第30話「最後の旅が始まる」
シズマの意識が、暗い中で
静かに揺られて、眠りが
それでも彼は、懸命に目を開けた。酷く重い
『あらあら、起こしちゃったかしら。ゆりかごを揺らすのって、意外と難しいのね』
『大丈夫よ、とっても機嫌良さそう』
『
『
隣のおばさんも若くて、その手が目の前に赤ん坊を差し出してきた。
こんな記憶、覚えている
なにかが不自然だ。
そう思った時、母親たちとは別の声が頭に響く。
脳の中に直接、穏やかな男の声が突き刺さった。
『やあ、ごめんごめん。メイコをもう見てられなくてね。君もだ、シズマ。だから、仲直りしてほしくてこんなヴィジョンを見せたんだ』
とても優しげで、ゆっくりとした口調だ。
だが、声は若々しいのに酷く老成して感じる。
シズマは相手の正体を問いただそうとしたが、声が出ない。
そして、恐ろしく察しのいい返事が返ってきた。
『ああ、なにか話そうとしてるんだね。すまないね、君の肉体は今……眠ってる。死んではいないから安心してほしい。ああ、私かい? ふふ、想像がついてるんじゃないかな』
こんな状況へとシズマを放り込める存在は、一人しかいない。
様々な特殊能力を授かった
ただ……その特殊能力を与えた人間ならば、万能の力を持っていても不思議ではないだろう。だから、自然とこの奇妙な空間の支配者をシズマは理解した。
『そう、君たちが神と呼んでるのは私だよ。凄いな、君は神を前にして全く動じていない。そればかりか……強い
どうやら向こうは、喋ることのできないシズマの思考を読み取れるようだ。
そして、
同時に、神とやらの声も小さく細くなっていった。
だが、まだ揺れが続いている。
それは、次第に震えるような音を伴い大きくなった。
そして、覚醒。
目覚めると同時にシズマは上体を起こした。
「待てっ! おい、神様っ! ……ちっ、言うだけ言って逃げたか。クソッ!」
周囲を見渡すと、シズマはこざっぱりとした小さな部屋の中に寝ていた。室内にはベッドと、少し離れたところに机と椅子。とても狭くて、丸い窓の外に空が見えた。
そして、ベッドの他には唯一の調度品、机に向かっていた少女が立ち上がる。
「あら、目が覚めましたのね。シズマ、ご機嫌いかが?」
「アレサ……ここは? そうだ、あの時!
アレサは珍しく、例のビキニアーマーではなく服を着ている。素朴な白いワンピースが、かえって彼女の美貌を際立たせていた。
ベッドから飛び起きて、シズマはまずは自分の体をチェックする。
あれだけの禁術が発動したなら、人間など一瞬で蒸発してしまう筈だ。だが、シズマの肉体には怪我一つない。肌のどこにも掠り傷一つなかった。
「シズマ、あの時はわたくしがなんとかしましたわ。なんとかなってしまいましたの」
「えっ!? ど、どうやって」
「シズマが教えてくれた魔法、フォースレジストを
「……
「でも、皆が死んで周囲が焦土と化すのを、わたくしは見過ごせませんわ」
少し大きな声が出てしまって、アレサは慌てて口元を手で抑える。
クエーサースフィアは、禁術の中でも最強の破壊力を持つものの一つである。その威力は、その名の通り超新星爆発にも匹敵する熱量で対象を消滅させる。
しかも、メイコは転使から奪った巨大化の能力を使って強化していた。
フォースレジストを重ね続ければ、確かに魔法に対する耐性は際限なく上がり続ける。だが、クエーサースフィアほどの禁術を前に、それは自殺行為だった。
「みんなを……シズマを、守りたかったのです。やっぱりシズマは、あの時メイコさんを救おうとしましたわ。身を
「打つ手はなかったけどな。そうだ、メイコは?」
「瞬間移動の力が使えるからでしょうか? 姿を消しましたわ」
「そっか。ならいい。まずは上出来じゃないかな」
そんな時、ドアが開いた。
そして、意外な人物が現れる。
「そうも言ってられないぞ、シズマ!」
「おっ? なんだ、リチャード。お前、来てたのか?」
「ああ、君のおかげで王都防衛の必要がなくなったからね。無茶な
彼も普段の
だが、以前に会った時より表情が穏やかだ。そう、このエルエデンに飛ばされた直後の、一緒に冒険をしていた頃の笑顔がそこにはあった。元来、リチャードは思慮深く
以前の冷徹さを装った姿は、救世主としての期待を受けて生まれた焦りだったのかもしれない。
「とりあえず、シズマ。急ぎの話がある」
「ああ、俺もだ。……また協力して戦ってくれるか? だんだん本当の敵が見えてきた気分なんだ」
「いいとも、シズマ。それで急を要する話だが」
ゴホン! と咳払いして、真顔でリチャードは言葉を選んできた。
「君、
「……は? そういや……そうだっ!」
慌ててシズマはベッドに飛び込んだ。
そして、毛布をかぶるや手を伸ばし、枕元の着衣を引きずり込む。
「アレサ、どうして言ってくれないんだ! 俺は今、物凄く恥ずかしい!」
「あっ! ご、ごめんなさい、シズマ。確かに……そんな貧相な鍛え方では恥ずかしかったかもしれません」
「そういう意味じゃない!」
「そういえば、人間同士では異性の裸を見るのは恥ずかしい行為でしたわね」
「まったく、このお姫様育ちは! よくそれで、人間界で200年も生きてこれたね」
「ふふ、鍛え方が普通じゃありませんもの」
「……俺がいつ、筋肉の話をしたよ……トホホ」
珍しくリチャードが、声を上げて笑った。
シズマは顔が
そして、立て掛けてあった自分の弓を手に取った。
「なんか、まだ揺れてる感じがするな……それより、リチャード! アレサも! みんなは?」
「外にいますわ」
「なら話は早い、全員を集めてくれ!」
そう言ってシズマは、
そうして
だが、逆に裸を見られたシズマは、控えめに言って消えたい気分だった。
それでも、平静を装ってドアを開ける。
「みんな、集まってくれ! 次の戦いを最後に……す、る……? あ、あれ? え……ええーっ!?」
シズマの驚きの声が、流れ行く雲と共に遠ざかる。
ドアの外には今、どこまでも雲海と青空が広がっていた。
驚いたことに、そんな高高度を船が飛んでいる。思わず首を巡らせれば、自分が巨大な飛行船に乗っていることがわかった。あの揺れは、風の
甲板の上を歩いて、突風に思わず手すりへしがみつく。
高らかな笑い声が響いたのは、そんな時だった。
「ハッハッハ! 少年、驚いたかね? この
声のする方を振り向くと、屈強な体躯の怪しい男が立っていた。
そう、怪しい……
「ア、アレクセイさん? な、なにを」
「
「……あっ、そういうやつ……え、えっと、じゃあ、よろしくお願いします、アレクセイさん」
「ノォ! 私はマッスルサーガ! あの輝かしき名領主に並ぶ筋肉美を持っていても、別人! この大胸筋も、この上腕二頭筋も、似ているが別物だ!」
あとから来たリチャードが説明してくれた。
シズマは禁術が消滅する際の余波で吹き飛ばされて、気絶した。
このエターナル・エルエデンでリチャードが駆けつけた時には、謎の紳士マッスルサーガが冒険者や騎士、アレサたちを助けているとこだったという。
「そういう訳で、こいつで一気に魔王城に攻め込む。……知ってるか? シズマ。このエターナル・エルエデンで、王家の連中はいざとなったら王都から逃げるつもりだったんだ」
「な、なるほど」
「こんなものがあるなんて、僕も知らなかった。知ってたら、王都での決戦だって違った形で準備できたのにな」
「ま、そゆこともあるさ。まれによくある。さっきも言ったよな、リチャード。今度は俺たちが攻める番だって。」
シズマが目覚めたと聞いたのか、周囲に仲間たちが集まり始めた。怪我人もいるが、あのあと魔王の軍勢は統制を失い、
そして、エルエデンの永遠の平和を求めて船は
しかし、士気の高い皆の前で、シズマはメイコのことが気がかりでしかたがないのだった。
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