第5話「出会いと、決別と」

 その都市の名は、ナイ=ガラア。

 巨大な滝壺たきつぼを囲むように広がる、この地方の中枢都市である。豊富な水源である大瀑布だいばくふは、天然の城壁としても活用しているため守りも固い。

 シズマは久々に、大都会の土を踏もうとしていた。

 現役の転使てんしであるミサネの身分で、無事に城門から市街地へと入ることができた。


「久々に来たけど、相変わらず凄い絵面だな……える、ってやつか」


 天から注ぐかのような大滝をバックに、領主の住まう城がある。街を貫くメインストリートには、老舗しにせの商店から屋台や露天商まで、ひしめき合って活気付いていた。

 行き交う人々の表情も活き活きいきいきとして、ここでは魔王軍の驚異もまだまだ緊急性を帯びていない。その雰囲気は、シズマが現役の大賢者スペルマスターだったころから変わっていなかった。

 シズマが懐かしさを感じていると、前を歩くアレサが振り返る。


「では、領主様にお会いしてきましょう。きっと力になってくれるはずですわ」

「あっ、まってアレサ。先にボク、空き缶を交換してきていいかな?」


 ミサネの提案にアレサは「ええ」と微笑ほほえんだ。

 今、一行の荷物の全てをアレサが持ってくれてる。

 これも筋トレの一環らしく、周囲の人々の視線を集める程度には目立っている。マントで身をおおっていても、その美貌びぼうは目を引く。人里にエルフがやってくるなど、まれだからだ。しかも、華奢きゃしゃな美少女は苦もなく大荷物を背負って笑顔なのだ。

 それに引き換え、シズマは次第に不安になってくる。

 自分の顔を知る者も多くなく、そこかしこでささやきとつぶやきが連鎖しているからだ。


「はぁ……俺ってば結構有名人なんだよなあ」

「どうかしまして? シズマ」

「いやさ、前来た時はナイン・ストライダーズの一員だったからさ」

「なるほど、そういうことですのね。でも、気にする必要はありませんわ」

「そうかな」

「ええ、そうですの」

「そうかなあ」

「そうですわ」


 先を歩くミサネを追って、二人で並んであとに続く。

 冷ややかな視線は少し気になったが、不思議とアレサの言葉に気持ちが楽になった。シズマとしても、若干の後ろめたさこそあるものの、今は以前ほど罪悪感を感じない。

 幼馴染おさななじみを救うため、独断専行で単身魔王に挑み、返り討ちにあった。

 この世界を守るべく召喚された勇者、転使としては無様ぶざまに過ぎた。

 けど、今またシズマは歩み始めた……新たな仲間と共に。


「そういえば、ミサネちゃん。なんかこう、オススメの武器とかない?」

「と、いいますと?」

「俺も少しは戦力になりたいからさ。魔力がなくたって、身体を鍛えりゃ戦える。そうわかったなら、あとはやるだけだ」

「なんか、張り切ってますね! いいですね、ボクそういうの大歓迎です」


 アレサもニコニコとうなずく。

 そう、持って生まれた能力がなくても、人は強くなれる。

 強くありたいと思えば、やれることはいくらでもある気がした。その証拠に、アレサは鍛え抜かれた我が身一つを武器に戦っている。特別な魔法の武具も使わず、しなやかな筋肉美のみを頼りに冒険しているのだ。

 ある種のストイックさすら感じる鍛え方にはおよばずとも、シズマが見習うべきことは沢山ある気がした。


「シズマ、とても素晴らしい心がけですわ。わたくし、お手伝いしますの!」

「はは、ありがたいねえ。俺もバッキバキに腹筋割って、アレサみたいに戦えるようになりたい。ただの道案内じゃない、これは俺なりのけじめだしな」

「ええ、ええ! 素敵ですの。シズマも5、60年くらい鍛えれば、立派な筋肉を得られると思いますわ」

「待ってくれ、それじゃジジィになっちまうし、世界も滅んじまう。……ちなみにアレサ、君は」

「まあ! レディに今、歳を聞きまして? いけない人ですのね」


 アレサの容姿は、どう見ても十代の少女である。その美貌は時にあどけなく、ともすればもっと年下に見える。

 だが、彼女の言葉にシズマは耳を疑った。


「わたくし、200? シズマよりもミサネよりも、うーんとお姉さんですわ」

「あ、エルフだから……ハイ、スミマセン」

「よろしい! では、わたくしと今日から筋トレですわね。わたくしもパートナーがいるほうが嬉しいですの。こなせるメニューにも幅が出ますわ」

「お、お手柔らかに頼むぜ。俺、基本的に貧弱男子、頭脳労働タイプだったんだからさ」


 ミサネが笑いをこらえて、肩を震わせている。

 だが、彼女もシズマの扱いやすい武器を考えてくれるそうだ。そして、さりげなく語られる彼女の夢、願い……どのギルドにも入らず、彼女がアレサと行動している理由をシズマは知らされた。


「ボクのモットーは、大勢の人間で共有できる武具、みんなで使えるものなんです」

「一品物のレアアイテム的なものじゃなくてか?」

「もう、シズマさん? ゲームじゃないんですから、そういうのはまあ……持ってる人は持ってますし、ボクだって作ろうと思えば。でも、そういう武具は使い手を選びます」

「確かに」

「ボクたち108人の転使以外にも、魔王軍と戦ってる冒険者が沢山います。そういう人たちの力にこそ、ボクはなりたいんですよね。……でも、転使の皆さんは自分だけの武器を欲しがるんですよ」


 はあ、と小さくミサネが溜息ためいきこぼす。

 そういえば、アレサの剣や盾もミサネが作った物らしい。無骨ぶこつで実用性だけを追求した、飾り気のない武具。そこには機能美が凝縮されていて、不思議とアレサに似合った。装飾や宝石で飾られた聖剣などではない……鉄と鋼で鍛えられた、実戦向きの武器防具である。

 そうこうしていると、街角に集まる市民たちが見えてくる。

 どうやら、あそこで空き缶を回収しているらしい。

 ミサネが店主らしき女性に声をかけた、その時だった。


「あっ! こら、泥棒どろぼうっ! なんて意地汚え野郎だ!」


 大柄な男が、叫びながら店から出てきた。

 その先に、空き缶を抱えた人影が走っている。ボロ布をまとっていて、性別や表情はうかがい知れない。ただ、その弱々しい足取りはすぐに、巨漢の男に追いつかれてしまった。

 捕まったその人物は、地面に容赦なく組み伏せられる。

 手からは、大量の空き缶が散らばった。


「どこのガキだ! 缶に残った食残たべのこしを狙ったんだろうが、そうはいかねえ!」

「クッ、放せ! ……なんという屈辱くつじょく。ええい、殺せ! はずかしめは受けない!」

「おいおい、物騒だな。なにも俺ぁ、取って食おうって訳じゃねえ。ただ、こっちも領主様から任された仕事を預かってんだ。それに、盗みは見過ごせねえよ」


 シズマは瞬時に、事情を察した。

 貧しい身なりの少女――そう、同じ年頃の女の子の声だった――彼女は、食べ残しを狙って回収業者から空き缶を盗んだのだ。シズマたちが食べ終えた空き缶は、軽く洗って持ってきたが……恐らく、そのまま回収に出す者もいるのだろう。

 店主のおっとらしき男の言い分も、もっともだ。

 だが、ざわめく市民たちが衛兵を呼ぶよう言ってるのが聴こえる。

 シズマはいたたまれなくなって、一歩歩み出た。


「なあ、おっさん。ちょっとまってくれよ……まだ子供だぜ?」

「そうは言うがな、ボウズ! ……ありゃ? お前さん」

「あー、まあ、そうだな。俺はシズマ、大賢者シズマだ。……ちょっと前まではな」

「まあ、転使さんがそう云うなら。ほれ、立て! もう盗みなんかやるんじゃねえぞ」


 男は少女を解放した。

 元から手酷く痛めつけるつもりはなかったらしい。

 そして、立ち上がった少女にアレサが駆け寄る。


「もし、貴女あなたはお腹が減っているのではありませんか? よければ、これを。余り物なのですけど」


 アレサは、周囲もびっくりするような大荷物を背から降ろして、手持ちの食料を取り出した。そして、迷わずそれを全て少女に差し出す。

 だが、少女は目深に被ったボロ布の奥から、鋭い眼光でにらんできた。


「人間のほどこしは受けない!」

「大丈夫ですわ、わたくしはエルフですの。困った時はお互い様ですわ」

「そういう問題じゃない!」

「あらあら、困りましたわね」


 その時、気色ばむ少女の腹が鳴った。

 なんともかわいい音で、それを聴いた周囲の全員が笑顔になってしまう。

 シズマは、食料を受け取ってもらえず困り顔のアレサをフォローしに回る。


「なあ、強情ごうじょうを張ってもいいことはないさ。もらえるもんは貰って、余裕ができたら恩を返せばいい。まずは食って生きる、生き残る。そうだろ?」

「うっ、それは……しかし!」

「厚意を受け取ることもまた、厚意だ。……おっ、なんか大賢者っぽいイイ台詞せりふだぜ! それと、これも持ってけ」


 シズマは、手にした長杖ロッドを迷わず差し出した。

 流石さすがにそれには、どよめきが広がる。

 市民たちの中には、シズマの顔を知る者も少なくない。能力を失ったとはいえ、最強の転使の一人だったシズマである。その魔力を増幅してくれる長杖は、とても高価なものだ。樹齢千年の霊木れいぼくより削り出し、無数の宝玉を飾った逸品いっぴんである。

 それをシズマは、惜しげもなく差し出した。


「飯だけじゃ駄目だ。着るものや寝床も必要だろう? 一時の空腹のために盗みを働く根性があるなら、くやしくても受け取ってくれよ。金に変えれば、少しは生きてく目処めどがつく」

「ッ! 何故なぜそれを!」


 シズマの言葉に、アレサも驚いた顔を見せた。

 そう、この少女は自分のためだけではない……恐らく、共に腹を空かせている者がいるのだろう。彼女が盗もうとした空き缶は、残飯をかき集めれば結構な量になりそうだった。

 それに、一時空腹をしのいでも、再び腹が減れば盗むしかなくなる。

 ある程度、まとまった金を得られれば、その心配もなくなるかもしれないのだ。


「……施しは受けない。人間の力など借りない!」

「そのプライドがあるならさ、受け取りなって。気に食わないなら、俺を偽善者ぎぜんしゃうらんでくれていい。けどな、アレサが本気で心配してるし、一つ借りってことにしとけよ」


 少女はうつむき黙ると、おずおずとアレサから食料を受け取った。

 そして、シズマの手からも長杖を受け取る。


「では、借りておくぞ……人間。この恩は忘れない」

「ああ、俺も忘れないさ。情けは人の為ならず、ってな」

「……フン、異世界より召喚された転使たちの世界のことわざか」

「そうそう」

「礼を云うぞ、お前は確か……そう、大賢者シズマ」

「元な、元。でも、俺もお前も今は賢い選択をしたと思うぜ?」


 小さく頷いて、少女は走り去った。

 その背を見送るシズマは、再び周囲で噂する声にやれやれと肩をすくめる。はからずも今、シズマは市民たちの前で見せてしまった。長杖が必要なくなる大賢者という現状は、魔王に魔力を奪われたという噂を裏付けるには十分なのだった。

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