第33話「そして舞台裏が顕になる」

 荘厳そうごんなる玉座の間を、血の臭いが満たしていゆく。

 頭の半分近くを失ったヒドラは、それでも驚異的な生命力で敵意を尖らせている。その姿は、さながら小さな山だ。

 だが、その前に立つメイコを真っ直ぐ見詰めて、シズマははっきりと言葉を選ぶ。


「メイコ、俺はまだやることが残ってるんだ。……だから!」


 シズマは腰に下げた矢筒やづつを取り外し、捨てた。

 突然の行動に、アスカやディリアが目を丸くする。

 だが、構わずシズマは銀の弓からつるを外し、弓そのものも床に置いた。

 そして、丸腰でメイコへと歩み寄る。


「俺は自分で思っているより、酷い人間だった。でも、お前が思ってるほど凄い人間でもないんだ」

「こっ、来ないで! そうだよ、酷いよシズマ! わたしのこと、女の子として見てくれないんだもん!」

「悪かった、ごめん。でも、知ってるよ。昔はお風呂まで一緒だったお前が、今は凄く綺麗な女の子になったって。お前の必死の行動が、俺に気付かせてくれたんだ」

「……お、怒らないの? わたし、魔王なんだよ?」


 メイコは、荒ぶる手負いのヒドラを手で制する。

 やはり、魔王としての魔物を統べる力が強く働いていた。先日と違って、取り乱さない限り力の制御に問題はないようである。

 だが、メイコはあまりに多くの能力を己に集め過ぎた。

 だからこそ、シズマには彼女を案じての危惧もある。


「メイコ、もし俺にそういう力が……人をその気にさせる力があるなら、お前にやるよ」

「えっ? ま、待って、シズマ! 違っ、そうじゃなくて!」

「お前はその力で、俺をその気にさせればいい。俺じゃ、知らずに使って、誰かを傷付けたことにすら気付けないからな」

「違うの! い、いらない……わたしにはいらないの。そういうの、シズマが持ってるからいいんだよっ」


 すでにもう、シズマはメイコの目の前まで来ていた。

 毎日一緒だった少女を見下ろし、黙って言葉を待つ。

 そして、改めて思った。

 メイコは、とても素敵な女性に成長していたのだ。格好こそ際どい魔王の装束で扇情的せんじょうてきだが、すらりとしてて整った顔立ちの乙女である。

 知らぬ間に、幼馴染おさななじみの腐れ縁は魅力的な少女へと変貌し、そこからさらに大人へと脱しようとしている。

 こんな事件に巻き込まれなければ、ずっと一生気付けなかったかもしれない。

 そして、無自覚にメイコを苦しめ続けたかもしれないのだ。


「……メイコ。俺はお前が思うほど、凄い人間じゃない。お前一人、守れなかったんだぜ? それに……お前の気が済むようにしてもらっていいんだ」


 そう言って、シズマはメイコの手を取った。

 そして、その小さく白い手の平を自分の胸へと当てる。

 ビクリ! と身を震わせたメイコの唇が、言葉を形にできずにわなないていた。


「あ、あれ……? 吸い取れない。シズマ、なにも持ってない……? どうして?」

「落ち着いて、もう一度やってみな? お前、いつもそそっかしいから」

「そっ、そんなことないよぉ! ……駄目、奪える能力がシズマの中にない」

「だろ? 俺もそうは思った。お前の転使てんしとしての力は、本当に力しか吸い取れないんだよ」


 驚くメイコを見下ろし、静かにシズマは言い切った。


「だとしたら、皆を束ねて先頭に立つ、そんな俺のこれは……俺自身の強さだ」

「……強さ? また、それ……力と強さなんて、変わらないもん!」

「強くなければ、力を使いこなせない。力だけを集めても、強くはなれないさ」

「わたしは……強くなりたい訳じゃない! 弱くていい! 弱くても、シズマが守ってくれてたから、毎日平気だった! ずっと、ずーっと……一生、そうしてシズマにわたしのお守りをさせられないもん。でも、もしわたしがシズマのお姫様なら」


 シズマもちょっと、想像してみた。

 幼馴染の二人が、幼稚園から高校までずっと一緒で、その先も一緒に生きていく。いつしか男女の時を経て結婚し、夫婦として家族を築き上げてゆく。

 不可能ではないはずだし、それを人は幸せと言うだろう。

 メイコにとっては、それが一種の夢であり、理想なのだ。

 だが、それだけしか見えないメイコにしてしまったのは、他ならぬシズマ自身なのである。


「俺は、お前を守るつもりで、大事なことからいつも遠ざけてた。クラスの仲間や部活なんかでも、みんなを煽ってガムシャラになってただけだった」

「う、うぅ……でも、そういう優しいシズマだから、わたし、わたしは」

「優しさを使い間違えたみたいだな、俺は。お前もだ、メイコ……力の使い方を間違えた」


 メイコを、そっと抱き締める。

 嫌がる素振りを見せたが、メイコは特殊能力の数々で逃げようとはしなかった。瞬間移動も神速の体捌きも、シズマから奪った無限の魔力も使わなかったのだ。

 だが、胸の中でメイコはようやく言葉のとげを脱ぎつつある。


「……もぉやだ……シズマ、いつもずるいんだもん」

「ごめんな。けど、これからはもっと気をつけるよ。調子、乗り過ぎてたよな」

「ん……いいよ。一緒に帰ったら、また幼馴染から始めてみる。わたし、頑張るから」


 だが、その瞬間だった。

 不意に不満の声が背後からあがった。


「一件落着、とはいきませんわ! なんか、なんだか……こう、上手く言えませんの! けど!」

「それな、アレサっち! あーしもなんか、モニョってるし!」

「オレもだ。今のシズマは確かに、真摯しんしに見えた。だが、何故なぜこうも甘いのだ! 甘やかされてうっとりしているお前もお前だ!」


 アレサとアスカ、そしてディリアだ。

 振り向いたシズマは、思わず「は?」と間抜けな声をあげてしまった。


「ま、待ってくれ、三人とも! まずは、こう、メイコをだな……それに、俺たちにはまだ本当の敵がだな!」


 そう、メイコをまずは助けて、その背後の闇を叩く。

 深く深く澱んだ闇が実は、誰もが崇める光の中にあるのだから。

 だが、メイコはゆっくりシズマから離れた。


「……ふ、ふふ……いいよ。シズマ、わたしね……確かに甘えてたかも。シズマ、なんでもわたしの言うこと聞いてくれるし、いつでも助けてくれるもん」

「そりゃな。だって、お前は大切な――」

「幼馴染、でしょ? 今はまだ……でも、これからを変えるために! ヒドラくんっ!」


 出血に唸りながらも、例のヒドラが絶許を張り上げた。

 同時に、失われた数本の首が徐々に再生してゆく。闇に生を受けた魔物なれば、その生命力は驚くほどに頑強だ。

 だが、メイコはシズマをそっと遠ざける。


「離れて見てて。わたし、初めて……生まれて初めて、シズマに頼らず戦うから。シズマは誰にも渡さない。もう、魔王じゃなくて……わたし自身として、逃げない!」


 メイコが身構えれば、なにもない空間から長杖ロッドが飛び出す。

 空間圧縮の術で収納されていた、それはかつての大賢者スペルマスターシズマの杖だった。


「よくぞ言いましたの、メイコさんっ! では……アスカもディリアも、いいですわね?」


 アレサの言葉に、二人の少女が頷く。

 瞬間、メイコの突き出した手から魔法がほとばしった。

 三者は三様に逃げ散り、同時にヒドラが全ての首から毒液を撒き散らす。

 よろよろと下がったシズマを守ってくれたのは、ルベリアだった。


「人気者は辛いのう? じゃが、見ておれ。時には、助けたい気持ちに黙って耐えるのも男ぞ」

「ルベリアさん」


 そして、苛烈な少女同士の戦いが始まった。

 メイコは魔法を乱打しつつ、ヒドラを全面に押し出して攻勢をかけてくる。食らいつくアスカの瞬速も、神が与えてメイコが奪った力にはわずかに及ばない。

 強化の魔法を無数に自分へ注いで、アレサが巨大な鉄塊を振り上げる。鍛え抜かれた筋肉の瞬発力も、瞬間移動の前では僅かに攻撃タイミングが遅れて見えた。二人を援護するディリアの魔法も、大賢者クラスの呪文を前に打ち消されてゆく。

 確かに魔王メイコは、多くの力を集めて強くなった。

 否、今この瞬間……シズマの言葉で強さを知ってくれたのだ。


「ああもうっ! すばしっこいですわ。それに、ヒドラが邪魔ですの!」

「アレサっち、そっちはあーしが! デカチンが壁になってんの、馬鹿でもわかるし! みじん切りだっての!」

「アレサ、あの呪文を使え……アスカのことはオレに任せろ!」


 ほぼ元通りに姿に回復したヒドラが、地響きと共に迫る。

 同時に、メイコは宙へと飛んで逃げた。

 まただ……また頭上へと逃げられた。

 だが、即座にアレサが魔法を使う。

 それは、シズマがまだ知らない魔族固有の特殊魔法だった。


「何度もそうやって……逃げられるとは思わせませんの! はああっ、ドラグメイルッ!」


 ――

 その呪文を口にした瞬間、アレサの全身が光を放つ。そして、ビキニアーマーが弾け飛ぶと同時に、彼女は鱗と甲殻に覆われていった。

 背には大きな翼が生え、床を叩く太い尻尾が現れる。

 そう、そこには美しき竜姫ドラゴンへと姿を変えたアレサが跳躍していた。


「な、なによっ! エルフって普通、そんな汗臭くないし!」

「竜化の力、これなら! メイコさん、お覚悟ですわっ!」

「もうっ! エルフって、物静かで聡明で、とにかくっ! そうじゃないわよ!」


 だが、半竜の乙女と化したアレサは美しかった。普段のビキニアーマーよりも際どい、それは鱗が光る天然の装甲。メイコの魔法を弾き、羽撃はばたきで自在に宙を舞う。


「シズマは確かに八方美人で、お調子者で人たらしですの! しかも、無自覚にですわ!」

「ちょ、ちょっとぉ! シズマのこと悪く言わないでっ!」

「悪くは言ってませんわ! 傍迷惑はためいわくで逃れ難くて、無視しようにもできない強い輝きを持ってますの! 例えるならそう、幼子を守るため命を投げ出す、それがシズマのありようですわ!」

「知ったふうなこと言わないでっ! それはわたしが……わたしが一番よく知ってるんだからぁ!」


 既に竜の力を身に招いて、アレサは片手で羽毛のように剣を振るう。あの重々しい巨刃が、まるで軽やかに振るわれるタクトのよう。それはメイコという歌姫を今、闘争の交響曲シンフォニーで高鳴らせる。

 そしてついに、メイコがまた禁術を使った。


「わたしっ、喧嘩に負けたことないもん! だって、今まで喧嘩したことなかった……シズマが守ってくれたし、シズマとしか! でも、だから! 負けたくないっ」

「わたくしだって同じですの! 同じ人を好いているからこそ……正々堂々ですわ!」


 メイコの手から、再び危険な呪文が放たれる。禁術クエーサースフィアは、高い天井の部屋を煌々と照らした。

 だが、迫る火球を前にアレサが魔法を重ねがけする。

 それはまるで、連なる多くの呪文で編み込まれた、一つの歌のように響いた。

 刹那、竜の身体に人の叡智を満たして、アレサは剣で禁術を一刀両断に消し飛ばすのだった。

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