第15話「幼馴染が残したもの」

 太陽の光と、新鮮な空気。

 シズマはアレサに肩を貸して、二人で並んでその中へと歩み出た。あっという間に視界が開けて、解放感に安堵あんどが込み上げる。

 精根せいこん尽き果てたアレサも、いつもの温かい笑みを見せてくれた。


「出れましたの……よかったですわ」

「アレサのおかげだ。初めての魔法を、あれだけ早く使いこなせるなんて」

「補助魔法のコツは、アクセラレートの呪文で少し掴めてますの。あとは」

「あとは?」

「やはり、鍛えた筋肉は裏切りませんわ。力こそパワーですの!」

「はは、なんだそれ。そのまんまの意味じゃないか」


 周囲を見れば、そこかしこで魔族が呆然ぼうぜんと途方に暮れている。

 無理もない、安住の地を追われた上に、これから行くあてなどなにもないのだから。

 そんな中、こちらの無事に気付いた少女が駆けてくる。

 それは、顔をグチャグチャに泣き崩したアスカだった。


「シズマッ、シズマァ! もぉ、馬鹿! アレサも! 心配かけるなし!」

「お、おう。サンキュな、アスカ。おいおい、泣くなよ」

「泣いてないし……これは違うの、違うっての」

「ん? 違うってなにが」


 アレサが、不意に真剣な表情を引き締めた。彼女はよろけつつも、シズマから離れてアスカへ歩み寄る。

 シズマは、嫌な予感に胸がざわつくのを感じた。

 そして、それは残念ながら現実となった。


「アスカ、大丈夫ですわ。魔王は去ったようですし……でも、アスカ? まさか」

「勝手に呼び捨てしてるし! もぉ、う、ううっ……アレサっちー! あーし」

「ア、アレサっち……? わたくしのことですの? なんだかでも、親しみがあっていいですわね。さ、アスカ。涙をいてくださいな」

「ううー、どうしよ! あーし、あーしね……」


 ――

 確かにアスカは、そう言った。

 シズマは、頭をハンマーで殴られたかのような衝撃を受けた。

 転使№てんしナンバー002、アスカの持つ神速の力……それが、魔王に奪われたというのだ。そして、シズマはもう知ってしまった。その魔王の正体は、助けたかった幼馴染おさななじみのメイコなのである。

 また一人、メイコは転使の力を吸収して強くなった。

 シズマの魔力に加えて、アスカの機動力をも手に入れたことになる。

 そして、その経緯を説明する声が近付いてきた。

 どうにか笑顔を作ろうとしている、それはミサネだ。


「シズマ、それにアレサも。無事でよかったです。アスカさんを責めないであげてください」

「ミサネちゃん、そっちも無事でよかった。って喜ぶのは、ちょっと難しいな」

「ええ。魔王は避難した魔族たちを襲いました。アスカさんは、彼らを守って戦うことになり、どうしても持ち前のあしを活かしきれなかったんです」


 アスカが神から授かった力は、極限の機動力と瞬発力だ。

 それは攻めにおいては最強の力となりえる。単純な運動エネルギーを剣に乗せれば、その威力は爆発的に膨れ上がる。さらに、高速移動するアスカを捉えることのできる攻撃は、どんな強力なモンスターでも難しい。

 だが、守りに回ると弱い。

 それも、自分以外に守るターゲットが複数いる場合、どうしてもスピードを殺される局面が増える。それをシズマは、瞬時に察して理解した。

 だから、アレサに抱き着きオンオンと泣くアスカの頭をでた。


「偉かったな、アスカ。お前、偉いよ。ありがとう」

「な、なんなのよ、恥ずかしい……でも、これであーしも無能力者だ」

「俺と一緒だな。でも、やれることは沢山あるぜ?」

「……あーし、馬鹿だからそういうのわかんないよ。シズマみたいに頭、よくないもん」


 だが、アレサもまた優しい声をかける。


「大丈夫ですわ。たとえ神から授かった力がなくとも、人は皆……両親からもらった肉体がありますの。それを鍛えれば、筋肉は絶対に裏切りません!」

「うぅ、でもぉ……せるのはいいけど……二の腕とか、硬くなんない?」

「真に理想的な筋肉は、やわらかくてしなやかで、力を込めた時に鋼の鎧に変わりますの。それに、実戦的な筋肉を身に着けても、アスカの美しさは変わりませんわ」

「……そ、そぉ? デヘヘ、じゃ、じゃあ……あーしも本格的に、筋トレ、するかな」


 アスカが鼻をぐすぐす言わせながらアレサから離れた。

 落ち着いたところで、シズマは改めて確認する。やはり、アスカの前に現れた魔王は闇に包まれていたという。まるで人の姿をした黒い雲だったと、彼女は克明こくめいに語った。

 まだメイコは、自分とアレサの前でしか正体を見せていない。

 ホッとしたのも束の間つかのま、すぐにシズマは対策を考え始める。


「考え方によっちゃあ、問題がシンプルに一本化されたとも思えるな」

「シズマ? それは」

「アレサ、俺の目的は魔王を倒してメイコを救うこと。だから、魔王メイコを無力化すれば自然とエルエデンは救われ、俺は彼女を取り戻せる」

「ポジティブですわね……でも、いいと思いますわ! そういう前向きなシズマ、わたくしは好きですの」


 一瞬、ドキリとした。

 そういう意味じゃなくても、好きと言われると胸が熱くなる。

 現実でも多くの少女に好意を寄せられたが、あまり当寺はピンと来なかった。

 でも、今は違う。

 思わずボーッとしてしまい、アレサは不思議そうに小首をかしげていた。そんな仕草もまたかわいくて、ドギマギしてしまう。

 張り詰めた声が響いたのは、そんな時だった。


「我が眷属けんぞくたちよ、聞け! 此度こたびのこと、われも酷く打ちのめされておる。じゃが、力を失ったとはいえ、我は皆の王! ならば、なんじらのために最善を尽くすと約束しよう!」


 振り返れば、ディリアが小さな女の子と共に立っていた。その子は、頭の上に立派な角を広げている。

 魔族の長、本来の魔王……かつて魔王だった少女だ。

 彼女は、見た目に反して時代がかった言葉で、精一杯の声を張り上げた。

 そこには、確かに指導者としての威厳が感じられる。


「我が魔王一族の血脈にかけて、このベルリアが誓おう! 汝ら魔族、今は苦境にあろうとも、必ずや平和な時代へと我が導く! 今一度、このベルリアについてきてほしいのじゃ」


 着の身着のままで逃げてきたからだろう、魔族たちの大半は青白い肌や頭の角を隠していない。それどころか、手荷物もなく全財産を崩れた洞窟の奥へ奪われたのだ。

 だが、ベルリアと名乗った長へ集まる魔族たちは、皆が瞳に強い力を宿していた。


「陛下、魔王陛下!」

「どこまでもついていきますぞ! 我らは魔王の力に従っていたのではない、ベルリア様その人にこそ従いたいのです」

「さあ、まずは洞窟から使えるものを持ち出そう! 誰か! 動けるものは続け!」


 魔王ベルリアの人望には、シズマも感心してしまう。

 まじまじと見ていたからか、視線に気付いてベルリアは手招きをした。


大賢者スペルマスターシズマ。同胞はらからを救ってくれたこと、礼を言う。人間に借りを作り続けることになるとはな。……例のつえを売った金は、我らにとって貴重なものになったが」

「ああ、気にしないでくれ。それより……今の魔王、魔王の力を奪ったあの女の子は」

「誰にも詳しくは話していないのじゃ。我とて、転使とはいえ一人の乙女に遅れを取ったなどと、口にもしとうなくてな。今はまだ、心に留めておこうぞ」


 フンと鼻を鳴らして、ベルリアは笑った。どうやら、一定数の信頼を勝ち取ることができたみたいである。それがシズマには、悲劇にまみれた戦いのあとでの、唯一の明るい材料に思えた。

 だが、実際問題として魔族たちをこのまま露頭に迷わせる訳にはいかない。

 かといって、人間社会に彼らの居場所はないのだ。

 さて、どうしたものかと思案していると……街道かいどうの向こうから多くの荷馬車が近付いている。その土埃つちぼこりの中に、鋭い槍の刃が無数に煌めいているのが見えた。

 人間の軍隊だとわかった時には、魔族たちもどよめきつつ集まり始める。

 しかし、アレサがパッと表情も明るく手を振り出した。


「あれは……アレクセイですわ! でしたら大丈夫ですの、話せばわかります」


 ガシャガシャと鎧を鳴らす兵隊たちの中から、にくむけき巨漢マッチョが猛ダッシュしてくる。その顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。

 そして、アレサの無事な姿を見るなり……フンッ! と上半身の着衣を全て消し飛ばす。


「うおおっ、アレサお姉ちゃああああああんっ! 無事でしたか、それはあ、セィ! なによりっ!」

「アレクセイ、よく来てくれました。実はとても困ってたんですの」

「なに、城の見張りが不穏な黒煙を見付けましてな……もしやと思い、軍勢を引き連れてきたのです。ッハア! フッ、ホォォォォォ、ヌゥン!」


 やっぱりこの人、ポージングを決めないと喋れないらしい。

 壮年そうねんの紳士が美少女エルフをお姉ちゃん呼ばわりしてるのも、やはり強烈なインパクトがある。だが、すでにシズマはアレクセイの人となりを知っていた。

 国と民のために日々、彼は執務に専念している。

 よい領主であることは、ただ仕事ができるというだけでは駄目なのだ。

 シズマは思い切って、そっとベルリアに手を伸べる。


「えっと、ベルリアさん。人間なんぞがって思うかもだけど」

「ん、汝はあの男……確かナイ=ガラアの領主だな。あの者と我の間を取り持とうというのじゃな?」

「ああ。あの人は義侠心こころいきもあるし、街のために心を砕いている。ベルリアさんたちに敵意がないなら、きっと助けてくれるよ」

「だといいのじゃが……いや、ここは汝に任せよう」


 小さなベルリアの手を引き、シズマは歩き出す。

 周囲の魔族たちはざわめきたったが、すぐにディリアがしずめてくれた。彼女の口から直接、シズマたちは信用できる人間だと言ってもらえたのが、不思議と嬉しかった。

 そして、アレサもまたアレクセイを連れてこちらにやってくる。

 大雑把な事情を聞いたらしく、アレクセイに警戒の色は見られない。だが、周囲の兵士たちからははっきりと敵意が読み取れた。


「ナイ=ガラアを預かるアレクセイである! ッホォ、ハァイ!」

「わ、我は魔族のおさ……かつて魔王だった者、ベルリアだ。……汝のそれは、威嚇行動いかくこうどうか?」

「これは失敬! 大切な者の危機に駆けつけて、我が筋肉も火照ほてっておるのです」

「そ、そうか。うむ、まずはこちらに敵意がないことを知ってほしい。そして、我は同胞たちを救うため、汝に助けてほしいのだ。勿論もちろん、すぐに遺恨は消せぬであろうが」


 小さなベルリアを見下ろし、ようやくマッスルポーズを解いたアレクセイがうなずく。二人の視線が一本に収斂しゅうれんされ、その中を様々な葛藤や想い、計算が行き来しているようだった。

 やがて、アレクセイは破顔一笑はがんいっしょうほおほころばせる。


「我らが街も豊かではないが、助けを求める者を見捨てるほど薄情でもない! そんなことをすれば、アレサお姉ちゃんに怒られてしまいますからな、ワッハッハ!」

「で、では」

「魔族の少女、そしてその一族たちよ! 最低限の衣食住をこのアレクセイが保証しよう」


 周囲で顔を見合わせる兵士たちも、一人、また一人と武器を下ろす。

 こうしてシズマとアレサたちの旅は、振り出しへと後退することになったのだった。

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