第4話「夜の帳に白妙の肌」

 シズマは、しばらくぶりに村を出た。

 そしてもう、戻るつもりはない。

 まだ、自分の中で考えはまとまっていない……無力になった今、転使てんしとして神から与えられた能力には頼れない。そして、それがなければシズマはただの少年だ。

 それでも、決意だけは確かである。

 口ではそんなそぶりは見せなかったが、アレサとミサネ、二人の仲間を得て覚悟が定まったのだ。

 そして、まずは日暮れまで歩いたので、今夜は野営とすることにした。

 早ければ明日の昼前には、隣の大きな街へつく。


「はいはーい! じゃあ、かんを回収しますね。姫様も、片付けはボクに任せて」


 焚き火たきびを囲んでの、簡素な夕食が終わった。

 缶詰かんづめを温めて開封し、あとは焼き締めやきしめたパンを三人で分けて食べた。不思議と、大自然の中で食べるからか美味おいしい。村では比較的豪遊していたシズマも、思わず舌鼓したづつみを打つ。

 季節は夏が終わり、夜になれば秋の風が冷たい。

 満天の星空は、周囲に明かりがないのでまぶしくさえ感じた。


「ミサネちゃん、手伝おうか?」

「あ、大丈夫ですよ! シズマさんも休んでてください」

「そっか? サンキュな。あと……シズマでいい。じゃないと、俺もミサネちゃんのこと『ミサネ様』とか『ミサネ殿どの』って呼んじゃうぜ?」

「やだもー、なんですかそれ」


 ミサネは見た目は、シズマと同世代か少し下くらいに見える。

 今はキュロットスカートにサテンのシャツ、防具は胸当てと軽装だ。すらりとせてて、むちぷりしてるアレサとは対称的である。

 妹がいたら、こんな感じかもしれない。

 そう思っていると、アレサも会話に混じってくる。


「そうですわよ、ミサネさん。できればわたくしのことも、姫様ではなく……アレサと」

「それもまた、恐れ多いなあ。じゃあ、シズマと、アレサ、ね。ボクのことも好きに呼んでね」

「はい、ミサネ。シズマも、改めて宜しくお願い致します」


 アレサの笑みは本当に純真に見える。

 こんな夜でも、月明かりさえ色あせて思える程だ。

 絶世の美少女というものが、本当に存在する概念がいねんだとシズマは思い知った。そして、この美貌びぼうだけはシズマがよく知る、エルフそのものである。


ちなみに、その空き缶はどうするんだ? 確か、そういえば」

「ええ。これから行く街みたいに、都会では業者が買い取ってくれるんです。洗浄してまた魔力を込めれば、再利用できますから」

「ああ、そうそう。そうだっけな。いやあ、その手の仕事は全部サボってたから」


 そう、シズマはかつて最強の大賢者スペルマスターだった。

 彼のような転使№てんしナンバー一桁台ひとけただいの者は、特別に強い力を与えられていた。そんな少年少女で結成されたのが、打倒魔王の急先鋒だったギルド、ナイン・ストライダーズである。

 シズマも他の一桁台同様に、もっぱら最前線での戦闘が仕事だった。

 こうした雑用は、ギルドでサポートに回ってくれる人たちに任せきりだったのである。


「あ、そういえばさ……のどが渇いたな。なにか貰ってもいいか?」

「ええ、どうぞどうぞ! って言うのも変ですよね。全部、姫様、じゃなくてアレサのお金で買ったのに」

「んじゃ、アレサ。ゴチになります!」


 シズマはまだ残ってる缶詰から、お茶の入ったものを指差した。

 丁度、元いた日本でいう缶ジュースみたいなサイズのものだ。これも他のものと同様、缶に魔法の術式がきざまれている。手にした者の魔力で、ふたが開く仕組みなのだ。

 ミサネに放ってもらい、座ったまま受け取る。

 何故かアレサは、上品に口元を手で覆って笑っていた。


「って、おいおい、そんなにおかしいか?」

「ふふ、ごめんなさい。ゴチとは、ごちそうさまです、の意味なのかなと思って。市井しせいの言葉はやっぱり、少し面白いですわ」

「それな! で、金なら俺も出すのに」

「いいえ、危険な旅の道案内を頼むのです。むしろ、わたくしが報酬をお支払いするべきですわ」

「んじゃまあ、街についたら飯でも御馳走ごちそうするよ。勿論もちろんミサネもな」


 それだけ言って、シズマは立ち上がった。

 二人が女子トークをしてる間に、少し離れて一人の時間を作る。

 街道沿いかいどうぞいでも焚き火を離れれば、そこは鬱蒼うっそうしげる森の中だ。昔なら魔力による敵意探知で、周囲のモンスターをくまなく察知できたが、それも今は無理だ。

 できるだけ静かに、大自然の闇へ分け入る。

 同時にシズマは、呼吸を整え自分の中へと語りかけた。


「……一応、もう一度。もう一度だけ、確かめてみる。足手まといにはなりたくないしな」


 そうつぶやいて、シズマは集中力を研ぎ澄ませる。

 風にそよぐ枝葉や、小さな虫の鳴き声……そうした音が自然と遠ざかった。

 そして、握った缶詰へと念じる。


 ――開け。


 それは、このエルエデンの人間ならば子供でもできることだ。

 勿論、神に召喚されし転使ならば造作もない。

 だが、いくらシズマが精神を集中させても、蓋は開かなかった。


「っ、はーっ! 駄目か! やっぱり魔力、微塵みじんも残っちゃいねえぜ」


 すでに知れたことだが、こうして改めて現実を直視すると辛い。高レベルの魔法は駄目でも、こうした簡単なものならとも思った。

 だが、駄目だった。

 本当にシズマの魔力は今、ゼロなのだ。

 これでは、ありとあらゆる呪文を記憶した知識も、全て宝の持ち腐れである。


「さて、うん! 諦めよう! ……魔法じゃなく、違う戦い方を考えないとな」


 今着てるローブも、トレードマークの長杖ロッドも売るのはどうだろうか? それで、剣かなにか、武器とあとは防具を買う。

 そう、転職……ジョブチェンジだ。

 だが、正直とても自信がない。

 それに、当然だがこの世界の武具は魔力の必要なものもある。

 エルエデンの人々の微力な魔力でも、木刀をはがねの切れ味に変えたり、ただの革鎧かわよろいが重武装レベルの防御力を発揮したりする。


「ミサネは武器を造る人間だからまあ、相談してみっか」


 ポンポンとお茶の入った缶を手にもてあそんで、シズマは溜息ためいきこぼす。

 そんな彼の鼓膜を、静かにたゆたう歌声がでた。

 しっとりと響く声音は、とても綺麗で心が落ち着く。

 まるで歌に魅入られ引きずられるように、ふらりとシズマは歩き出した。


「あれは……って、おい! まずいだろ、俺っ!」


 すぐに目の前で視界が開けた。

 森の中に、小さな泉がある。

 その水面に映る月の中に、裸の背中が見えたのだ。

 歌を歌っているのは、水浴びしているアレサだった。

 慌てて後ずさったが、パキリ! と音がした。

 どうやら枯れ枝を踏んでしまったようだ。


「ッ、誰です!? どなた、ですか? ええと、モンスターさんでしょうか」

「いや、違う! ……ごめん、のぞくつもりじゃなかったんだ」

「あら、シズマでしたのね。わたくしこそ、ごめんなさい。モンスターさんだなんて」

「あっ、ちょ、ちょっと! 隠して! 色々と隠して! 恥ずかしいから!」


 だが、ほどいた金髪をさらさらと風に遊ばせ、アレサは岸に上がってきた。

 何故なぜこうも、堂々としているのか。

 全裸、素っ裸である。

 そして、恥じらう素振りも見せずに彼女はシズマの前に立った。


「恥ずかしい、とは? ふふ、シズマったらおかしいですわ。わたくし、見られて恥じ入るような鍛え方はしていないつもりです」

「そういう意味じゃないんだって」

「? ……ああ、そういえば以前、ミサネに言われましたわ。市井の者たちは皆、着替えは自分ですると。これはわたくしも最近はそうしてます。それに」

「そ、そう! それだよ!」

「みだりに他者へ肌をさらしてはならない……ですわね? ええと、こういう時は」


 酷く落ち着いたアレサが、両手をメガホンのように口に当てる。


「たしか……きゃー、エッチー、ですわね。きゃー、エッチー! ……これで完璧ですわ」

「……もういい、いいんだアレサ。対処としては正しいけど、ちょっとニュアンスが」

「そういうものなのですか? 人間界の男女の機微きびは、難しいものなのですわね」


 思わずシズマは、片手で顔を覆った。

 だが、指と指の隙間から見てしまう。

 なんたる造形美か……神の実在はエルエデンの常識だが、アレサの美しさは改めて信仰心を刺激される。神でなければデザイン不可能かと思えるような、黄金率の曲線美。無駄なく引き締まった全身は、同時に柔らかな女性らしさが同居していた。

 ついつい見惚みとれてしまったシズマに、アレサは優しく微笑ほほえむ。


「あら、それは……お茶の時間でしたのね。あ、もしや」

「ああ。その、やっぱり俺には魔力がないみたいだ。……アレサも、そうなんだって?」

「ええ。魔法の使えないハイエルフなんて、おかしいでしょう? ふふ、わたくしたちは似てますわね」


 そう言って、そっとアレサはシズマから缶を取り上げた。

 そして、両手で握ってびんの蓋を明けるようにねじる。

 小さく「んっ!」とうなる声がかわいく響いて、アレサの握力が缶詰をこじ開けた。このお姫様は、綺麗な顔してやること全てが力技である。


「はい、開きましたわ!」

「あ、ありがとう」

「では、御褒美ごほうびを頂戴しますの。ふふ」


 アレサは桜色のくちびるに缶を近付け、一口お茶を飲んだ。そして、にっこり笑って残りを差し出してくる。呆気あっけにとられて受け取るシズマ。そのままアレサは、再び泉へ戻って昼間の汗を流し始めた。


「気持ちいい……シズマも一緒にどうですか?」

「い、いやっ、俺はいい! 先に戻ってる! うん、まあ、風邪引くなよ」


 シズマはようやく背を向け、そのまま一目散に焚き火まで走り出す。

 滴る水音が聴こえなくなってもまだ、彼の目には淡雪あわゆきのような白い裸体が焼き付いているのだった。

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