第37話「神をも恐れず弓引く人よ」

 アレサの突然の行動に、シズマは痛みも苦しみも忘れた。

 ただただ、柔らかなくちびるの感触が唇に触れてくる。

 そう、アレサの突然の口づけが、シズマの時間を止めてしまった。

 永遠に感じるかに思えた一瞬が、奇跡をもたらす。

 神はそれを見るなり、慌てて次の禁術きんじゅつを練り上げ始めた。


「おっと! そういう手もあるのか……人間には驚かされてばかりだ!」


 再び、メギドフレイムの暗い輝きが光を放つ。

 獄炎ごくえん奔流ほんりゅうが放たれた、その時にはすでにシズマは立ち上がっていた。全身にみなぎる力が、全てを消し去る地獄の業火を跳ね返す。

 一瞬にしてシズマは、高レベルの対魔法防御呪文を構築、発現させた。

 もう、全身をさいなむあの激痛はない。

 両腕にアレサを抱き上げたまま、彼は淡い光で炎を弾く。


「アレサ……君の魔力、確かに受け取った」


 そう、シズマの全身に満ち溢れる、それは

 再びシズマは、大賢者スペルマスター時代のように自分の魔力をリソースとして魔法を使っている。それをもたらしたのは、自分の外に己の魔力を放出できぬはずのアレサだ。

 アレサの体内には、人智を超えた巨大な魔力が眠っている。

 しかし、それを魔法として外に出すことができないのだ。

 民を守るハイエルフの姫君として、それは致命的な特異体質なのだった。


「だっ、誰にでもという訳ではありませんわ! そ、それに……貸すだけですの。あとでちゃんと……返して、くださいまし」


 真っ赤になって照れつつ、そっとアレサが首に手を回してくる。

 肉付きのいい彼女の、しっかりとした重みが温かい。

 シズマはそのまま、神との最後の決戦へと歩み出した。

 神もまた、驚きつつも平静さを取り繕う。


「そうか、魔族固有の魔法……ソウルブレス。自分の魔力を他者へ譲渡じょうとできる呪文だったね」

「ああ。ちょっと恥ずかしいけどな……けど、俺だって誰からでもいい訳じゃない。そして、恥じらう気持ちを推してアレサが俺に力をくれた。それを俺は今、強さに変える!」


 そう、以前ディリアも話していた、魔族の特殊な魔法だ。

 術者はくちづけを通して、相手へと魔力を分け与えることができる。そして、互いの呼吸を分かち合う中では、アレサの中に閉じ込められた魔力もまた、互いの間を行き交うことができるようだった。

 試したこともない筈だし、博打ばくちだったのだろう。

 だが、彼女は賭けに勝った。

 次はシズマが勝ってみせる番だった。


「神様、次で終わりにする……けど、俺はあなたに死んで欲しい訳じゃないんだ」

「そりゃ、ありがたいね。なら、どうするんだい? 私に今後も、このエルエデンを任せてくれるだろうか?」

「それはできない。神様の世界への献身は、人に犠牲を強いてまで必要じゃないだろ? それに、神様自身のためにしかならないなら、それはもう奇跡じゃない」

「平行線だね。面倒な少年を召喚してしまったものだ」


 そう言って、神様がメイコの両手を天へと高々と掲げる。

 巨大な火球が膨れ上がって、その燃え盛る熱量が周囲を熱波となって薙ぎ払う。

 最強の禁術の一つ、クエーサースフィアが煌々こうこうと輝いていた。さながら、地上に現出したもう一つの太陽である。その膨大な熱量は、触れる全てを灰燼かいじんに帰す。

 そして、神はさらにその力を何倍にも高めてゆく。

 既に火球の熱量は、周囲の空気を沸騰させん勢いだった。


「今の私なら、君から奪った魔力に倍加の能力を継ぎ足せる。純粋な魔法での勝負なら、君に勝ち目はないね、シズマッ!」

「……どうかな?」


 勝機、そして活路……シズマには見えていた。

 そして、見下ろせば腕の中でアレサもうなずく。

 言葉はなくとも、互いの瞳がつむぐ視線の中を、特別な感情が行き来していた。それは、以心伝心で最後の秘策を伝え合う。

 同時に、シズマたちの頭上に巨大な恒星が落ちてきた。

 真っ白な光の中に、全てが飲み込まれてゆく。

 だが、瞬時にシズマもまた無数の魔法を発動させていた。

 そう、数え切れない程大量の……たった一つの魔法を。


「……ほう? 耐えてみせるか、シズマッ! エルフの姫君のやり方だね。なら、さらに攻撃の手を強めるだけだ!」


 巨大なクレーターとなって、床が溶け落ちる。

 白煙が上がる中で、シズマは防御の光に己を包んでいた。

 そう、対魔法呪文のフォースレジストである。

 アレサがそうしていたように、何度も何度も繰り返し重ねた。アレサから譲り受けた魔力は、それを可能にするほどの質と量があったのだ。

 同時に、シズマの手の中にはもう一つの魔法が編み上げられている。

 それを見て、神が珍しく表情を歪めた。


「先程の同時術式処理か! だが、今の私を超える魔法などは! ……ん? エルフは、あの娘はどこへ――」


 シズマはあの時、クエーサースフィアの直撃を受ける瞬間にアレサを解き放った。彼女は、阿吽あうんの呼吸で走っていたのだ。

 そして今、その声に神もシズマも振り返る。

 まぶしい裸を隠しもせず、アレサが駆け寄ってくる。

 その手に、白銀に輝く弓が握られていた。


「シズマ、今こそわたくしたちの想いを!」

「ああ! 強さに変えて、神様に届ける! 必ず伝わる、信じてみようぜ!」

「はいですの!」


 つるを張りつつ、アレサが弓を渡してくる。

 その手に手を重ねて、二人は弓を挟んで正対した。

 そのまま一緒に弓を構えて、一緒に弦を引き絞る。

 シズマの手から魔法の力が溢れ出て、瞬時に光の矢が生み出された。それをつがえて、二人の力で剛弓をしならせる。

 アレサから借りた魔力だけではない。

 アレサ自身の筋力が今、普段のシズマには無理な弓の全力を引き出していた。


「なにを……私をそれで撃つのか! この神の私を! 死ねというのか、神にっ!」

「いいや、違うね。でも、神様……今のあなたには一度負けてもらう。俺の話を聞いてもらうためにも、俺たち人間の強さを知ってもらう!」

「なっ……もう次の魔法が!? 純粋な魔力の塊!? ……い、いや、それは生命いのちの輝きか! それを矢に! ど、どうやって」

「アレサの魔力を得た今の俺は、単純にリソースが増えたからなあ!」


 注ぎ込まれた大量の魔力を使って、繰り返しフォースレジストを重ねがけした。同時にシズマはまだ、呪いにも等しい自分の生命力を削り続けていた。

 今、その最後の一撃が光の矢となって、弓から解き放たれようとしている。

 既にもう、シズマの全身におぞましい紋様もんようが広がっていた。


「さあ、神様っ! おとなしく俺の言葉を聞いてもらうっ!」

「わたくしたちの声を、想いを届けますのっ!」

「具体的に言うとっ! 死ななくていい! 生きたいと思ってくれていい! けどっ、やりかたを間違えてちゃ、神様が神様じゃなくなっちまうっ!」


 光の矢が放たれた。

 同時に、ぐらりとシズマの足元が歪んで崩れる。実際には、シズマが最後の力を使い果たして倒れたのだ。そんな彼を支えつつも、アレサもまた一緒に崩れ落ちる。

 そして、神は必死にメイコの肉体を酷使していた。

 真っ直ぐ放たれた矢は、シズマの生命力を込めた最後の一撃だ。

 それが今、瞬間移動を繰り返す神に何度も何度も食らいつき……最後には、展開した防御魔法を突き破った。

 そのまま、墜落するメイコの肉体からなにかが離れる。ぼんやりと光るそれは、静かにメイコを大地に戻すと、倒れるシズマの目の前まで飛んできた。

 咄嗟とっさにアレサが、シズマを守るように抱きついてくる。

 だが、そこにはもう敵意はない。


『やれやれ、負けたよ。この私を人間が倒すなど、とても考えられなかった。今はそれが現実になった訳だね』


 酷く疲れた声、諦観ていかんの念がにじむ言葉だった。

 神は観念した様子で、直接頭の中に響く声で語りかけてくる。シズマの見上げる光が、神の本体、本来の姿なのだろう。


『神を超える力を、シズマ……君は私にしめした。エルフの姫君と共にね。神に打ち勝てる人間はもう、神を必要としない。そう伝えたかったのかな?』

「……違う、全然違うよ。まあでも、聞く耳をもってくれたなら大成功さ」


 そう言って、シズマはゆっくりと上体を起こす。

 気遣うアレサをそっと手で制して、立ち上がろうとしてよろけた。すぐにアレサが、しっかりとした足取りでシズマに肩を貸してくれる。

 情けない話だが、鍛え方が違うのかアレサの方が力強い。


「ありがとう、アレサ。さて、神様……今後も是非、人間たちを見守ってほしいんだ。ただ、奇跡を見せるためにエルエデンへ危機を生み出すのは、これはやめてほしい」

『わかったよ、やれやれ……だが、これで私は人間からの信仰心を失うことになる』

「神様って、人からの信仰心、祈りを供給してもらわないと生きられないんだろう? ならさ……

『……は?』


 シズマの一言に、神は黙ってしまった。

 驚かれるのも当然だし、自分でもかなり突飛とっぴなことを言っていると思う。だが、シズマは大真面目だ。そして、アレサが口を挟んでこないのは、彼女もそれを望んでいるからである。


「神様の召喚する転使てんし、つまり俺たちは……かなり感謝されてたと思う。だったらさ、今度は直接神様が人間たちを助ければいいんだよ。一人の人間として」

『なんと……しかし、それでは誰がこのエルエデンを』

「神様は自分で言ったよな? 人間はいずれ、文明を進化させて繁栄し、信仰心を失ってゆくって。それくらい人間は、確かに強い。でも、その強さは結構間違いやすくてさ」


 そう、シズマの世界、地球の人類もそうだ。今や地球の支配者として君臨し、エゴと欲を肥大化させている。一方で、それら人間特有の感情は愛を帯び、他者をいたわる心をも生み出している。

 そして、時には正邪の別なく、人間たちの感情の豊かさが害悪をもたらすこともあるのだ。


『つまり、シズマ……君は』

「そう、神様なんだからできるだろう? 自分を人間にしちゃうくらいさ。今度は俺たちと同じ人間になって、一緒に世界をよくしていけばいいと俺は思った」

『……不可能ではない。しかし……ふむ、そうか』

「俺、エルエデンに残るよ。神様に人間やってほしいから、同じ人間の最初の仲間になる。先輩の人間として、それくらい面倒はみるつもりさ。もう、今までみたいな俺じゃない」


 人をその気にして、応援してあおって、突っ走らせて……そこに生まれた感情を無視し続けてきたシズマ。そんな生き方はでも、終わらせるつもりだ。

 改めてこのエルエデンで、新しい生き方を探す。

 探して見つからなければ、仲間たちと作り出す。

 そのことを伝えた時、神の光は頷く気配を見せるのだった。

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