第30話「最後の旅が始まる」

 シズマの意識が、暗い中で彷徨さまよう。

 静かに揺られて、眠りがうながされる。

 それでも彼は、懸命に目を開けた。酷く重いまぶたの向こうに、見慣れた顔があった。今よりずっと若くて、笑顔の母親だ。そしてもう一人……となりの家のおばさんも一緒である。


『あらあら、起こしちゃったかしら。ゆりかごを揺らすのって、意外と難しいのね』

『大丈夫よ、とっても機嫌良さそう』

静真シズマちゃん、ほぉら! お隣さんからお友達がきてくれまちたよ~』

芽衣子メイコっていうの、よろしくね』


 隣のおばさんも若くて、その手が目の前に赤ん坊を差し出してきた。

 こんな記憶、覚えているはずがない。

 なにかが不自然だ。

 そう思った時、母親たちとは別の声が頭に響く。

 脳の中に直接、穏やかな男の声が突き刺さった。


『やあ、ごめんごめん。メイコをもう見てられなくてね。君もだ、シズマ。だから、仲直りしてほしくてこんなヴィジョンを見せたんだ』


 とても優しげで、ゆっくりとした口調だ。

 だが、声は若々しいのに酷く老成して感じる。

 シズマは相手の正体を問いただそうとしたが、声が出ない。

 そして、恐ろしく察しのいい返事が返ってきた。


『ああ、なにか話そうとしてるんだね。すまないね、君の肉体は今……眠ってる。死んではいないから安心してほしい。ああ、私かい? ふふ、想像がついてるんじゃないかな』


 こんな状況へとシズマを放り込める存在は、一人しかいない。

 様々な特殊能力を授かった転使てんしとて、無理だろう。

 ただ……その特殊能力を与えた人間ならば、万能の力を持っていても不思議ではないだろう。だから、自然とこの奇妙な空間の支配者をシズマは理解した。


『そう、君たちが神と呼んでるのは私だよ。凄いな、君は神を前にして全く動じていない。そればかりか……強いいきどおりを感じるね。まさに、神をも恐れない気概きがいだ』


 どうやら向こうは、喋ることのできないシズマの思考を読み取れるようだ。

 そして、捏造ねつぞうされた赤ん坊時代の風景が遠ざかってゆく。

 同時に、神とやらの声も小さく細くなっていった。

 だが、まだ揺れが続いている。

 それは、次第に震えるような音を伴い大きくなった。

 そして、覚醒。

 目覚めると同時にシズマは上体を起こした。


「待てっ! おい、神様っ! ……ちっ、言うだけ言って逃げたか。クソッ!」


 周囲を見渡すと、シズマはこざっぱりとした小さな部屋の中に寝ていた。室内にはベッドと、少し離れたところに机と椅子。とても狭くて、丸い窓の外に空が見えた。

 そして、ベッドの他には唯一の調度品、机に向かっていた少女が立ち上がる。


「あら、目が覚めましたのね。シズマ、ご機嫌いかが?」

「アレサ……ここは? そうだ、あの時! 禁術きんじゅつは、クエーサースフィアは!」


 アレサは珍しく、例のビキニアーマーではなく服を着ている。素朴な白いワンピースが、かえって彼女の美貌を際立たせていた。

 ベッドから飛び起きて、シズマはまずは自分の体をチェックする。

 あれだけの禁術が発動したなら、人間など一瞬で蒸発してしまう筈だ。だが、シズマの肉体には怪我一つない。肌のどこにも掠り傷一つなかった。


「シズマ、あの時はわたくしがなんとかしましたわ。なんとかなってしまいましたの」

「えっ!? ど、どうやって」

「シズマが教えてくれた魔法、フォースレジストを幾重いくえにも重ねて束ね……あとは、巨大な火球を握り潰しましたわ。握力には自信がありますの!」

「……無茶苦茶むちゃくちゃだ。アレサ、なんて危険なことを!」

「でも、皆が死んで周囲が焦土と化すのを、わたくしは見過ごせませんわ」


 少し大きな声が出てしまって、アレサは慌てて口元を手で抑える。

 クエーサースフィアは、禁術の中でも最強の破壊力を持つものの一つである。その威力は、その名の通り超新星爆発にも匹敵する熱量で対象を消滅させる。

 しかも、メイコは転使から奪った巨大化の能力を使って強化していた。

 フォースレジストを重ね続ければ、確かに魔法に対する耐性は際限なく上がり続ける。だが、クエーサースフィアほどの禁術を前に、それは自殺行為だった。


「みんなを……シズマを、守りたかったのです。やっぱりシズマは、あの時メイコさんを救おうとしましたわ。身をていして、命の危険を恐れずに」

「打つ手はなかったけどな。そうだ、メイコは?」

「瞬間移動の力が使えるからでしょうか? 姿を消しましたわ」

「そっか。ならいい。まずは上出来じゃないかな」


 そんな時、ドアが開いた。

 そして、意外な人物が現れる。


「そうも言ってられないぞ、シズマ!」

「おっ? なんだ、リチャード。お前、来てたのか?」

「ああ、君のおかげで王都防衛の必要がなくなったからね。無茶な博打ばくちを打ったもんだ……だが、君は勝ったな。そして、これからは僕たち転使が攻める番だ」


 転使№てんしナンバー001、最強の大英雄ことリチャードが現れた。

 彼も普段の鎧兜よろいかぶとを脱いでいるが、腰には剣を帯びている。

 だが、以前に会った時より表情が穏やかだ。そう、このエルエデンに飛ばされた直後の、一緒に冒険をしていた頃の笑顔がそこにはあった。元来、リチャードは思慮深く聡明そうめいな少年だ。

 以前の冷徹さを装った姿は、救世主としての期待を受けて生まれた焦りだったのかもしれない。


「とりあえず、シズマ。急ぎの話がある」

「ああ、俺もだ。……また協力して戦ってくれるか? だんだん本当の敵が見えてきた気分なんだ」

「いいとも、シズマ。それで急を要する話だが」


 ゴホン! と咳払いして、真顔でリチャードは言葉を選んできた。


「君、御婦人ごふじんの前では服を着たらどうだい? 素っ裸すっぱだかじゃないか」

「……は? そういや……そうだっ!」


 慌ててシズマはベッドに飛び込んだ。

 そして、毛布をかぶるや手を伸ばし、枕元の着衣を引きずり込む。


「アレサ、どうして言ってくれないんだ! 俺は今、物凄く恥ずかしい!」

「あっ! ご、ごめんなさい、シズマ。確かに……そんな貧相な鍛え方では恥ずかしかったかもしれません」

「そういう意味じゃない!」

「そういえば、人間同士では異性の裸を見るのは恥ずかしい行為でしたわね」

「まったく、このお姫様育ちは! よくそれで、人間界で200年も生きてこれたね」

「ふふ、鍛え方が普通じゃありませんもの」

「……俺がいつ、筋肉の話をしたよ……トホホ」


 珍しくリチャードが、声を上げて笑った。

 シズマは顔が火照ほてるのを感じつつ、なんとか服を着て再びベッドを降りる。

 そして、立て掛けてあった自分の弓を手に取った。


「なんか、まだ揺れてる感じがするな……それより、リチャード! アレサも! みんなは?」

「外にいますわ」

「なら話は早い、全員を集めてくれ!」


 そう言ってシズマは、意気揚々いきようようと歩き出す。

 そうして颯爽さっそうとした自分を演じていないと、先程の恥ずかしさで身悶みもだえてしまいそうになる。以前、アレサの裸を見てしまった時、彼女は全く動じていなかった。なにかの本で読んだことがあるが、王侯貴族は身分の違う者たちに対して、羞恥しゅうちの気持ちが働かないことがあるそうだ。

 だが、逆に裸を見られたシズマは、控えめに言って消えたい気分だった。

 それでも、平静を装ってドアを開ける。


「みんな、集まってくれ! 次の戦いを最後に……す、る……? あ、あれ? え……ええーっ!?」


 シズマの驚きの声が、流れ行く雲と共に遠ざかる。

 ドアの外には今、どこまでも雲海と青空が広がっていた。

 驚いたことに、そんな高高度を船が飛んでいる。思わず首を巡らせれば、自分が巨大な飛行船に乗っていることがわかった。あの揺れは、風の波濤はとう舳先へさきを立てて進むエンジンの音だったのだ。

 甲板の上を歩いて、突風に思わず手すりへしがみつく。

 高らかな笑い声が響いたのは、そんな時だった。


「ハッハッハ! 少年、驚いたかね? この飛翔艇ひしょうていは、エターナル・エルエデン! 王家秘蔵のロストテクノロジーを駆使した、この世でただ一隻の飛翔艇だよ!」


 声のする方を振り向くと、屈強な体躯の怪しい男が立っていた。

 そう、怪しい……何故なぜ、ショートタイツ一枚しか身に着けていないのか。そして、風にマントをなびかせ、顔をアメコミヒーローのようなマスクで覆っている。そして、唯一肌を見せる口元のひげには、見覚えがあった。


「ア、アレクセイさん? な、なにを」

いなっ! 私の名はナイ=ガラアの優しき領主アレクセイなどではない。そう、私は……流離さすらいの格闘家、マッスルサーガ! 義によって諸君らに助太刀すけだちする男である!」

「……あっ、そういうやつ……え、えっと、じゃあ、よろしくお願いします、アレクセイさん」

「ノォ! 私はマッスルサーガ! あの輝かしき名領主に並ぶ筋肉美を持っていても、別人! この大胸筋も、この上腕二頭筋も、似ているが別物だ!」


 あとから来たリチャードが説明してくれた。

 シズマは禁術が消滅する際の余波で吹き飛ばされて、気絶した。

 このエターナル・エルエデンでリチャードが駆けつけた時には、謎の紳士マッスルサーガが冒険者や騎士、アレサたちを助けているとこだったという。


「そういう訳で、こいつで一気に魔王城に攻め込む。……知ってるか? シズマ。このエターナル・エルエデンで、王家の連中はいざとなったら王都から逃げるつもりだったんだ」

「な、なるほど」

「こんなものがあるなんて、僕も知らなかった。知ってたら、王都での決戦だって違った形で準備できたのにな」

「ま、そゆこともあるさ。まれによくある。さっきも言ったよな、リチャード。今度は俺たちが攻める番だって。」


 シズマが目覚めたと聞いたのか、周囲に仲間たちが集まり始めた。怪我人もいるが、あのあと魔王の軍勢は統制を失い、蜘蛛くもの子を散らすように逃げたと笑っている。

 そして、エルエデンの永遠の平和を求めて船はく。

 しかし、士気の高い皆の前で、シズマはメイコのことが気がかりでしかたがないのだった。

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