第44話
翌日、教会に足を運んだ。モルガにゲームの話と、サナに身請けの話をするためだ。人生で「身請け」なんて言葉を自分が使う日が来るとは夢にも思わなかった。いや、そもそも異世界に来るなんてそれこそ夢にも思っていなかったけれど。
教会を訪れるのもあと数回だ。なんだか感慨深くなって、祭壇の昼のアエロス神の像を眺めていると、後ろから声が掛かった。
「コウキ」
目の前の像によく似た面差しの美女、モルガだ。
「ちょうど良かった。少し話があるんだ」
言うと、モルガは個室に通してくれた。昨日、宰相と打ち合わせた通りのことをモルガに伝える。モルガは忙しいから長々と拘束は出来ない。さすがにリバーシやトランプを一から教えるには時間が足りないので、計画の概要だけ話した。モルガから色よい返事を貰えれば改めて時間を取って貰うことになる。
「良いわ。協力する。私も貴方に何かお礼をしたかったし」
「ん、でも無理しない範囲でね。俺が帰った後はイオリスが上手くやってくれるから」
「あら、イオリス様がいらっしゃるの? 噂の美人は私も見てみたかったのよね」
モルガは楽しそうだ。なんというか、この二人は馬が合いそうだ。主に「敵に回したら怖そう」的な意味で。サナの身請けの話も、モルガは賛成してくれた。それならばとサナを呼んで話そうとしたところで、モルガが言った。
「サナはシェールと裏庭の掃除をしているわ。私もそこまで一緒に行くけれど、悪いけど話は二人でしてくれる? これから他の用があるの」
席を立って歩き出したモルガの後ろについていく。
「コウキは、いつこの国を出るの?」
「まだ日にちは決まってないけど、あと十数日。帰る前に挨拶に来るな」
「そう、寂しくなるわね」
「ありがとう」
それきり会話は途切れて、二人で黙々と歩く。すぐに裏庭に着いた。
「サナ、シェール、コウキが来たわよ」
モルガの声に、箒を手にしていたサナが振り向いた。同時にシェールが走って来る。
「コーキ」
そのまま抱き着かれてバランスを崩す。うおお、あっぶない。なんとか踏ん張った。シェールは精神は幼くとも、体は成人男性のそれだ。
「ごめん、コーキ。イキオイ付きすぎちゃった」
「ん、大丈夫。シェールは平気か?」
「うん。平気。あのね、僕、コーキに渡したいものがあるんだけど、まだ用意できてないんだ。また来るよね?」
俺の両肩に腕を掛けたまま、シェールが言った。頷くと安心したように笑う。想定よりもシェールは落ち着いている。良かった。泣かれたらどうしようかと心配していたんだ。
「僕、すっごく悲しいけど、ちゃんとお見送りするって姉さんと約束したんだ」
シェールはちょっと涙を堪えていて、つられて俺も涙腺が刺激された。顔を隠すようにぎゅっとシェールを抱きしめて背中をぽんぽんと叩く。
「な、悪いけど。今日はサナと話があるんだ」
深く息を吐いて顔を上げる。モルガが察してくれたのか、俺からシェールを引きはがした。
「バラ園の四阿を使うといいわ。それじゃ、明後日の夜に」
昼間は忙しいモルガには夜にゲームを教えることにした。それだけ確認してモルガはシェールを連れて去っていった。
バラ園は花の咲く季節ではないので相変わらずひっそりとしている。結局最後までバラが咲いているのを見られなかった。少し残念だ。四阿の椅子にサナと並んで腰掛ける。
「もうモルガに聞いたと思うけど、俺、故郷の国に帰るんだ」
「聞きました。遠い国だって。どちらなんですか?」
「あーうん。ごめん。ちょっと事情があって言えないんだ。でも一度帰ったらもうここには戻れない」
サナが俯く。
「それでさ、急なんだけど、俺サナを引き取りたいんだ」
「えっ?」
上手い言葉が思いつかず直球で投げかけた俺に、サナが顔を上げた。誤解の無いように胸の前で両手を振る。
「もちろん、奥さんにしたいとか、そういうんじゃないよ。俺、ここでしてた仕事で貯えがあって、これからもある程度継続的に収入があるんだ。でもそのお金は俺の故郷では使えない。だからさ、サナに教会から出て貰ってそのお金を使って欲しい。それなりの額になるから生活費には足りるし、そのお金でモルガやシェール、他にサナの大事な人が困っていたら力になってあげて欲しい。何かあればイオリス達も協力してくれるって言ってくれたから、そんなに悪い話ではないと思う。話を進める前にサナの気持ちを確認しようと思って。どう?」
「えっと、嬉しい、と思います。でも突然なので……」
「あ、そうだよね。ちょっといきなりすぎるよね」
サナの困惑ももっともすぎるので思わず視線を逸らす。知人からいきなり全財産あげるから使ってねって言われて即答する奴は普通に考えていない。
「あの、コーキさん。私にお金を払っていただけるなら、私に『お礼』をさせていただけませんか?」
サナの手が伸びてきて俺の服を引いた。真っ赤な顔をしたサナが口を引き結んでいる。これはどう考えても普通のお礼の事ではないだろう。
「え、いや、違うよ。俺は『礼』が欲しくてサナを買い上げる訳じゃない。サナが好きでも無い奴とそういうことしなくていいように、サナを教会から出したいんだ」
サナが首を振る。俺の服を掴む手が震えている。
「私、コーキさんが好きです。だからお礼をさせてください」
「へ?」
まっすぐに俺を見るサナに間抜けな声が出る。一拍後れて脳ミソに染み込んだ言葉の意味に、今度は俺の方が真っ赤になる番だった。
「いや、あの」
「コーキさんが、私の事をそういう意味で好きでは無いことは分かっています。コーキさんの私を見る目とシェールを見る目は一緒ですから。大事だと思ってくれているのも知っています。でも私はそれだけでは足りないんです、だから、ごめんなさい」
「サナ」
「一度だけで、良いのです。お礼をさせてください」
俯いてしまったサナの頭を眺めて、停止した思考の復旧に励む。ゆっくりと深呼吸をして気持ちを落ち着けた。ようやく冷静な思考が戻ってきて、首を振った。
「ごめん。出来ない。サナに魅力が無いとか、そういう事ではないよ。俺の所為なんだ」
服を掴むサナの手を出来るだけ優しく外す。
「俺の母親は十八で俺を産んだんだけど、父親は母さんが妊娠したと知ったらすぐに逃げたんだ。俺の国ではそういうのは社会的に認められないことで、俺もその男のことはクズだと思ってる。今、サナを抱いたりしたら、俺はその父親と同じになるかもしれない。それはたぶん俺の心が耐えられない。ごめん」
ここには避妊具も無いし、もし子供が出来たとして、元の世界に帰った俺がそれを知るすべはない。一生、サナはどうしているだろうかと心配して生活するなんて無理だ。
サナは少し驚いた顔をして、そして悲しそうに眉を寄せた。
「あの、辛い話をさせてごめんなさい」
「うあ、違う。ごめん。辛いとかは無いんだ。たんに俺が不甲斐ないだけだから」
今にも泣いてしまいそうなサナに慌てる。そんな顔をさせるつもりではなかった。勇気を出して告白してくれた女の子に向かって何を言ってるんだ、俺。断るにしても、もう少しマシな言い方があったはずだ。うあああ、俺の馬鹿。冷静になったとか言いながら、少しも冷静じゃない自分を殴りたい。心中でパニックになっていると、サナが涙を拭った。
「私を引き取って下さるお話、よろしくお願いします」
「え? いいの?」
「はい。コーキさんが私のために考えてくださったのですし、何より私も寄進のお礼は本当は嫌だったんです。お話を聞いて、実はほっとしました」
「そっか、良かった。じゃあリアナさんに話してきていい?」
「はい。お願いします」
「あの、サナ、さっきの話だけど、」
「いえ、無理を言ってすみませんでした。忘れてください」
俺が言い切る前に言葉を被せるサナに、何も言えなくなる。
「……俺、リアナさんのところに行ってくるな」
「私はもう少しここにいます」
立ちあがると、サナはにっこりと笑った。何か言いたかったけれど言葉が出てこない。結局無言のままその場を後にした。
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