第45話 サナとモルガ、亘希
俯く視界にふっと影が掛かりサナは顔を上げた。四阿の外にモルガが立っている。
「その様子じゃ、上手くいかなかったみたいね」
「モルガさん」
「貴方の事だから、どうせ泣くのも我慢したんでしょ。泣くなり縋るなり押し倒すなりすれば良かったのに。それが手練手管ってやつよ」
「コーキさんを困らせたい訳ではありません」
泣くのを堪えて眉間に力を入れているサナに、モルガがため息をつく。細い指でサナの頭を撫でた。
「はいはい、真面目ね。まあそれが貴方の良いところだけど」
四阿に入ってサナの隣に腰を掛けたモルガが両手を広げる。
「特別に私の胸を貸してあげるわ」
サナの目にじわじわと水気が増していく。
「ありがとうございます。でもすぐ元気になりますから」
指先で涙を拭うサナに、モルガがもう一度大きなため息をついた。
「まったく、面倒くさいわね。無駄な遠慮はしない。本当なら私の胸はとっても高級なのよ。それを大サービスでタダで貸してあげるって言ってるんだから素直に甘えなさい」
それでも動かないサナに、焦れたモルガがサナの頭を抱き寄せる。ぐずる子供を宥めるように頭を撫でると、サナの肩が小刻みに震えはじめた。やがて響いてきた小さな嗚咽にモルガはひっそりと息をはく。
しばらくしてしゃくりあげる声も小さくなった頃、サナが胸元から顔を上げた。
「モルガさん」
「何?」
「柔らかくて、あったかくて、あと大きすぎて息が苦しいです」
呆れた顔をしたモルガが、サナの頭をぽんぽんと叩く。
「そんな冗談言える余裕があるなら大丈夫ね」
一度ぎゅっと抱きしめて、そうして二人で笑いあった。
バラ園でサナと話した後、そのままリアナさんを訪ねた俺は、サナの身請けについて色良い返事を貰った。リアナさんにはすごく感謝をされてしまった。俺としてはなんとなく成り行きで手に入った大金なので、そんなに感謝されると申し訳ない気分になる。おまけに身を粉にしないで稼いだお金のせいか余計に実感がわかない。本当は厨房の手伝いで稼いだ小銭の方がよっぽど俺にとってはありがたみが有るのだ。
王城に戻ったのは夕方に差し掛かってからだった。身請けの話は、俺がサナに合意を得たら、宰相が手続きを進めてくれる事になっている。教会に身を置くサナについては、宰相は表立って動けないので、彼の鼠さんたちが手伝ってくれるらしい。何から何まで世話になりっぱなしだ。
宰相に報告をして、自室に戻ったのは夕食の後だった。騎士団宿舎の食堂で顔を合わせたエルに、話があると言って部屋まで一緒に戻った。
自室の端にある書き物机から、椅子を引っ張ってきてベッドの前に置く。椅子をエルに進めて、俺はベッドに腰掛けた。
「あのさ、サナの事だけど」
俺がサナを身請けする事を話すと、エルが驚いた顔をした。そうしてポツリと呟く。
「私はまた蚊帳の外でしたね」
「え?」
予想していなかった反応に声を漏らすと、エルがはっと目を開いた。
「ああ、いえ、何でもありません。気にしないでください。話して下さって嬉しいです」
「いや、実はエルに相談しようか迷ってはいたんだけど、なんかその前に解決しちゃって。俺も驚いてるんだ」
けしてエルを無視する意図があった訳では無い。でも何となくエルに相談し辛かったのは確かだ。それでエルが嫌な気持ちになったのなら俺のせいだ。
「ごめん」
また間違えたのかもしれない。もっと甘えて欲しいと言われたばかりなのに。またエルを信用していないのだと思われてしまったのなら悲しい。俺はいつだって独りよがりだ。
「いえ、今のは失言でした。本当に上手くいって良かったと心から思っているのですよ」
笑ってくれたエルの顔を見ていられなくて、俯く。
「コ、コウキ? ごめんなさい、そんなつもりでは」
上から焦った声が聞こえる。ああ、結局また気を遣わせている。最近、エルの前では感情のコントロールが上手くいかない。
「ちがう、ちがくて。エルに怒ってるとかそういうんじゃないんだ。サナの事本当にこれで良かったのか分からなくなったんだ」
サナに告白されたことは誰にも話していない。話す気も無い。でも俺の中だけで処理するにはもう不安が大きくなり過ぎた。
好きな相手に金だけ渡されてその代償に勝手な希望を押し付けられて、サナはどんな気持ちだったんだろうか。モルガとシェールがサナといつまでも仲良くいられれば良いっていうのは、俺の希望であってサナの希望ではない。俺はその事実に告白されるまで気付かなかった。なんて傲慢で自分勝手だ。最後、サナは笑ってくれたけれど、辛くなかったはずはない。今、エルが俺のために笑ってくれたように、きっとサナもあの時俺のために笑ってくれた。
「金銭でその身を買って、その後金だけ与えるっていう関係が正常であるとは思えない。おまけにその頃には俺はいなくて、フォローは宰相やイオリスに押し付けた。最低だ。俺は俺の都合でサナを救った気になっていたけど、それが正しいのか解らないんだ」
俯いた視界にエルの靴が入る。顔を上げられないままでいると、エルが俺の肩を押した。そのままベッドに倒される。支えてくれたから体を痛めはしなかったけれど、突然のエルの行動に驚いて瞬いた。ふっと影が落ちる。見上げると、覆いかぶさるように俺と視線を合わせたエルが笑った。
「……エル?」
なんでそんなにさみしそうなの。
状況も忘れて名を呼ぶと、エルがゆっくりと体を起こした。隣に座ったエルの右手は俺の額に乗っている。
「私には『正しい』かは、わかりません」
シーツの上からエルを見る。この角度では横顔しか見えない。
「ん、そうだよね、ごめん」
思いのほか小さくなってしまった声に、エルがこちらを向いた。
「でも、貴方の行動は私には好ましく映りますよ。そこまで気に掛けて貰えるサナさんが羨ましいくらいに」
エルの掌が俺の両目を覆う。光の残像だけが残る暗闇の中に優しい声が響く。
「サナさんにとっても、貴方にとってもそれが『正しい選択』であることを祈っています」
「……ふっ」
泣きたくないのに、意思に反して涙が溢れてくる。掌の水の感触に気付いているだろうにエルは何も言わなかった。結局エルは俺が泣き止むまで黙ってそばにいてくれた。
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