第24話「昨夜はお楽しみでしたか?そうなんですか?」

 ルベリアの告白は、衝撃的だった。

 シズマにとってもそうで、恐らく多くの者たち……特に、このエルエデンに召喚された転使てんしには残酷とすらいえる真実だろう。

 朝、ベッドで目が覚めても、シズマはそのことが頭から離れなかった。

 夢の中までそのことを考えていたかのようで、眠れた気がしない。


「朝、か……? そうだ、俺は……あのあと、ルベリアさんにお酒をすすめられて」


 正直、シラフで聞けるような話の内容ではなかった。

 酒を知らなくても、そうだと思えるだけの重さがあった。

 シズマだって、まだ十代の少年、子供なのだから。それでついつい、酒に頼って逃げた。ルベリアも、自分がとんでもないことを言っている自覚があったのだろう。

 この異世界に隠された真理は、今のシズマには受け止めきれない。

 酒という名の麻酔薬で中和しなければ、鋭い現実の痛みで死んでしまう。


「まいったな、結局俺も飲んじまったのか。……酔って見た夢、じゃないよな? ルベリアさんは確かに、あの時俺に言った」


 頭を軽く振って、身を起こす。

 その時、シーツの上に突いたと思った手がなにかに触れた。

 そう、やわらかい。

 そして、弾力があって温かい。

 思わず視線を落としたシズマは、次の瞬間には飛び起きた。

 そのまま転げ落ちるようにベッドから離れる。


「なっ、なな……なんでぇーっ! アッ、アア、アレサッ! どうして俺の部屋にッ!」


 そこには、一糸纏いっしまとわぬ全裸のアレサが眠っていた。安らかな寝息をたてて、静かに眠る少女。その姿は、太古の芸術家が生み出した女神像のようにまぶしい。

 周囲をよく見て、シズマが手配した自分の部屋だと確認する。

 昨夜、彼女は酒場のカウンターで酔い潰れて寝てしまっていた。

 シズマはそのとなりで、ルベリアの話を聞きつつ初めてのお酒を……


「やっちまった……いや、やってない! やってなどいない! と、思う、気がする。頼む、そうであってくれ」


 年端もゆかぬ同世代の少女との、同衾どうきん

 今もアレサは、白いシーツに金髪を広げて寝入っている。時折ときおり「ん……」と、切なげに鼻を鳴らしては寝返りに身を丸くしていた。

 まるで、大きな猫のように愛くるしいが、その自己主張が激しい肉体美は目の毒だ。

 あれだけ筋トレに励んでる、鋼の肉体を持った剣士なのに……その裸はとても綺麗だった。彼女の筋肉は、少女の時代を脱しかけた女性らしさと見事に調和している。


「と、とりあえず、起こそう……そして、服を着てもら、ふぉ、とぉう!」


 変な声が出て、シズマはベッドに歩み寄ろうとしてスッ転んだ。

 今しがた彼が踏んづけたなにかが、ひらひらと宙を待って顔に降ってくる。

 手で顔から引っ剥がすと、それは。ややハイレグ気味の、きわどいものである。

 思わず絶叫しそうになって、慌ててもう片方の手でシズマは口を抑えた。

 今この瞬間、アレサが目を覚ましたらと考え、あせる。

 寛大かんだいでおおらかアレサでも、決して許してはくれないだろう。


「ま、まずいぞ……とりあえず、この脱ぎ散らかしてるビキニアーマーを片付けるんだ」


 そそくさとシズマは、音を殺して行動を開始した。

 アレサの着衣を拾う中で気付いたが、シズマもパンツ一丁である。

 どう考えても、どう言い訳しても、なにがあったかを現状が雄弁ゆうべんに語っていた。そして、そうでないと立証するには、シズマは昨夜のことを覚えてなさすぎる。

 それほどまでに、ルベリアの言葉は驚きに満ちていたのだ。


「えっと、確か……魔力がなくても、生命力を削って魔法を使うすべがある。魔族はその術を人に与えることができる。ふむ、それはいい。まあ、ちょっとリスキーだが」


 ぶつぶつと独り言をつぶやき、どうにか自分を落ち着かせようとする。

 そうして、布面積ぬのめんせきの小さなアレサの着衣を全て集めてたたんだ。


「それより……あの話は本当なのか? 本当なら、俺たち転使は……そして、それを召喚したエルエデンの神とは」


 シズマは徐々に、昨夜の話を思い出す。

 そして、改めて戦慄せんりつに震えた。

 裸の身体が寒いのではない。

 心胆しんたんを寒からしめる事実を、知ってしまったのだ。


「ルベリアが……まさか、元とはいえ魔王が、使。つまり、どういうことだ? エルエデンを救った転使は、元の世界に帰れるんじゃないのか?」


 そう、ルベリアは打ち明けてくれた。

 魔族の同胞はらからやディリアさえも知らない、彼女だけが胸の奥に封じてきた記憶……それは、このエルエデンの神秘と摂理せつりの舞台裏だ。決して知ってはならぬ、神の采配さいはいのカラクリである。

 ルベリアはかつて、このエルエデンを救うために召喚された転使だった。

 今の時代が聖戦として記録する、以前の世界の危機……その中で、ルベリアは邪悪に打ち勝ったという。だが、そんな彼女を待っていたのは、名誉と帰還ではなかった。


「つまり……使。そして、使? 何故なぜ、どうしてだ」


 つまり、エルエデンは延々と世界の敵を生み出し、それを倒せる強き者をさらなる敵へと変えてきたということだ。それも、神と呼ばれる存在が幾度いくどとなく繰り返しているという。

 その理由が、シズマにはわからない。

 勿論もちろん、ルベリアもそこは説明してくれなかった。

 神の思惑など、誰にもわからないといえばそうだろう。

 だが、法則性を持ったサイクルを、意図的に神は永続させようとしているのだ。


「んっ、ん……シズマ」

「は、はいっ! ……なんだ、寝言か」


 突然、アレサが寝言を発した。

 それだけでもう、変な汗が出てシズマは壁まで後ずさる。

 だが、起きる様子もなくアレサは優雅な微笑ほほえみを浮かべていた。


「シズマ、もっと腰を……腰を入れて、そう」

「な、なんの話かな? ちょ、ちょっとわからないなー、ハハ、アハハハハハ!」

「もっと、ゆっくりですわ」

「そ、そゆこと、したのかなー? 昨夜、しちゃったのかなー!」


 だが、次の瞬間にはアレサはうふふと笑う。


「スクワットの基本は……姿勢、ですわ。そう、ゆっくり腰を、落として……真っ直ぐ、腰を入れて下へ、上へ……そう、上手ですわ」


 筋トレの夢を見ているらしい。

 紛らわしい話で、思わずシズマはその場にへたり込んだ。

 だが、いかにもアレサらしくて、少し落ち着きを取り戻す。

 多分、昨夜はなにもなかった。ただ、ぼんやりとだが酔い潰れたアレサを運んだ記憶が蘇ってきた。だが、シズマ自身も慣れぬ酒で酔っていたのだろう。

 かろうじて彼女を、この部屋に連れ帰ることには成功したが、そのあとがいけない。


「まあ、俺にはそんな度胸どきょう甲斐性かいしょうもないぜ! ……自分で言ってて情けなくなるけどな」


 それに、昨夜アレサは確かに言っていた。

 自分が今、恋をしていると。

 故郷を追われて200年、彼女の前を多くの人間が通り過ぎていったんだと思う。エルフの時間の流れは、酷くゆっくりとして長く、人間などは一生を使っても付き合いきれない。

 幼少期にアレサを姉と慕ったアレクセイが、いい例だ。

 でも、シズマはアレサの恋を祝福したい。

 愛が実るよう応援したいし、仲間として支えたいと思った。

 ドアがノックされたのは、そんな時だった。

 慌ててシズマは、ベッドに駆け寄りアレサに毛布をかけてやる。そして、返事をしてから服を着ると、ドアをそっと開いた。


「おはよう、白銀しろがね射手しゃしゅシズマ」

「な、なんだ、ディリアか。どした? 朝、早いんだな」

「入るぞ」

「駄目だっ!」

「……そ、そうか? だが、大事な話がある」

「外で話そう! そうしよう!」


 いきなりピンチで、慌ててシズマはディリアを押し出す。そうしてやんわり部屋から遠ざけると、自分も宿の廊下に出て後ろ手にドアを閉めた。

 いつもの生真面目きまじめな表情を、ディリアはことさら緊張させていた。

 そして、なにかを言いかけては口をつぐみ、何度もくちびるに言葉を載せようとする。


「な、なあ、シズマ。……やはり魔力が欲しいだろう。魔法を使いたいなら、オレにもできることがある」

「ああ、昨夜ルベリアさんから聞いたよ。正直、ちょっと迷ってる。けど、選択肢が多いのはいいことさ」

「駄目だ! あれは、呪いだ。魔法のために命を削る……ましてお前は、元は大賢者スペルマスターシズマだ。使う呪文は並の魔法じゃない。禁術きんじゅつでも使おうものなら、寿命はあっという間に消えてゆく」


 意外にも、ディリアはシズマを心配してくれていた。率直に言って驚いたが、仲間として認めてくれたかと思えば嬉しかった。

 だから、彼女の両肩に手を置いてうなずく。


「大丈夫さ。でも、メイコを止められるなら……俺の寿命なんてくれてやる。は、半分……いや、四分の一くらいならくれてやるさ」

「シズマ……あ、安心しろ! まだ手はある。魔族の魔法には、人間にはない特殊なものもあるのだ。たとえは、そう」


 突然、ディリアは背伸びして顔を近付けてきた。彼女は青白い頬を赤く染めながら、静かにひとみを閉じる。なにごとかと思って、思わずシズマはのけぞった。


「ソウルブレス……魔族固有の魔法だ。

「ま、待て、何故それが今のこの行動と結びつく!」

「安心しろ、痛くはない。ただの接吻せっぷん、くちづけだ」

「ああ、なるほど。って、おいっ!」

「命を削るなど、よせ。オレは嫌だと思った。シズマ、私の魔力を分けるから、考え直せ」

「お前こそ、ちょっと待て! いや、気持ちは嬉しいけど、なにその魔法! 魔族ってどうなってんの!」


 思わず、突き放そうとする。

 それでも迫ってくるので、シズマは逆にディリアを抱き締めた。

 ディリアが身を硬くして、驚きが伝わった。


「……サンキュな、ディリア。でも、魔族には当たり前でも、人間にはちょっとさ。そういうのは、ええと、あれだ。大事な人との初めてに取っておけよ」

「そう、なのか? 魔族同士では魔力の共有は頻繁に行うが。……も、勿論、誰が相手でもとは思わない。けど……シズマに私の魔力を渡せば、命を削る必要はなくなる」

「ああ、そういう……いや、俺は今も無力で、頭をひねるくらいしかできてない。でも、だからって過去の力を取り戻して命を投げ出すこと、それは考えてないよ」

「そうか。妙だな、ふふ……酷く安心した」

「そりゃよかった。で、なんか……外、騒がしくないか?」


 ふと、廊下の窓から外を見る。

 今日も快晴、朝日が照らす宿場の空気が澄み渡っている。そして、その秋の風が行き来する中で、多くの声が互いに押し寄せあって満ちていた。

 驚くシズマは、その時気付けなかった。

 背後で小さく、開いていたドアが閉まる音を。

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