第17話「大英雄の俯瞰、大賢者の視点」

 転使№てんしナンバー001、あらゆる転使の力を持つ少年……リチャード。

 彼の人となりを、シズマは思い出していた。思慮深く冷静で、合理的な判断を優先する自信家だ。そして論理で物事をとらえる反面、そこに感情論を介在させることはない。

 ある意味で、歴史の中に存在する英雄たちの資質を一番持っている男だ。

 そのリチャードが、表面ばかりは穏やかな表情で言い放つ。


「これより我ら転使は、残った戦力で魔王に最終決戦を挑む。無論、力を失ったシズマ、君の出番はない。けど、アスカはそろそろ返してもらいたいな」

「……アスカを物みたいに言うなよ、リチャード」

「誰もアイテム扱いしちゃいないさ。けど、彼女の戦力は絶対に必要だ。我がナイン・ストライダーズでももう、何人も魔王に力を奪われているからね」


 まだリチャードは知らないのだ。

 魔族の人たちを守って、アスカが力を奪われたことを。

 そして、シズマは重々承知している。

 その事実を知ったら、リチャードがどうするかを。

 だが、さらなる言葉にシズマは再び驚いた。


「転使は全員で王都に向かい、守りを固める。転使を一箇所に集めることが大事なんだ。決戦の地は、王都。だから、そのための資源や軍資金を調達したくてね」

「まさか……リチャード! お前っ、あちこちから……」

「そうさ。悪いけど、王都以外の都市は防衛の対象外だ。むしろ、決戦のために色々と物資を融通してもらってるよ。あくまでも自主的にね」


 アスカがナイ=ガラアの備蓄を調べに来た理由がわかった。

 リチャードは最初から、魔王の城を目指して進む旅を諦めていたのだ。逆に、魔王をこのエルエデンの中枢、王国の首都におびき出そうとしている。

 シズマは、彼との短い期間の冒険を思い出す。

 この地に召喚されてすぐの頃は、もう少し紳士的だった。

 英国紳士のプライドが高かったが、話せばわかる雰囲気があったのだ。

 それが今は、まるで勇者ではなく軍師、それも手段を選ばぬ非道な軍略家だ。


「武器や兵、備蓄を奪われた街は……どうなる」

「魔王軍に侵略されるだろうな。けど、安心してくれ。略奪されるようなものはなにも残さないつもりだ。これは昔、僕たちの世界でロシアがやった戦略で――」

「そんなことっ、聞いちゃいねえよ!」


 シズマが声を張り上げると、一瞬リチャードがひるんだ。

 だが、彼は論理武装の密度をあげて畳み掛けてくる。


「よく聞け、シズマ。魔王は様々な能力を奪う。それは転使だけじゃなく、魔族やモンスターからもだ。だから、転使が各地に散らばっていては危険なんだ。故に、一箇所に集めて王都の守りに徹する」

「……リチャード、お前さ。一番強い奴が、そんな消極的でどうするんだよ」

「最も堅実な選択だ。これで異世界エルエデンは救われる。現時点で、一番魔王に対しての勝算が高いんだ。わかってくれ」

「わかれるかよ、わからねえよ! わかりたくもないっ!」

「相変わらずだな、シズマ。一人で突っ走って、勝手に魔力を奪われた男らしい言い草だ」


 そこを突かれると、弱い。

 だが、後悔はしていない。

 そして今は、希望さえ見出している。それは小さな光に過ぎないが、最弱の無能力人間と化したシズマの闇を照らしている。確かにその光は、存在するのだ。


「……魔王を倒してエルエデンを救う、それがお前の目的だよな? リチャード」

「ああ。加えて言えば、それが終わったら神様とやらに現実世界に帰してもらうさ」

「じゃあ、聞くぜ? お前の守りたいエルエデンって、なんだ?」

「ん? ちょっと、質問の意味がわからないな」


 気付けば、ミサネやアレクセイ、そして集まった市民たちが二人を見守っていた。にわかには信じがたいリチャードの言葉に、もはや魔族の受け入れどころではなくなってしまったのだ。

 だが、リチャードには大義名分がある。

 彼は救世主として召喚された少年で、神罰の代行者なのだ。


「ふむ、まあ……エルエデンは王国が統治する大陸だ。だから、王国の中枢を守らなければいけない。魔王が国王を倒せば、それでゲームオーバーって訳さ」

「だから、王都だけを守ればいいって言うのか?」

「戦力は限られているし、あんなに勝手気ままに動く魔王から全ての街を守るのは不可能だ。もっと頭を使えよ、シズマ。そもそも、魔王に勝たなきゃ僕たちは帰れないんだぞ?」


 シズマは一度呼吸を落ち着け、胸に手を当てて目を瞑る。

 瞼の裏に、このエルエデンでの日々がありありと浮かび上がった。ナイン・ストライダーズの大賢者スペルマスターとして、戦いにあけくれていた時期。それから魔力を失い、自堕落に隠遁していた時期。そして、アレサとミサネに出会って、再び打倒魔王を誓った瞬間。

 その全てを心に刻み直して、シズマは瞳を開く。


「俺の守りたいエルエデンは、そこに住む人そのものだ。全員が無理でも、それを不可能だなんて口にしたくない。変に小賢こざかしくて小利口こりこうな俺じゃ……きっと、あいつ一人救えないんだ」


 そう、幼馴染おさななじみのメイコを救いたい。

 それが、シズマにとっての大いなる願いだった。

 その先に残酷な真実があって、その理由はまだ謎だ。だが、メイコは今は魔王となって、その『他者から能力を奪う力』を使って各地で暴れている。

 彼女を止めて、いつもの幼馴染に戻ってもらう。

 そのためなら、たとえ魔力がなくてもシズマは戦う。

 それは、エルエデンを守ることにも繋がるし、そのための犠牲なんてまっぴら御免だ。


「シズマ、お前も馬鹿だったんだな。残念だよ。さて、領主アレクセイ! 我々ナイン・ストライダーズに物資を提供して頂こう。僕たちは神に召喚された身分だ、逆らうことはしないよね?」


 アレクセイも流石さすがにひるんだ。その巨体が、小さくなったように感じられる。パンプアップしていた筋肉も、しぼんでしまった。


「グッ、しかそ……それは!」

「魔王が倒されれば、魔王の軍勢も弱まる。結果的に、各地で被害にあっている都市も救われるんだ。これはわかるよね?」

「それは理屈ではないか! 我が領民を守れずして、なにが領主か!」

「領主である前に、王国の臣下だろ? 君の市民たちじゃない、王の臣民なんだよ。だから、王国存続のためにできることはやってくれって話さ」


 納得できない。

 だからシズマは、かつての仲間のよしみに賭けてみた。


「リチャード、お前が賢いのは認める。なら……俺が案内するから、魔王城に攻め込もうぜ。転使全員を集結させた戦力なら、きっと勝てる」

「ハッ、浅知恵だな。何故なぜか魔王は、神出鬼没で各地に現れている。攻め入って留守だったら、どうするんだ?」

「でも、お前は最強の転使! 転使№001の勇者リチャードだろ!」

「ああそうさ! だからこそ、蛮勇ばんゆうつつしむ。それに、僕の力が奪われてみろ……本当に誰も、魔王を倒せなくなってしまうぞ」


 シズマは呆れてしまった。

 リチャードの考えは、単純にを前提として構築されている。負けないことが優先で、それを担保した上での勝利しか考えていない。

 リスクを最小限にすることは、これは戦いの常道だ。

 だが、そのために発生する犠牲をコストと見る、それは救世主のありかたではない。


「リチャード……なら、俺はお前の略奪を止める」

「略奪? 違うだろ、僕が求めているのは自発的な資源供出だ。まあ……領主が拒む場合は、少し手荒な手段も考慮しなきゃならない。残念だけどね」

「それは絶対に許さない。そういう理不尽や不条理と戦うために、俺たちは神様に召喚され、力を与えられたんだろ!」

「その力を迂闊うかつにも失ったのは誰だ? ……まあ、言ってわからないならしかたないな」


 リチャードが腰の剣を抜いた。

 いかにも勇者の剣といったおもむきの、華美な装飾がついた黄金の剣だ。鎧姿にマントを棚引かせた、転使の中の転使たるリチャード。その強さは身に染みているが、シズマだって引き下がれない。

 無能力な上に弓は練習すら初めてないし、なによりまだ矢がない。

 それでも、彼は剣を構えるリチャードの前に出た。

 悲鳴があがって、市民たちが散り散りに街へ引き返してゆく。

 だが、そんな時……シズマの背後で声があがった。


「そこまでですわ! これ以上の狼藉ろうぜき、わたくしが許しませんの!」


 馬車から出てきたアレサが、シズマの隣まで来て並ぶ。その背後には「えうー」と眠そうに瞼をこするアスカも一緒だ。

 アレサもまた、剣が砕けてしまって丸腰だ。

 しかし、彼女の高潔なるまなざしに恐怖はない。

 ただ静かに穏やかに、澄んだ視線がリチャードを射抜く。


「なんてことでしょう、転使にあるまじき言動ですの!」

「ん? ああ、噂に聞いてたメスゴリラか。エルフのイメージが台無しだなあ」

「ゴリラはともかく、メスとはなんですか! レディを侮辱ぶじょくしてましてよ!」


 ――ゴリラっていうのは、森の賢者と呼ばれる凄い動物なんだ。

 そう教えたからだろうか、アレサはむしろメス呼ばわりにいきどおっている。彼女は前に出ようとするアレクセイを手で制して、言葉の矢をつがえた。

 たとえ武器がなくとも、彼女は必要とあらば戦いを躊躇わない。


「恥を知りなさい、リチャードとやら! わたくし、頭にきてますの」

「なら、どうする? 言っとくけど、君でも僕には勝てないよ? それに、随分とボロボロで疲れた顔をしている。折角綺麗な顔をしてるんだし、野蛮な真似まねはよすことだね」


 それより、と話を打ち切り、リチャードはアスカを見て微笑ほほえむ。


「アスカ、戻るよ。また君に働いてもらう……魔王さえ倒せれば、みんなで帰れる。このエルエデンも平和になるんだ」

「……あーし、行かない」

「何故? なにか考えてるなら、馬鹿なことはよすんだ。もともと馬鹿なんだから、僕の言葉に従ったほうがいい。ちゃんと君のことも考えているから」

「あーしっ、いかない! もう、魔王に力を奪われたし! それに……アレサっちとかミサネちん、なによりシズマと一緒にいたいし!」


 アスカの言葉に、リチャードは僅かに驚いた表情を見せた。

 そして、露骨ろこつな失望に肩をすくめる。


「……なんて愚かな。そこまでは僕も情報収集できていなかったよ。ただ、今の魔王はかつての魔王から力を奪って、魔王軍を率いて暴れてる。これに確実に勝つためにも、これ以上奴に能力を奪われては駄目なんだ」


 リチャードは剣を納めた。その目には、使命感がありありと燃えているように思えた。だが、そんな彼の行いを肯定することは、シズマにはできない。勿論もちろん、仲間のアレサやミサネ、アスカも一緒だ。


「国王陛下に報告するよ、領主アレクセイ。もうそろそろ、魔王が倒され平和になった後の世を考える段階じゃないかな? そのためにも、物資を差し出した方がいいのにね」


 それだけ言って、リチャードは去っていった。

 夕暮れに染まる茜色カーマインの風景に、マントを棚引たなびかせて一人歩く……その背が見えなくなるまで、気付けばシズマは見送っていたのだった。

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