第11話「長くは続かぬ平和な旅路」
秋晴れの空は高く、雲ひとつ無い。
それを馬車の
だが、横で
「な、なあ。ディリア……さん」
「ディリアでいい。なんだ、
「いや、俺もできれば普通のシズマで頼む」
「ああ、そうだったな。お前は魔力を……失礼した、普通のシズマ」
「……ひょっとして君、冗談通じない系?」
「ムッ、人間ごときがオレを
ディリアが馬の扱いに精通していたこと、これは
そういう訳で、正体不明な少女に馬車を仕切ってもらっている。
そして、彼女の言う村とやらに今、向かっている途中だ。
「しばし待て、普通のシズマ……よし、いいぞ。心して聞け」
「ア、ハイ」
「昔々あるところに、白い犬が」
「……尻尾も白い、
「ま、まだあるぞ、フム! では、とても
「ええと、確か……
ついついからかってしまったが、ディリアは黙ってシズマを
でも、一緒に旅をし始めて、ようやくディリアと会話らしい会話ができたのだ。
これは失敬と思い、慌ててシズマから切り出す。
「ごめん、なんかあんまし
「異世界より召喚された
「悪かったよ。お
そう言って、シズマは腕組み考え込む。
頭の中の引き出しから、このエルエデンでも通じそうな笑い話を引っ張り出した。
昔からそうだが、周囲からはシズマは社交的で人当たりのいい人間に見えるらしい。自分で言うのは
そんな訳で、話せば自然と
「むかしむかし、あるところに仲の良い夫婦がいたんだ」
「ふむ!」
「めでたく結婚十年目を迎えて、その記念日に夫は言いました」
「ほう……ふむふむ!」
「愛する妻よ、十回目の結婚記念日だから好きな場所に連れて行ってあげるよ、ってね。そしたら妻は、今まで行ったことがない場所がいいわ! と喜んだ。そこで夫は」
「…………」
「妻を台所に連れて行った」
「……ッ、お前っ! お、お前は……ップ! ククク……よせ、ずるいではないか!」
受けた。
というか、バカウケだ。
なんで? と、言ったシズマの方が首を
だが、ディリアは肩を震わせながら顔を背けてしまった。
「人間とは、なんと
「いや、笑ってくれるのは嬉しいんだけどさ、ディリア」
「これが笑わずにはいられようか! まさか、結婚記念日に妻を旅へ誘い、しかも妻の願いを尊重するなどとはな!」
「……え? そ、そこなの? あー、うーん……デカルチャー、だなあ」
それでも、ディリアが身に
笑いの
彼女の村までの短い旅路だが、旅の仲間とは和やかな空気を共有したい。残念だが、今のシズマは大賢者ではないし、弓矢使いを
だから、仲間のためにできることはなんでもしたいし、そういう人間でいたかった。
「ふう、片腹痛い。こんなに笑ったのは久しぶりだ、普通のシズマ」
「あ、いやあ……どういたしまして。あと、ただのシズマでいいって」
「ふむ、心得た。ただのシズマ、改めて礼を言うぞ。こんな晴れた気持ちになるなど、
「大げさだなあ」
ふと背後を振り返ると、荷馬車の中でアレサたちも
うん、あれはあれで寛いでいる。
なんだか暑苦しいことになってるが、寛いでるんだろう。
「いい調子です、アスカさん! さあ、あと十回」
「ううー、
「いいですよ、そのままそのまま!」
「きつい……お腹ヒクヒクするぅ~」
その
それにしても、この異世界エルエデンの住人なのに、アレサは近代的な筋トレにも詳しい。これもまた、過去に召喚された転使たちから得た知識なのかもしれない。
アスカはアスカで、ダイエットになると知ったら現金なものである。
そして、そんな
「シズマ、頼まれていた弓です。矢は最初はボクが作りますが、これからは自分でお願いしますね。弓矢を
「お、サンキュな! 仕事早いじゃないの、ミサネちゃん」
「今回のは練習用の弓ですが、ボクの手作りです。
ミサネはいわゆる生産型、武具の生産に特化した能力を神から与えられている。そして、その力を同じ転使たちだけではなく、エルエデンに住む人たちのためにこそ使いたいと思っているのだ。
渡された弓は、意外にもズシリと重い。
それもその
「矢の
「なるほどな。どれ」
試しに弓を構えて、
引っ張ってみるのだが……思うようにいかない。
単純に技術がないのもそうだが、銀色の弓が非常に硬いのだ。
大きく息を吸って、呼吸を腹の底に留める。
そうして「フンッ!」と力を込めたが、半分ほどまでしか引き絞れなかった。
それを見ていたディリアが、やれやれと肩を
「ちょっと貸してみろ、ただのシズマ」
「……なんか、価値がゼロ円みたいな呼び方、よして。結構、心に刺さる」
ディリアは手綱を片手で持ちつつも、もう片方の手でヒョイと弓を取り上げた。そのまま、構えて弦を引き絞る。
地平線の彼方を狙うように、彼女は片目を閉じた。
とても様になっている。
まるで、弓矢の扱いに慣れているかのようだ。
「ふむ、確かに
「操れるようになれば? 一人前になれるってことかな、俺も」
「無論だ。そして、オレたちにとっては驚異となる。……まあ、ただのシズマなら大丈夫だ。オレも、恩人に敵対することは絶対にしない」
「えっ、なんで? もう俺たち、仲間じゃんかよ」
二人で並んで座るシズマとディリアの間に、ぐいとミサネも身を乗り出してくる。シズマは鏃の入った革袋を受け取り、矢の作り方についてもレクチャーを受けた。
いよいよこれから、シズマは新しい自分になる。
召喚されし転使ではなく、ただの普通の人間としての戦いが始まるのだ。
エルエデンの人々と違って、魔力がゼロなので、普通以下の出発になる。それでも、
「よし! 最初はじゃあ、この弓を使いこなすことから始めるぜ」
ディリアが何度も弓を構えて、
その彼女がなにも言わないということは、かなりの逸品なのかもしれない。
そう思っていると、背後で弾んだ声が響いた。
「では、シズマ! シズマもわたくしと一緒に筋トレですわね。今日から改めて、シズマも筋友ですわ!」
振り返ると、そこにはニコニコな笑顔のアレサが立っている。
奥では、バテたアスカが大の字に倒れていた。
あーあ、かわいそうに……
それなのに、あんなに必死にカロリーを燃やす理由がシズマにはわからなかった。
そして、アレサは意外と鬼コーチなのも今知って、少し怖い。
「あ、そうだ……アレサ」
「はいですの! 大丈夫ですわ、シズマ。最初は優しくしますの。そして徐々に負荷を上げて、粘りのある筋肉を育てていくのですわ」
「それは、まあ、お手柔らかに。あとさ……俺もアレサにしてやれることがある」
「まあ! なんでしょう」
「アレサの体質はわかった。だから、俺はアレサに魔法をいくつか教えるよ」
アレサは、自分の外に魔力を出すことができない。しかし、ハイエルフの皇族にふさわしい強力な魔力を身に宿しているのだ。
だから、自分を対象とする魔法しか使えない。
そして、全ての魔法を熟知したシズマには、彼女でも使える魔法をいくつも知っているのだった。
アレサが思わず、
あまりに嬉しいのか、彼女の長く尖った耳がパタパタとまた揺れていた。
だが、そんな穏やかな空気が突然霧散する。
「ん? あれは……村の方だな! なにが……済まない、ただのシズマ! 少し急ぐぞ!」
不意にディリアが、弓を手放し馬に
彼女の見詰める先、街道の先で……なにかが燃える黒煙が無数に空へと巻き上げられているのだった。
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