに自信がない、自分でも本当に意味が分からない、非常に微妙なところを揺れ動いていまして。
とにかく人の顔色ばかり気にしていては書きたい作品も書けないですよね。本当に。
自分の言葉にオリジナリティは無い。だから頑張るところ、悩むところはそこではないよと胸に刻みつけて、よりよい作品を書けるように努力してまいりたいと思います。
目の覚めるようなご意見をありがとうございますm(__)m
オリジナル、つまりこれは自分だけの作品であり、自分にしか書けないものだ。
私もですね、そういう気持ちで作品を作っております。
そうでなかったら書く意味なんてありませんしね。
だから途中で似ているとか似すぎていると自分で思った時にいたたまれない気持ちになります。
それだけに奥森さんの気持ちもすごく分かる気がしています。
まぁオリジナルとパクリに関しては皆さん書いているでしょうから、私は自分なりの対処法など。
基本的に創作するときは『自分もこんな物語が書きたい!』だと思うわけです。
で、次に『自分だったらもっとこんな風にした作品を書きたい!』と発展し、いろいろ考えて書き始めます。
ここでポイントは自分がどこが面白かったのか『核』を把握することだと思います。
その核をマルッと別設定にして、元の設定から離して書くようにするのがいい方法だと思います。
この『核』と『設定』が一致してしまうのがコピーとかパクリと判断されてしまうのかな、と。
別設定にしてしまえばちゃんとオリジナルになると思うんですよね。
同じキャラクターを使おうとは思わないですし。
もっともそれでも似てくるところはあるわけで、そんなときはまぁ修正ですね。
せっかく生まれた物語、後ろ指さされるような子には育てたくないですから。
でもそんな風に苦労した作品はまた面白いものになると思ってます。
作者からの返信
なるほど、核を保持して丸々別作品にしてしまう……。
私、公開が無理だなと思って控えている作品がいくつかあるんですが、その手法を使えばみんな綺麗に生まれ変わるかもですね。
作品全部が無理な場合もその応用で、シーンごとの書きたいことをだけを残してシーンの入れ替えすれば、対処できるかもしれません。
目からウロコ、その発想がなかったです。
しかし、そうなると思い切った作品改革が必要ですね。
目が覚めた気分です。出来るかな、チャレンジですね。
時間はたっぷりあるので、まずは作品の核を把握することから。
後ろ指を指されたくない。そうなんですよね、私が一番気にしているのはまさにそこなんだと思います。
アドバイスありがとうございます、頑張ってみようと思います!
編集済
これは難しいですよね。。
マイルールとしては「意識していたか、いなかったか」というのが一番重要なので、奥森さんの『図らずも懸命に書き上げた作品が他作品と似てしまう』というのは私としては全然パクリではないということになりますね◎ もう遠慮なく公開してしまいます笑
ただ意識していたかいなかったかというのはもうあとから客観的に証明しようがないので、誰かから聞かれたときに「これは私の書いた作品だ」と心から言えるならそれが一番だと思います。書く前から影響受けてると認識してるならオマージュとして公言するという手もありますし。
書道で「奴書(どしょ)」という言葉がありまして。文字通り先人の書いた字の奴隷になっているという意味なのですが、私も一時これに陥ってスランプになったことがあります苦笑。もう書いても書いても自分の字じゃないみたいで気に入らないみたいな。
同じモチーフを使って同じテーマを扱うにしても、どう編み込むかはその人次第といいますか。今この時代を生きていて、いままでの人生で自分が見てきたものも経験してきたものも影響を受けた作品の作者さんとは違うでしょうから、自分の感性でいいと思える作品なら胸張っていいかなと、思いながら書いてます(>_<)
作者からの返信
意識していなくて似てしまった作品はパクリではない、なるほど。確かにそのシーンによって演出したいことは各々違いますし、偶然の一致ならば気にしないと考えることも創作者としては重要なことかもしれませんね。そうした思考は自身が培ってきた感覚で書き上げた作品であるという自負から生まれる物なのかなと感じました。
「これは私の書いた作品だ」、時折似ていると感じつつも全ての作品に対してそのような思いがありますし、それならば誰も文句は言えない話なのかもしれません。
奴書、とても興味深い言葉ですね。書いても書いても誰かの模倣のように感じられる。今の私も若干そのような状態に陥っているのかなと思います。
類似点って探せば探すほど出てくるのですよね。それではいけない。自身で信じた作品を自分で貶める行為はやめようと思います。
自身の感覚で文章を綴ること、出来上がった作品の精神や込めた物まで同じということはあり得ませんからね。そこはやはりオリジナルであると信じたいです。
自信を持って作品作りに臨みたく思います。
胸を張るべし('◇')ゞ!!
編集済
究極論で言えばオリジナルは殆ど存在しないと思います。
だからこそ、自分の中に物語を持ち、自分の文章を追求し、模倣される側になるのが理想(どのくらいの高みだよ!)ですよね。
現実的には主流は追うが流行は追わないを意識して書くのがやっとです(出来ているかは不明!)
それでも、私の血は今まで読んで来た小説を主成分に少年ジャンプなどの漫画、ドラクエ、ファイナルファンタジー等のゲーム、それに特撮などが栄養素として加わり、その他にもアニメ、映画や音楽などでもドーピングされてますから、影響は出てますね。それをパクリと言われれば、私は「はい」としか言えません。
漫画界にはこんな格言があるそうです。「大概の事(あっと言うようなストーリー展開や斬新な設定)は神様(手塚治虫先生)がもうやってしまった」
うーん、なるほどと言うしかありません。
私も誰も見たことのない、多くの人と自分が楽しめる新しいお話しをいつか作りたいです!それこそがオリジナルの在りかなんだと思います。
作者からの返信
世の中のすべての創作物は既存のアイデアの焼きまわし、完全なオリジナルなんて物は生まれてこないのかもしれません。
模倣される側に回りたいですよね。人のアイデアを追うというのはやはり心地よくありませんし。ただ、やっぱり似てしまう状況を私が回避できないのはまだまだ独自の発想に至れていない証拠なのでしょうね。
ほとんどの人のインプットはやはり松乃木さんが挙げられたような創作物から始まるでしょう。私もジャンプ読んで創作に足を突っ込んだ口なので。だからアイデアが似てしまうのかなと。
それでは独自の発想を持つためには何をすべきか。恐らくそれ以外のアイデアのインプットだと思います。創作に必要なものは創作以外から学び取る。それを考えると私はインプット不足です。
素晴らしい車の知識、古の文化への興味、脳科学的なこと。松乃木さんの作品と比べるとやっぱり私の知識は浅いです。もっと掘り下げて探求しなくては(;´Д`)
誰も読んだことのない作品を一度書いてみたいですよね(*´ω`*)
丁度ある漫画アプリで連載が始まった作品が、既存の作品のパクリだと叩かれていました。
けど多少設定が似るのは、仕方がないと思っています。仮に参考にしたとしても、作品独自の色が出せれば、それはオリジナルと言えるって思います。
例えば悪役令嬢に転生して死ぬのを回避する話なんかはたくさんありますけど、普通に考えたらこんなに設定もやる事も同じなのに良いのかってなりますけど、読んでみたらどれもその作品にしかない何かを持っているのですよね。
そういえば自分も自作を読み返していると、途中の展開や台詞が別作品のものに似ていることに気づきました。
一応それは書き直しましたけど、偶然似ることってありますよね。特に好きな作品、何度も読んだ小説なら、無意識のうちに同じ表現になっていたり。
丸コピは当然ダメですけど、意図せず似てしまったものにまで目くじらを立てていたら、創作そのものができなくなりそうです。
今の時代、どれとも似ていない作品なんてほとんど無いのですから(^_^;)
作者からの返信
どんな作品でもパクリと叩く人はいるわけで、誰もが新しいと感じる作品は逆に無いのかもですね。作品独自の色、我々が注力しなければならないのはまさにそこかもしれません。
類似作品も皆さん読んだりするのですよね。むしろ類似作品だから読まれるのかもしれません。物語のパターンとは読者にとってある種心地のいい物で、そうして好まれた物が結果的にジャンルという物になっていくのかなと思います。
大きなジャンルの中で独自の色を持たせる。状況の理解しやすさとオリジナリティ、そこに皆さん惹きつけられるのかもしれません。
偶然似るってのもよくある話なのかもしれませんね。私も渾身のアイデアだと思って描いたものが似ていたりするので。
家族に相談したらやっぱり、それでは誰も創作出来なくなると言われました。
何にも似ていない作品を書くというのは難題かもしれませんね。
よく自身と相談してみようと思います。
編集済
私は逆に、この話すげー面白い!私もこういうの書きたい!みたいな発想があるために、オリジナリティについては色々と考えた事があります。
本文でも書かれていますが、広い意味で捉えると、この世の物語は全て他の作品のパクリであるーーっていうのは割と真理だと思いますが、その線引きはどこにあるのか?っていう話ですよね。
個人的な感性で線引きすると〝そのまま使っているかどうか〟が鍵になってくるのだと思います。
例えば、設定が全く同じである、とか、エピソードが同じである、とか、会話が同じである、とか、名前が同じ、とか。
盗作だと騒がれる作品っていうのは、具体的な、表面的な使い方が〝そのまま〟なんですよね。
逆に言うと、本質的な部分(同じ種類の面白さである)というのは別作品として受け入れられます。
例えば、カッコいい雰囲気の名前のパターンだったり、同じボッチネタのエピソードにしても、その人物がダメなことなんじゃないかと自覚しつつも、それに強がっている様が面白い、とか。
他にも例を上げるなら、ループモノには様々な種類がありますが、その一つ一つがパクリだと言われる事はなく、そういうジャンルである、という認識ですよね。
ループモノの面白さって、登場人物が終わりの見えない苦境に立たされて、そこから抜け出す様だと思うのです。そこを満たしており、そのループの陥り方や解決の仕方が違うからこそ、本質は同じなのに受け入れられる。
何かを参考にするというのは、とても良い考え方で、そこに間違いはないのだと思います。
ただ、その面白いと感じた対象が、なぜ面白いのか?といった本質を捉えて、そこを自分の作品に落とし込むのが重要なんじゃないかな?って思ったりしました!
ただし、まるで知らないのにネタが被るというのだけは辛いですね……。そこだけは運が悪かった、もっと早く発表すれば……みたいな純粋な話で……でも、書き物なら研究などとは違って加筆修正でなんとかなる可能性もあるだけマシかも知れませんね?大汗
加筆修正お疲れ様です!
頑張って下さいb
※少しだけループのところ追記しました。
作者からの返信
星浦さんのこの私の悩みを的確に言語化する能力素晴らしいなと笑
そうなんです、言いたかったのはそういうことなんです。
全くの新しいアイデアなんて物はもう生まれてこなくて、全てはアイデアの焼き直し。その状況でどうやってオリジナリティを生み出すのか。その線引きがすごく難しいなと感じていました。
現在生まれて来る作品群を見ても「あっ、コレパクリだ」とはほぼならないわけで、でも世を探してみるとどこかしら似た作品はある。でも、それをパクリと叩く人はほぼいません。ほとんどは世に受け入れられます。
盗作についてネットを調べたら、盗作といわれるものには明らかな類似点があって基本的に固有名詞を変えただけで大筋をパクっているという物が出てきました。個人的にもやり過ぎだと感じる物があって、そうしてパクられたものには作品に込めた作者の魂を感じないのかもしれません。表面的に同じである、確かにそのとおりであるなと感じます。
実は盗作について考えた時に私も偶然ループものを思い浮かべておりまして、時かけと近年の映画作品、ちょっと似ているなあと感じていたんです。それでも世に出て人々に認められる。本質は同じでも、その作品独自の解決策を打ち出しているからなのでしょうね。
私の場合はネタを意識していないのに書いた後で気付くということが多いです。深層心理で何かしらの影響を受けてその作品が出来上がるのかもしれません。
折角書いたものが似ていたら辛いですね、だからアイデアの吟味が必要なのかもしれません。
温かいお言葉をありがとうございます!
よく考えて試行錯誤してみたいと思います(*´ω`*)
編集済
自分も、例え展開や設定が似ていようと、よほどのことがない限りパクリにはならない思います。
例えば、『異世界に転生して使えない能力を手にいれたと思ったら、実は最強だった。ヒロインが複数登場し、主人公はモテモテ』なんて話はたくさんありますが、もはやパクリではなく一大ジャンルになっています。
ただ、作者自身がどうしても引っ掛かる場合は、どうするべきかよく考えた方がいいかもしれません。
かくいう自分も、以前奥森さんにも読んでいただいた『初恋と幽霊』シリーズが、あるマンガに似ていると思い、現在非公開にしています。
話の構想自体は、そのマンガが始まる前からあったので、大丈夫かなと思い執筆・公開に踏み切ったのですが、自分自身どうしても、似てるよなと思ってしまったのです(>_<)
作者からの返信
パクリについても色々と調べたんです。
規定は私が思っているよりも緩やかで、仰るように余程の類似点が認められなければ盗作とはみなされないようです。でも、少し似ているだけでも気になっちゃうんですよね。
今流行りのヒロインに囲まれるハーレム系なんて確かにもう一つのジャンルになってしまっていますよね。ジャンルになればそれをパクリだという人はいません。
自分で引っ掛かっている限り試行錯誤は続くのでしょうね。
『初恋と幽霊』、拝読した限りでは全くそのように思いませんでした。
でも、誰が大丈夫といっても本人が一番気になっちゃうんですよね恐らく。
どんなに自分が先に発想した独自の物であっても、世に出た方が優先されてしまう。私も経験があります。全く以って理不尽だなと思う面も多々ありますよね。
自分の大事にしているアイデアと似たものが先に世に出てしまわないかとそんな不安もあります。
これは本当に難しいですよね(><)
こんなに物語があふれている中で、まったくのオリジナルというのは不可能だと思うので(><)
読まれた方が、そくざに「あ、これはあの作品に似ているな」と思うのでなければ、とりあえずはよいのではないかな、と思うのですけれど……。
もちろん、故意にパクるのは論外ですけれども!
作者からの返信
他人さまの作品を読んでいる時には全く気が付かないんですが、自作品のはもう気になって仕方がありません。先月までの自主企画でも「オリジナリティが気になっている」という方がいらして拝読したんですが、私は気にならなかったんでう。自分で書いたものは必要以上に気になる傾向にあるのかなと。作品の粗を一番知っているのも恐らく自分ですから。
実は似ていると妹に言われちゃったんですよね苦笑
パクリの範疇では全くないと言ってましたが。
ちょっと試行錯誤してみます。
自分でオリジナルだと思えば、それでいいのではないでしょうか。もし問題になったら、その時対処すればよいと思います。
また、全体ではオリジナルでも、部分部分では似たものがあるのは仕方がないと思います。極論すれば、念力でモノを動かすとか、ワープするとか、呪文を唱えると火の玉がでるとかも、模倣になってしまうので。
数字の書かれている玉を集めると龍が出てきて願い事を叶えるのは駄目でも、七色の宝石を集めたら妖精が出てきて願い事を叶えてくれえるのはありだと思います。すでにあるかもしれませんが…。
作者からの返信
なるほど、今の私に無いのはこれが自分のオリジナルだと主張する自信でしょうか。少しでも似ていると気になってしまい逃げてしまう傾向にあるのです。
特に当該作品は物語の根幹に関わる部分が似ているため気になってしまいました。
特殊能力を使って戦うバトル物も考えたことがあるんですが、世にそういう作品はすでに溢れているので、やっぱり躊躇してしまいます。そういう場合は能力に独自性を持たせて、オリジナルを演出することが不可欠なのかもしれません。
龍ではなく妖精、発想の転換ですね。
ありがとうございます、参考にさせて頂きます!
創作には、作り手の読書体験がどうしても反映されてしまう気がします。
異世界ファンタジーでもラブコメでも、似た作品が多く、WEB小説では特にパクリが多いかもしれませんね。
故意にパクるのはいけませんが、他作品の影響を受けるのは仕方ない気もします。
オリジナリティを追求していきたいですね。
作者からの返信
私も読書すると大きく影響受けて作品の雰囲気まで変わっちゃう人間なので、その辺は十分に気をつけないといけないですね(>_<)
WEB小説のパクリ、やはり世には類似品が多いですよね。コメント頂いて思ったのは類似品が溢れるとそれはパクリではなく一つのジャンルとして確立するのかなと。
今の流行りって分かんないです。何が流行っているのかな。
異世界転移や転生はもうすでに過去の物である気がします。
オリジナリティ、自分だけの物語を書きたくは思っているのですけどね。
インスパイアは誰しもあるのでとても難しい問題ですね…。
あと、これは持論ですがあらゆる創作物の9割は模倣(いわゆる同じような内容)で、残り1割がオリジナリティであると思います。
また読ませて頂きます!
作者からの返信
この問題に関しては今も悩んでいて、自分のオリジナルの作品だという自信はあるものの、やっぱり見直してみるとどこかの創作物に影響を受けているのではという箇所もある。とても難しい問題ですよね(;´Д`)