第47話
現在俺は馬上の人である。久しぶりにユークが訪ねてきた。暇か、と訊かれて暇だ、と答えるとそのまま拉致された。馬に乗せてもらうのは二度目なので、少し慣れたのかそれほど酔っていない。しばらくして辿り着いたのは風呂だった。以前足を運んだ温泉だ。
結局着いた時にはうっすらと酔っていた。ユークは俺に少し休むように言うと、鍵を貰いに行った。木に凭れて休んでいたらいつの間にかうとうとしていたらしい。戻ってきたユークの気配で起きようとしたら止められた。
「いーよ、時間はあるし、もう少し休んでて。また風呂のあと倒れても困るし」
前回、湯船で泣いて湯あたりでぶっ倒れたのは記憶に新しい。返す言葉もなく黙ると、ユークが隣に腰を下ろした。頭上の葉擦れの音と、鳥の声が時折聞こえるだけの空間に眠気が増す。気が付いたら意識が無かった。
ガクッと頭が落ちた振動で目が覚める。と、同時に俺の頭を支えるように動いた手が視界に入った。
「あ、起きた?」
どうやら俺はユークに凭れて居眠りしていたらしい。
「ご、ごめん」
「いや、そんなに寝てないぞ」
慌てて起きると、気にした風もなくユークが言った。寝ていたことよりも重かっただろうことに謝ったんだけれど、でもまあ怒ってはいなさそうだからいいか。
「まだ寝る?」
「んや、起きる」
くわぁと欠伸をしながら上半身を伸ばす。凝り固まった背中が伸びて気持ちが良い。
「ここさ、」
風呂の建物を眺めるユークに視線を移す。
「うん」
隣で相槌を打ちながら俺も円形の建物を見た。中は豪華なのに、外観はやはり地味だ。
「じいさんが死んでから使われていなかったから、取り壊すって話もあったんだ。誰も使わないのに管理費が掛かりすぎるってことで」
ユークのじいさん、といえば先代の王様だ。そもそもこの施設自体がお爺さんが使うために作られたと言っていた。
「そーなの? こんな豪華な風呂、壊すなんて勿体ない」
「ほかに、どこかの貴族に払い下げるって話もあったんだ。自分も王族のクセになんだけど、でも俺はあんまり貴族が好きではないからそれは嫌だなって思ってた。一応数少ないじいさんとの思い出の場所だし」
ユークの立場を考えれば彼が周りの人間を好きではないのも無理はない。黙って聞いているとユークがこちらを向いた。
「俺が嫌だなって言ったら、セラフィスがさ、では療養所にしましょう、って言いだして」
「療養所?」
「お前の世界にはお湯に浸かって病気を癒す文化があるって聞いたって言ってて」
「あー、うん、そういえば」
いつだか宰相と日本の話をしているときに、湯治の話をしたかもしれない。
「期間を区切って貸し出すような仕組みにすれば、賃貸料で管理費を賄えるし、貸し出していないときは俺が使ってもいいって。じいさんは人気があったし、なにより先代の王のファンはそろそろ高齢になってるから丁度良いだろうってセラフィスが言うんだよ。そういうわけでここを残せるようになった、ありがとな」
「なんでそれ俺に礼を言うの? 宰相に言いなよ」
「切っ掛けはお前だろ」
「んー、じゃあ気持ちは受け取っとく。どーいたしまして」
ユークが穏やかに笑う。最初のころの綺麗で嘘っぽい笑みとは大違いだ。
「それにしても宰相って結構商売人だよね」
先日のゲームの販売の件といい、しょっちゅう宰相に金儲けの話を聞かされている気がする。俺も日本に帰ったら見習いたい。
「ああ、セラフィスはもともと大きな商家の三男だからな。ノイライト家に入るまでに商売の英才教育を受けてるって聞いた」
「そうなの?」
「ノイライト家は、当主の子供の他に、国の内外から優秀な子供を受け入れて一緒に教育しているんだ。その中から次の宰相候補を探す。もちろん宰相まで登り詰めるのは一人だけど、他にも優秀な者はそのまま国の要職に就く。国の中枢に繋がりが出来るからノイライト家に子供を預けたがる家は多い。まあそういう野心が透ける家はほとんど最初の審査で落ちるらしいけど」
つまり宰相はその狭き門を抜けて、さらに登りつめた超エリートってことか。あの迫力は厳しい出世競争を勝ち抜いたゆえか。
「だから最近はセラフィスの他にも俺の擁護をしてくれる人がちらほらいるんだ」
照れ臭そうにポツリと零してユークが立ち上がった。そのまま俺に手を差し出す。
「そろそろ風呂入ろうぜ」
「おう」
ユークのうっすらと赤い頬は見なかった振りをしてその手を取った。
複雑なモザイクタイルは豪奢で、そんな中濡れて濃くなった金髪を掻き上げる紫の瞳の美形とは、まるで映画の中にでも入りこんだようだ。もしここにカメラがあったら動画を撮って持って帰りたい。なにかに使えそうな気がする。主に金儲けの面で。
浴槽の縁に腕を組んで顔を乗せ、こちらに向かって歩いてくるユークを眺める。今回はお風呂セットを押し付けてユークに自分で体を洗わせてみた。さっきシャンプーを目に入れて地味に苦しんでた。可哀想だが笑える。
「なんだよ、じっと見て。とうとう俺の魅力がわかった? 最後に一回ヤッとく?」
やるって何をだ、何を。目を瞠る美形なのに、このセクハラ発言だけは本当に残念だ。
「美形だし、スタイル良いし、社交性有るし、なんだかんだ面倒見良いし、ユークの有り余る魅力はとっくに知ってるけど、その変態発言が無ければもっと魅力的だと思う」
ああ、自分で言っててなんだけど出来過ぎててちょっとムカつくな。ある意味変態なところがわかり易く欠点で可愛げがあるのかも。
「俺の事、変態なんて言うのお前だけだからな」
言いながら、ユークがぷいっとそっぽを向く。湯に浸かる前からやけに顔が赤い。体を洗ったせいもあるだろうけど、それにしても。
「なあ、ユークは変態って言われて照れてるの?」
からかって訊くと、ユークが恨みがましい目でこちらを見た。
「褒められて照れてるんだよ、さすがに変態って言われて喜ぶほど変態じゃない」
俺の頭をひっぱたきながら、ユークが浴槽に入る。ここのお湯は温いから何時まででも入っていられる。叩かれた頭を押さえてわざとらしく痛がっていると、ユークが呆れたようにため息をついた。
「コウキ」
「なに?」
真面目な顔でユークが俺を呼ぶ。じっとこちらを見た後、ユークは俺の濡れた髪を一房手に取った。
「コウキの髪と目は珍しいし、黒髪に映える肌は綺麗だし、薄い体は庇護欲を誘う。他人の感情の機微に敏くて、相手を持ち上げるのも上手い。しかもそれが意図的ではない素直さがあって、たぶんコウキは、自分で思うより魅力的だ」
「なに言って、」
あまりにもあまりなユークの台詞に、反応できずに固まる。何言ってんのこいつ、って思ったけど俺が先におんなじことやりましたねごめんなさい。確かにこれは恥ずかしい。お湯の暖かさだけではない熱がじわじわと頬に上る。思惑通りやり返してどうせユークはにやにやしているんだろうと思ったが、意外にも真剣な顔をしていた。
「でも、コウキは友人だから、手は出さないよ。俺はお前と、簡単に縁が切れるような間柄にはなりたくない」
なんてクサい台詞、と思ったのは一瞬で、「友人」の言葉に胸が痛む。ユークの生い立ちが今まで彼においそれと友人を作るのを許さなかったのだろう。その彼を置いて俺はもうすぐ元の世界に帰る。
「な、に、急に。恥ずかしいし」
茶化すつもりが思いのほか掠れてしまった。ユークがふっと笑う。
「最後ぐらい恥ずかしい話をしてもいいだろ」
あ、やばい。じわりと目尻に涙が溜まる。ダメだ、最近の俺は涙腺が崩壊している。ユークの前ではすでに一度泣いているから、余計に気が緩んでいるらしい。そんな俺に気付いたのか、髪を掬っていたユークの手が下りてきて、親指で俺の目元を拭った。
「また、湯あたりするぞ」
頷いて手の甲で涙を拭うと、ユークが俺の頭を掻き混ぜた。風呂を出てから、隣室のソファで暗くなるまで二人で話をした。
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