第50話
「イオリス、たのもー」
と、このお決まりの挨拶ももう終わりだと思うと感慨深い。いつもは時間が掛かるのに、今日はすぐにドアが開いた。珍しい。と、思ったら迎えに出てきたのはラディオだった。
「あれ、どったの?」
「自分の部屋のドアをくぐったらここに着いた」
げっそりしたラディオは、また悪戯の餌食になったようだ。部屋へ入るとテーブルで頬杖を付いていたイオリスがこちらを向いた。
「ああ、コウキ。ラディに君が異世界人だって話しといたから」
あっさり言い放ったイオリスに、ラディオが少し気まずそうに眉を寄せる。
「いや、まあ別にいいけどさ」
騎士団長に許可を取らなくて良かったんだろうか、と薄っすら思うけど今更だ。
「えーと、ラディオ、今まで黙っててごめんな。驚いた?」
「そりゃ驚いたけどー。でもイオリス様が絡んでるからね、納得っていうか」
ラディオが困ったように眉を下げる。さすがに「異世界人」とかぶっとんでるよな。普通に考えて俺なら信じない。それで納得できるあたりラディオのイオリスに対する信頼が垣間見える。嫌な信頼の仕方だが。
「ちょっとラディ、それどういう意味?」
「自分の胸に訊いてみろよ、イオリス」
ラディオの代わりに答えると、イオリスがふんと鼻を鳴らした。
「そういえばラディオってさ、この前イオリスの事『イオ』って呼んでたよな? なんでわざわざ様付けなの? 別にこんなやつ敬わなくていいよ」
冗談交じりに言うと、ラディオが掌で俺の口を押さえた。
「コーキ、それはシーだよ、シー」
耳元で囁くラディオに首を捻っていると、イオリスがゆらりと立ち上がった。
「聞こえてるよ、ラディ」
イオリスの怒りを孕んだ声が響く。
「ちょっと、どういうこと? 僕がどんなに様付けやめろって言ってもきかないのに、コウキと話すときは普通に呼んでるの?」
あれ、なんか俺不味いことを言ったのかな。ラディオの目が泳いでいる。
「いえ、コーキは貴族でも、王城の関係者でもないですし」
「この期に及んでまだ僕に敬語使うの? ここには僕とコウキしかいないでしょ?」
じりじりと近づいてくるイオリスに、同じだけラディオが後退る。
「だって、イオリス様~」
「だってじゃない」
情けない声を上げるラディオに、とうとうイオリスが胸ぐらを掴んだ。ぱっと見険悪だが、二人の会話を聞く限りはどう考えても。あまりにもあまりのやり取りに俺が笑い出すと、二人の視線がこちらを向いた。
「ちょっと、何笑ってんの、コウキ?」
「いやいやいや、いくらなんでも可愛すぎんだろ」
あははは、とツボに入ってゼイゼイしながら言葉を紡ぐ。だって、これってつまり。
「よーするにお前拗ねてんだな、イオリス」
「別に拗ねてるわけじゃ、」
「無く、ないだろ?」
すべてを言い切る前に重ねると、イオリスがむすっとして黙った。一応自覚はあるらしい。
「そもそもラディがいきなり僕に敬語と様付けしはじめるのが悪いし」
プイッと擬音が聞こえそうな態度で顔を逸らし、再びラディオの胸元を締め上げる。
「いや、だから、身分とか礼節とかいろいろと」
「それは何度も聞いた」
「聞いたなら許してよ~。オレ普段から敬語にしとかないとそのうち絶対偉い人の前でイオのこと呼び捨てちゃうしー」
弱り切ったラディオは、すでに様付けと敬語が抜けている。
「まあ、親しい奴から急に敬語と様付けされたら怒る気持ちもわからなくはない」
さすがに様付けはされないだろうが、今までタメ語で話してたやつが急に敬語になったら戸惑うよな。少なくとも何か嫌われるようなことでもしたのかと不安にはなる。
「でしょ、コウキだってそう思うでしょ?」
同意されたのが嬉しいのか、珍しくイオリスが弾んだ声でこちらを向いた。
「でも、ラディオにもちゃんとした理由があるみたいだし、許してやれよ」
「コーキ!」
ラディオが輝いた目でこちらを見る。対してイオリスは不機嫌に顔を歪めた。あ、舌打ちしやがったなコイツ。貴族のわりにイオリスは柄悪いよな。
「それにしてもコーキ、すぐもとの世界に帰っちゃうんでしょー。オレ超サビシイ」
俺に気を取られて胸ぐらを掴むイオリスの手が緩んだのをいいことに、ラディオがわかりやすく話を変えた。イオリスが渋々手を離す。ラディオは相変わらずチャラいけれど、今となっては俺もその方が気が楽だ。
「俺も超さみしい~」
ノリでラディオに抱き着くと、ラディオも抱き返してくれた。背中をぽんぽんと叩かれる。その手は優しくてイオリスの気を逸らすためだけの台詞ではないことが伝わってくる。
「はいはい、うっとうしいよ君たち」
呆れたようなイオリスに、ラディオが笑う。
「イオだって寂しいでしょ、素直になんなよ~」
いつも通りの気の抜けるラディオの言葉にイオリスがうっと声を詰まらせる。彼の望んだ「お友達モード」だ。うう、と口をもごもご動かして、イオリスが俺を見た。
「そんなことない……ことも無い」
ちょっとだけ口を尖らせてイオリスがそっぽを向いた。動いた拍子に薄茶の髪から覗いた耳がほんのり赤い。なんだこれ、可愛いな、おい。ツンデレか、ツンデレなのか。
おもむろにラディオが右手を伸ばしてイオリスの頭をヨシヨシと撫でる。
「ちょっと、なんなの?」
「ちゃんと素直になったからご褒美~」
「子供じゃないんだけど」
「えー、だってさー、イオはオレの言うことは昔からわりとよく聞いてくれるよね~」
にこにこと邪気のない笑みを向けるラディオに、イオリスの頬がさらに赤くなる。あ、こいつ照れてるな。ラディオの事大好きかよ。デレいただきました。イオリスの可愛らしすぎる姿を目撃して良い記念が出来た。もう少し早く知っていればこの件でしばらく揶揄えたのに、帰るのが明後日とは残念すぎる。
「君、なんかいま僕に対して失礼なこと思ってない?」
にやにやした顔が気に障ったのか、イオリスが俺に噛みつく。
「ツンデレだなって思っただけだよ」
「意味は解らないけど、すごく不本意なこと言われている気がする」
「ちがうよ、褒めてるんだってー」
ケラケラ笑う俺に、イオリスが口を曲げる。なおも言い募ろうと口を開きかけたイオリスを、ふいにラディオが引っ張った。そのまま俺とイオリスをまとめて抱き込む。
「じゃあコーキ、元の世界に帰ってもオレたちの事忘れないでね~」
「おう、もちろん!」
「ちょっと、暑苦しいよ」
「はーい、イオもちゃんと挨拶しましょう~。じゃないとこのままだよー」
ラディオの台詞にイオリスがまた口をぐぬぬっとしている。
「……元の世界でも元気でやんなよ」
「さんきゅー。イオリスも、ちゃんとラディオの言うこと聞けよ~、って、いひゃい」
俺のちょっとしたお茶目に、イオリスは俺の頬を容赦なく引っ張った。たく、冗談の通じない魔術師様だな!
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