第48話
昼食の後、スフェンを訪ねた。今日は夕方から宰相が来るのでそれまでのんびりする予定だ。こうしてお茶を淹れて貰えるのもあと数度だと思うと少し切ない。
「今までお世話になりました」
膝に手を置いて頭を下げると、スフェンが驚いた顔をした。
「なんですか、改まって」
「最後はバタバタするかもだから先に言っとかないと、と思って」
「こちらこそ、貴方には大変助けられました。ありがとうございます」
「俺、何にもしてないよ」
「そうですか? 少なくとも私は助かったと思っていますし、コウキのことはきっと一生忘れませんよ」
にこにこと微笑まれて顔が熱くなる。照れくさい。それに気が付いたのか、スフェンが俺の頬に手を伸ばした。
「良かった、少し顔色が良くなりましたね。貴方、また眠れていないんでしょう。隈が出来てますよ」
右手を頬に添えたまま、スフェンが呪文を唱える。そこからふわりと暖かさが広がって少し体が軽くなった。やっぱり回復魔法すげえ。スフェンごと日本に持って帰りたい。
「ありがと。なんかさ、もうすぐ帰ると思うと落ち着かなくて」
皆に伝えておくことはないかとか、帰った後どうするかとか、ぐるぐると考えてしまうせいで、ここのところいつも眠りが浅い。
「最後にそんな顔をしていたら皆が心配しますよ。悩みがあるなら話して下さい」
「いや、悩みって程じゃないけど」
「悩みって程では無いなら、なおさら話せるでしょう?」
いつも通りなのにどこか押しの強いスフェンの笑顔に口を噤む。圧を感じる。
格好悪いから黙っていたけど、でも本当は誰かに聞いて欲しかった。それを見透かされたようでドキリとする。少しだけ迷ったものの思い切って口を開いた。
「あのさ、俺、父親がいないんだ。俺が母さんのお腹にいるときに、父親が逃げた」
唐突な俺の身の上話に、スフェンは黙ったままだ。視線で先を促される。
「俺の世界には、産まれる前に胎児を取り出す方法があるんだ。もちろん子供は死んでしまう。でも望まれない妊娠にはそうするのは珍しくない。母さんが俺を産んだのは十八の時だ。俺、ずっと、なんで母さんが俺を産んだのか不思議だった。男に逃げられて、なのにその男の子供を産んで馬鹿じゃないのか、って思ってた。俺がいなければ、まだ若いしもっとマトモな男とましな生活できたはずなのに。クズ男に騙された馬鹿な女だって思ってたんだ」
もちろんこんなこと母さんには話したことは無い。俺を育ててくれたことには感謝している。お金はいつも無かったけれど、熱を出して寝込んだ俺に一晩中付いていてくれたのも母さんだ。言ってしまってから、酷い発言に軽蔑されるんじゃないかと怖くなる。
「コウキ」
口を引き結んで俯いていると、上からスフェンの咎めるような声が届く。ああ、やってしまった、と思ったと同時にどこかほっとした気持ちもあった。
「貴方はお母様を馬鹿にしているのではない、心配しているのです。自分が居なければお母様がもっと幸せになったはずだと思っているのでしょう? でもお母様には貴方が居たからこそ得られた幸せもあるはずですよ。そこを間違えてはいけません」
思ってもみなかった返事だ。恐る恐る顔を上げると、スフェンが口の端を上げた。
「コウキは、本当に甘えるのが下手ですね」
突然変わった話題に目を瞬かせる。
「そんなつもりはないんだけど。でも似たようなことエルにも言われた」
「さすがエルファム様はコウキのお母様ですね。よく見てらっしゃる」
クスクス笑うスフェンに、なんとなく悔しくて言い返す。
「二人ともそう言うけど本当に俺皆には甘えてると思うよ」
「そうですか? では言い換えましょうか。貴方は我慢が上手すぎます。何故かと思っていましたが、今の話を聞く限りお母様との関係が原因でしょうか。私には、貴方は自分には価値が無いと信じているように見えますよ」
「そんなこと無い、けど」
「本当に?」
じっと目を見られて、なんだか後ろめたくて視線が泳ぐ。そんなことない、そんな事ないはずなんだ、けど。答える声が弱々しくなるのは心当たりがあるからだ。スフェンの灰色の瞳はすべてお見通しだとでも言うようで、なんだか落ち着かない。
「価値が無い、とは思ってない。ただ周りになるべく迷惑を掛けないように、とはいつも思ってる。小さい頃から母さんの負担にならない様に、とか、育ててくれたおじさん達にも出来るだけ手間を掛けないようにしないと、とは思ってた。小さい頃は透明人間になりたかった」
良い子でいないと自分は愛されないんじゃないかといつも不安だった。母さんにとって俺はお荷物でしかない存在だ。母さんを捨てた最低なクズ野郎の血を引く子供だ。いつか捨てられる、そう思っていた。
「そうして貴方は自分の感情を二の次にしてしまう癖がついたんですね。貴方はもう少し我儘になるべきです。つらい時はつらいと言いなさい」
「でも俺よりつらい人はいくらでもいるし、そんなたいしたことじゃない」
「そうですね。世界は平等ではありませんから、他にもつらい方はたくさんいるでしょう。でもつらさは比べるものではありませんよ。重要なのは今の貴方の気持ちです」
そこでスフェンがふっと笑った。
「ねえ、コウキ。この際だからもう全部話してしまいなさい。貴方の話を聞いて、私が貴方を軽んじたりしないことは、コウキだってもう知っているでしょう?」
まっすぐに見つめられて、気付いた時にはもうダメだった。知らぬ間に流れた水分が頬を伝う。
「嫌なこともムカつくことも気にするだけ損だと自分に言い聞かせて、それが当たり前になってた。泣くのも嘆くのも、不幸自慢みたいで格好悪いし、可哀想だと思われるのも嫌だった。自分より不幸な人はいる、だから大丈夫だって平気な振りをしてた。そのせいか、いつも世界にうっすらとフィルターが掛かっているみたいだった。何もかも他人事、俺には関係ないって。そうすればいつも顔だけは笑っていられた」
膝にのせていた両手をぎゅっと握る。こんな話するべきじゃない、と頭のどこかが訴える。でも初めて吐き出した気持ちは勝手に口から滑り落ちる。
「でもさ、この世界に来て、なんのしがらみもなくみんなと話して、泣いて笑って格好悪いとこも見せて、なんだか世界が身近になった気がするんだ。なんかちゃんと『俺』が生きている感じがする」
ぼたぼたと落ちる涙は止まらない。俺の涙腺は本当にどうかしてしまった。今まで泣いたことなんてほとんど無かったのに、ここのところ事あるごとに泣いている。
「そうしたら今になって気付いたんだ。母さんが俺を産んだ理由。母さんはきっと寂しかったんだ。俺、今まで親密な人を失ったこと無かったから、本当の寂しさを知らなかった」
しゃくりあげる音を隠し切れなくて、テーブルに腕を組んで顔を伏せる。
「なあ、スフェン。俺みんなと離れるのがすっごく寂しいよ。どうしよう」
それ以上はもう上手く話すことは出来なかった。ぐずぐずと鼻を鳴らし、子供の様に声を上げて泣く俺の頭をスフェンがゆっくりと撫でる。
「良く出来ました」
その声があまりにも優しくてさらに涙が止まらなくなった。
泣き疲れてようやく顔を上げた俺に、スフェンが手を伸ばした。俺の両目を右手で覆って呪文を唱える。腫れぼったく熱を持っていたまぶたが嘘のように軽くなった。
「さて、ノイライト様が来るまでまだ少し時間が有りますからお茶を淹れ直しましょう。飲んだら少し休んでください。寝不足の頭で考えても思考も気持ちも纏まりませんよ」
俺が頷いたのを確認してスフェンが立ち上がる。呼び止めると、スフェンが不思議そうにこちらを見た。
「あの、スフェン。ありがとう」
「どういたしまして」
泣いたのが気恥ずかしくて視線を斜め下に向けたままの俺に、スフェンが少し笑った気配がする。そのまま彼はお茶を淹れに向かった。
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