第2話「目覚めは甘い香りと筋トレと」

 シズマは夢を見ていた。

 最強の大賢者スペルマスターと言われたのも、今は昔……無様ぶざまに気絶して、意識を失ったのである。それがわかるから、これは明晰夢めいせきむだ。

 そして、セピア色の光景は忘れもしない、一ヶ月前の魔王城。

 ギルドの仲間たちに黙って、シズマは一人で玉座まで攻め入ったのである。


(ああ、またか……またこの夢か。まったく、飽きもせずにまあ)


 絶望へのカウントダウンが始まる。

 夢の中ではまだ、シズマは無数の魔法を駆使して戦っていた。それを見下ろす、一ヶ月後のシズマは目を背けられない。まぶたをつぶった夢の中では、ただ見詰めるしかできないのだ。

 わずかにあせりを見せつつも、過去のシズマは敵を蹴散けちらす。


『さあ、出てこいよ……魔王だかなんだか知らないがな! 俺には助けなきゃなんねえ奴がいる! そいつを救えるなら、一人でだって戦ってやるさ』


 そう、シズマには助けたい人がいた。

 一緒に育った、幼馴染おさななじみ

 この魔王城のどこかにいることは、調べがついていた。ならば当然、魔王を倒さねば救えないのが道理だ。いつもドン臭くて、とろい奴だった。でも、日向ひなたのような温かさを持った、心の優しい少女だったのだ。

 この異世界エルエデンに飛ばされた時、恐らく捕まったのだろう。

 やがて、シズマの前に黒い影が立つ。


『待ッテイタ……神ガツカワシタ勇者、異世界ヨリノ使徒』

『お前は、魔王だな? 姿を現しな。シルエットだけで脅しても、俺には勝てないぜ』

『……ヨク、来テクレタ……ヤッパリ、来テクレタ』

『ああ! さあ、もう馬鹿みたいな夢は終わりだ。世界征服だなんてやめちまおうぜ? なあ』


 シズマへの返答は、鋭く尖った敵意だった。

 一瞬で空気中の水分が凝結して、巨大な氷柱つららが降り注いだ。

 だが、シズマもまた高速で呪文を詠唱えいしょうし、炎の壁で己を守る。

 かくして、光と闇の一大決戦が始まった。

 そして、常に悪夢は同じ結末で幕を閉じる。

 戦いは互角だったが、魔王には恐るべき力があった。そう、それは――


『グッ! な、なにをした……今の攻撃は、なんだ!』

『フフフ……モウアラガエナイ。ソノ能力、恐ルベキ魔力ハイタダイタ』

『頂いた、だって? ……馬鹿な、魔法が……魔力が!?』


 そう、魔王の最大の力、

 シズマは、この世界の神に呼ばれた地球の高校生だ。そして、異世界であるここ、エルエデンでは危機が迫る時、必ず神は108人の勇者を召喚する。

 それぞれが神の祝福を受け、類まれなる能力を一つ授かった正義の戦士である。

 だが、魔王はその奇跡の力を奪い、自分のものとした。

 シズマは、今回召喚された少年少女で初めて、その犠牲者となったのだった。


(……そして俺は、全ての魔力を失った。大なり小なり、誰でも持ってる魔力が、ゼロになってしまったんだ)


 悪夢は再び、同じ結末と共に薄れてゆく。

 そしてシズマは、現実の世界に覚醒を果たした。


「ん……ぁ? ここは、どこだ?」


 目覚めた場所は、ふかふかのベッドだ。

 天井をぼんやりと見詰めて、次第に焦点があってくるが、まだ眠い。気だるい倦怠感けんたいかんみたいなものがあって、寝返りと共にまくらを抱き締めた。


「なんか、すっげえいい匂いがする……二度寝にどね確定だな、こりゃ」


 そういえばと思い出す。

 あの時、自分がかばった小さな女の子は助かっただろうか。

 そして……突然現れたエルフの少女、あれはなんだったのだろう。

 そう考えつつも、同時に自己嫌悪みたいなものが襲ってきた。


「俺はあの時……クソッ、諦めが悪いな。もう俺は大賢者じゃない。小さな女の子一人守れない、ただの一般人か、それ以下か」


 そう、諦めきれていない。

 108人の中で最強の魔力を持ち、あらゆる呪文を使いこなす大賢者……反面、シズマの身体能力は必要最低限である。神は完全無欠の英雄一人ではなく、各々に突出した能力を持つ108人を選んだのである。

 そんな訳で、今やシズマはただの17歳である。

 そういう訳でと自分に言い訳して、不貞寝ふてねを決め込もうとしたその時だった。


「あっ、目が覚めましたか? よかったあ、もうすぐ出発するので起こそうかと」


 女の子の弾んだ声がした。

 もしや、この寝床ねどこの本来の持ち主なのか?

 声はかわいいが顔はどうかと、シズマはゆっくり身を起こす。

 そして、心の中でガッツポーズを決めた。


「やあ、おはよう。君は? 俺はシズマ。あの有名な大賢者さ。……元、だけどな」


 とても愛らしい少女が、そこにはいた。

 快活そうな瞳がくりくりとしてて、深い緑色のショートカットも似合っている。小柄な身体はフラットだが、スレンダーでスタイルがいいとも言えた。

 正直、シズマの好みである。

 ストライクゾーンが広いのが自分の美点だと再確認するシズマだった。

 ベッドを降りてくつき、すぐに少女へと歩み寄る。

 だが、意外な言葉が向けられた。


「知ってますよ、シズマさん。大賢者シズマ……転使№てんしナンバー009。あの最強ギルド、のシズマさん、ですよね?」

「お、おう……それも、元な。元メンバーだ」


 ちょっとバツが悪くて、シズマは肩をすくめて誤魔化す。

 この異世界エルエデンに神が呼び込んだ転生者を、使と呼ぶ。全員に108までの番号があり、その中でも一桁台ひとけただい九人1~9は特に強い能力を授けられていた。

 だから、シズマを含む九人で立ち上げたギルドは、破竹はちくの勢いで勝ち続けた。

 しかし、勝手に抜け駆けした上に能力を奪われたシズマは、そのギルドを追い出されたのである。当然だ、戦力外になった上に、魔王に最強の魔力を与えてしまったのだから。


「実はボクも、転使です。転使№088、ミサネです」

「オーケー、ミサネちゃん。で、そういえば……あの女の子、助かったかな?」

「はいっ! ちゃんとお母さんの元に帰れました。この村だって、救われたんです」


 シズマの腕の中であの時、小さな女の子は震えていた。

 そんな彼女を、盾になることでしか守れなかった。二人一緒に死ぬことが目に見えてても、そうせざるを得なかったし、それしかできなかったのだ。

 これが、今の自分の現実。

 改めて突きつけられた現状を前に、心の中でなにかが痛む。

 血にれているのか、それともんでいるのか……痛むだけのなにかが、まだある。


「そっか……いや、でもなあ。全てを救ったのは俺じゃない、なんか……そう、エルフの」

「あ、はい。でも、姫様ひめさまも凄いって褒めてましたよ。ねっ、姫様!」

「は? 姫様、って」


 ミサネは笑顔で振り返り、部屋の窓を開けた。

 そして、シズマは絶句する。

 突然、半裸の少女が逆さまに上半身を空から落としてきたのだ。

 思わずシズマは、慌てて駆け寄る。

 しかし、ミサネは気にした様子がなかった。


「ああ、姫様の日課です。筋トレ! 凄いですよね、落ちたら大怪我ですよ……屋根からぶら下がっての、逆さ腹筋100回!」

「100回もかよ!」

「ええ、それを毎日3セット」

「なにもんだよ!」


 だが、ミサネは先程『姫様』と言っていた。

 シズマも思い出す……あれはまるで、全ての無駄を削ぎ落とした美の結晶、太古の芸術家が大理石から削り出した神像のようだった。全身の鍛え抜かれた筋肉が、不思議と少女の柔らかな肉付きと調和していた。

 背を向け腹筋運動をしていた少女は、少し間を置いて部屋へ降りてきた。

 まばゆい金髪は長くて、って背中に流している。

 汗に濡れた白い肌は、外の陽光で宝石のようにキラキラしていた。


「あら、目覚めましたのね。ごきげんよう、勇者さん」

「ども、じゃないよな……ありがとう。君が助けてくれたんだよな?」

「ええ。ちなみに、くだんの女の子も無事ですわ」


 とてもエレガントな声だった。

 ただ一振りの剣でサイクロプスを瞬殺した、転使に勝るとも劣らぬ怪力無双が嘘のよう。だが、シズマは見た……驚くばかりの膂力りょりょく胆力たんりょくだった。

 今はビキニアーマーとは別の、へそ出しタンクトップにスパッツ姿である。


「感謝を、勇者さん。わたくしの名はアレサ。エルフの民を統べる皇家こうけ、ハイエルフの姫です」

「それで姫様、ね」

「ふふ、ミサネさんはそう呼びますわ。でも、わたくしに一族の名を背負うことは許されてませんの。だから、今はただのアレサでしてよ」


 気品が感じられる、まるで小鳥が歌うような声音だった。

 そして、アレサはミサネからタオルを受け取って汗を拭く。むさ苦しい汗だくの印象はない……むしろ、さりげない所作しょさの全てが洗練されてて、見惚みとれてしまう。

 けど、そんなシズマに対してアレサは優しく微笑ほほえんだ。


「それはそうと……勇者さん。確か、ナイン・ストライダーズの」

「ああ、大賢者シズマ。ってのは過去の話で、今はただのシズマだ」

「存じてますわ。わたくしには、勇者さん、勇者シズマでしてよ?」

「よしてくれ、俺はもう人並みか、それ以下だ。無能力になっちまってさ」

「それでも、優気ある行動でしたの。無力かもしれませんが、無能だなんてとんでもないですわ」


 なにこれ優しい……ここ、優しい世界?

 答えはいなだ。

 魔王の軍勢は今にも、異世界エルエデンの秩序と平和を破壊し尽くそうとしている。

 だからシズマはこの土地に呼ばれたし、仲間がいた。

 なにより、魔王から救わねばならぬ幼馴染の少女が今もいる。

 そんなシズマに、アレサはとんでもない提案を持ちかけてくるのだった。

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