第21話「魔力尽きて尚、知力を尽くす大賢者」

 苛烈かれつな、そして熾烈しれつな戦いだった。

 ワイバーンを、ただの空飛ぶトカゲだと笑っていた、そんな時期がシズマにはあった。群れて飛んできても、広範囲を殲滅せんめつする魔法で消し炭けしずみにしてやった。

 それが今は、なにもできずに仲間に頼るしかできない。

 そして、新たな剣を得たアレサは、あまりにも頼もしい。


「ま、今はよしとするさ。俺だって、もうへこんでぐだぐだしてるのはやめたんだ」


 小さな街道沿かいどうぞいの宿場しゅくばに、夕暮れが訪れる。

 先程の戦闘に驚いていた住人たちが、ようやく閉め切った家々から出てきた。ここは王都へ向かう街道の合流地点で、大きな宿屋が数軒あるがそれだけだ。

 Y字型の三叉路さんさろを囲む、少し開けた広場……今は不思議と、ちょっとしたお祭り騒ぎだ。

 現金なもので、宿の女将おかみたちは人手を集めてワイバーンの解体を始めたのだ。


「そういや、エルエデンじゃモンスターも食料であり資源だもんな」


 子供たちが、大人が綺麗にワイバーン本体から引っ剥ひっぺがした角に驚いている。自分の胴体ほどもある鉤爪かぎづめを抱き締め、キャッキャと無邪気に笑っていた。

 それを見ながら、シズマは日課の腕立て伏せをしていた。

 残念だが、馬でカッ飛ばしてきてから、実はあまり働いていない。

 先程は弓矢でブレスのタイミングを遅らせたが、それだけだ。

 そして、情けないことにこの日課……。少なくとも、明日でやめて三日坊主になるのだけは避けたかった。


「でも、そろそろだな。俺の読みじゃ、そろそろなんだ……ッ!?」


 不意に、斜陽しゃようの光がさえぎられた。

 自分を影で包んだ少女を、自然とシズマは見上げる形になる。

 巨大な剣を背に背負った、それはアレサだった。


「いい心がけですわ、シズマ。でも、腕立て伏せは……回数よりもフォームが重要ですの!」

「あ、ああ、ハイ」


 アレサのひとみが、キラキラと輝いていた。

 夕暮れ時、一足先にシズマはそこに星空を垣間見かいまみた気分だ。

 すぐにアレサは、ズドン! と武器を下ろす。そして、シズマのとなりで腹ばいに伏せた。秋の草原はひんやりとしていて、もうすぐ肌寒い夜がくる。

 アレサは周囲の目も気にせず、隣のシズマに微笑ほほえむ。


「シズマ、手と手の感覚が開き過ぎてますの。肩幅、肩の真下に垂直に置くイメージで」

「おう、こうか?」

「ええ。そして、ゆっくり全身を沈ませ――」


 すぐ横で、アレサが腕立て伏せを始めた。

 彼女の豊満なバストが、たゆゆんと地面に触れる。まるで弾力を誇示こじするのように、柔らかく揺れるのが見えた。

 思わずシズマは、鼻の下が伸びてしまう自分にトホホと苦笑い。

 だが、アレサはゆっくりと一回一回、丁寧ていねいに腕立て伏せをこなしてゆく。

 自然と周囲に、一緒に戦った衛兵えいへいたちが集まってきた。

 だが、自分の尻に視線が集まってるとも知らずに、アレサは真剣な表情だ。


「最初はあまりハードにトレーニングしても、かえって危険ですの。初心者はひざ突き腕立て伏せとかもありましてよ? こう、膝を地面に突くと少し楽になりますわ」

「なるほど……あ、あとな、アレサ。その、周りが」

「周りがどう言おうと、大賢者スペルマスターでなくとも! シズマは知恵者ですわ。それに、わたくしもみんなも凄く助かってますの。だから、焦る必要なんて」

「え、あ、お、おおう……サンキュな。でもな、アレサ」


 君の上下するぷるんぷるんのヒップラインに、衛兵たちはニヤニヤと締まらない笑みだ。それも、ありがたがって今にもおがみだしそうな勢いである。

 ようやく視線に気付いたアレサは、耳まで真っ赤になって飛び起きる。


「ま、まあ! 皆様、なにを……あっ、これは、違いますの! わたくしは、誰にでも筋トレは教えますし、その……そう、正しくないトレーニングは無駄な上に危険ですわ!」

「アレサ、あの、彼らは」

「シッ、シズマだから特別なんてこと、ありませんの!」

「そうじゃなくてね、あのね……ゴニョゴニョ」


 状況を教えてやったら、シュボン! とアレサはさらに赤くなった。

 だが、衛兵たちは悪びれないどころか、むしろなごんだ表情を見せてくれる。彼らは、アレクセイが送り出してくれたギリギリの戦力だ。王都に物資等を供出し、残るリソースで領主はナイ=ガラアの街を守らなければいけない。

 防衛戦力を確保すると、わずかな人数しかシズマたちにはけなかったのだ。

 それでも十分だとシズマは思うし、アレクセイの誠実さを感じる。


「ま、まあ! わたくしのお尻を! ……不思議ですわ、なにが楽しくてわたくしの大殿筋だいでんきんを。あっ、もしや筋トレに興味がおありでは!?」

「ごめん、ちょっと待って。アレサ、それ本気で言ってる? さっき、恥ずかしそうに赤くなってたじゃないか」

「それは! こう、に下ったとはいえわたくし、ハイエルフですの! それが、若い男子を一人、特別扱いしてると思われたら、図星ずぼし過ぎて恥ずかしいのですわっ!」


 ん? 今、なんか……?

 そう思ったが、シズマから自然と出た言葉は衛兵たちから表情を奪った。


「おいおい、? アレサ。アレサは凄い美人なんだからさ」


 屈強な男たちが「は?」という顔をしていた。

 そのリアクションに、思わずシズマも「え?」と絶句してしまう。

 妙な視線を感じてチラリと見れば、遠くでワイバーンの解体を手伝ってたミサネが、こっちを見詰みつめていた。ガン見していた。それも、チベットスナギツネみたいな顔で。

 まあ、このエルエデンにはチベットスナギツネはいないのだが。

 アレサだけが、自然と照れたようかわいく舌を出す。


「やはり、まだまだ俗世ぞくせのこと、人間界のことはわからないことが多いですのね。ふふふっ」

「俺としてはまず、その露出過多ギリギリな防具? いや、守れてないよな、防御力怪しいよな……とにかく、そのビキニアーマーをだね」

「ビキニ、とは? この装束しょうぞくは、わたくしの筋肉を一番効率的に使えるものですの!」

「見てるこっちが恥ずかしい時があるんだけど」

「前にも言いましたが、恥じ入るような鍛え方はしてませんわ!」


 ギリシャ神話の女神像みたいな、均整の取れた肉体美のアレサ。

 彼女の、自分が異性にどう見られてるかについての無頓着むとんちゃくっぷりにシズマは驚く。自分をたなに上げて、鈍感だなあとか、天然か? とか思ってしまうのだった。

 そんな時、シズマを呼ぶ声が不機嫌そうに響いた。


「こら、シズマ? あーしたちが働いてるのに、なにしてんのさ。ちょームカつくんですけどー? ……しかもなにさ、今……なんか、さあ」

「おっ、アスカ。どした? なんだよ、なに怒ってんだ?」

「怒ってないし! それよか、ほら! アンタが言い出しっぺでしょ? 連中、来たけど」


 アスカはなんだか、プンスコ怒ってる印象だ。それか、拗ねてるか、駄々をこねてるような。それでも彼女は、親指で自分の背後をさす。

 夕日を浴びて今、大荷物の馬車と共に旅の一段が近付いていた。

 それを見た瞬間、シズマは今までの甘いひとときを振り払う。

 そこには、魔力を失えどもついえぬ、知性のひらめきを宿した大賢者の顔があった。

 シズマは警戒する衛兵たちを手で制して、馬車へと近付く。

 向こうもこっちを見付けて、怪訝けげんそうに声を放ってきた。


「おいおい、なんだ? なんの騒ぎだよ、これは……ありゃ? お前、確か!」

「やあ。そろそろだと思ってた。王都に行くなら街道を使う、宿

「なっ、なんだよ、もうビビらねえぞ! お前、大賢者……元大賢者のシズマだろ!」

「そう。お前と……お前たちと同じ転使てんしのシズマだ。魔力がなくてもまだ、俺は転使としてエルエデンを救うために戦うつもりなんだけどさ」


 見れば、次々と馬車が連なって近付いてくる。

 そう、全ての道は王都に通ず……リチャードの大号令は恐らく、王国全土に響き渡ったはずだ。そして、まだ能力を有している転使たちは、光と闇の大決戦に参戦すべく王都へ集まってくる。

 そして、陸路を使う者は必ずこの宿場を通ることになるのだ。

 実際、次々と少年少女がシズマの前に並び始める。


「へー、シズマじゃん。どしたの? うわさじゃ、変にさとった挙げ句あげく、大賢者から遊び人へ逆ジョブチェンジしたって聞いたけど」

「ん、あたしが聞いたのは違うな。なんか、修行の旅に出て野垂れ死のたれじにしたって」

「いや、こいつ生きてるし! でも、お前さ、シズマ……能力と一緒に記憶も奪われて、今じゃ魔王に洗脳されて手下になっちまったんだよな? ……そういう噂、あっけど」


 酷い言われようだ。

 だが、シズマは静かな笑みを絶やさず内心で落ち込んだ。

 何故なぜなら、現実は噂とそう変わらない、見事に情けない日々だったからだ。魔力を奪われ、ギルドから追放されたシズマは……片田舎かたいなかの村で毎日食っちゃ寝していたのである。その間、必死になにか打開策を考えていたし、思案に沈むことで逃げいていたかもしれない。

 でも、そんな日々を終わらせてくれた少女がいる。

 その気高い旅立ちに並んで歩く気概きがいが、まだシズマにはあった。それだけは胸を張れる。


「今から王都に行ったんじゃ、到着前に日付が変わるぜ? 今夜はこの宿場で休めよ、みんな。同じ転使、仲間だろ? 宿代は俺が持つ、だから……少しだけ俺の話を聞いてくれ」


 シズマには一応、大賢者としてナイン・ストライダーズで戦っていた時の財産がある。高級なアイテムをしこたま買って、湯水のように使っても余ったものだ。結構な額なのだが、それをここで全部使うことにしている。

 そして、いよいよシズマの策が全貌ぜんぼうを表そうとしていた。

 リチャードが『まずは負けないこと』にこだわるなら、それもいいだろう。だが、シズマは違う。堅実に見える王都決戦には、大きな大きな危険がひそんでいるのだ。


「王都に行けば、このエルエデンでの最後の戦力が結集してる。みんなも、そこに合流するんだろう? でも、王都を最終決戦にしちまったら……あとがないぜ? 勝てばいいが、


 シズマの言葉に、ざわついていた転使たちが黙りこくる。

 そう、王都に戦力を集中させることで、限りなく勝率をあげることができる。しかし、決して100%にはならないだろう。

 逆に、僅かな可能性としての敗北が現実になると……その先は100%ありえない。

 それに、魔王となったメイコを一番よく知ってるのはシズマだ。

 生まれた時から一緒の幼馴染おさななじみだから。


「どうせまだ、魔王は来ないぜ? なら、明日の明け方に入城しても、明日ゆっくり昼過ぎに入城しても同じだ。休んでけよ」

「……お前、変だぞ? 本当にあの、大賢者シズマなのか? 前はもっと」

「ああ。前は無敵モードだったからな。多少はオラついてたと思うさ。でも、今はただのシズマだ。無力で、一人じゃ満足に戦えないシズマだ。それでも……みんなに聞いて欲しい話がある」


 同世代の少年少女たちは、国際色豊かだ。ここがエルエデンじゃなかったら、言葉も通じないだろう。だが、そんな彼等彼女等かれらかのじょらは、顔を見合わせうなずくのだった。

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