第28話「考える筋肉」

 沸騰ふっとうする戦場の空気が、巨大な翼でかき混ぜられる。

 シズマは風圧に目を手で覆いながらも、嵐の中の暴君タイラントを見上げていた。


「くそっ、グリフォン! しかもなんだこれ、デカイぞ!」


 そう、猛禽獣もうきんじゅう……グリフォンだ。たかの頭部に肉食獣の胴体、四本の脚には鉤爪かぎづめが生えて、背には雄々おおしい翼がある。この異世界エルエデンでは珍しくないモンスターだが、ここまで巨大な個体は見たことがない。

 そして、その理由をすぐにシズマは察した。


「メイコだな……おおかた、転使てんしの誰かの能力だろ、これ! ってか、チートだろ!」


 恐らく、こんな不自然な大きさのグリフォンは存在しない。

 大自然の摂理せつりは、魔法が存在するこのエルエデンでも変わらない。モンスターは多くが、歳を重ねた分だけ大きく育つが……このグリフォンのサイズは異常である。

 間違いなく、何らかの外的要因が加わっている可能性は否定できない。

 片っ端から異能の力を集めたメイコは、これほどまでに恐ろしいバケモノを生み出してしまえるのだった。

 隣に駆けつけたアレサも、流石さすがに驚きの表情を隠せていないようだ。


「……大きいですわね。それに、空を飛ぶ魔物は嫌いですわ!」

ちなみにアレサ、飛び道具とか使わないの? 弓とか、ほら、ブーメランとか」

「そういうのは苦手ですの。その、わたくし、実は……小さい頃から運動神経がちょっとだけ悪いのですわ」

「……は?」


 なにを言うかと思えば、アレサは運動音痴うんどうおんちだと言うのだ。

 これだけ見事に鍛えた肉体美を誇り、あらゆる敵を一刀両断する剛剣の使い手がである。思わずシズマは、真顔になってしまった。この世界にはいもしない、チベットスナギツネみたいな顔になってしまった。

 だが、それで恐怖と緊張が払拭ふっしょくされる。


「わたくし、特に球技が苦手ですの。とにかくっ、ものを投げ飛ばすなんてはしたないですの!」

「いや、でも、弓とかの心得がありそうな」

「やってみたので、使い方はわかります! 使えないのも、嫌という程わかりましの!」


 そう言ってアレサは、背の剣を引き抜く。

 そして、その重さによろけて、ドスン! と大地を抉ってしまう。鋭い切っ先は、まるでバターを斬るように突き刺さった。

 あのミサネが、本当に本気で作ったこの世で一振りの剣。

 アレサにしか使いこなせない、重さで全てを断ち割る鉄塊てっかいだ。


「あ、あら、抜けませんの」

「えっ? いや、ちょっと」

「だ、大丈夫ですわ! 少々お待ちになって」

「いや、待てないっ! 奴が襲ってくる! ゴメンッ!」


 咄嗟とっさにシズマは、アレサを押し倒した。

 そのまま覆いかぶさり、大地へと身を伏せる。

 周囲からも悲鳴があがって、猛烈な突風が周囲を薙ぎ払った。

 顔を上げれば、遥か遠くに小さくなったグリフォンが悠々と旋回しているのが見える。巨体に似合わぬスピードで、そのパワーは仲間たちを見れば一目瞭然いちもくりょうぜんだった。


「くっ、戦列を乱すな!」

「ここで退いては総崩れになる! 俺らのあとにはもう、あのいけすかねえリチャードとかってのと王都しかねえんだよ!」

「怪我人を見捨てるな! 動けないものを後方へ、誰か!」


 一瞬で戦局が逆転されてしまった。

 唖然あぜんとしつつも、シズマはすぐに平常心を顔にだけ取り戻す。

 こういう時、中心人物である自分が絶望に屈してはいけない。とりあえず、それが顔に出ていてはまずいと気持ちを引き締める。

 だが、グリフォンの攻撃を突破口に、魔王の軍勢が戦意を取り戻しつつあった。

 そして、胸の下から抗議の声が耳に突き刺さる。


「シズマ、その……しっ、失礼ですわ! レディを強引に……強引に、もぉ」

「あ、ああ、悪い! 問題はあれをどうするか」

「……また、わたくしのジャンプ斬りで?」

「あのデカブツを構えて、べる?」


 ちらりと先程の剣を見やる。

 持ち主を離れて今、例の巨刃きょじんはまるでよくある伝説の剣みたいだ。引き抜けば選ばれし者となるのか、それは魔剣か聖剣か。

 だが、そんなロマンチックなことを考えているひまはない。

 再びグリフォンが遅い来る中で、風圧に逆らいシズマは立ち上がる。


「よしっ、みんな! アレサを守ってくれ! 俺が奴を叩き落とす!」


 弓を構えて、走り出す。

 大賢者スペルマスターとしてあらゆる魔法を繰り出した経験が、空を舞うグリフォンとの距離を正確に伝えてきた。わかる訳でもなく、読めるとも思えない。ただ、感じるのだ。

 そして、手には白銀しろがねに輝く弓と矢。

 ミサネの作った武器へ、シズマは全幅の信頼を寄せていた。


「あとは俺が弓を引けるか……その力を引き出せるか!」


 指示を叫んで皆を下がらせつつ、必死でシズマはグリフォンを追う。

 仲間たちもよく守っているが、このままでは勢い付いた闇の軍勢に押し切られてしまう。再び流れを引き寄せるためにも、厄介やっかいなグリフォンを叩き落とすしかない。

 地面へ引きずり降ろせば、必ずアレサと仲間たちが倒してくれるはずだ。

 それに、先程言った。

 ここに集った誰もが、一人じゃない……一つだと。


「シズマ! 周りの雑魚ざこはあーしが片付けるっ! あのうっざい奴、なんとかしろしー!」

「アスカ! ああ、わかってる! ――この距離なら!」


 アスカのおかげで、ゴブリンの群れに道が開ける。

 疾走しつつ矢をつがえて、弦を引き絞る。

 あっという間に、全身の筋肉が限界を訴えてきた。

 だが、輝く弓はまだまだ完全には瞬発力を蓄えていない。

 本当にこの弓が、魔物を滅する銀の一撃を繰り出すには……

 それを知ってて、今の力で届く距離まで近付き、矢を射掛ける。


「さあ、降りてこいっ! こっちにはアレサやアスカ、ディリアもいるんだ!」


 二度三度と矢を放って、嫌がらせ程度にグリフォンの飛ぶ軌跡をなぞる。

 流石に苛立いらだちを覚えたのか、鷹の目を血走らせてグリフォンが身をひるがえした。

 しめたとばかりにシズマは、アレサの位置を確認して、そして再び駆け出す。

 だが、その瞬間にはシズマは大きく転倒していた。

 体勢を崩して、見事なまでの無様さでひっくり返ったのだ。


「くっ、しまった!」


 すぐに弓を見て、弦の張りを確かめる。

 次に矢筒の中身も見て、武器の無事を確認する。

 だが、立ち上がろうとするシズマを影が覆った。

 顔を上げれば、目の前にあのメイコが立っていた。

 見ていられなくなって、また出しゃばってきたのだろう。


「シズマ、こうして見下ろしてると……ちょっとは気が晴れるよ? ふふっ」

「くっ、また瞬間移動かよ! あの特盛グリフォンもお前の仕業か」

「転使って、なんなんだろうね。なんだと思う? 全員がすっごい力を与えられた、異世界エルエデンの救世主。でも、神様は本当に、この世界のためにわたしたちを呼んでるのかなあ」

「わからん! 知りたくもない! ……知るのが、怖い。正直言うとな」

「あはっ! シズマにも怖いもの、あるんだ。……今のわたしはどう? こ、怖い、かな」

「……昔のメイコの方が好きだよ、俺は」


 一瞬、驚いたようにメイコが身を硬くした。

 だが、次の瞬間にはドス黒い瘴気しょうきを全身からほとばしらせる。


「そういうの、やなの! この、人たらしっ! わたしの欲しい好きは、そういう好きじゃないんだっ! ……もう、やなの。好かれてるだけじゃいたくないの!」

「……そうか。ゴメンな、メイコ」

「あやまらないでよ! もういいっ、シズマなんてやられちゃえっ! 質量変換の力……本当は、こういう風に使うんじゃないのに! もーっ!」


 急降下でグリフォンが迫る。

 その鋭い鉤爪とくちばしが落ちてくる。

 だが、シズマはすかさず弓を構えた。

 そう、構えた……

 そして、上体を寝せたまま弓を空へ向けた。


「腕力で駄目なら、腕二本でっ! プラスッ、背筋だっ!」

「シ、シズマッ!? ……やだ、なにやって……え、ええーっ!?」

「大賢者ってな、魔法が全部使えるから大賢者なんじゃないっ! 大いに賢い者、それが、それが今の俺の大賢者だっ!」


 そう、中学生の頃メイコを連れて公園を散歩した時だ。

 彼女がボートに乗りたがって、池の貸しボート屋に行ったことがある。今日みたいないい天気で、ちょっと風が冷たくなった秋……ちょうど今頃の季節だった。

 その時の記憶が、シズマの筋肉によって思い起こされる。

 オールでボートを漕ぐように、使

 片手で持って、もう片方の腕で……これでは筋力が足りない。

 だから、両足で踏ん張って、両手と背筋で引き絞る。


「向かってくる相手になら、外さないっ! 俺は……メイコと平和を取り戻すまで、もう負けない……負けられないんだっ!」


 銀のやじりが空気を歌う。その調べが風になる。

 ヒュン、と小さく終笛オルフェのように鳴る。

 あっという間にグリフォンは、片目に深々と矢を突き立てられて絶叫した。そのまま挙動を見出した巨体が、落下してくる。

 迷わずシズマは、立ち上がるや弓を捨ててメイコをかばった。

 先程アレサにしたように、押し倒した。

 そして、走る影へと叫ぶ。


「アレサ、頼むっ!」

「お任せですのっ! いざっ、CLASHクラアアアアアアアッシュッッッッッ! ……わたくし以外にもああして……知りませんわ、もぉ!」


 アレサは既に、自身を強化する補助魔法の輝きで全身が光っていた。七色のエフェクトをまとう剣士が、まるで枝葉を振るうように軽々と大剣を振り上げ、そして振り下ろす。

 地べたに落ちて足掻くグリフォンは、その首をねられ動かなくなるのだった。

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