第8話「新たな力、秘められた力」

 アレサとアスカ、二人の戦いは止まらない。

 むしろ、破滅へと向かって加速してゆく。

 それも、一方的にアスカがアレサをなぶるような展開が続いていた。

 シズマはなんとか戦いを止めようとして、思い出す。


「そういえばアスカの奴、前から妙に俺に突っかかってくるんだよな……さて、どうする?」


 今のシズマは、魔力がゼロの無能力人間ただのひとだ。それは、この世界に元から暮らす人々以下ということである。異世界エルエデンでは、誰もが微量の魔力を持っているのが普通だから。

 だが、大賢者スペルマスターとして戦ってきた彼の戦略眼は、今も生きている。

 見えないアスカの攻撃の、そのタイミングが自然と見切れていた。


「でもな、援護のタイミングがわかっててもできることが……いや、なにを俺は躊躇ためらってるんだ? そういうのはさ、捨てたよな? 置いてきた!」


 見もせず背後に手を伸べて、ガラガラと武器の山を崩す。

 なにか、なにかないか……力を求める手は、自然と木の感触を握った。

 振り返れば、それはつるがピンと張った弓だ。

 近くに矢筒やづつも落ちている。

 剣や槍もあるが、迷わずシズマは弓矢を手に取った。今までの戦いでは、数多あまたの魔法を使いこなしてきた。だ。弓を引いたことは今まで一度もないが、仲間が使っていたのを見たことはある。

 見様見真似みようみまねで、シズマはぎこちなく弓に矢をつがえた。


「アレサにもアスカにも、当たるなよっ!」


 ビッ! と小さく空気が鳴った。

 そして、矢はなにもない空間へと吸い込まれてゆく。

 シズマの狙ったポイントを大きく外れたが、その攻撃タイミングは完璧に意図いとした通りだった。その証拠に、今まで音だけの存在だったアスカが、姿を現す。


「はい、ざんねーん! はっずれでーす!」

「当てたくねえよ、バカッ!」

「……てゆーか、シズマさあ。なに? アンタ、見えてる訳? あーしの動き」

「見えねえよ、見えねえけど……わかる。何回後ろから援護してやったと思うんだ」

「あっ、そういう……じゃあ、これはっ!」


 突如とつじょ、アレサを囲むようにアスカの姿が増えてゆく。

 四人、八人、十二人……あっという間に、十六人のアスカが一斉にアレサへ襲いかかる。合計三十二振りの刀が、洞窟内のわずかな光を拾ってひらめいた。

 高速移動による、多重残像攻撃ぶんしんこうげき

 しかし、それもまたシズマには知っている速さだった。


「お前がこっそり特訓してるの、見てたんだよっ! 変に真面目で律儀でさあ……そこだっ!」


 またしても矢は、狙いを外す。

 そして、狙った通りにアスカを外れてくれる。

 外し方こそ思った通りにならなかったが、脚を止めたアスカの表情は驚きに満ちていた。大きな瞳を瞬かせながら、彼女は足元に突き立つ矢を見下ろしている。

 本体の動きが止まって、分身も全てかすみのように消え去った。


「えっ、なにそれ……シズマさあ、こののこと、かばうの?」


 アレサは身構えたまま、きょとんとしている。

 多分、このエルエデンにはゴリラという動物が居ないんじゃないだろうか。猿のようなモンスターなら数種類ほど生息しているが、ゴリラというよりキングコングの手合てあいばかりである。

 だが、なんとなく侮辱ぶじょくの言葉だとアレサにも伝わったらしい。


「メスゴリラとはどのような……しかし、わたくしは酷く腹ただしいですわ! 何故なぜでしょう、この、こぉ……凄いイライラするといいますか、全否定ぜんひていしたい気持ちですの!」

「ハン! アンタみたいな脳筋娘のうきんむすめ、メスゴリラ以外のなんだっつーの!」


 アスカは昔から、口さがない。

 思ったことは素直に口にするし、オブラートに包むということを知らないのだ。

 そして、ゴリラもダルマも知らないアレサに、アスカの意図するところはちゃんと伝わっているようである。

 その証拠に、アレサは真っ赤になった耳をパタパタと羽撃はばたかせている。


「わたくしの筋肉を侮辱しましたわね……許せませんの! 意味不明でよくわからないのですが、わたくしはメスゴリラでも筋肉ダルマでもありませんわ!」

「はいはい、汗臭あせくさいのはエルフに似合わないんじゃん? 森に帰って魔法のお勉強でもしてなっての」

「……帰れる場所など、ありません!」

「えっ、マジ!? ……あー、ゴメン。それは謝るわー、あと……次で終わりにすっから」


 トントンとその場で軽くアスカがステップを踏む。

 彼女のスピードには、まだ先がある。もっと速く動けるのだ。

 恐らく次も、シズマはその攻撃を見切ることができるだろう。

 しかし、つたない弓矢ではもう、思ったように邪魔をするのは難しいだろう。

 ならばとシズマは、弓を構えたままでアレサの前に出た。


「もうよせ、アスカ! ……ひょっとして、お前も気付いてるんじゃないか? 俺たち108人の転使てんしは、このエルエデンを救うために召喚されたんだ。けど、お前がやってることは……あいつがお前にやらせてることは」

「あーし、バカだもん。わかんないもん! シズマさあ、勝手に突っ走って、勝手にいなくなっちゃうし……あーし、もう訳わかんないし!」


 徐々にだが、アスカの闘気が高まってゆく。

 特別な力を与えられた108人の転使の中でも、一番の強さを持つ一桁台の少年少女……アスカもその一人で、この世で最速の剣技を持つ少女だ。

 我が身を盾にしてでも、シズマはアレサを守ろうとした。

 そして、アスカにこんなことをやめさせようと思ったのだ。

 だが、背後からアレサはふくれっ面で歩み出る。くちびるとがらせねたような、その表情はあどけなくて、なんだかこの場にふさわしくないかわいさがあった。


「なんですの、もぉ……シズマ、下がっていてくださいな。わたくし、奥の手を使いますわ」

「え? 奥の手、って……いやでも、待って」

「待っててもらうのはシズマの方です。あちらのアスカさんと、それと……メイコさんと。旅の仲間として、あとでゆっくりお話を聞かせてもらいますの!」

「なんで!?」

「なんででもですの!」


 そう言ってアレサは、シズマを下がらせた。

 彼女は盾を捨てると、残った剣を大地へと突き立てる。そうして両手をつかの上に置くと、静かに深呼吸する。緊張感がピンと張り詰め、僅かにアレサの結った髪がふわりと棚引たなびいた。

 そして、シズマは目を疑うような光景に絶句する。

 アレサは鋭い視線でアスカを射抜いて、そして気迫を叫んだ。


「勝負ですわ、アスカさんっ! ――!」


 シズマは驚きに固まった。

 アレサから、魔力の波動が光となってほとばしる。

 アクセラレート、その呪文はシズマもよく知っている。対象の瞬発力と機動力を、一時的に増幅させる補助魔法バフだ。初歩的なものだが、勿論もちろん魔力がなければ使えない。

 アレサは、魔法の使えないエルフだと言っていた。

 だが、彼女は剣を両手で構えるや、魔力で強化された脚力を爆発させた。

 驚いたのはアスカも同じだった。


「ちょ、タンマッ! タイム、タイム、ッ!?」


 慌てた様子で、アスカもスピードに乗って走り出す。

 その時にはもう、決着はついていた。

 あのアスカが、初めて逃げるために自慢の神速を使っている。そして、その背にあっという間にアレサは追いついた。恐るべき脚力は、あのむっちりとしたカモシカのような太腿ふとももから生み出されている。

 そして、その常人離れした力を、アクセラレートの魔法が何倍にも増幅させているのだ。


「くっ、引き剥がせないっ! とんだメスゴリラだっつーの!」

「またその言葉! 撤回なさい! 意味はわかりませんが、わたくし……酷く傷付きましたの!」

「そーゆぅタマかってーの! くっそー、こうなりゃ全力全開じゃん!」

「逃しませんわ……アクセラレート! さらに、アクセラレート!」


 アスカとアレサは、すでに洞窟の広さと高さを縦横無尽じゅうおうむじんに使っていた。そして、さらに互いを高めるように加速してゆく。

 アレサは、自分への補助魔法をさらに重ねがけしてゆく。

 その姿は徐々にアスカへ追いつき、影に影が重なった。

 瞬間、少女たちの戦いは決着を向かえる。


「いったーい、あーしのこと蹴ったし! 信じらんないし!」

貴女あなたこそ、わたくしを足蹴あしげにして! お行儀が悪いですわ」

「うっさい、脳筋のうきんゴリラ! あーもぉ、やだ……せっかく運良く、シズマに会えたのにぃ」

「……いえ、その、泣かれても、困りますわ。あの、ごめんなさい……謝りますの」


 ほとんど墜落ついらくに近い形で、二人は取っ組み合いながら降りてきた。

 互いに真剣を手にしてはいたが、どうやら命のやり取りまではしないつもりだったらしい。それはそれでホッとするが、キャットファイトが終わったことにシズマは安堵あんどした。

 しかし、何故そこで自分の名前が出てくるかがわからない。

 そう、彼はそっち方面のことに関しては鈍感な上に、そのことに無自覚だった。

 それに気付いたアレサが、魔法の効果が切れると同時に振り返る。


「シズマ、ちょっといいですか。こっちにいらっしゃいまし」

「ハ、ハイ」

貴方あなた、アスカにちゃんと今まで、向き合ってきましたか?」

「ああ、だって同じギルドの仲間だったんだぜ? 信頼できない奴とじゃ、一緒に戦えない。それはアレサもそうだろう?」

「そういうことを聞いてるんじゃありませんの!」

「えっと……そういうことじゃないってことは、どういうこと?」

「……もういいですの」

「そ、それよりアレサ、その……今、魔法を」


 そう、アレサは魔法を使った。魔力がないという話は、あれは嘘だったのか? だが、真っ直ぐシズマを見詰めてくる彼女のひとみには、嘘はないように思える。

 とりあえず、大の字になってジタバタと駄々だだをこねるアスカを立たせた。

 そうしてシズマは、領主アレクセイに全てを報告しに戻ることにしたのだった。

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