第23話「夜の帳に闇の影」

 集まった転使てんしの少年少女たちは、それぞれシズマが用意した宿やどの部屋へ戻っていった。接待は上手くいった気がするし、なによりちゃんと正直な現状を伝えられた。

 シズマはここで、王都の手前で魔王メイコを迎え撃つ。


「ま、全員は無理でも何人かは……王都決戦なんて危険過ぎる。最終決戦は、それが最後のとりでってだけでもう駄目なんだ」


 酒場は先程の喧騒も去って、店の人たちが後片付けに追われている。

 ナイ=ガラアから来てくれた衛兵が数人、酔い潰れて床に大の字になっていた。彼等もまた、不安なのだ……ナイ=ガラアも結局、領主アレクセイの判断で王都に物資を差し出した。

 転使たちのほぼ全てが王都決戦に挑む中、魔力を失ったシズマと共に戦う羽目はめになったのだから。


「さて、俺も少し休むか。……待ってろよ、メイコ。俺がすぐにでも……ん?」


 ふと見れば、カウンターの端にまだ一人の少女が座っていた。彼女は今、静かにグラスを傾けている。

 自然とシズマは、その見慣れた背に歩み寄る。


「アレサ、まだ飲んでるの? っていうか、お酒大丈夫なのかな」


 シズマの声に、ゆっくりとアレサが振り返った。

 その表情は、どこかうれいを帯びた笑みが色っぽい。酒気で朱に染まる頬も、潤んだ瞳もシズマには輝いて見えた。

 シズマはそっと、彼女の隣に腰掛ける。


「未成年ではないですわ。わたくし、こう見えても200歳ですのよ?」

「だったよね……ごめんごめん。同世代にしか見えないから」

「ふふ、いーのですわ。わたくし、立派なレディですもの」


 今日は珍しく、アレサもはしゃいでいたように見えた。

 新たな武器を得て、彼女の戦いも新たなステージへと進んだのだ。使える魔法も充実してきたし、魔王と戦う仲間も増えるかもしれない。

 そういえば、アレサはどうして魔王と戦うのだろうか?

 そのことを、それとなくシズマは聞いてみた。

 アレサはグラスの中に琥珀色こはくいろを遊ばせ、氷を歌わせながら言葉を選んでくる。


「わたくしは……きっと、また森に、故郷に帰りたいのですわ。多分」

「ず、随分曖昧あいまいなんだね」

「エルフは基本的に、他の種族とは距離を置いて暮らしてますの。閉鎖的で排他的な面があって、古き伝統を重んじる……皇族たるハイエルフならば、尚更なおさらですわ」


 アレサは魔法が使えない。

 正確には、膨大な魔力を身に宿しているが、それを肉体の外へ出すことができない。つまり、他者に対して攻撃も治療も行えないのだ。

 それを彼女は、濃くなりすぎた皇家こうけの血の弊害へいがいだと教えてくれた。


「故郷を追われたわたくしですが、エルエデンを旅する中で沢山のことを学びましたの」

「前の、なんていったっけ。聖戦? 俺たちの前の世代の転使たちにも会ったんだよね」

「ええ。当時もエルエデンは滅亡の危機にひんしていましたの。勿論もちろん、わたくしも共に戦いましたわ。そう……例え魔法が使えなくても、わたくしには生まれ持った健全な肉体がありましたもの」


 過去の戦いについては、シズマはあまり詳しくない。

 ただ、このエルエデンでは『世界の危機に際しては、神が異世界から少年少女を救世主として召喚する』というシステムが確立しているようだった。

 以前の戦いは聖戦と呼ばれ、それより以前にも神の救済は何度かあったらしい。


「わたくしも昔は、追放された我が身を呪いましたの。泣いてばかりいましたわ。でも」

「でも?」

「そんなわたくしも、旅の仲間と知り合い、多くの出会いがありましたわ。そして、とある転使さんから教えられたのです」


 突然、酔ったアレサがガタン! と椅子いすった。

 彼女はうっとりしながら、両手を広げて歌うように叫ぶ。


「筋肉! 筋トレで筋力をつければ、大抵の悩みは吹き飛びますわ!」

「ア、ハイ」

「そう、筋肉! !」


 ぎゅっと胸の前で手と手を組んで、再びアレサは座った。そして、上機嫌でグラスに酒をぎ足してゆく。そろそろ止めた方がいい気もしたが、彼女はカランと氷を鳴かせてはいを乾かした。


「ハイエルフといえど、このエルエデンに生きる命に変わりはありませんわ。わたくしは故郷を失いましたし、今でも望郷ぼうきょうの念を持っていますの。そして、魔王を討伐したとなればきっと」

「そ、そうだな、英雄として凱旋がいせんできるもんな」

「……でも、気持ちは少し複雑ですわ。もっとこうして旅していたい、冒険者として生きていたい。皇家の姫として戻り、親の決めた相手にとつぐより……もっとこうして、恋していたいんですの」


 カウンターに頬杖ほおづえを突くと、じっとアレサはシズマを見詰めてきた。

 思わずドキリとするが、目が放せない。

 あんな大男を腕相撲で負かすような、そんな人間にはとても見えなかった。白い肌で包まれた全身は細身で、肉付きのいい女性的な柔らかさが曲線美をえがいている。

 そして、まばゆい美貌を前に思わずシズマはゴクリとのどを鳴らした。

 だが、不意に背後で呼ぶ声がした。


「シズマよ、ちとよいか? 昼間は話しそびれてしまってな」


 振り向くとそこには、小さな少女が立っている。

 頭の上には立派な角が広がっていて、酒場の明かりを反射してぼんやり光っていた。

 魔族のおさ、かつての魔王……ベルリアである。

 彼女は珍しく一人で、周囲にはディリアの姿がなかった。

 そしてシズマは、朝方のことを思い出す。


「ああ、なんか俺に話があるんだって?」

「うむ、となりに座ってもよいか? お主の逢瀬おうせを邪魔するのは忍びないのじゃが」


 すぐにアレサが給仕ウェイターを呼んで、グラスをもう一つもらっていた。それになみなみと酒を注いで、彼女はルベリアに差し出す。

 魔族のロリっとエルフの美少女に挟まれ、シズマもお茶を一杯もらうことにした。


「うふふ、さあ! 乾杯ですわ! わたくしたちの勝利を祈って!」

「では、一献いっこん付き合おうぞ。よもや、人間やエルフとこうしてさかずきを交わすとはのう」

「じゃ、じゃあ、かんぱーい。……いいなあ、俺も早く酒が飲めるようになりたいよ」


 ここは異世界エルエデンだから、未成年が酒を飲んではならないという法はない。そもそも、仕事を得れば誰でも一人前の大人として扱われるし、酒を飲むのも自己責任という風潮が強い。

 モンスターとの戦いに明け暮れていた大賢者スペルマスターシズマには、酒に酔う余裕もなかった。

 魔力を失い自堕落な隠遁生活をしてても、逃げるみたいな気がして酒が飲めなかったのだ。

 ルベリアは手にしたグラスの蒸留酒ウィスキーを一口飲み、くちびるを湿らせてから話し出す。


「ハイエルフの姫君よ、お主も聞いてもらっても構わん。時にどうじゃ? 先程ディリアから話されたと思うがのぅ」

「はいっ! 魔族さんの魔法は独特のものが多くて、とても勉強になりましたわ」

「毒や呪い、そして地獄のほのお死霊しりょうや邪神の召喚……そうしたものは体質的には使えぬだろうが、いくつか有用な呪文もあろう。それで、だ」


 アレサがうんうんと頷く中、ルベリアはシズマの顔を覗き込んでくる。隣から真っ直ぐ、つぶらな瞳で見上げてくるのだ。

 なにか真剣な雰囲気を感じ取って、思わずシズマも身を正した。


「シズマよ、あらゆる魔法をべし大賢者と呼ばれた男よ。?」

「えっ? いや、ちょっと待ってくれ。俺は魔力を奪われちまって」

「そう、魔法のみなもとは命に宿りし魔力。じゃが、それは人間たちに限っての話じゃ」


 思わずシズマは「へっ!?」と間抜けな声をあげてしまった。

 そんな彼が面白いのか、ニヤリと笑ってベルリアは話を続ける。


「我ら魔族の使う魔法は、人間たちのそれとは少し違う。お主たちが魔力をリソースとするように、我らは魔族としての血統、持って生まれた魔性の力を使うのじゃ」

「ふむ、なるほど。でも、俺は魔族じゃないからなあ」

「まあ聞け、シズマ。魔族は古来より人の世を脅かし、人の心の弱さに付け込んできた。我はそういう魔族の長を任されたのじゃがな」


 そして、ルベリアは信じられない言葉を言い放った。


「人間をたぶらかして堕落だらくさせるため、魔族は時に人へ力を与えることがある。それは呪いでもあろうが、人の願いを叶える夢とも言えよう」

「……なんだって?」

「お主に覚悟さえあればな、シズマ……使


 シズマは耳を疑った。

 また、大賢者として全ての呪文が使えるようになる!?

 そうなれば、半端な弓使いから最強戦力に返り咲けるのだ。

 だが、ルベリアの言葉にはリスクが感じられた。


「奇跡の復活、って訳にはいかないんだろう? 覚悟、って言ったよな」

「そうじゃ。まず、それが一つ……お主の術者としての命を蘇らせることが我にはできる。ただし、悪魔に奇跡を願えば、その代償があることは自明の理」

「だよなあ。……一応、聞くだけ聞いとくか」

「うむ。お主の魔力は戻らぬが、なに、代わりのものを触媒とすればよい」


 ――人の命を削って魔法を発現させる、そういうすべが魔族にはある。

 確かにルベリアは、そう言った。

 思わずシズマは、驚きのあまりに身を乗り出してしまう。


「ほ、本当かっ!? つまり……わかりやすく言えば、MPじゃなくてHPを削って魔法が使えるようになるのか!」

「なんじゃ、それは。さっぱりわからんぞ」

「い、いや、こっちの話だ。確かにリスクはある、けど……だけど」

「それと、もう一つ。言おうか言うまいか悩んだが、のう。シズマ、お主のありよう、その生き方にれたぞ。恩人でもあるゆえ、我もまた真実を語ろう」


 そして、シズマは絶句した。

 ルベリアの語る言葉が、先程の驚き以上の衝撃を連れてくる。

 それは、このエルエデンで繰り返される光と闇の歴史……これぞファンタジーの醍醐味だいごみと思える異世界の真実だ。

 思わず混乱するシズマの隣では、酔い潰れたアレサが小さな寝息を立ててへ行ってしまうのだった。

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