第26話「魔王の叫び、その心」

 誰もが唖然あぜんと、空を見上げる。

 まばゆい朝日の逆光を背負って、一人の少女が大地を睥睨へいげいしていた。

 露出の激しいコスチュームに、マント姿で長杖ロッドたずさえたその姿……忘れもしない、シズマが助けたいと思っているメイコだ。

 そう、今の魔王をやってるメイコが突然、小さな宿場の空に現れたのだ。

 周囲にもすぐに動揺が広がる。


「なっ、あ、あれは……? まさか」

「いや待て! そんなはずが……」

「で、でもよぉ! 魔王は確か、単独でアチコチに現れて」

「ああ……あらゆる人間の力を奪っているらしいぞ。転使てんしじゃない奴からもだ」


 メイコはじっとシズマを見詰めてくる。

 そして、似合わぬだらしのない笑みを浮かべていた。法悦と歓喜で、高まる感情がグチャグチャになっているかのような笑顔だ。

 彼女のよく通る声が、この場の全員を戦慄させる。

 もじもじと喋る普段の面影はもう、微塵みじんも感じられなかった。


「やあやあ、みなさんご苦労さまー! どもどもー、魔王でーす」


 おどけて見せるメイコからは、強烈な殺気が発散されていた。その圧倒的な威圧感は、自然と全ての人間を金縛りへと追い込む。シズマも、身体の自由が効かなくなる程の緊張に支配されていた。

 だが、なんとか上ずる声を張り上げる。


「メイコッ! もう馬鹿な真似まねはよせ!」

「馬鹿な、真似? そっか……確かに、シズマから見たら馬鹿だよね、わたし」

「そういうことを言ってるんじゃない。異世界まで来て、いろんな人を困らせるのはよせ。お前、そういう子じゃなかったろ? いつもみたいに俺に相談してくれよ!」

「そういう子じゃない? いつもみたいに? ふーん、やっぱそうなるよねえ」


 先日、魔族の隠れ里で会った時とは段違いだ。

 恐らく、あのあとも各地を飛び回って能力を吸収してきたのだろう。

 だが、疑問は残る。

 神出鬼没しんしゅつきぼつでメイコが特殊能力を集めているのは、ひとえに彼女の用意周到さ、準備の入念さがさせるものだ。昔から彼女は、地道にコツコツ積み上げてゆくことが得意なのだ。

 しかし、その成長が早過ぎる。

 そもそも、当時魔王城にいたルベリアから力を奪ったことも、方法がさっぱり想像できない。


「とにかく、降りてこいよ。なあ、メイコ……少し落ち着いて話せば、大丈夫だ。俺たち、赤ん坊の頃からの仲だろ? もう、酷いことはよすんだ!」


 メイコはシズマを、つまらなそうに見下ろしている。

 そんな彼女の姿が、一瞬で消えた。

 次の瞬間、耳元でねっとりとした声がなめるように響く。


「シズマさあ……本当はわたしのこと、怖いんだよね? そうでしょ?」

「なっ、メイコ!?」

「話せばわかる、かあ。じゃあ、話すね……まず、最初から話すことにする」


 居並ぶ兵士たちも、誰も動けなかった。

 そして、瞬間移動の理由が語られる。


「わたし、このエルエデンに飛ばされた時、シズマとはぐれちゃってさ。ほら、わたしってシズマがいないと駄目な子じゃない? ずっと、ずーっと、シズマにおんぶにだっこだった」

「そ、それは」

「シズマはいつも助けてくれた。頼りになる幼馴染おさななじみで、いつでもわたしのことを考えてくれてる。そうだよね? そう、だったよねえ?」

「……ああ。お前のことが心配だ。それに、俺だってお前に頼って、助けられてきたよ」

「わたしさあ、一人になっちゃったらなにもできなくて。同じ転使の人たちに拾ってもらったけど、なにも役に立てなくて。でも、シズマは……大賢者スペルマスターシズマは大活躍だったよね」


 なんとか勇気を出して、シズマは背後を振り返る。

 だが、今度は逆側の耳に言葉が息吹となって忍び込んできた。


「わたしのいたギルドでもさ、シズマは人気者。モテたよ? 女の子はみーんな、ナイン・ストライダーズの大賢者シズマに夢中だった」

「そ、そうだったのか。は、はは、それは困ったな」

「だよねえ? わたしも困ったよ。しかも、その中の一人がさ、思い切って告白してみるって……その子、転使として物質の転送や空間移動の力を与えられてたんだあ」

「お前、まさか……!」


 後ろに手を組み、くるりと回ってメイコは「ぴんぽーん!」と微笑ほほえむ。

 だが、目だけが笑っていない。

 瞳の奥によどんだなにかが、シズマの視線をひたすらに吸い込んでいた。


「わたし、自分の能力を初めて使ってみた。その子の力、取っちゃった。ほら、普通は高い魔力がないと、移動魔法とか収納の術とか使えないよね? でも、わたしはもらっちゃった。そして、思ったの」

「……わかったぞ、メイコ。それでお前、次は一足飛びに」

「そう、魔王城に飛んだよ? 本当はシズマのとこに飛んでいきたかった、けど……そこにいるかはわからないから。でも、魔王城なら地図に載ってる。闇の軍勢が守る、難攻不落のお城」


 静寂が広がってゆく。

 すでにもう、この場の誰もが戦意を挫かれていた。

 この短期間で、エルエデンのあちこちから能力を奪えた理由がわかった。彼女は魔法とは別の、転使としての特殊能力で瞬間移動していたのだ。


「わたし、考えたんだあ。魔王の力を奪えば、手っ取り早くゲームはクリアだって。簡単だったよ? ちっちゃい女の子だったし、玉座の間まで短いジャンプを繰り返してさ」

「……なら、どうして新しい魔王になった。ゲーム? 違うっ、遊びなんかじゃないんだぞ!」

「だって! だって、シズマがいなかったから! いつもそう! シズマ、わたしをちゃんと見てくれないからっ!」


 とがった叫びがシズマの胸を貫いた。

 同時に、メイコの覇気がいよいよ膨れてこの場を覆い尽くす。

 彼女の感情の高ぶりは、まるで瘴気のように空気を濁してゆく。そのドス黒いオーラが、徐々にメイコを包み始めた。


「わたしが魔王になればさ、シズマにだけ負けてあげられる。シズマをさ、いつもみたいに眩しい存在にしてあげられるんだあ。シズマ以外には、魔王討伐の英雄はやらせてあげない。……そういうつもり、だった」

「なにを馬鹿な!」

「また馬鹿って言った! ねえ、わたし馬鹿かなあ? 愚か者? わたしは、シズマに振り向いてほしいの! ずっとシズマを追いかけてきたんだもの、一度くらい振り向いてよ」


 激昂げきこう慟哭どうこくとを、メイコは顔に出さずにぶつけてくる。

 相変わらずまだ、どこかニヤニヤした笑みを浮かべているのだ。

 なのに、発する言葉は次々とシズマから冷静さを奪っていった。シズマの中で、今まで幸せだと思っていた日常が、その思い出が削られてゆく。


「シズマ、いつも周りに沢山人がいたよね! シズマが好きだっても絶えなくて! それでわたしに、ラブレターどうしたらいいかとか聞いてきたよね!」

「そうか……もしかして、お前は、メイコは」

「もしかしてじゃないよ! そんな曖昧あいまいな言葉じゃないの! わたし、シズマが好き! 大好き! ずっと好きだったし、これからも絶対に好きなの!」


 衝撃の告白だった。

 同時に、全てを吐き出し落ち着いたかのように、メイコは再び空へと舞い上がった。


「だから、シズマを魔王討伐の英雄にしてあげたかった。けど、結構転使のみんなも強いから、わたしもレベルアップしなきゃって。そしたらね、気付いたんだ……ウフフッ」


 シズマが絶句に沈む中で、メイコは浮かれたように笑い出す。

 そして、その声を浴びてなおも動ける少女がいた。

 彼女は、巨大な剣を背負ってシズマの前に立つ。


「メイコさん、貴女あなたは……他者の力を奪い続ける中で、思ったのですわ。自分がこれだけ強くなれば、わざわざシズマを英雄に仕立て上げなくてもいいと」

「そうよ、そうなの! わたし、なんでも奪える……能力だけじゃない! シズマの使ってたこのつえだってそう! シズマ自身の魔力も……だから、シズマそのものを奪えばいいんだって」

「その気持ち、わたくしにはわからなくもありませんの」

「……エルフさんさあ、この間もだけど……シズマのなに? なんなの?」

「そ、それは……仲間! 仲間ですわ!」


 アレサは、普段の溌剌はつらつとした態度が少し影をひそめている。

 それでも、彼女はメイコに語りかけた。


「意中の殿方に恋い焦がれて、それをただ見ているしかできなかった。その人は人気者で、自分の割って入る余地がなかった。だとしても、ですわ! だとしても、貴女の所業しょぎょうは許さえるものではありませんの!」

「……そう、かな? ねえ、誰が許さないの? エルフさんが? それともシズマ?」

「この世の正義、そして人を守りたもう神様ですわ!」

「あー、そういう……フフッ、アハハ! 神様! そっか、神様かあ。わたしさあ、その神様ってのに許されない訳ないじゃない? だって……転使ってもともと――」


 メイコの言葉に、ビクリ! とシズマは震えた。その瞬間にはもう、弓に矢をつがえてつるを鳴らす。弱々しい矢が、メイコに届かず静かに弧を描いた。

 今、世界の闇が暴かれそうになった。

 そう感じた瞬間、思わずシズマはメイコを攻撃していた。

 メイコは既に知っている……否、メイコの行動を後押しした者がいる。そいつは恐らく、108人の少年少女を召喚し、この異世界エルエデンで戦わせているのだ。

 暗く深い闇は実は、誰もが疑わぬ光の輝きに隠れていたのだ。


「あ、ああ……シズマ、今、わたしを? ねえ、わたしを攻撃したの? シズマが?」

「い、いや、これは! 違うんだ、メイコ!」

「違わない! やだ、やだよもぉ……どうして思い通りになってくれないの? わたし、そんな難しいこと言ってない。ただ、シズマともっと、ずっと一緒にいたい。追いかけるから、追いつきたいから……いつか隣に並んで歩きたいって」


 メイコはそのまま、逃げるように飛び去ってゆく。

 その先に、誰もが見た。

 強大なる闇の軍勢、魔王メイコが従えるモンスターの大軍を。もうもうと土煙をあげ、荒野から進軍してくる絶望の群れだ。それは確実に街道かいどうを飲み込み、王都へ向けて進もうとしているのだった。

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