第3話「再び旅が始まる」

 ――

 異世界エルエデンでは、南の森林地帯に住む亜人たちの総称である。総じて男女ともに長寿で、老いを知らぬその容姿はとても美しい。魔法に長け、弓矢の扱いも上手い。

 だが、争いを好まず、俗世とも距離を置いているというのが現実だ。

 シズマがこの世界に来て知ったエルフは、ゲームや漫画で見たものと同じである。

 ただ一人……皇族であるハイエルフの姫君ひめぎみ、アレサだけが異質な存在だった。


「なあ、ミサネちゃん。ちょっち、いいか?」


 昨日のモンスター襲撃騒動は、どうにか収まったようだ。

 襲ってきたサイクロプスも、どうやら単独行動で後続部隊もいないらしい。自警団の男たちが先程から、ひっきりなしに村を行き来している。

 そんな中、シズマは昼下がりの市場に来ていた。

 ミサネと一緒に、これからの旅の準備中である。


「どうしたんですか? シズマさん。ボクに答えられることなら、なんでもどうぞ」

「あ、ああ。その……やっぱり、俺も行かなきゃ駄目か?」

「そうですね」

「どうしても、かなあ?」

「ですです! 姫様もそうお望みですし!」


 ちらりとシズマは、視線を背後へ走らせる。

 市場の入口で、今回の旅の提唱者がストレッチをしていた。

 そう、アレサだ。

 彼女はなんと、これから魔王城に出向いて戦おうというのだ。それは本来、神が招いた転生勇者……転使てんしと呼ばれる少年少女の仕事である。このエルエデンでは過去にも、世界の危機を転使たちが救ってきた。

 だが、アレサは本気である。

 それも、エルフらしからぬ剣と盾と、はがねのように鍛えた肉体だけで挑もうというのだ。


「シズマさんが躊躇ちゅうちょするのもわかります。魔王はあまりにも強大で、日毎にその力は増しています。もうすでに、何人もの転使が能力を奪われたと聞きました」

「……あの力は厄介だよな」

「ええ。でも、姫様なら勝てるのではとボクは思います。そのお手伝いをするって、ボクも決めましたから!」


 少年のような笑みで、ミサネがうなずく。

 迷いのない目がキラキラしてて、とてもまぶしい。

 無垢むくな信頼を疑いもしない乙女から、思わずシズマは目をそらした。

 だが、疑問も残る。


「エルフっていやあ、魔力の高い種族だ。生まれつき魔法の素質があって、ハイエルフのお姫様となればさ。でも、それを奪われると……俺みたいになっちまう」

「ああ、それなら大丈夫です。姫様は大丈夫なんです」

「おいおい、魔王を甘く見るなよ? エクササイズだけで勝てるほど簡単な相手じゃないぜ」


 再度シズマは、背後を振り返った。

 すでにもう、アレサは次の筋トレを始めている。武具をおいてマントを脱ぎ、例のビキニアーマー姿で指立て伏せだ。しかも、親指と小指だけで自分を支えている。

 華奢きゃしゃで細いシルエットだが、その全身は鍛え抜かれたしなやかさに満ちていた。

 今も彼女は、熱心に筋肉を鍛えている。

 エルフっていうより、あれじゃ体育会系のアスリートだ。


「姫様は……奪われるべきものをなにも持ってませんから」

「ん? それって」

「あっ、食料品が結構安いですね! 少し保存食を買っておきましょう」

「お、おいっ! 引っ張るなって!」


 ガッシ! とミサネが腕に抱き着いてきた。。

 そしてグイグイと、シズマを引っ張って歩き出す。

 二の腕に柔らかなぬくもりがあって、思わずシズマはドギマギした。同時に、一人の少女のことを思い出す。引っ込み思案で、いつもシズマのあとをついてきた幼馴染おさななじみ。やたらと世話焼きで、その癖に自分のことは二の次という、どこかお姉さん気取りな頑張り屋さんだった。

 もう、何ヶ月も会っていない。

 生まれた時からお隣同士で、顔を合わせない日は一度もなかった。

 それが今は、ずっと大昔のように感じる。


「……待ってろよ、良菓リョウカ。必ず魔王を倒して、お前を」

「ん? シズマさん、誰ですか? その、リョウカさんって」

「ああ、俺の幼馴染だ。一緒にエルエデンに飛ばされちまったんだが……とろいからな、あいつ。俺が以前いたナイン・ストライダーズの情報では、魔王の軍勢にさらわれたらしい」

「転使なのにですか!? ……って、ボクも人のこと言えませんけどね」


 シズマは魔力を奪われ、無力なただの少年になってしまった。

 それでギルドを追い出された挙げ句、こんな田舎いなかくだを巻いていた訳だが……なにもしていなかった訳じゃない。一生生きていくに困らない程度の財産はあったが、美女をはべらせてのギャンブル三昧を満喫しつつ……彼なりに考えていたのである。

 今、自分にできることはなにか。

 諦めるなと今も、胸の奥にきしる痛みに応えるには?

 だが、行き詰まっていたのも事実で、アレサたちとの旅で案内役を務めるのもやぶさかではない。

 そう思っていると、露天商ろてんしょうの前でようやくミサネは離れた。


「ボク、実は能力が生産系で」

「ああ、いいんじゃないか? どこのギルドでも、職人は重宝されるだろ。……え、まさかミサネちゃん、お前」

「……ボクの力は、武器の製造。素材を直接、剣や弓へと編み変えるリメイクすることができます。でも、その素材を集める力がないんですよね。それにボク、加減が下手で」


 ミサネは転使ナンバー088、シズマと同じ地球の日本から来た少女だ。

 だが、自分に与えられた武器製造の能力を、上手くかせないのだと彼女は言う。困りましたよね、と笑う彼女の、どこか淋しげに細められた目が印象的だった。

 ミサネはひざに手を当て前屈みになって、広げられた商品を品定めし始める。

 自然と突き出された尻に、ついついシズマの視線は釘付けになった。


「ボクは、伝説の剣や最強の鎧みたいな、そういうのを造りたいんじゃないんです。転使は108人もの仲間が召喚されてるんだし、なるべく多くの人間が使えるものを優先したかったんですよね」


 そういえばアレサの剣や盾も、無骨で装飾も最低限の質素なものだ。しかし、質実剛健しつじつごうけんという言葉がしっくりくるあつらえなのを、シズマはかすかにだが覚えてる。それに、サイクロプスを一刀両断したことからも、業物わざものであることは明らかだ。


「まあ、あのビキニアーマーはどうかと思うけどな」

「えっ!? そんなに良かったですか? いやあ、照れます!」

「褒めてねーよ、ったく……まあでも、お姫さんにはいいのかもな。あの身体能力と運動神経、全然エルフじゃねえ感じだしよ。動きやすい防具が一番って訳だ」

「はいっ! かなりの自信作です! っと、すみませーん! おじさん、この缶詰かんづめを」


 露天商で店番をしていた男は、快晴の陽気で居眠りをしていたようだ。

 ミサネの言葉で目覚めると、山と積まれていた缶詰を手に取る。


「お嬢さん、これかね? 沢山買ってくれるなら、お安くしとくよ」

「次の街まで、一昼夜……今晩と明日の朝の分があれば大丈夫かな。買い過ぎても荷物になるし」

「おや、次の街というと……お城にでも用事があるのかね?」

「この地方の領主様に、支援を願い出てみようと思っています」


 異世界エルエデンは、酷くシンプルな封建社会ほうけんしゃかいだ。

 中世のヨーロッパを思わせる暮らしぶりだが、シズマたちの地球と違って魔法がある。人々は皆、持って生まれた魔力でマジックアイテムを使うのが当たり前だ。

 言うなれば、自分の身体に充電不要なバッテリーが入ってるようなもんである。

 勿論もちろん、それがもうシズマにはない。

 そしてどうやら、アレサもそうらしい。

 シズマが複雑な心境で腕組み黙ると、店主は缶詰をミサネに放った。


「一つサービスしとくよ、お嬢ちゃん。食べてみてごらん。うちのかみさんが漬けたピクルスだ。シチューや肉煮込みなんかもあるよ」

「あっ、ありがとうございます! じゃあ、ちょっと失礼して」


 鈍色にびいろの金属でできた缶に、手書きで料理名が書いてある。

 ミサネは、簡単な魔法の術式が書かれたふたに手を当てた。すると、青い光が静かに灯って、自然に蓋が開く。この世界ではごくごく一般的な、魔力を用いた簡単な仕掛けである。

 中のピクルスを一口頬張ほおばり、ミサネは缶をシズマに向けてきた。

 食べてみると、確かに上手い。


「あっ、おいしい。おふくろの味ってやつですね。あ、皆さんもどうぞー」

「おや、じゃあ頂こうかねえ」

「缶詰かい? どれ、味見させてもらおう。冬の備蓄にもいいしな」

「缶自体はどうだい? 都会の方じゃ、術式で温かくなる缶があるらしいがな」


 あっという間に、周囲の買い物客が集まってきた。ミサネはどうも、天然の愛嬌あいきょうがあって周囲に自然と人を集めてしまう。可憐な容姿も手伝って、すぐに笑いの花々が周囲に咲き誇った。

 結局、少し多めにミサネは缶詰を買ったようだった。

 その荷物をシズマが、自ら率先して持つ。


「他に買い物は? ミサネちゃん」

「特にないですね。結構旅慣れてるつもりですし、一通りの道具類は持ち歩いてますから」

「ああ、お姫さんの大荷物はそれか。あとでそれも持ってやらないとな」


 見れば、その荷物の横でアレサが笑っている。どうやら、周囲に集まった子供たちと遊んであげているようだ。

 彼女は笑顔で、軽々片手で子供たちを持ち上げる。

 まだまだ幼い子供たちは、何人ぶらさがってもアレサの笑みを絶やすことはない。あの細腕ほそううでが、サイクロプスを一撃で斬り伏せ、この村を守ったのだ。


「あっ、シズマさん。ミサネさんも」

「お待たせしました、姫様。じゃあ、出発しましょう!」

「俺が荷物を持とう。なに、缶詰一つ開けられない男でも、荷物持ちくらいには使えるぜ?」


 だが、子供たちとさよならしたアレサは、逆にシズマの持つ缶詰の紙袋を取り上げる。


「おかまいなく、シズマさん。わたくし、旅の間も鍛えるつもりですので。荷物は全て、わたくしが持ちますわ。大半がわたくしの私物ですもの、ふふ」


 つぼみほころぶような笑みで、これぞハイエルフという上品な美しさだった。

 こうしてシズマは、奇妙な二人組の案内役として、再び魔王城を目指すことになったのだった。

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