第11話「長くは続かぬ平和な旅路」

 秋晴れの空は高く、雲ひとつ無い。

 それを馬車の御者台ぎょしゃだいから見上げて、シズマは大きく伸びをした。すでに馬車に揺られて、三時間ほどが経過している。そろそろ昼食のために、どこかで小休止もいい頃合いだ。

 だが、横で手綱たずなを握るディリアには、疲れた様子が全く見られない。


「な、なあ。ディリア……さん」

「ディリアでいい。なんだ、大賢者スペルマスターシズマ」

「いや、俺もできれば普通のシズマで頼む」

「ああ、そうだったな。お前は魔力を……失礼した、普通のシズマ」

「……ひょっとして君、冗談通じない系?」

「ムッ、人間ごときがオレを愚弄ぐろうするのか。冗談とてたしなむ程度に心得ている」


 ディリアが馬の扱いに精通していたこと、これは僥倖ぎょうこうだった。アレサは騎乗には自信があるそうだが、御者としてのスキルはまた別なのだ。

 そういう訳で、正体不明な少女に馬車を仕切ってもらっている。

 そして、彼女の言う村とやらに今、向かっている途中だ。


「しばし待て、普通のシズマ……よし、いいぞ。心して聞け」

「ア、ハイ」

「昔々あるところに、白い犬が」

「……尻尾も白い、尾も白いおもしろい犬?」

「ま、まだあるぞ、フム! では、とてもおろかな国王の悪口を叫んだ男が」

「ええと、確か……不敬罪ふけいざい、そして機密漏洩罪きみつろうえいざいってやつ?」


 ついついからかってしまったが、ディリアは黙ってシズマをすがめてきた。やはり、異世界にも現実と似たようなジョークや小話があるらしい。

 でも、一緒に旅をし始めて、ようやくディリアと会話らしい会話ができたのだ。

 これは失敬と思い、慌ててシズマから切り出す。


「ごめん、なんかあんまし勿体もったいぶって話すから、つい」

「異世界より召喚された転使てんしとはいえ、人間に大きな顔をされてはたまらないからな」

「悪かったよ。おわびびにじゃあ、俺がとっておきの話を」


 そう言って、シズマは腕組み考え込む。

 頭の中の引き出しから、このエルエデンでも通じそうな笑い話を引っ張り出した。

 昔からそうだが、周囲からはシズマは社交的で人当たりのいい人間に見えるらしい。自分で言うのははばかられるが、人望があるらしいし、人になつかれることも多い。

 そんな訳で、話せば自然と流暢りゅうちょうになるところも、コミュニケーション能力の高い自分の美点だと思っていた。


「むかしむかし、あるところに仲の良い夫婦がいたんだ」

「ふむ!」

「めでたく結婚十年目を迎えて、その記念日に夫は言いました」

「ほう……ふむふむ!」

「愛する妻よ、十回目の結婚記念日だから好きな場所に連れて行ってあげるよ、ってね。そしたら妻は、! と喜んだ。そこで夫は」

「…………」

「……ッ、お前っ! お、お前は……ップ! ククク……よせ、ずるいではないか!」


 受けた。

 というか、バカウケだ。

 なんで? と、言ったシズマの方が首をかしげてしまう。

 だが、ディリアは肩を震わせながら顔を背けてしまった。


「人間とは、なんと滑稽こっけいな……プッ、ハハハハッ!」

「いや、笑ってくれるのは嬉しいんだけどさ、ディリア」

「これが笑わずにはいられようか! まさか、結婚記念日に妻を旅へ誘い、しかも妻の願いを尊重するなどとはな!」

「……え? そ、そこなの? あー、うーん……デカルチャー、だなあ」


 それでも、ディリアが身にまとう緊張感がやわらいだ。

 笑いの沸点ふってんがだいぶ普通じゃないが、彼女はフードの奥で笑ってくれた。

 彼女の村までの短い旅路だが、旅の仲間とは和やかな空気を共有したい。残念だが、今のシズマは大賢者ではないし、弓矢使いをこころざしてても肝心の武器がまだない。

 だから、仲間のためにできることはなんでもしたいし、そういう人間でいたかった。


「ふう、片腹痛い。こんなに笑ったのは久しぶりだ、普通のシズマ」

「あ、いやあ……どういたしまして。あと、ただのシズマでいいって」

「ふむ、心得た。ただのシズマ、改めて礼を言うぞ。こんな晴れた気持ちになるなど、久方ひさかたぶりだ」

「大げさだなあ」


 ふと背後を振り返ると、荷馬車の中でアレサたちもくつろいでるようだ。

 うん、あれはあれで寛いでいる。

 なんだか暑苦しいことになってるが、寛いでるんだろう。

 ほろの中で今、アレサは声を弾ませていた。


「いい調子です、アスカさん! さあ、あと十回」

「ううー、せるー、痩せたー、痩せるんだー、グギギギギッ!」

「いいですよ、そのままそのまま!」

「きつい……お腹ヒクヒクするぅ~」


 何故なぜかアスカが、腹筋運動をしている。

 そのひざを曲げた脚を、アレサが抑えていた。

 それにしても、この異世界エルエデンの住人なのに、アレサは近代的な筋トレにも詳しい。これもまた、過去に召喚された転使たちから得た知識なのかもしれない。

 アスカはアスカで、ダイエットになると知ったら現金なものである。

 そして、そんな筋友きんとも二人組をよそに、ミサネは作業に没頭していた。こちらの視線に気付いたのか、彼女は作りたての武器を手にこちらへやってきた。


「シズマ、頼まれていた弓です。矢は最初はボクが作りますが、これからは自分でお願いしますね。弓矢をあつかうなら、矢の自作くらいは練習しておかないと」

「お、サンキュな! 仕事早いじゃないの、ミサネちゃん」

「今回のは練習用の弓ですが、ボクの手作りです。勿論もちろん、転使の能力も使ってますけどね」


 ミサネはいわゆる生産型、武具の生産に特化した能力を神から与えられている。そして、その力を同じ転使たちだけではなく、エルエデンに住む人たちのためにこそ使いたいと思っているのだ。

 渡された弓は、意外にもズシリと重い。

 それもそのはず、白銀に輝く金属製だ。


「矢のやじりも同じぎんの合金で作ってあります。銀の武具は特定の魔物に対して強い攻撃力を発揮しますから」

「なるほどな。どれ」


 試しに弓を構えて、つるを引っ張ってみる。

 引っ張ってみるのだが……思うようにいかない。

 単純に技術がないのもそうだが、銀色の弓が非常に硬いのだ。

 大きく息を吸って、呼吸を腹の底に留める。

 そうして「フンッ!」と力を込めたが、半分ほどまでしか引き絞れなかった。

 それを見ていたディリアが、やれやれと肩をすくめる。


「ちょっと貸してみろ、ただのシズマ」

「……なんか、価値がゼロ円みたいな呼び方、よして。結構、心に刺さる」


 ディリアは手綱を片手で持ちつつも、もう片方の手でヒョイと弓を取り上げた。そのまま、構えて弦を引き絞る。

 地平線の彼方を狙うように、彼女は片目を閉じた。

 とても様になっている。

 まるで、弓矢の扱いに慣れているかのようだ。


「ふむ、確かに素人しろうとには硬くて重いな。だが、これを自在に操れるようになれば」

「操れるようになれば? 一人前になれるってことかな、俺も」

「無論だ。そして、オレたちにとっては驚異となる。……まあ、ただのシズマなら大丈夫だ。オレも、恩人に敵対することは絶対にしない」

「えっ、なんで? もう俺たち、仲間じゃんかよ」


 二人で並んで座るシズマとディリアの間に、ぐいとミサネも身を乗り出してくる。シズマは鏃の入った革袋を受け取り、矢の作り方についてもレクチャーを受けた。

 いよいよこれから、シズマは新しい自分になる。

 召喚されし転使ではなく、ただの普通の人間としての戦いが始まるのだ。

 エルエデンの人々と違って、魔力がゼロなので、普通以下の出発になる。それでも、幼馴染おさななじみのメイコを救うため、一緒の仲間のためにシズマは戦うつもりだ。


「よし! 最初はじゃあ、この弓を使いこなすことから始めるぜ」


 ディリアが何度も弓を構えて、品定しなさだめするように手応えを確認している。

 その彼女がなにも言わないということは、かなりの逸品なのかもしれない。

 そう思っていると、背後で弾んだ声が響いた。


「では、シズマ! シズマもわたくしと一緒に筋トレですわね。今日から改めて、シズマも筋友ですわ!」


 振り返ると、そこにはニコニコな笑顔のアレサが立っている。

 奥では、バテたアスカが大の字に倒れていた。

 あーあ、かわいそうに……初っ端しょっぱなからハードワーク気味だったんじゃないだろうか。それに、荒い息を刻むアレサのお腹が、小さく上下している。綺麗に割れたアレサの腹筋とは違って、やわらかそうだ。それに、とても太っているようには見えない。

 それなのに、あんなに必死にカロリーを燃やす理由がシズマにはわからなかった。

 そして、アレサは意外と鬼コーチなのも今知って、少し怖い。


「あ、そうだ……アレサ」

「はいですの! 大丈夫ですわ、シズマ。最初は優しくしますの。そして徐々に負荷を上げて、粘りのある筋肉を育てていくのですわ」

「それは、まあ、お手柔らかに。あとさ……俺もアレサにしてやれることがある」

「まあ! なんでしょう」

「アレサの体質はわかった。だから、


 アレサは、自分の外に魔力を出すことができない。しかし、ハイエルフの皇族にふさわしい強力な魔力を身に宿しているのだ。

 だから、自分を対象とする魔法しか使えない。

 そして、全ての魔法を熟知したシズマには、彼女でも使える魔法をいくつも知っているのだった。

 アレサが思わず、ほおに両手を当ててひとみを輝かせる。

 あまりに嬉しいのか、彼女の長く尖った耳がパタパタとまた揺れていた。

 だが、そんな穏やかな空気が突然霧散する。


「ん? あれは……村の方だな! なにが……済まない、ただのシズマ! 少し急ぐぞ!」


 不意にディリアが、弓を手放し馬にむちを入れた。

 彼女の見詰める先、街道の先で……なにかが燃える黒煙が無数に空へと巻き上げられているのだった。

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