第29話「大賢者は間違ってゆく」

 青い空へと吹き上がる、それは真っ赤な血柱ちばしら

 噴水のようなその鮮血を避けつつ、アレサがゆっくりと振り返る。一撃必殺の断頭台ギロチンと化した大剣を、彼女はヒュン! と軽々振って血糊を捨てる。

 ゆっくりとその肌は、強化魔法の光が薄れていった。

 同時に、アレサは剣を側に突き立てる。

 あまりに苛烈かれつな剛剣に、モンスターたちでさえドン引きしていた。

 勿論もちろん、シズマの腕の中でメイコもだ。


「な、な、なによ……シズマ、ねえ! 今はああいうのが趣味なの? 野蛮よ、しかもエルフなのに全然エルフっぽくないっ」

「そう言うなよ、メイコ。ほら、立てるか?」


 シズマは先に立ち上がって、メイコへと手を差し伸べる。

 戦場のド真ん中で、不思議な空間が二人を二人きりにしていた。

 じっとシズマの手を見詰めて、おずおずとメイコは手を出し、考え直したように引っ込めた。そうして自力で立つと、丸出しに近い尻をパンパンと払う。


「なによ……まだ戦いは終わってないっ! シズマ、思い知らせてあげるんだからねっ」

「なら、もう終わりだ。俺は思い知ったよ。まだ、ピンとこないけどさ」

「……そう、なの?」

「ああ。俺はどうも、八方美人はっぽうびじんらしい。それでメイコもアレサも」

「あのメスゴリラのことはどうでもいいの! ……全然っ、わかってない!」

「え? そ、そうか? なら、よく話し合おうぜ。俺が駄目な奴っぽいのは、なんとなくこう、わかってきてる感じがするんだが」


 メイコは涙目で目元をけわしくした。

 昔からこの顔に、シズマは滅茶苦茶めちゃくちゃ弱い。小さな頃から何度も喧嘩けんかしたことがあるが、メイコがこの表情を見せたらそれは終わりなのだ。ただもう、シズマはひたすらに謝るしかなくなってしまう。

 だが、今回ばかりは謝って一歩譲ることは避けたい。

 大事なメイコとの関係だから、有耶無耶うやむやにしたくないのだ。


「とりあえずさ、メイコ。お前、もう魔王はやめちまえよ。お前を倒さなきゃエルエデンが救われないなんて、そんなことないだろ?」

「や、やだっ! わたし、決めたもん……シズマとはもう、今まで通りじゃいてあげないって!」

「なら、その理由を教えてくれよ。俺は……お前を倒せない。それで現実の世界に戻れなくなるってんなら、お前とエルエデンに残ってもいいんだ」

「……ほへ?」


 本気も本気、本音の本心だ。

 メイコのいない現実の日本に戻っても、なにもならない。隣に住むおじさんとおばさんに、なんて言ったらいいんだろう。それに、メイコを倒してエルエデンが救われるというなら、それはリチャードの言っていた救済と一緒だ。

 シズマの心は救われないし、支えてくれた仲間だってむくわれないのだ。

 だから、激戦のさなかで得たメイコとの時間に、シズマは全てを賭けて言葉を選ぶ。


「な、メイコ。一緒に帰ろうぜ。このエルエデンが救われれば、俺たちは帰れるんだ」


 だが、疑問は残る。

 かつて転使てんしだったルベリアは、元の世界に戻されることなく魔王をやらされていた。それが、この世界を見守る神の采配なのだ。

 その謎にも最後には、挑まねばならぬだろう。

 それでも、最終的には故郷へ帰る。

 寂しいけど、アレサたちとも別れてメイコと帰るのだ。


「ね、ねぇ……シズマ」

「ん? どした、メイコ」

「わたしって……わたしって、シズマにとって、なに? ……もう、幼馴染おさななじみはやだよぉ」


 気付けば、周囲の仲間たちが見守ってくれている。というより、ひそひそとつぶきやささやきを交えて、好奇心を丸出しにしていた。

 あろうことか、ゴブリンやオーク、コボルトといったモンスターたちもだ。

 言葉は通じていないようだが、騎士や冒険者といった人間たちも、亜人種系のモンスターたちも興味津々きょうみしんしんの様子である。

 だから、シズマは小さくため息をこぼして苦笑した。


「決まってるだろ、メイコ。……こっちに飛ばされてから、はぐれちゃったからな。俺も心配してたし、魔王の城にいったかもって情報を聞いた時は焦ったさ」

「うん……うんっ! うんうんっ」

「こんなに離れて暮らしたこと、今まで一度もなかったよな。寂しかったさ、お互いそうだろ?」

「うんっ。そ、そぉだよ……わたし、改めて気付いちゃったの。わたし、シズマが――」


 いつものメイコの表情が戻ってくる。

 弱虫で泣き虫で、でもとっても優しい大切な幼馴染。

 そしてもう、このエルエデンではただの幼馴染じゃない。今までずっと、シズマはメイコを守ってやってるつもりだった。

 それは、おごりだったかもしれない。

 余計なお世話で、彼女にとっては心苦しかったのだ。

 だからそう、これからさらなる冒険……神の真意を問いただす最後の旅が始まる。

 シズマは改めて、にこやかにメイコへ握手を求めた。


「今日からはメイコも、俺の旅の仲間だ! お前も力を貸してくれ。実は、俺たち転使は……そして、神様は――ゲファッ!」


 思いっきりメイコに、ブン殴られた。

 小さい頃の喧嘩の、ポコスカと泣きながら叩いてくる駄々っ子だだっこパンチではなかった。

 それは、静まり返った戦場に鳴り響く快音。

 熱い痛みを頬に刻んだ、メイコの平手だった。

 そして、本当にメイコは泣き出してしまった。


「馬鹿っ! もう知らない! シズマって、どうしてそう残念な子なの!? みんなの前じゃ格好いいのに、すっごく格好いいのに! わたしの前でだけ、どうしてガッカリなの!?」

「え……ま、待ってくれ、メイコ。俺は過保護だった、お前を守ってるつもりで、でもお前は」

「正直言って、嬉しいの! お姫様扱いも、まだまだ嬉しいわたしだよ。でも、違うの……お姫様のように扱ってほしいんじゃない、わたしをシズマのお姫様にしてほしいの!」


 あっという間に、メイコの周囲で空気が歪む。

 強力な魔力の放出に、大気が暗く澱んでいった。

 それは、まぎれもない純粋な怒り。

 激怒、激昂げきこう、メイコの荒ぶる怒気が闇となって広がる。


「もう駄目、っていうか……なんでわたしの前では、わたしにだけはそんなに駄目シズマなの!?」

「なっ……そんなに駄目か!? 俺だって、昔から器用で対人スキル高い人間じゃなかったんだぞ!」

「そんなの知らないっ! ……ゴメン、嘘。知ってる……ずっと追いかけて見てきたから」


 メイコがそっと右手を天へ振り上げた。

 なにかを掴み取るかのような手付きに、光が集って巨大な火球を膨らませてゆく。

 それをシズマは知っていたし、知っている人間ならば信じられない。


禁術きんじゅつ!? メイコ、待てっ! その魔法は……クエーサースフィアはまずい、やめるんだ!」

「消し飛んじゃえばいいんだ……この場所もろとも、消えてなくなっちゃえ! ……しかも、倍加、さらに倍! 特大の爆弾魔法で、なにもかも終わりなんだからっ!」


 ――クエーサースフィア。

 それが、元々はシズマのものだったメイコの魔力、そして目の前の呪文の名だ。数少ない禁術の中でも、最高レベルの破壊力を持つ破壊の禍ツ星まがつぼしである。

 恒星の爆発にも匹敵する熱量は、炸裂した周囲の全てを灰燼かいじんに帰す。

 しかもメイコは、先程グリフォンを大きくした能力を、そこへ注ぎ込んだ。

 真っ白に燃える光の天球が、さらに膨れ上がって燃え滾った。

 背後でディリアが叫んで、彼女もまた魔力を膨らませてゆく。


「シズマ、皆も! 逃げろ! 振り返らずに、走れ! ……私の魔法で打ち消せるか? やってみるしかあるまい!」


 魔族には魔族特有の魔法があり、その独特さは使い所の難しいものばかりだ。だが、その使い手としてディリアは、かなりの手練と見ていいだろう。


「ひっ! くそ、禁術だ! 全員撤退! 一度宿場しゅくばの方へと下がるぞ!」

「見ろ、魔王軍も混乱して散り散りに逃げてゆく!」

「レジスト系の魔法が使える奴ぁ、ありったけの魔力で頼むぜ!」

「あの魔法……聖戦時代にも一度しか使われなかったやつだ。本当にやべぇぞ!」


 だが、混乱の中でシズマは逆に……メイコへと歩み寄る。

 すぐにディリアやアスカが止めてきたが、その手をそっと振り払って、進む。

 太陽を手にした重みで溶けそうな、泣きべそかいたメイコの前に立った。


「ごめんな、メイコ。お前の望んでる俺じゃないってことだよな、今の俺。でもさ……お前だって、俺の好きないつものメイコじゃない」

「そ、それは、だって! 気付いたらシズマ、いないんだもん!」

「お互い、どこが変わっちゃって、どうすれ違ったか……少し落ち着いて話そうぜ。こんなこともう、やめにしよう」

「うっ……でも、うん……わ、わかった。けど……あれ? え、ちょ……なんで!?」


 不意にメイコは、目を白黒させて狼狽うろたえ出した。

 それでシズマも異変に気付く。


「お、おいっ! メイコ!」

「はは、は……魔法、引っ込められないみたい。威力を質量倍加で上げたら、なんか……暴走? してるっぽい。 文字通り、ここで超新星爆発、みたいな」

「馬鹿野郎っ! 待ってろ、今なんとかする。とりあえず集中力! なんとか魔法を維持しててくれ。暴発したら、お前も俺も一瞬で蒸発しちまう」

「馬鹿はともかく、野郎ってなんだよぉ……う、うう……ゴメン、シズマ」


 メイコのクエーサースフィアの魔法が、暴走し始めていた。

 それを知った周囲は、あっという間にパニックになる。

 アスカやディリアといった親しい仲間たちも、迷いを見せたが駆け寄ってきた。そんな彼女たちを、全速力で走るアレサが追い越してくる。


「シズマ! わたくしがレジストの魔法を重ねがけして……わたくしなら!」

「無茶だよ、アレサ!」

「でも、無理とは思えませんわ! 思いたくありませんの!」


 アレサは、引きずる剣を身構え、重さによろけながらも複数の魔法を励起れいきさせた。だが、いくら彼女の強大な魔力でも、無数の魔法を重ねがけしても……禁術の前ではひとたまりもない。

 そしてそれは、どうやらメイコも知っているようだった。

 徐々に膨らむ光が、周囲を白く染めてゆく。

 最後の可能性が頭に浮かんで、シズマはそれを即座に否定する。魔力の供給源を断てば、禁術の発動は止まるかもしれない。

 そんな時、不意に頭の中に声が響く。

 それは、泣き顔のメイコも必死のアレサも、眩しい闇に塗り潰された瞬間だった。

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