第18話「新しい朝」

 波乱の一日が終わり、夜が明けた。

 シズマは今、目覚めてすぐの肉体を酷使して走る。まぶしい朝日の中、広大な城の庭園を全速力でダッシュしていた。

 もうすでに、全身の筋肉が重くて痛い。

 出入りする吐息が熱くて、のどけるようだ。

 かつての大賢者スペルマスターは今、銀の弓を手に全力運動していた。


「よし、シズマ。投げるぞ!」


 見えない場所から声がして、同時に宙へとなにかが放られる。

 廃材を加工して作った、それは大小さまざまなまとだ。ターゲットであることを意味する円が、赤い染料ではっきりとえがかれている。

 シズマは脚を止めると、腰の矢筒やづつから矢を取り出した。

 弓につがえて、弦を引き絞る。

 両足でしっかり大地をつかんで、次々とシズマは矢を射掛いかけた。


「どうだっ、ディリア! 百発百中! ……まではいかないが、くらいの精度だろ?」


 カン、カン! と乾いた音を立てて、宙を舞う的が次々と射抜かれてゆく。

 それを投げてくれたディリアは、姿を現すなり神妙な顔でうなずいた。

 シズマと一緒に走っていただろうに、その呼吸はいささかも乱れていない。すでに隠さなくなった、頭の角と青白い肌……魔族の身体能力はとても高いようだ。


「ふむ、悪くない。素人しろうとにしては上出来だ、シズマ」

「サンキュ、ディリア。今日から大賢者シズマ改め……白銀しろがね射手しゃしゅシズマでいくぜ! なんてな」

「……いい通り名だ。お前ならきっと、いい弓使いになるな、白銀の射手シズマ」

「いや、待って。ちょっと待って。なんてな、ってついてるんだからさ、本気にするのはナシ子ちゃんじゃない?」

「ッ、ク……クッ、ププッ! よ、よせ! 朝から何故なぜこうも笑わせるのだ! ナシ子ちゃんとは、また……片腹痛いわ! アーッハッハッハ!」

「魔族の笑いの沸点がわからない。ほんとマヂで」


 やれやれと苦笑しつつ、シズマは内心ホッとした。

 一つ一つ的を拾って、描かれた円のどこに矢が当たっているかも確認する。自分で思ったよりも、多くの矢が円の中に刺さっており、ほぼ真ん中を射抜いていたものもあった。

 だが、実際にはシズマも次の課題を意識している。

 そして、涙目で笑いを堪えつつも、ディリアがそれを指摘してきた。


「やはりお前の筋力では、全力で弓を引き絞ることができないようだな。木の板程度ならこうしてつらぬけるが……多くのモンスターは天然の装甲をまとっているものだ」

「わかってるさ。この剛弓ごうきゅう、俺じゃ30%くらいしかつるを引けない。全力でもだぜ? 先が思いやられるよ」

「となると、やはり……やはり、筋力か? 白銀の射手シズマ」

「……お前さ、わざとやってない? なあ、天然なのか? ったく」


 そう、ミサネが造ってくれた銀の弓は、とても高い攻撃力を秘めている。あとから聞いたが、硬くしなやかな弦は特別な素材……なんと、ドラゴンのひげを使っているという。

 ゆえに、貧弱なシズマの腕力では最後まで引き絞ることができない。

 矢の命中率がいいのは、まだ少ないパワーで射られているからだ。

 だが、それだけがシズマの現状ではないことをディリアは見抜いてくれる。


「昨日の今日で弓を取って、見様見真似みようみまねでこの命中率……それは凄いと思うぞ、白銀の射手シズマよ。お前には弓の才能があるのかもしれない」

「いやさ、魔法って基本的には遠距離攻撃じゃない? ごくごく一部の禁術きんじゅつを除いて、全部が距離を取っての攻撃なんだよ」

「強い魔法ほど膨大な魔力を使う。精神力と集中力も消耗するからな。敵との距離をコントロールすることは、これは術者の常ということか。ふむ、それで」

「ああ、だからこういうのも考えたぜ? 的、あげてくれ」


 ディリアは両手で胸に抱えていた廃材を、今度は全て空へとばらまく。

 次の瞬間、シズマは複数の矢を無造作に取り出し、その全部同時に番えた。銀のやじりが朝日に輝き、同時に射出される。

 あっという間に、ほぼ全ての的が同時に射抜かれた。

 流石さすがのディリアも「ほう!」と驚きの表情を見せてくれる。


「今のは、範囲攻撃魔法の応用だ。魔法は威力だけじゃなく、攻撃範囲も色々だからな」

「なるほど、同時に複数の敵を攻撃できるのは魔法の利点だ。それをお前は弓でもできるのだな」

「付け焼き刃の浅知恵な上に、肝心の威力がサッパリだけどな」

「だが、こうなると答えはシンプルだ。白銀の射手シズマよ、あとはお前自身の筋力を鍛えればいい。そう、あの二人のようにな」


 ディリアが振り返る先で、少女が心身を鍛えていた。

 アレサとアスカだ。

 二人共、今はハーフパンツにへそ出しシャツと軽装だ。アレサなどは、普段より露出度が減っているのにドキリとするスタイルである。

 どうやらアスカも、能力を奪われたことで筋トレを本格的に始めたらしい。

 今、つきっきりで見てくれてるアレサの指導で、アスカはスクワットをこなしていた。


「んぎぎ……これ、もぉキツいし! 限界だし!」

「まだまだですわ、もっと腰を落としてください! 限界なんて、ずっと先ですの!」

「や、せる……痩せてる? あーし、もっかい強くなる上に、痩せる、ん、だーっ!」

「そうですわ、その調子! 一定のリズムで! いいですわよ、キレてます! キレてますわ!」


 なんだかちょっと、朝からアレサのテンションが普通じゃない。

 彼女自身は、汗だくで身を上下させるアスカを見詰めて瞳を輝かせている。心做しか息を荒げているし、筋トレ好きというよりは筋トレ中毒ジャンキーの重症者みたいな雰囲気だ。

 そして、アスカの面倒を見つつ彼女は、先程から片手でなにかをずっと握り締めている。

 シズマの視線に気付いたアレサは、いつものにこやかな笑みで近寄ってきた。


「おはようございます、シズマ! いい朝ですわね」

「おう! おはよう、アレサ。……なにしてんの、それ」

「ああ、これですわね。ミサネが造ってくれましたの。バネの反発力を利用した器具で、握力が鍛えられますわ。シズマにもオススメですっ」


 ああ、ハンドグリップか……ミサネはほんと、何でも作るんだな。そう思ってシズマは、差し出された器具を受け取る。

 ちょっと試しに握ってみて、そして力を込める。

 一瞬でシズマは、表情を失った。

 改めて握るポジションを調節し、フンッ! と力む。

 だが、手作りのハンドグリップはピクリとも動かない。


「……アレサ、鍛え過ぎじゃない? これ、滅茶苦茶硬いんだけど」

「アスカ、休んではいけませんわ! 続けてくださいな! ……え? そ、そうでしょうか。久々に歯ごたえのあるトレーニンググッズなので、とても満足してますの」


 返してもらったハンドグリップを、アレサはにこやかな笑みで握る。小さくバネが鳴いて、小刻みにギュッギュッと限界まで縮んで伸びる。

 信じられない……素手でリンゴを潰して砕くレベルの握力だ。

 ディリアも真顔でゴクリと喉を鳴らして黙る。


「あら、どうかしまして?」

「い、いや、あー、うん。まあ、俺も腕力をもっと鍛えて、この弓を使いこなしたいんだ。けど……あまりこう、突然ハードなトレーニングを詰め込むってのも」


 チラリとアスカを見やる。

 朝から汗だくになって、ぷるぷるしながら彼女はスクワットを続けていた。なんだかうわ言のように「痩せる、痩せる、痩せる、痩せる……!」とつぶやいている。ぱっちり大きな目も今は、こころなしかうつろな光をたたえていた。

 やばい、完全にトレーニング・ハイに入ってる。

 アレサ、筋トレに関しては妥協も容赦もない少女だった。


「例の弓を使うには、確かにもう少し腕力が必要ですわね。大胸筋や背筋も鍛えないと、弓の反動も受けきれないでしょうし。ちょっと、いいでしょうか」


 突然、アレサがシズマに触れてきた。

 思わず緊張に身を硬くするが、アレサは構わず着衣の上から筋肉をまさぐってくる。ふむふむと頷きつつ、例のハンドグリップが先程より握られる速度を増していった。

 興奮しているのか、だんだんアレサの目つきが危ない魅力に満ちてくる。


「まあ……意外とシズマの身体は引き締まってますわね。筋肉質ではないのですが、無駄に贅肉がついていないのはいいことですの」

「ど、ども」

「今日から食事も見直して、肉体改造に取り組むべきですわね! 勿論、アスカも……あっ、いけませんの! 忘れるとこでしたわ!」


 最後に指でトントンと、アレサはシズマの胸を叩いた。そして、朝日より眩しい笑顔を見せて、戻ってゆく。

 その背を見送り、シズマは二重の意味で鼓動を高鳴らせていた。

 ハイエルフのお姫様に、べたべたされるのは嬉しい。

 でも、このあと地獄の特訓が待ってるのではと思うと、逃げたい。


「アスカ、お疲れ様ですの! 休憩ですわ。水分補給しましょう」

「あざす……はぁ、疲れたあ! けど、脂肪が燃えてるって感じ……あーし、これ完全に痩せるわ。てか、痩せた……腰のくびれ、ゲット目前だし」

「アレサの場合、瞬発力や爆発力を鍛える方向でメニューを組んでますわ。でも、朝食のあとはサーキットトレーニングも取り入れて、焦らずいきましょう」

「ういーっす。……なんか、真剣になるのって初めてかも。ダイエットもさ、あーしは食べるとすぐ太る体質だから……でも、今は痩せるついでに強くなりたい。以前の半分でも、何分の一かでもいいから」


 アスカはどうやら本気のようだ。

 そう、彼女もシズマも、この異世界エルエデンを救うために召喚された転使てんしだ。共に力を魔王メイコに奪われたが、その使命感までも失ってはいない。

 シズマはそれとなく、ディリアに現状を問うてみた。


「魔族のみんなはどうしてる? ベルリアさんとか」

「領主アレクセイが、町の外にテントをいくつも張ってくれた。市民たちの善意で炊き出しも行われて、昨夜は皆でゆっくり休むことができたと思う」

「まずはよしとするか。で、だ……アレサは焦るなって言うけど」

「うむ、一応それとなく同胞たちの一部を旅立たせている。昨日の男、リチャードが言う通り決戦は王都、今も多くの転使が移動中だと思う」


 ようするに、ナイン・ストライダーズのリーダー、リチャードは王都以外を見捨てるつもりだ。全ての領地を捨て石にして、魔王を王都におびき出す戦略である。

 王都と王家はそれで守れるだろうし、万全の体制でリチャードたちは戦えるだろう。

 だが、その前に大半の領地は魔王の軍勢に襲われることになる。


「俺に考えがあるんだ、ディリア。魔王は俺が止める。王都になんか行かせねえよ。俺がこの手で……絶対に止めてみせる。引き続き、情報収集を頼むぜ」

「任された、白銀の射手シズマ。それと……陛下がお前に話があるそうだ」

「え? ベルリアさんが? なんだろな、わかった。あとで行ってみるよ」


 そうこうしていると、ハッハッハと笑いながらアレクセイがやってきた。彼の誘いで、今日は朝食を御一緒させてもらえるようである。

 アレクセイは、魔物の代表として元魔王のベルリアも招いたと教えてくれた。

 シズマは、弓の弦を外しつつ、ベルリアの話とやらが気になるのだった。

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